告げられぬ思い

ぽてち

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第十一話

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 しっとり汗ばみ、白い陶器のよう肌を薄紅色に染めて、荒い息をつくアクサルをバハディルは見下ろした。
 艶を帯びた砂色の髪が、布団の上に放射状に広がっている。
「さすがに妻帯者だな、女の抱き方が上手い」
 何とも言えない評価に苦笑いを浮かべる。

 アクサルの隣に体を横たえて、まだ荒い息をついているアクサルの横顔を眺める。
「バハディル」
「はい」
「ナイジェルのどういうところが好きだったのだ?」
 こちらを向いて、楽しそうに笑うアクサルに声を詰まらせる。
「お休みにならないので?」
「今眠ってしまったら、二度と起き上がれないような気がする」
 深刻な内容をさらりと口にするアクサルに肝を冷やす。
「眠らないように見張っていてくれ。退屈だから、お前とナイジェルの馴れ初めでも聞こうか」
 楽しそうに笑いながら、翡翠色の瞳はどこか真摯な光を宿していた。

 バハディルは溜息をつくとぽつぽつと今まで誰にも打ち明けたことのない胸の中に仕舞い込んだ思いを口にした。




「た、只今戻りました。どうかお聞きください、私がどれほど」
「遅いぞ、役立たず」
 演技がかって態とらしく倒れ込むモラーヴィが手にしていた蘆薈と乳香を取り上げるとアクサルはモラーヴィを足で転がして、その場にいたユタに手渡した。

 感激したようにアクサルに懐いてくるファルハードを懐かしそうに優しく撫でる。
「はっ! そ、そのおっしゃり様はまさかアクサル様では!」
「気配で分からぬか? お前は本当に精霊か?」
「ひ、酷い。苦労して蘆薈と乳香を持ち帰りましたのに」
 さめざめと泣きだしたモラーヴィに冷ややかな視線を送る。
「どうせ、ファルハードにしがみついていただけだろうに、苦労とは良く言うな」
「亡くなってもお口の悪さは治らないとは何ともはや。地獄の天使は一体どんな仕事を」
「……ナイジェルの剣と違って俺の剣は精霊を消滅させることが出来ると忘れているようだな」
 真顔になったアクサルに周りは震え上がった。

 今までのアクサルの悪態は口先だけなのだと分かった。
「ひいぃ、お許しください! お会いできた嬉しさについうっかり口が滑ってしまったのです!」
「もういい、お前の相手をしていると陽が暮れる」


 ユタが煎じ終えた解毒薬を持ってくる。
 何の躊躇も無く杯を飲み干すとアクサルは横になった。

 知らせを受けて、アナイリンとリンカが来ていた。
 待ち望んだことなのに二人ともひどく顔色が悪く、居た堪れなさそうにアクサルを見つめていた。

 ユタはポロリと涙をこぼす。
「何を泣くリュドミラ」
「貴方を再び失うのは辛い」
「死んだ人間がまた死ぬだけだ」
「ですが……」
「仕方ないな」
 舌打ちすると髪に手を伸ばすのを慌ててユタが止める。
「それはお止めください! 暫く戻らないのでしょう!」
「だったら泣くな。俺は他人が泣くのは嫌いなんだ」
「アクサル様」
 声を掛けたまま言葉を失うグラムを見つめる。
「マヌラを守ってくれて礼を言う。これからもその子孫を頼むぞ」
「はい、御心のままに我らの竜騎士」
「……解毒薬が効いてきたようだ」
 ゆっくりと翡翠色の瞳が光を失っていくの息を呑んで見つめていた。

「リンカ、アナイリン」
 いきなり呼ばれてびくりとする。
「傷つけてすまない、ファーティマを見せてくれて感謝する」
 艶やかに笑うアクサルに何も言えなかった。
「クルバンも世話になったな」
「いえ、そんな……楽しゅうございました」
 俯くクルバンの後ろに無表情に立つバハディルを認める。
    柔らかく笑うとそのまま目を閉じた。


 ほんの一瞬だったのか、一刻もの長い時間だったのかは定かではないが、暫くしてナイジェルが目を開けた。
 砂色の瞳がこちらを認め、訝しげな表情をする。
「ここは一体」
「ナイジェル!」
「ナイジェル様!」
 叫びながらリンカとアナイリンがナイジェルに抱き付く。
 抱き着いてきた妻たちを優しく抱きしめる。普段のナイジェルだった。

「宜しゅうございました、軍総司令官」
 バハディルは跪いて、安堵の溜息を吐くと共に心にぽっかりと何かが抜け落ちて行ったのを感じる。
「軍総司令官!」
 ベルナルドが入って来て、いつもの張りついたような笑いを消し、男泣きに泣いていた。
 クルバンも同様だった。

 主が戻ってきた。
 喜ぶべきことで実際に喜んでいる。
 それなのに世界が何故か色を失っていく。
 
 決して手にすることの出来ない類稀なる翡翠色。
 それが一瞬だけ手の中に有って、すり抜けていった。

 ただそれだけだ。

 表情を失っていく夫を悲しげにヴェーラはただ見つめていた。




 別邸の四阿に座り込み、ボンヤリと噴水から水が落ちて行くのをバハディルは唯々見つめていた。

 ここ何日もこんなことを繰り返している。
 仕事はベルナルドに押し付けた。

 文句を言うかと思ったが、ジッとバハディルを見つめて、諦めた様にあっさりと引き受けてくれた。

 アクサルに与えられていた国宝の二振りの剣はナイジェルがロークに返還した。
 酷く安堵するとともに少し寂しげだったと言う。
 ナイジェルは事の次第を聞いて、落ち込んでいた。
 自身が招いた事態に蒼褪め、皆に頭を下げていた。
 それに自分はどんな顔をしていたのかすら、覚えていない。


 毎日必ず妻たちや家族の誰かが訪ねてくる。酷く心配そうにしているのにそれにすら心が動かない。

 ユーリィがもし生きていたら……。

 埒もないことを考えて、溜息をつく。
    分かっているのだ、代わりでは本物には勝てないことを。

 視線を上げると陽がだいぶ西に傾いている。
 今日もこうして一日が終わる。
 もうすぐ召使いが食事を持ってくるだろう。
 どんなに辛くとも腹は減るものだなあと思っていると後ろから足音がした。
 家族の誰かだろうと振り返らなかった。

 衣擦れの音がして誰かが目の前に座った。
「久しぶりだな、バハディル」
 バハディルは茫然と目の前に座ったナイジェルを見つめた。


「……これは、軍総司令官。何故ここへ?」
 どうせクルバンかベルナルドの計らいなのだろう、いつまでも別宅を出ようとしない自分への。
「御用がおありでしたら、御屋敷へ罷り越しましたのに」
 そう言いつつナイジェルの顔を見ることが出来ない。

 何しろ先ほどまでずっと自分の下で切なそうに喘ぐアクサルの姿を思い出していたのだから。
「あまり具合が悪そうには見えないな」
 どこか咎める様な言い方だった。
「……もう年ですので、いろいろとガタが来ているのでしょう。なんとなく気力がわかないのです」
 それも事実だが、それ以上にナイジェルの顔を見るとあの夜のことを思い出して、体が熱くなり居た堪れなくなるのだ。
「……そうか」
 溜息をついて立ち上がる。

 寂しさと安堵が同時に襲ってきた。納得してもらえたと思っていた。

 横を通り過ぎると思ったナイジェルがすぐ傍らに座る。
「そんなに恋しいかアクサルのことが」
 息がかかるほどの至近距離で酷く冷たい声で言ってきた。
「なんのことでしょう?」
 ぎょっとして振り返るとすぐ近くにナイジェルの顔があり、瞳が翡翠色に煌めいている。
「目が覚めてからは暫くは混乱していたが、……アクサルが見聞きしたものは俺の中に有る」
 信じられない思いで呆然と見つめ、俯いた。
「ここであったことも?」
「ああ」
「ならばお判りでしょう、もう私は貴方の前にいることは出来ません」
 一瞬で今まで築きあげてきた物が崩れ去っていくのが分かった。
 狂いそうなくらいの恋慕を抱きながら、それでも傍らにいるために作り上げた忠臣はもういない。

 唯々、同性の主相手に邪な欲望を吐きだした憐れな男がいるだけだ。
 落とした視線の先についいつもの習慣で腰に差した剣がある。

 ああ、なぜこれを思いつかなかったのだ。

「お帰り下さい。一人にさせて頂けますか」
 ナイジェルは僅かに身じろぎした。
 そのまま何も言わず、帰る様子もない。
「軍総司令官……」
 帰るよう促そうと顔を上げ、目に入ったナイジェルの姿に茫然とした。
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