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針野えんじゅ

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音2

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 雪が降り始めたことに気付いたのはついさっき。頬にぽつぽつと当たっては消える。道理で今日は寒いはずだと空を仰ぐと、目の前の少女は、眉間にしわを寄せ、言葉を発するために口を開いた。
 しかし、いつまでたっても言葉は聞こえてこなかった。少女は口をパクパクと動かし、何らかを訴えかけていたが、それは私には伝わらなかった。
 私がまた空を仰ぐと、少女は気分を害したようで、私の脚を蹴っていた。
 
 この世界から音が消えて、もう、どれだけの時間がたったのだろう。そのことに気付いたのは私だけのようで、ほかの人は皆、音があった当時のまま、口を開き、空気を吐き出しながら、コミュニケーションをとっている。
 目の前にいるのに、この音のない世界では、まるで1人ぼっちのようで、怖くなって、手を伸ばす。目の前の少女は気付いてくれるだろうか。私が恐怖していることを。音を発することはできない。それでも、この音のない世界に1人でいたくなくて。
 
 私はここにいるよ。
 
 少女は私の手を取った。その表情はまだ少し不機嫌なようだが、確かに私の手を取り、ぬくもりを与えてくれたのだ。
 
 音がなくなったことに気付かない少女にお礼を伝えるために、私は音があった当時のように口を開き、白い息とともに
「ありがとう」
を吐き出した。
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