告げられぬ思い

ぽてち

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第八話

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「アクサル様、こちらの屋敷をお使いください」
 アクサルが案内されたのはクローマーの郊外にある瀟洒な屋敷だった。

 大きさはそれほどでもないが淡い水色のモザイクタイルで彩られた外観はしっとりを落ち着いた気品があった。
 細やかな彫刻と色鮮やかなタイルで作られた内装も品があって、格子も近くで見ると丁寧な造りで花をあしらった意匠のタイルで飾られていた。
 中庭には小さな噴水があり、花壇と四阿がその周りに配されて、とても居心地の良い空間となっていた。


「父上、随分立派な屋敷ですね」
「ああ、お前にあの屋敷を譲ったらここに移ろうと考えていたのだ」
 アクサルは特に何の感慨も無いらしく、無言で案内された部屋に入ると中庭の噴水を眺めていた。

「クルバン、もうお前は戻れ。近衛大隊の仕事があるだろう」
「え、ですが」
「アクサル様の世話はこの屋敷の使用人がするから問題ない。アクサル様、よろしいですか?」
 振り返ったアクサルは冷ややかな眼差しで見ていた。
「世話になる身だ、お前の好きにしろ。女の使用人でなければ何でもいい」
「アクサル様、軍総司令官の署名が必要なものが幾つもあるのですが、お願いしても」
「扱き使ってくれるな」
 舌打ちしたが、拒絶はしなかった。

 バハディルはいくつかの書類をアクサルに渡す。黙って、アクサルは書類に目を通していた。
「クルバン、何をしている」
 バハディルにギロリと睨まれて、アクサルの方を見るが書類に集中しているのか顔を上げない。
「あの、アクサル様、では失礼します。何かありましたら、遠慮なく申しつけてください」
「ああ、ご苦労だったな」
 顔も上げずに答えるアクサルがなんだか寂しかった。




 とぼとぼと久しぶりの自宅に戻ると母親のヴェーラが待っていた。
「お帰りなさい。大変だったわね」
 ヴェーラはさすがにバハディルに聞いているのか、クルバンを慰めてくれた。

「いえ、自業自得ですから。それにしても、我が家にあんな別宅があるとは知りませんでした」
「ええ、他に所有していた土地や家を売って買ったようね。……ユーリィが生まれて、少し経った頃かしらね」
「母上にも相談がなかったのですか?」
 クルバンは驚いた。

 父は甲斐性のない男ではないが、仕事のことは別だが何かというと母を頼りにし、母がこの家を牛耳っていたと思っていたからだ。
「そうね、後ろめたかったのかしらね」
「愛人でも連れこむつもりだったのですか」
 父ならやりかねないなと思いつつ、それでも堂々とやりそうなのにと首を捻る。

「……ユーリィと暮らすつもりだったのでしょう。ここは貴方が後を継ぐし、ユーリィを手元に置くには別の家を建てるしかないでしょう」
 父がユーリィを溺愛していたことは知っていたが、そこまでとは思っていなかった。
「何故そこまで」
「決して手に入れることが出来ないものなら、似たものを手にして側に置いておきたいと思うものなのよ」
 そう言うとヴェーラは悲しげな顔をする。

 クルバンはそれ以上は聞けなかった。




 居間に行くとドミトリーとユタ、ダダシュにエルキンが書庫から持ち出してきた紙の束と格闘していた。
 ドミトリーはクルバンに気付くと
「クルバン、お前は古代フェルガナ語は分かるか?」
「え、いえ。分かりません」
「使えないな、アジメール語は分かるな」
「……そこまで馬鹿なつもりはありませんが」
「だったらそこの束を目を通せ。オーレクの息子の日記だ。オーレクの話があるだろうからな」
「はい、あの大叔父上は?」
「……お祖父さまも手伝っていたが、具合が悪くなったんだ」
 年齢が年齢だからなと思っていたが、ダダシュやエルキンもなんだか顔色が悪い。

「ダダシュ、エルキン大丈夫か? 公証人の仕事もあるだろう」
「いや、それは大丈夫。グラム様が話してくれて、この件が落ち着くまでお休みを頂いたんだ」
 グラムは元大法官なだけあって、未だに影響力がある。
 グラムにねじ込まれたダダシュたちの上司も大変だったろうなと気の毒に思った。

「クルバンはどうしたんだ、ガーランド家に行ってたんじゃなかったのか?」
「うちの別邸の方に移られたから、父上に近衛大隊の仕事に戻れと言われたよ。……『ご苦労だったな』とあっさり言われたし。なんというかアクサル様って人嫌いなんだなって」
 クルバンの愚痴にシンと静まり返った。

「え、あの」
 クルバンは周りの反応に戸惑っていると無表情になったドミトリーが傍にあった紙を取り上げて読み上げ始めた。

「フェルガナ歴291年5月4日妾腹のアクサル様がクベンタエ家に迎えられた。7歳の大変可愛らしいお子様だ。長子のパヴェル様はことのほか喜んでいらした。パヴェル様はとても十歳とは思えないほど狡猾で残忍な方だから、気に入られたのはアクサル様の為にも良かった」

「同年6月10日クベンタエ家に慣れてきたらしく、笑顔をよく見せられるようになった。我が儘を言うことも無く、庭掃除の下男にも優しい言葉を掛けるとても心の優しい方だ。ただ、パヴェル様はアクサル様が他の者に笑いかけるととても不機嫌になる」

「同年9月20日庭掃除の下男が馘首くびになった。アクサル様に無体を働いたとパヴェル様が泣きながらお父上に訴えたからだ。アクサル様は反論されたが、聞き入れてもらえなかった」

「同年10月4日アクサル様と仲の良かった料理長の娘が階段から落ちた。命は助かったが、酷く怯えて、口がきけなくなった。料理長は辞めてしまった」

「同年11月14日アクサル様付きの侍女が盗みを働いたとして警護の者に捕まった。私物から奥様の首飾りが出てきた。自分はやっていないと言っていたが、動かぬ証拠があり、屋敷から追い出された」

「同年12月8日アクサル様に剣を教えていた警護長が泥酔して川に落ちたという。彼は一滴も酒を飲めないはずなのに」

「同年12月21日アクサル様の家庭教師が失踪した。パヴェル様と同じ家庭教師が教えることになる。パヴェル様は満足そうだ」

「フェルガナ歴292年2月9日アクサル様が屋敷に迷い込んだ犬を飼いたいとお父上にお願いしていた。許可されてとても嬉しそうだった。久しぶりにアクサル様の笑顔を見た」

「同年2月11日アクサル様の飼っていた犬が殺されていた。部屋からアクサル様が出て来ることはなかった」

「同年2月20日アクサル様が侍女を怒鳴っていた。飲み物を溢したからのようだ。アクサル様らしくない」

「同年5月3日アクサル様が笑わなくなった。周りの者に悪態をつくようになった」

「同年8月15日アクサル様は、パヴェル様と共に過ごすことが増えた。アクサル様の周りから、怪我をする者、失踪する者、冤罪を掛けられる者がいなくなった。分かっておられるのだ」

 ドミトリーは淡々と日記の内容を読み上げていく。
 その内容に茫然とクルバンは聞いていた。

「フェルガナ歴300年8月3日アクサル様が翼竜を従えることに成功した。パヴェル様に続いてクベンタエ家では二人目の竜騎士が誕生した。パヴェル様はとても喜んでいらしたが、アクサル様に南方の僻地の所領が与えられ、選帝侯となることが決まると恐ろしいほど激怒され、使用人が何人か殺されかけた」

「同年8月5日やっとアクサル様がパヴェル様の寝室から出てこられた。パヴェル様は上機嫌だった。これで使用人が殺されることはないだろう。表情すらなくなったアクサル様に使用人たちは皆泣いていた」

「フェルガナ歴301年1月5日アクサル様が選帝侯に任じられた。叙勲の式典で竜騎士の礼装に身を包んだアクサル様は神々しいまでに美しかった。同じ礼装のパヴェル様も神話に出て来る軍神のようであんな目でアクサル様を見ていなければ、絵画のような光景だった」

「同年1月10日アクサル様が賜った領地に出発する日が決まった。連れて行く家来は使用人が10人ほど、騎士はクベンタエ家所属の騎士団から50人ほど。アクサル様が選ばれたが、役立たずや問題児ばかり。すぐに領地経営が行き詰まるだろうともっぱらの噂だ」

「同年1月21日パヴェル様がアクサル様が連れて行く者たちの仕事ぶりを見て回っているようだ。私は居眠りしているところを見つかった。パヴェル様に優しいお言葉を頂く。恐ろしくて顔を上げることもできなかった」

「同年1月26日アクサル様の婚約者が決まった。パヴェル様が選んだそうだ。見た目は美しい姫君だが浪費家で美男の侍従を何人も寝所に侍らせて閨の相手をさせているらしい。アクサル様は視線すら合わせず、会話も無いまま顔合わせは終わった」

「同年2月5日アクサル様の婚約者は領地には行かないそうだ。帝都以外は人の住むところではないらしい」

「同年2月20日アクサル様が吐いていらした。食べ物を受け付けないのに無理に食べている。一日がこんなに長いとは思わなかった。早く、アクサル様が壊れる前に!」

「同年2月21日出発する日だが、いつまでもアクサル様が寝室から出てこない。パヴェル様もご一緒なので、声すらかけられない。以前、声を掛けた侍従がパヴェル様に舌を切られたからだ。昼過ぎ漸く出発する。皆やる気がなく、のろのろとした旅立ちだ。帝都を出てしばらくだらだらと進む。騎士隊長に至っては酒を飲んでいる。前方に十騎ほどの替え馬を連れた旅装の男たちが現れた。騎士隊長は酒の壺を投げ捨てると馬にしがみ付くように乗っているアクサル様の後ろに乗り込み、一気に鞭を入れた。そのまま全員全力疾走する」

「同年2月24日漸く所領についた。同行人数は百騎に増えた。先行していた者たちのおかげで屋敷内はすぐ住める状態だ。やっと、やっとアクサル様を安心して夜を過ごせるところにお連れ出来た」

 ドミトリーの目から涙が伝っていた。
「……もっと聞くか?」
「……すみません、もう、いいです」
「お祖父さまはこれを読んでいるうちに具合が悪くなった。この国に来る前の物は古代フェルガナ語の走り書きばかりだったから、読んでいなかったとか。……アクサル様は冷たい人間か?」
「軽率でした。……見捨てられたようで寂しかったのです」
「さっさと探すぞ、今の状態がアクサル様に負担でないと何故言える?」

 ドミトリーの言葉にハッとした。
 ナイジェルが飲んだ眠り薬には精霊を死に至らしめる毒草が入っていると言っていた。
 アクサルは四分の一の精霊の血を引いている。

 その事に思い至って総毛だった。
 蒼い顔をしたグラムが入ってきて、無言のまま紙片をめくりだす。
「お祖父様」
「……年を取るのは情けないの。目の前に現れてやっとアクサル様がどんなお方か分かるとはな」
 そのまま真剣に走り書きに目をやる。

 普段、饒舌なユタがさっきから一切発言しない。
 黙々と文字に目をやっている。
 クルバンも自分にあてがわれた紙に目を通し始めた。
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