竜騎士の末裔

ぽてち

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第1章

1、虚無の砂漠

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 ナイジェル・イスハークは避難していた岩山の窪みから抜け出すと腕の力だけでその長身を岩山の頂上に引き上げた。
 フード付きの外套が風にあおられ、バタバタと音を立て激しくはためいている。

 フードの下の頭には白地に大隊長の地位を示す三本線の刺繍がされた布を巻いて飾り紐で押さえている。
 白い詰襟のシャツに青地に袖に縁取りのある長衣を纏い、腰には白のサッシュと細めの二本の革ベルト、白いズボンに足元は革の長靴というアジメール王国の兵士の軍装で、胸元の所属を示す紋章は飛翔する竜に交差する二本の剣。
 エルギン辺境防備隊のものだ。

 フードを下ろすと乾いた砂色の瞳を細める。
 陽に焼けにくい体質なのか兵士でありながら、肌は驚くほど白い。細めた目は切れ長で細い鼻梁と薄い唇は整ってはいるが、やや冷たい印象を与える。

 瞳と同色の前髪を風が弄っていく。
 砂嵐は去ったが、まだかなり強い風が吹いている。

 上空は目の覚めるような青空になっていた。
 さっきまで、太陽は中天を指しているのにもかかわらず真夜中のような暗さだったのだが。
 足元にはこぶし大の石が無数に落ちている。この地を吹き荒れていた砂嵐が運んできたものだ。その一つを手に取り、眉をしかめた。こんな重い石を運んでくるほどの砂嵐など尋常ではない。

「ナイジェル、無事でしたか」

 ナイジェルと同じ年くらいの男が必死に岩山をよじ登って来て、にこやかに話しかけてくる。
 肩までの長さの銀色の髪が風に揺れ、白い端正な顔を彩っている。
 灰青色の瞳は底知れぬ知性を感じさせ、対峙する者を落ち着かなくさせる不思議な力があった。

「まあな、それより他の者は大丈夫なのか?」
「今、貴方の部下が確認に回っていますよ。大丈夫だと思いますが」
 そう言って秀麗な眉を顰める。

 岩場の上にも乾いてひび割れた大地にもナイジェルが持っているような石が無数に散らばっている。
 遥か南西の空を見ると、遠く蠢く砂の雲が生き物のように地表を嘗めていくのが分かる。
「ユタ、これはお前の予測の範囲内か?」
「……いいえ、予想以上ですね」
 ユタと呼ばれた男は形の良い指を顎に当てて考え込む。

「〝虚無の砂漠〟北辺の都市で起こる砂嵐は春先にアジメールの王都を襲うものとそう大差ありませんよ。数日に渡って砂が舞うくらいで、農作物の被害はかなりのモノですが、人的被害は目やのどが痛くなる程度。負傷するほどの石が飛んでくる砂嵐など聞いたことがありません」
「厄介だな。こんなものが度々起これば、人死にも出る」
 腰に結わえた革製の水筒を外すと一口含んで吐き捨てる。
 口の中にまで砂が入り込んでいて不快だった。
 ユタにも水筒を渡す。ユタは短く礼を言うとナイジェルに倣い、口を漱いだ。

「ナイジェル隊長!」
 岩場の下からナイジェルを呼ぶ声がする。
 声のする方を見下ろして、確認するとナイジェルは軽く助走して四バー(8m)の高さある岩の上から身軽に飛び降りる。
 普通の人間であれば、飛び降りる気すら起きない高さを何の迷いも無く宙に身を躍らせ、途中突き出た岩場を蹴り、地表に危なげなく着地する。
 ナイジェルと同じ軍装に身を包んだ男が二人立っていたが、突然真上から飛び降りてきたナイジェルに年若い方の男は呆気にとられたように目を丸くした。
 年輩の男は見慣れているのか、表情すら変えない。

「スライ、状況を」
「はい、護衛隊には負傷者はおりません。全員無事です」
 ナイジェルに視線を向けられ、スライと呼ばれた年輩の男は淡々と報告する。
 ナイジェルほどではないが長身でがっしりとした体格をしており、鉄灰色の髪のこめかみの部分だけ白くなっている。陽に長年晒された顔は如何にも歴戦の兵士といった風貌だ。
「ただ、調査団の学者が三人飛んできた石に当たって負傷したようです。骨は折れていないようですので、問題はないかと。今、医学の心得のある者に治療をさせています」
「そうか、ご苦労だったな。……ユタ、どうする一旦ツグルトまで戻るか?」
 スライの報告に僅かに眉を顰めると半ばずり落ちるように岩場から降りてきたユタに水を向ける。

 彼らは西の大国アジメール王国から来た調査団で、目的は大陸の南半分を占める“虚無の砂漠”で発見されたアジメール王家の始祖に関わる遺跡の調査だ。
 大陸諸国には「石の道」と呼ばれる大陸各地を結ぶ整備された道が敷設されている。

 現在ナイジェルたちがいる場所は数百年前の“大災害”以前に敷設され今は旧道と呼ばれているかつての「石の道」から少し南に入った岩山だ。
 一応、街道の体はなしてはいるが、“大災害”によって虚無の砂漠が北進したことによって水源が干上がり、人が住むことが出来なくなった。

 街道沿いに在った宿場町は廃墟と化し、途中水や食料の供給ができなくなった為旧道を使う者はほとんどいなくなった。

 朝、発ってきたツグルトからはさほど離れてはいないが、砂嵐をやり過ごすために旧道からかなり南へ逸れた岩山に避難した上で、砂嵐が通過する間動けなかった為、だいぶ太陽は西へ傾いている。

 ユタが口を開こうとした瞬間甲高い声に遮られる。
「ナイジェル隊長、これはどういうことだ!」
 本人は威厳を込めて叱責したかったのだろうが、見事に声が裏返ってしまい周りから失笑が漏れる。
 それでも、発言した相手に気兼ねしているのだろう声自体は小さなものだ。
 横にいたユタはつぼにはまったのか、遠慮の欠片も無く盛大に吹き出し笑い転げている。
 砂まみれになって汚れることも気にせず、ゲラゲラ笑い転げるユタを冷ややかな目で見降ろす。
 
 そういえばこいつ笑いのつぼに嵌まると長かったな。

 ナイジェルはそう思うと、足で砂の上を転がり廻るユタを邪魔にならない場所まで転がす。
 転がす途中で少なくない数の石にユタは乗り上げたようでえ、ちょ、いた!痛いですよ!と騒いでいたが岩場にぶつかったあたりで静かになる。
 やれやれと溜息をつくとジェインに向き合う。

「なんでしょうか? ジェイン・ミューザー殿」
 怒りで赤くなった顔を屈辱で蒼くさせた男は自分の失敗を遠慮なく笑い、転げ廻るユタとそのユタを荷物のように足で転がして、表情すら変えないナイジェルに毒気を抜かれ、叱責の言葉がどこかに行ってしまったようで一瞬押し黙る。
 口を半開きにして、いつまでも沈黙しているジェインにナイジェルは不審そうに首を傾げる。

 その邪気のない仕草で現実に戻されたのか、ギッと睨み付けて激しく言い募る。
「な、なんでしょうかではない! こんなに負傷者を出すなど、護衛隊の怠慢だと思わないのか!」
 ナイジェルは僅かに目を見開くとゆっくりと唇を笑みの形に変える。

 西に陽が傾いたとはいえ、日差しはきつく汗ばむほどなのに、辺りの空気が凍り付き、気温が一気に下降したような錯覚を覚えた。

「……告罪天使ナイジェルナイジェル・アル・ナキール

 ナイジェルが放つ凍るような殺気にその場にいた者は息を呑み、大陸諸国に知れ渡っているナイジェルの綽名を呟く者もいる。
 告罪天使ナキールは死者の罪を裁いて聖人以外すべての者を煉獄か地獄に送る天使のことだ。
 当年二十五になるナイジェルの剣技を上回る者などアジメール王国にはいない。
 十代から戦場を駆け巡って起てた武功は数えきれないほどだ。

 それ故に嫉まれることは多々あった。
 ナイジェルにとってこの遺跡調査の派遣は、懲罰的な意味合いがあるものだと思っている。

 ナイジェルを護衛隊隊長に推薦したのはある王族だった。
 その王族は、隣国フェルガナ帝国との国境に係わる紛争にナイジェルが派遣された時の総大将だったが、ナイジェルの進言を無視して軍を進めて罠にかかった挙句、危うく自軍を壊滅の憂き目に合わせにかけた。
 ナイジェルがその場に急行して敵を押し返すことに成功したが、結局王族直属の私兵の半分は死亡、ナイジェルの部下たちにも少なくない犠牲が出た。
 言い訳できないほどの敗戦の結果にあせったギャント公爵は敗走の失態を言いがかりのような理由でナイジェルに着せ、大隊長の地位剥奪をエルギン辺境伯に要求した。

 ナイジェルは部下に絶大な信頼があり、ナイジェルよりは遥かに年上の同僚たちも畏敬の念で対している。
 統率力に優れ、比肩する者のない剣技を持つナイジェルを処分すれば、強力な戦力を失うこととなる。
 同輩たちにとってナイジェルを失うことは戦場において自分達の命がより危険に晒されるということだ。
 エルギン辺境伯はこの理不尽な要求をきっぱりと跳ね返し、敗戦ではあるので何も処分を行わないとどこから不満が出るか分からないので軽い減俸処分に処した。
 それすらも不服とし反対する者が多かった。

 結局、その王族は無様な醜態をさらす結果となり、王族としての権威もそれなりに持っていた影響力も失墜した。

 何重にもナイジェルに恥をかかされることになったと逆恨みをして取った行動が、遺跡調査の護衛隊隊長への推薦だ。
 砂漠で死んでくれればと願ってのことだろう。
 調査団の学者たちも似たような理由で選ばれた。
 王立学問院では主流派ではない学者や上の者に嫉まれている者などがほとんどだ。
 ユタも王立学問所創立以来の天才児と称されているのに派遣されたのはその歪んだ性格ゆえに他の導師たちから嫌われているからだろう。
 ジェインは貴族の出だが、誰彼構わず議論を吹っかけて噛みつく為、王族に連なる導師に嫌われたからだという話だ。

 そんな状況は分かっているだろうに失態でもないことでナイジェルを詰ってくるジェインが片腹痛かった。
「それは申し訳ありませんでした、ジェイン・ミューザー殿。しかし、護衛隊の任務は盗賊などから貴方がたを守る任務だと思っていました。天候に関しては貴方がたの管轄だと思っていたのですがね」
 冷ややか口調で淡々とナイジェルに反論され、言葉を詰まらせる。

 何とか言い返そうとするジェインの肩を叩いて止めた人物がいた。
 先ほどまで、盛大に笑い転げていたユタだった。
 砂の上を転がっていたので、外套にも髪にもジェインの肩においた手も砂まみれだった。
 色々な意味で顔を顰めるジェインを気にせず、ナイジェルを宥める。
「まあまあナイジェル隊長。ジェイン殿も悪気はないのですよ。王立学問所の俊秀と言われたジェイン・ミューザー殿でも神ではありませんから天のことをすべて知ることは出来ません。ねえ、ジェイン殿」
 にこりと笑いながら、ジェインを持ち上げるが、当の本人は不愉快そうだった。
「まあ、そうですね。失礼致しました」
 ナイジェルはあっさりと引き、謝罪の言葉を口にした。

 元から腹を立てていたわけではない。ただ、この手の人間は下手に出れば、際限なく増長するので、予め釘を刺しておいただけだった。
 彼らの要求に際限なく応じていれば、任務に支障をきたす。
 下手をすればナイジェル自身や部下たちにも危険が及ぶだろう。

「頼みましたよ、ナイジェル隊長」
 些か捨て台詞めいた言葉を残して、ジェインが去っていく。
 冷ややかな微笑を口元に張り付けたまま、ナイジェルは見送った。

「ユタ、汚れる」
 ナイジェルの肩に寄りかかってきた男に顰めつらしい顔を向けて言う。
「誰の所為でこうなったと思っているのですか?」
「お前は笑いのつぼに嵌まると長いからな、邪魔にならないように脇に転がしただけだ」
「……それが幼馴染に対する態度ですか」
「お前の方こそ、相変わらず性格が悪い。人の失態がそんなに面白いか?」
「いえ、さほど面白くはなかったのですが、滅多にないジェイン殿の失態なので取り敢えず笑っておこうかと思っただけです」
 悪びれる風も無く言い切った男に呆れたような眼差しを向ける。
「ジェインとは仲が悪かったのか?」
「いいえ? 大して話したことも無かったですね。まあ嫉まれていたかもしれませんが、才のある者はそういう運命にありますから」
「……王立学問院の連中の気持ちが少し分かるな」
溜息をつくと部下たちの方を振り返った。

「マレンデス団長はどこにいる」
 調査団の団長の名前を言う。
 調査団団長のミゲル・マレンデスは、人の良い初老の男でそこそこの才能とそこそこの世渡りの良さで公証人ムフティーの地位にありそれなりの人生を送っていたのだが、数年前書記カーティブを飛び越して導師イマームに抜擢された。

 その幸運をもたらしたのは娘だった。

 王立学問院の導師長の息子に見初められ、身分違いだったが結婚した。
 息子の舅となる者が地位が低くては困るという導師長の意向で導師に推薦されたのだった。
 望外の幸運にマレンデスは有頂天なったが、その幸運も娘の死とともにマレンデスの手のひらから零れ落ちていった。

 娘は初めての身籠った子供と一緒に亡くなってしまったのだった。
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 そうなるとマレンデスの立場は微妙なものになった。
 導師の地位を奪われることはなかったが、閉職に追い込まれた挙句この調査団の長にされた。
 無事に帰還したとて、今回の調査の落ち度を理由に処分されることは明白だった。

 溺愛していた娘の死と地位を追われたことによる無力感でマレンデスは抜け殻のようになった。
 今回の調査の事前準備でも元から実務能力は優れていた人物だったのだが、指導力を発揮することなく、ユタの提案にただ頷くだけの状態だった。

「あちらの岩陰に座り込んでます」
 若い方の部下ファルハードが少し離れた岩場を指さす。
「そうか」
 そう言うと部下が指差したほうに向かう。
「マレンデス団長」
「……なんでしょうかな、ナイジェル隊長」
 生気のない表情で見上げてくる男に苦笑する。長い顎鬚にも砂がついて呆然とした様子は群れに置き去りにされた山羊やぎのようだ。

 マレンデスの顔を見て吹き出しかけるユタをナイジェルは視線で黙らせた。
 本人もさすがに悪いことだと思ったのか咳払いで誤魔化していた。ユタは無理に咳払いした所為か気管に砂でも入ったようで、咳が止まらなくなってしまっている。

 身体を折って咳き込む男にナイジェルはどちらにしろ煩い男だと思いながら、マレンデスに向き直る。
「負傷者が三人ほど出ていますので、一度ツグルトに戻るべきかと思うのですが、マレンデス団長の意見をお聞かせ願いたい」
「私の意見ですか?」
 マレンデスはどこか自虐的に笑う。
「ナイジェル隊長がそうおっしゃるならそれでよろしいですよ。意見なぞ有りません」
「ちょっと待ってください」
 漸く咳込みから解放されたのか、蹲っていたユタが突然起き上がると口を挟んだ。
「この近くにかつての宿場町だったところがあるのです。井戸も枯れてはいないそうです。建物も多少は崩れているとのことですが、風除けにはなるでしょう。引き返せば、それだけ時間を取られますし、あの砂嵐のことを考えると早く調査を終えたほうが賢明かと。引き返すのはあまり得策ではないと考えます」

 ユタの意見にナイジェルは考え込む。
 元から、成果など期待されているか疑わしい調査だ。とはいえ、名目上はアジメール王国の始祖に係わる遺跡の調査だ。あまりいい加減に終わらせるわけにもいかない。
 小さな町ほどの規模の遺跡だというから、大まかに調査するだけでも数日はかかるだろうと見込まれている。

 それなりの資金は持たされているが、潤沢というわけではない。
 その上、ツグルトの隊商宿で王都から来た調査団だと分かると踏んだくれると思われたのか通常の宿賃の数倍の値段を吹っかけられそうになった。
「ここは王都と違って、水も貴重だし、物資もそうそう安い値段で手に入りませんでねえ」
 にんまりと愛想の良い笑顔で上目づかいにそうのたまったのは、隊商宿の物資不足の割に矢鱈と割腹いい親父だった。

 だが、護衛隊の隊長が「告罪天使」ナイジェルだと知れると厚顔な宿の親父もさすがに慌てた。
「貴方の武名がこんなところで役に立つとはねえ。ナイジェル様々です」
 面白そうに笑うユタをむっつりと不機嫌そうに睨んだ。
 ナイジェル本人に会った隊商宿の親父はやや疑わしそうにこんな若造が?という不躾な視線を寄越してきたが……。

「親父さん、明日も明後日もその首が繋がっていたいと思いませんか?」
 という脅迫以外の何物でもない言葉をにこにこと笑いながら言うユタとナイジェルに対して不躾な視線を向ける隊商宿の親父にナイジェルの後ろから無表情に腰の剣に手を掛け見据えるスライに怯えて、渋々正規の料金に戻したのだった。

 庶民を脅して金を毟り取る地廻りにでもされたようで不本意だったが、自分の武名が役に立つというなら良しとするしかない。
 これほどの砂嵐は想定外で、ここで足止めされては資金が尽きてしまい、調査ができないうちに王都に引き返すことになるだろう。
 そうなれば、団長であるマレンデスはもちろん、護衛隊長であるナイジェルも何らかの処罰を受けるだろう。

 ナイジェルの脳裏に王太子であるロークの顔が浮かんだ。
 ローク・エドベルト・アジメール。
 アジメール王国第一王子で第一位王位継承者でもある。やまいの床にある現国王エドボルト三世に代り、摂政サドラザムとして政務を行っている。
 王太子として過不足のない政治手腕を発揮しているが、いささか猜疑心の強い男だ。

 ナイジェルは、エルギン辺境伯配下の十人しかいない大隊長の一人で最も年若い。
 辺境伯配下の騎兵は五千人で一人の大隊長が五百人の騎兵を統率する。
 王都にいて政務を行う王太子と最前線の国境で任務に就くナイジェルの接点など、普通なら無いに等しいのだが報告などで王都を訪れると必ずと言っていいほど呼び出しを受ける。

 最初はエルギン辺境伯であるナイジェルの伯父に係わることなのかと思っていたが、どうもナイジェル本人に興味があるらしい。
 同僚たちには羨望の眼差しで見られるが、ナイジェルにとっては王太子との面会はひどく気を使う。
 一言一言に忠誠心を試されているようで気疲れするのだ。

「ナイジェル、どうかしましたか?」
 黙り込んだナイジェルに不審そうにユタが声をかける。
「いや、何でもない。確かにさっきのような砂嵐に遭遇したくはないな。早く調査を終えることが出来るのならそれに越したことはない」
「そうですな。ユタ殿、場所の正確な位置はわかるのですかな」
 マレンデスも納得したように頷き、元の宿場町の場所を聞いてくる。
 その対応は先ほどとは違い、冷静だった。元から公証人として実務には長けた人物だ。

「カリーム!」
 ユタは直接マレンデスの質問に答えずにこの調査のために雇った現地人の案内役を呼ぶ。
 カリームと呼ばれた男は日に焼けた顔には深いしわが刻まれていて、顔半分を強い髭で覆われている。太い眉毛の下から除く瞳はどこか油断ならない光を浮かべている。
「何かご用でしょうか、旦那方」
「カリーム、君が話していた宿場町の場所をマレンデス団長に説明してくれないか?」
「はあ……本当に行くんですかい?」
「何か問題があるのかね。それにしても事前の打ち合わせではそんな宿場町の存在を言っていなかったように記憶しているがね」
 木で鼻を括ったようなカリームの態度にムッとしたような表情になったマレンデスだったが、事前の打ち合わせでは放心したようにただ頷いていただけのマレンデスがちゃんと聞いていたか疑わしかった。
 マレンデスの気の毒な事情も聞き知っているだけにカリームは嘲りと憐みの混じった笑顔になったが、一応は雇い主なので丁寧に説明し始めた。

「聞かれませんでしたからね。……ここからだと二ファルサフ(約12㎞)ほどでしょうな。旧道に沿って東に向かうんで、まあ迷うことはないはずなんですがね」
 どこか奥歯に物の挟まったような言い方だ。
「その宿場町に何か問題でもあるのか」
 今まで黙って聞いていたナイジェルが口を挟む。カリームは首を竦めるとナイジェルを値踏みするような眼で見る。
 ナイジェルに初めて会った時も似たような眼で頭からつま先までジロジロと不躾なくらい見ていた。
「ここらでも有名な〝砂の狼〟っていう盗賊団の根城だってゆう噂なんでさあ。そんな噂のある場所に武器も持ったこともねえお偉い学者様たちを連れていくわけにもいかねえんで、黙っていたんですよ。まあ、あの告罪天使がついているんなら大丈夫かもしれませんがねえ」
 髭に隠れた唇を歪めて笑う。どこか馬鹿にしたような笑い方だ。

 ナイジェルの武名を知りナイジェル本人に会った者は大概似たような反応をする。
 大陸中に響き渡っている武名とは裏腹にナイジェルの容姿はその武名を想像できないものだった。
 あまり陽に焼けない体質なのか色が白く、なかなか整った顔立ちで、長身だが他の護衛隊の男たちと比べると細く頼りない印象だった。他者を威圧したり、声を荒げることなどほとんどなく、部下に対しても穏やかな物言いを常にする。

 それ故にナイジェルの武名を疑いの眼差しで見るのは良い方で、大抵馬鹿にしたような見下したような笑いを浮かべるか、あからさまにがっかりしたような顔をする者が多い。
 ナイジェルも慣れているので、特に表情を変えない。
 ナイジェルの部下たちも時折カリームと似たような表情をしている。
 護衛隊は二十人ほどだが、大隊長をしていた時の部下はスライただ一人であとは報酬を約束されて集められた者たちだった。
「その盗賊たちはどれくらいの規模の集団か知っているか?」
「四十人くらいの集団だと言う話ですなあ。脅されますが、素直に金を出せば殺しはしないそうです。狙われるのが、隊商や旅人なんで奴らまとまった金を持ってる上、土地の人間じゃねえから役人連中も真剣に追わねえの分かってるんでさあ」
「隊商たちも護衛を雇っているでしょう。それでもお金を渡すものでしょうか?」
 ユタは首を捻りながら聞く。
「四十人もの集団ですぜ。腕っぷしも相当強い奴らばかりだそうで、護衛だって人間でさあ、金で済むなら渡したほうがましでしょう。それに身包み剥ぐほど持ってかねえんで、皆払うんですよ」
「なるほどな、賢い連中だ」
 ナイジェルは微かに笑みを浮かべた。
「本当に行くんですかい」
「別にお前に付いて来いとは言っていない。場所を教えてくれればいい」
「こちらの護衛隊の倍はいるんですぜ」
「ナイジェル隊長、調査団を危険に晒すような事は止めて頂きたいのだが」
 厄介ごとに巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに渋るカリームにマレンデスも盗賊の人数に不安なのかナイジェルを非難する。

「カリーム。その連中は旧道を拠点に盗賊行為をしているんだろう?」
 ナイジェルは笑みを浮かべたままカリームを見据える。
 ユタとスライが同時に首を竦めた。ナイジェルの砂色の瞳が翡翠色に煌めいたのが見えた。
 彼は感情が昂ぶった時に瞳の色が変わるからだ。
「へえ……まあ、そうですが」
 カリームも突然雰囲気の変わったナイジェルにびくりと体を震わせる。
「こちらも遺跡に行くまでに旧道を通らねばならん。油断しているところを来られてはそちらのほうが調査団に被害が出る」
「しかし、金を渡せば――」
「そして、ロクな調査もせずに帰ることになり、処分される口実を与えることになるだろうな」

 ナイジェルの言葉にシンと静まり返った。
「単なる自然災害で、撤退するならばまだ言い訳もたつが、盗賊に襲われて調査ができませんでしたでは、護衛隊の面目が立たない」
「ですが、ナイジェル隊長」
 不満そうに声を上げたのは、スライと共に報告に来たファルハードだった。
 まだ十代なのだろう浅黒い顔は幼さの残った顔立ちで納得いかないといった表情を浮かべている。
「安心しろ。盗賊たちを相手にするのは俺一人だ。護衛隊の半分は調査団に残すから、離れた場所に隠れていろ。半分はスライお前が指揮して弓で俺が取りこぼした連中を始末しろ」
「はっ」
「伊達に高い報酬をもらってるわけじゃないんだ、その分は働いてもらう。それに……」
 不満そうな護衛隊の兵士たちをゆっくりと冷ややかに見渡した。
「見たいのではないのか? 大陸全土に響き渡る告罪天使の剣技をな」
 ナイジェルの視線に当てられた護衛隊の兵士たちは首筋を抜身の剣が撫でて言った感覚に襲われた。
 硬直する兵士たちを前にナイジェルは穏やかな笑みを浮かべていた。
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