告げられぬ思い

ぽてち

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第四話

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 馬でナイジェルの居る屋敷に向かったが、駆け足したくなる気持ちを抑えるのに苦慮した。
 ガーランド家に到着すると真っ青に蒼褪めたスライが待ち構えていた。
「スライ殿」
「とにかくこちらに。ご家族の動揺が激しいので、冷静に対応してください」
 そう言うスライもひどく動揺しているようで唇を戦慄わななかせている。


 案内されたのはナイジェルの寝室だった。
 寝具に横たわっているナイジェルは少し青白い顔色だったが、眠っているように見えた。
 傍らにリンカとアナイリンが座り、茫然とした様子でアイーシャとバスターが足元に座っていた。
 視線でスライに問いかけると顔を涙でくしゃくしゃにしたリンカが説明しだした。

「今日の昼前にナイジェルと一緒に市場に出かけたんだ。最近のナイジェルは考え事をしていることが多いから気晴らしにと思ってね。瑞穂の国の物を多く扱っている店だったんだ。店主に売る代わりに占いをさせてほしいと言われて、部屋に通されて。わ、私とクルバンは部屋の入り口で見張っていた。突然、男が入って来て、店主と喧嘩になって店主に瓶を投げつけたんだ。狙いが外れて、ナイジェルに当たった。い、いつものナイジェルだったらあんなもの避けられるはずなんだ。避けようともしなかった、いや、避けられなかったのかもしれない。瓶の中身は眠り薬だと男も店主も言っていた。間違いはないと思うが、それからずっと……」
 言い終えると声を殺して泣き始めた。

 ベルナルドは話を聞き終わるとクルバンの胸ぐらを掴んだ。
「お前は何をやっていたんだ! 護衛とは何だ! 黙って突っ立っていただけか!」
「止めろ、ベルナルド」
「しかし!」
「……ここでは止めろと言ったんだ」
 バハディルは感情の消えた顔でベルナルドとクルバンを眺めた。

 その表情にクルバンは戦慄した。
 まるでごみを見る様な視線だった。
 バハディルは傲慢なところがあったが、子供たちにとっては愛情深い父親だと思っていた。
 跡継ぎである自分に対しても厳しい所はあったが、基本優しかった。
 それなのにまるで今までの示した愛情が跡形もなく消し飛んだような冷たい視線でクルバンを見ていた。

「その二人はどうしている」
「近衛兵に言って、捕縛しております。軍総司令官の名前は出していません。小隊長がいたので気付いていたかもしれませんが」
「眠り薬の残りはどうなった」
「そのまま店にあると思います。ドミトリー叔父にどんなものを使ってあるのか調べるよう頼みました」

 バハディルを呼びに行く途中でドミトリーの所によって頼んでいた。
 その際も激怒したドミトリーに罵られ、グラムに凍り付くような眼で見られた。
 それでも、二人とも怒りを納め、すぐ行動してくれていた。
「わかった。とりあえずやる事はやったようだな」
 ほんの少しだけバハディルの視線が和らいだ。

 バハディルはアナイリン達に向き直るといきなり手をついた。
「奥方様方、アイーシャ様、バスター様。愚息の失態です。大変申し訳ありません」
 そのまま擦りつけるように頭を下げる。
「バハディル殿、止めてくれ。クルバンが悪いわけではない。私が連れださなければ!」
「……違います。ナイジェル様の様子がずっとおかしいことに気付きながら、放置していた私の所為です。普段なら部屋の外に近づいただけでも気づいておられたのに。最近はお側に近づいても気づかれないことがあったのです。リンカ様がお誘いした時も、曖昧に笑っていらした。きっと何か心当たりがあったんです。ただ心配かけまいと」
 アナイリンは顔を覆って泣き出した。

「……軍総司令官は具合が悪かったのですか?」
 バハディルは顔を上げると眉を顰める。
「ああ、ボンヤリしていることが何度かあった。疲れているのかと思っていたのだが」
 そう言って、ナイジェルの手を取ると優しく撫でる。反対の手をアナイリンが取り、同じように撫でる。
「バハディル、ナイジェルが倒れたことは隠すのだろう?」
 バスターは顔を上げてバハディル問い質す。
「はい、近衛大隊の兵士が皆動揺しますので。今日明日にでもお目覚めになれば、問題はないと思うのですが。ただローク陛下にはお知らせしませんとお叱りを受けるでしょう」
「そうだな、やってくれるか?」
「はい、それとこの屋敷に我が家の私兵を入れることをお許しください」
「ああ、頼む。こんな状態のナイジェルに何かされたら……」
 バスターの目から涙が零れた。
 背中を丸め、一回り小さくなった姿に痛ましい思いがした。

「クルバン、お前は家で謹慎していろ」
「……はい」
「待ってくれないか、バハディル殿」
 バハディルは息子の襟首を掴んで、引き摺って行こうとしたところで、リンカに止められた。
「クルバンを置いていってくれないか」
「リンカ様、こいつは役目も果たせない役立たずです」
「役立たずなら私も一緒だ。それよりも子供たちが動揺している。ナイジェルがこんな状態になって不安だと思う。クルバンは三人に懐かれているから、子供たちの為にここにいてくれないか。……ナイジェルも多分そう願っている」
「承知……しました。クルバン、分かっているな」
「はい!」
 有無を言わせぬ視線にクルバンは直立不動で応える。
「ベルナルド」
「バハディル大隊長の私兵が来るまで俺がここにいます」
「すまんな」
「いえ、バハディル大隊長もお気をつけて」




 ナイジェルが倒れてから三日が過ぎた。
 未だに起きる気配がないことにこの事を知っている者は焦りを隠せない。
 水だけは湿らせた綿を口に当てて、少しずつ取らせているが、このままでは衰弱死するのではないかとリンカは気が狂いそうになる。
 アナイリンも同様なのだろう、ナイジェルの傍を離れず、ほとんど食事も睡眠も摂っていない。

「リンカ、アナイリン。食事をなさい。貴方たちまで倒れてどうするつもりなの。子供たちはどうなるのです? 貴方たちは母親なのよ?」
 アイーシャもやつれた顔で優しく二人を叱る。
「でも、義母上」
「アイーシャ様」
「ともかく食事をしましょう、クルバン、スライよろしくね」
 後ろにいた二人にナイジェルを託して、アナイリン達を強引に連れ出した。


 クルバンは少しナイジェルから距離を置いて、スライと向かい合わせに座る。
 スライの顔にも酷い隈が浮いている。自分も似たような顔なのだろう。
 日に何度か来る父親の顔は凍り付く様な冷たい表情を浮かべ、自分に対する増悪すら感じる。
 それはベルナルドも同様だった。

 ドミトリーと呼びだされたユタが調べたが、眠り薬の中身はありふれたものだった。
 同じ物をこの事態を引き起こした本人に使用したが、数時間後に目を覚ました。
「なんで貴様は起きるんだ!」
 半狂乱になったドミトリーが何度も顔を蹴っていた。ユタは茫然と座り込んでいた。

 それを見ていたベルナルドが無表情のまま男と店主をどこかに引きずっていった。
 店主の店も流行り病が出たと言うことで、民政院の役人が閉鎖していた。グラムが手を回したのだろう。
 恐らくもう跡形もなくなっているだろう。


 暫くするとアイーシャが戻ってきた。湯の入った盥と柔らかい手拭を何枚も持たせた下女を連れていた。
 下女を視線で下がらせるとクルバンとスライに手伝うように指示する。
「もう三日も浴場にも行ってないのですもの。気持ち悪いだろうと思ってね」
 愛おしそうにナイジェルの頬を撫でる。クルバンも服を脱がせるのを手伝う。
 露わになる白く彫像のような美しい体に思わず見惚れそうになり、慌てて視線を逸らす。
「あの、アナイリン様たちは」
「食事をさせて、眠らせたわ。ちょと駄々をこねていたけどね」
 微笑みながら言うアイーシャに泣きそうに顔を歪めた。
「……すみません、俺が、俺の所為で」
「クルバン、変なことを考えないでね」
「……はい」
 クルバンの心情を見透かしたように言うアイーシャにそう答えるしかなかった。
 だが、ナイジェルにもしものことがあれば、
 自分に対する冷たい怒りに溢れたバハディルの顔を思い出す。

 
 新しい夜着に着替えさせるとナイジェルを布団に横たえる。
 されるがままになっている姿にひどく胸が痛んだ。

 手拭や脱いだ服を片づけているとふと気配を感じて顔を上げる。
 こちらを見ているナイジェルと視線があった。
「軍総司令官!」
 出て行こうとしていたアイーシャとスライが振り返る。
 アイーシャは持っていた手拭を落とすとナイジェルに駆け寄り、抱き着いた。
「良かった! ああ、ナイジェル目が覚めたのね!」
「お、奥方様達にお知らせしてきます!」
 慌ててスライが足を引きずりながら部屋を飛び出していった。
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