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第23話 最後の宇宙船

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明彦と北翔は限られた時間の中で北海道の生活を満喫した。日に日に東京近郊での争いは激化し、連日報じられる悲惨なニュースに二人は心を痛めた。やがて、そんな不穏な空気が二人が住む町にも漂い始めた。若者や子供はこぞって上京し、次々に宇宙船に乗り込んで地球を離れていった。

北翔の体調がいたって良好なので、自分はもう必要ないと判断した植野医師も、妻と娘を連れて町を離れ、一足先に上京した。町に残っているのは殆どが老人だった。そんな中、政府に掛け合っていた明彦がようやく宇宙船のパスを二人分入手した。

「教授とプロジェクトの名前を出して力説したら手配してくれた。最終便だが、ギリギリ間に合って良かった。植野医師も同じ便らしい。これで俺達もメトロポリス星に行けるぞ。良かったな」

「メトロポリス星に行ったら他のアンドロイドに会える?」

「ああ。会えるぞ。お前よりも先にイオという女の子が誕生したらしいからな。ほら、その首の刻印。お前のは002って書いてあるだろ?それは2番目っていう意味だ」

「ふぅん」

北翔は首に刻まれている刻印しるし に触れながら頷いたのだった。

いよいよ運命の日がやって来た。二人は明彦の車で新千歳空港へ行き、そこから羽田空港へ飛んだ。着いた途端、二人は異様な光景に我が目を疑った。大気汚染で真っ赤に染まった空、その下を分厚い防具服を着た沢山の人々が醜い争いを繰り広げていた。

「ニュースで見た通りだ……。北海道も大気の色がおかしかったが、まだギリギリ防具服を着るまでもなかった。だが、これは……とりあえず防具服を持ってきて良かったな」

「うん」

二人は急いで防具服を着ると、荷物を抱えて宇宙船の発着場に向かった。東京にある小さな離島に作られたその発着場では更に争いは激化していた。定員1万人の巨大な宇宙船の周りで大勢の人々がひしめき合っていた。

パスを譲ってください、というプラカードを下げている者、武器を振り回して争っている者、家族や仲間とはぐれて右往左往うおうさおうしている者、どさくさに紛れて宇宙船に乗り込もうとしている者、実に様々な人がいた。二人はその合間を縫って宇宙船乗り場に何とか近づこうとした。明彦は必死に北翔の手を掴んで前に進んだ。

「いいか、北翔!絶対に手を離すなよ!離したら二度と会えないぞ!」

「わかった!」

防具服越しでも、明彦の力強く大きな手の感触が伝わってきて、北翔は心強い気持ちになった。途中、何度も武器で攻撃されそうになったが、その度に明彦は身をていして北翔をかばった。幸いにも防具服を着ていることで大怪我はまぬがれていたが、ところどころ血がにじんでいた。

「博士、血が……」

「大丈夫だ!このぐらい!」

横入りしようとする輩を押しのけて、ようやく乗り場に辿り着いた。宇宙船の入り口への階段を登り切り、先に北翔が入り、明彦が最後にウォッチの中にある二人分のパスをスタッフに見せたその時。鋭い銃声が鳴り響いた。

「……?!」

驚いて振り向いた北翔は、信じれない光景を目の当たりにして言葉を失ってしまった。明彦の防具服の胸元がみるみる内に大量の赤い血に染まった。防具服の覗き窓の内側で、明彦は大量の血を吐いてその場に倒れた。背中に銃弾が命中したのだ。既に宇宙船に乗り込んでいた客、これから乗ろうとしていた客、そして、階段のすぐ下にいる大勢の人々から悲鳴が上がった。

「博士……博士?!」

北翔は明彦の体にすがって必死に呼びかけた。防具服に身を包んだ救護スタッフが数名飛んできて明彦の防具服を脱がし、応急処置をほどこそうとした。胸、口、背中から大量に血が流れ、黒縁眼鏡の奥の彼の目はうつろだった。

北翔は急いで防具服の上半身を脱ぐと、信じられない思いで明彦の顔を見つめた。その時、北翔の脳裏にかつて明彦が教えてくれた『死』という概念がいねんよぎった。嫌な予感がして、彼女は必死に声を上げた。

「うそ……博士?!死んじゃやだ!やだよ!いなくなっちゃいや!わたしを一人にしないで!」

明彦は震える手で北翔の頬に触れると微かな声で言った。

「えっ?なに?」

北翔は大事な人を前にして初めて『死』と向き合う覚悟を決めた。手袋を取って明彦の手を強く握り、口元に耳を寄せた。一言一句いちごんいっく聞き漏らすまいという思いだった。

「ほくと……必ずメトロポリス星に行け……いいか?……向こうに着いたら……アンドロイド……研究センターって……とこを……目指すんだぞ……。必ず生き残れ……強いお前なら……絶対にできる。だって……一人で羊蹄山を……登ったんだから……。それと……暁子に会ったら伝えてくれ……すまなかった……。愛していた……と……」

明彦はやっとの思いでそう言い切ると、そっと目を閉じた。北翔はその時、握っていた明彦の手から力が抜けたのを感じた。応急処置を施していたスタッフの手が止まり、北翔の顔を見て首を横に振った。北翔は大粒の涙を零しながら、首を横に振った。もう二度と力が入ることのない大きな手をより強く握りしめながら心の底から明彦に呼びかけた。

「博士!やだ!目を開けて!博士!」

しかし、彼女のテレパシーは死者には届かない。彼女の心の叫びは届くはずの相手を失ってしまった。いつまでも遺体の側から離れない彼女をスタッフが無言で引き離した。そして、数人で明彦の遺体を担架たんかに乗せるとさっさと階段を降りて行ってしまった。

「待って!博士を連れていかないで!一緒にメトロポリス星に行くんだから!パスだって二人分あるんだから!」

運ばれて行った明彦を追い掛けようとする北翔を宇宙船内から出て来た女性スタッフが制止した。

「お客様、申し訳ございません。亡くなられた方は乗せられないのです。まもなく出発致しますのですぐに中へお入りください」

「そ、そんな……!待って……博士……!博士ー!」

北翔は女性スタッフに腕を引っ張られた。その時、彼女の目に不気味な光景が飛び込んできた。夕暮れと汚染の影響で赤く染まった大気の中にぽっかりと月が浮かんでいる。その真っ赤な月が徐々に欠けていくのだ。

「赤い……月が……消える……」

それは皆既月食かいきげっしょくだったが、北翔はそれが天文現象だということを知らなかった。あまりにも不気味なその現象に彼女の背筋が凍り付いた。酷く不吉で悪い予感がした。その時、目の前で宇宙船の扉が閉まった。

それから北翔はたった一人、宇宙船の中で過ごした。一人は登山で慣れたはずだったが、もうどこにも明彦はいないと思うと酷く心が痛く、苦しかった。

「博士……心にぽっかり大きな穴が開くって、こういうことなの?」

周りの人々は家族や仲間とこれまでの辛さを分かち合い、励まし合っていた。しかし、彼女には誰もいなかった。あまりに突然過ぎる別れだった。幸いにも個室が用意されていたが、部屋で一人きりになるのは嫌だった。明彦との思い出が走馬灯そうまとうのように蘇るからだ。

「知ってる人いないけど……人がいるところに……」

北翔は部屋を出て当てもなく船の中を 彷徨さまよい歩いた。人込みの中にいると幾分いくぶんか気が紛れた。その宇宙船には植野医師と家族も乗っていた。が、最終便とあって1万人という定員は大幅にオーバーしていて数えきれない程の人が乗っている。おまけに北翔はウォッチを持っていない。

そのため、北翔も植野医師もお互いを見つけることができなかったのである。船内ではスタッフが手分けして、乗車リストを作成していた。北翔の元にもスタッフがやってきて名前を聞かれた。

「北翔様ですね。かしこまりました。お連れ様はいらっしゃいますか?」

北翔は、はい、と言いかけて口をつぐんだ。不審に思ったのかスタッフが眉をひそめる。

「お客様……?」

北翔は慌てて首を横に振った。スタッフは一礼すると去って行った。

宇宙船はぐんぐんとスピードアップし、地球を離れていった。そして、約一か月後、ようやくメトロポリス星の大気圏に突入し、着陸体勢に入った。しかし、事態は急変した。定員を大幅にオーバーした宇宙船はその重みにとうとう耐え切れなくなった。ヨロヨロと空中を彷徨さまよい始め、傾き始めた。到着を心待ちにして浮足立っていた人々の間に一斉に不安が広がる。

「皆さん!救命胴衣きゅうめいどういと酸素マスクを付けて!何かに掴まってください!」

スタッフの号令であっという間に救命胴衣と酸素マスク争奪戦が始まった。地球上で起こっていた争いと全く同じ争いがここでも勃発ぼっぱつしたのだ。北翔はその争いには加わらず、まるで鬼のような形相で奪い合う人々をぼんやりと傍観ぼうかんしていた。発着場の手前にある富士山に差し掛かった時、急激に船が傾いた。一斉に悲鳴が上がる。北翔はその時、傾いた宇宙船の上部にいて、大勢の乗客と共に手すりに掴まっていた。下部にいるよりは衝撃をまぬがれるかもしれないと思ったのだ。

(この一カ月、博士がいないならわたしも死ぬって思ってた。でも、宇宙船が墜落して死ぬかもって思ったら急に怖くなった。博士の言ってた『死は誰もが恐れる』ってこういうことなんだ……。何より、死にたいなんて博士に言ったらきっと怒られる。だから、わたしは生き残らなきゃ。それで、研究センターを目指す。博士の奥さんに博士の言葉を伝えなきゃ)

傾いた宇宙船は急激にスピードを上げた。みるみる内に富士山の山肌が近づく。人々は覚悟を決めた。自分はもう死ぬのだと。生き残ることができたなら、それは奇跡だと。北翔は墜落する直前、思い出した。かつて、博士と共に乗ったジェットコースターのようだと。

目を覚ました時、北翔はあることに気づいて愕然がくぜんとした。

「どうして……何も思い出せないの?」

名前、アンドロイド、研究センターという言葉以外、ほとんどの記憶を失っていたのだ。だから、自分がどうしてこんな山奥にいるのかも分からなかった。幸いにも目を覚ましたのは昼間だったので、周りの様子が分かった。辺りは高い木立に囲まれている。当然、自分の他に人影はない。時折、鳥の鳴き声や何かの動物の鳴き声が聞こえた。北翔が目を覚ました場所は墜落現場からかなり離れた場所だった。墜落の衝撃で吹き飛ばされたのだ。体にはあちこちに擦り傷やかすり傷があったが、大きな傷がないのが奇跡的だった。

「とにかく、山を下りなきゃ」

北翔は獣道をひたすら突き進んだ。明彦に教わった登山のノウハウも思い出せない状態だったが、不思議なことに体は自然に動いた。本能が覚えていたのだ。途中、熊の気配を感じた時はひっそりと身を隠した。急な坂道で滑落した時には背中に大きな傷が出来た。酷く傷んだが何とか耐えた。そうして、北翔は数日間かけて、ほぼ未開拓状態の富士山を自力で下山したのだった。

***

北翔の話を聞き終え、しばらく誰も口を聞かなかった。18歳の少女が受けるにはあまりも過酷過ぎる運命に一同は言葉を失ってしまったのだ。彗、イオ、シリウスは静かに泣き、雄飛やベネラ、ハレーまでもが目に涙を浮かべていた。しかし、暁子は気丈きじょうな表情を浮かべていた。口を一文字に結び、自分の元夫が過ごした最後の一年間とあまりにも呆気なく悲惨な最期を受け入れようとしていた。ようやく口を開いたのは水端流だった。

「うむ……明彦くんの死と墜落の衝撃で一時的に記憶を失ってしまった、という訳なのだな……」

すると、暁子がバッグからタブレットを取り出した。そして、口を開いた。

「じゃあ、私の話もいいかい?」

「ああ、宵月くん、よろしく頼む」

「その植野医師は墜落事故で一人娘と共に亡くなってしまった。でも、奥さんが奇跡的に生き残った。居場所を探し出して会いに行ったら、奥さんは憔悴しょうすいし切っていた。無理もないよ。一人娘はまだ10歳だったっていうし。3年経ったけど、まだ立ち直れないと言っていた。会ってくれたのは、植野医師と私の旦那が知り合いだったからだと言っていた。

植野医師の私物が現場に散乱していたらしく、救出された後に引き取ったんだそうだ。その中に1枚の小さなチップが入っていた。私は早速それを借りて中身を確認してみたんだ。そうしたら……植野医師が旦那と共に共同で開発していたアンドロイドの機密情報が全て詰まっていた。その中に一目見てすぐに、北翔を作ったのは旦那だと分かるものがひとつある。それがこれだよ」

暁子はタブレットを起動して操作すると、一枚の写真を一同に見せた。その写真に一同から驚きの声が上がった。

「それは……」

北翔がゆっくりと暁子に歩み寄った。そして、タブレットに映し出された写真をじっと見つめた。そこには宵月明彦、植野医師、そして北翔が三人で写っていた。北翔は無表情だが、明彦と植野医師は満面の笑顔を浮かべている。場所はアトリエであるロッジの中。窓の外には真っ青な空の下にそびえる羊蹄山。恐らく、北翔が誕生した記念に撮った一枚なのだろう。

「博士……」

北翔の指先が明彦の顔をなぞる。忘れていた明彦との思い出が一気に蘇り、北翔の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。北翔は写真の前に崩れ落ちた。慌てて彗が駆け寄って北翔の体を優しく抱き締めた。それまで大きく感情を動かすことがなかった北翔が号泣する姿に、一同は驚き、そしてもらい泣きをした。

暁子は皆の様子を見ると、タブレットをバッグにしまった。そして、そっと会議室を出て自分の研究室へ駆け込んだ。ドアに背中を預けた途端、全身から力が抜けた。暁子は冷たい床に座り込み、バッグを抱き締めてむせび泣いた。

(明彦……ごめんなさいね……私の方こそ……。もっと素直になれば良かった……。まさかこんなことになるなんて……)

明彦を失った悲しみ、自分に対する怒り、理不尽な世の中に対する失望や怒り、色々な感情が彼女の中で渦巻いていた。それはまるで嵐の中の波のように、彼女の心を激しく揺らしたのだった。
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