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六月の花嫁
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年が改まって二月目に入った頃、巧と美緒、大石と朱里の婚約披露のパーティーが開かれた。既に四人の気持ちは決まっていたが、こんな時期になったのはただ単に会場が抑えられなかったせいだ。
もう少し暖かくなってからでいいのでは…との声もあったにはあったが、最短でと言うのが小林と朱里の意向で、美緒と大石はごめんなさいねぇと小林の母親に謝られてしまったが、異を唱える事はなかった。社長もその後継者の鋭も、小林や朱里と同類なのだ。異を唱えたところで結果は変わらないことくらい、とっくに理解していた。
婚約披露は取引先と親族を集めたために規模が大きくなり、人数の多さに美緒は不安を感じたが、朱里の家の辻井家は警察関係の仕事に就く者が多かったのが美緒に安心感を与えた。朱里の話では、父の巌だけでなく兄や叔父、祖父も警察官で、何かあっても即対応出来ると言われたのが大きかった。当然小林も片時も側を離れなかったし、念のため薬を飲んでおいたのもよかったのだろう。人目に晒されて不安は感じたが、特に問題なく終える事が出来た。
こうして、付き合い始めてから半年ほどで美緒は正式に巧の婚約者としてお披露目された。既に栗原と早川が起こした事件で二人の仲が知れ渡っていたのもあり、特に異議を唱える者もいなかった。小林と美緒を傷つけた栗原親子が会社から追い出され、栗原の会社自体も身売りする羽目になった事で、美緒に手を出せば小林家の逆鱗に触れるとの認識が広まったのもあるだろう。
結婚は小林が早くしたいと急かした上、人が多い豪華な式はやっぱり怖いと美緒が不安を漏らしたのもあって、身内だけでの海外挙式の予定だ。美緒が今まで一度も海外に行った事がないと知った小林が、それならと張り切ったのもある。海外で式を挙げた後、二人はそのままその地でハネムーンを過ごす事になるだろう。
ちなみに婚約を披露した後、美緒は小林に説得されて婚姻届を出す事になった。小林狙いのハイエナから美緒を守るためだと言われ、また母親もその方がいいと言ったからだ。対外的には結婚式までは公表しないことを条件に、美緒はその提案を受け入れた。
「ねぇ、美緒…ちょっといい?」
結婚式まで残り二週間となったある日、美緒は母親から電話を受けた。来週には母もこちらに来て一緒に過ごす予定だったため、その話かと思った美緒に母親は意外な事を言ってきた。
「…言い難いんだけど…」
「何?」
いつも言いたい事はハッキリ言う母親が言い淀むなんて珍しい…と、美緒は母親の態度に不安を感じた。今になって結婚に反対なのだろうか…それとも別の要因で…?と美緒の中で不安が急速に膨らむのを感じた。
「その…こんな時にとは思うんだけど…お父さんが…」
「…お父さん?!」
思いもしなかった単語が出てきて、美緒は思わず大きな声を上げた。近くで読書をしていた小林が何事かとこちらに視線を向けた。
「お、父さんって…」
「あんたのお父さんよ。実はこの前、連絡があって…」
「…連絡?」
今更何の用だというのだろう…長年不倫をして自分と母を裏切り続け、相手の離婚が成立した途端、罵声を浴びせて出て行った男が…
「あんたに…会いたいって言ってきたのよ」
「はぁ…」
今更どんな顔をして会いたいなどと言っているのだろう…美緒は怒りよりも呆れで間の抜けた声が出てしまった。
「今更?あんだけ暴言吐いて出て行ったのに?」
「そうなんだけどねぇ…」
歯切れの悪い言い方に不審を感じた美緒に、母は予想もしていなかった事を話し始めた。母親の話では、離婚から五年ほど経った頃、父親が二人を尋ねてきたのだという。
離婚後に不倫相手と再婚した父は、暫くはよかったらしいが、その内に互いの性格や生活習慣に不満を感じるようになったという。二人の仲は急速に冷めていき、結局再婚して三年目に離婚したらしい。互いに二十年近くかけて築いた家族の信頼関係を捨ててまで選んだ選択は、呆気なく壊れた。
それから父親は暫くは一人気ままに暮らしていたが、健康診断でがんが見つかった。その時に父は、急に自分が捨てた妻と子を思い出したのだという。がんの治療が終わった五年前に訪ねてきて、母親に平謝りしたらしい。それから母は時々父に会っているらしく、その時に美緒の結婚の話をしたのだという。
「そっか…」
母親にその話を聞かされても、美緒の心は以前ほど波立つ事はなかった。以前は凄く傷ついたし怒りで死んでも許せないと思っていたが、今は正直どうでもよかった。これは早川に襲われてからカウンセリングを受けてきたせいで、父親絡みの恨み辛みが解消されたのもあるだろう。小林のお陰で男性不信も薄れたし、絶対に裏切らない執着心の塊のような男にロックオンされた事で、美緒の中では父親の事はすっかり過去の事になっていたのだ。きっと再婚相手ともうまくいかなくなり、病気になって気弱になったのだろう。
「…慶事の前に縁起でもないとは思うんだけどね…」
そう言って母は電話の向こうで力なく笑った。母も父の身勝手さには呆れているのだろう。それでも、子を成し夫婦として共に暮らしてきた時間は、母の人生の大部分を占めている。それに、人情家であっけらかんとした性格の母は、怒りを持ち続ける事も、弱っている父を見捨てる事が出来なかったのだろう。そして、出来れば美緒との関係もいい方に向かって欲しいと願っているのだろう、美緒のために。
「…やめて、おく。まだ…」
それでも美緒は、父親に会おうとは思えなかった。わだかまりがないとは言い切れないし、急すぎて気持ちが定まらず、また不安感に囚われそうで怖かった。そんな自分に罪悪感が湧いたが、ごめんと謝った美緒に母は、やっぱりそうよね~と笑った。それは本心でもあり、母なりの美緒への気遣いでもあっただろう。
「…よかったのか?」
電話を切って暫くぼんやりしていた美緒に、小林がためらいながらも声をかけてきた。お父さんと声に出していたため、ある程度の話の内容は小林にも伝わったのだろう。美緒は小林に父親の事は殆ど話していなかった。離婚の経緯などは話したが、その後美緒がどう思っているかなどは、気持ちのいい話ではないため話さなかったのだ。
「うん…まだ、会いたいと思えないし…怖い…かな…」
「…そっか」
母からの電話の内容を小林に話した美緒は、素直に今の気持ちを表した。もうすぐ結婚するし、実家での憂い事は先に晴らした方がいいのだろうとは思う。そうは思うが、今はやっぱり会いたいとは思わなかった。会えば色々気になるだろうし、嫌な気分になる可能性もある。今はがんの治療も終えて問題なく暮らしているというから、それ以上の事を知って気に病みたくもなかった。色々あったとはいえ、結婚式は楽しみなのだ。今更それを父親に壊されたくはなかった。
「でも、無理すんなよ」
「うん」
「会いたいなら…会えばいいんだぞ?不安なら俺も行くし」
「…うん、ありがと…」
以前は父親の事になると平常心ではいられなかったのに、今は不思議なくらいに心が凪いでいた。それも目の前の男のせいだろうか…
「ま、俺たちが結婚するのが今になったのも…お前の親父さんのせいだしな。当分は我慢させておけばいいんじゃないか?」
「へ?!な、なんで?」
「だって、お前の男性不信と男嫌い、親父さんのせいだろ?」
「それは…」
「もしそれがなかったら、俺達もう少し早くこうなっていたと思わないか?」
「……」
なるほど、そういう見方も出来るのかと、美緒は小林の持論に驚きながらも妙に納得した。確かに父親の不倫がなく、あのまま穏やかに暮らしていたら、もしかしたら小林に憧れて早いうちにこうなっていたのかもしれないのだ。でも…
「それは…ないんじゃない?そうだったら、私なんてその他大勢に埋もれていたと思うし…」
「いや、それはない。きっと直ぐに好きだと自覚して、学生結婚していたと思う」
「…ええ?…やっぱり、ないと思うんだけど…」
「いや、美緒は存在自体が別格だ。それはない」
何よ、その根拠のない変な自信は…と美緒は思ったが、迷いなく断言されるのは嫌な気分ではなかった。そこまで一途に思われているのはやっぱり嬉しい。独占欲が強すぎて危ない奴とは思うが、これくらいの執着心だから男性不信の自分も不安にならないのかもしれない。
「美緒」
それから十日後、美緒は小林とその家族、そして母と一緒に空港にいた。これからフライトの予定だったが、空港に到着後程なくして美緒は母親に声をかけられた。
「何、お母さん?」
「……」
移動している最中に声をかけられた美緒が母親に振り返ると、母親は何も答えずに視線だけを移動させた。何よもう…と美緒が母親の視線を追って、固まった。
そこには、二十歳の時に別れたっきりだった人物がこちらを向いて立っていた。
「…お、父…さん…?」
思いがけない再会に、美緒は戸惑い困惑した。こんな場面で会うなど思いもしなかったからだ。美緒の記憶に残っていた父に比べ、その男性は随分と痩せ、自分達を怒鳴りつけた力強さもなく、髪も白くなり酷く弱々しく見えた。それでも、見間違えようがなかった。
「…お母さん」
戸惑いながらも抗議を含めて母を呼ぶと、母親はごめんね、と力なく呟き、それでこの再会を組んだのが母親なのだと美緒は理解した。遠くから一目だけでもって言うから…と言う母親の言葉に嘘はないのだろう。実際、父親がいるのは声が届く距離ではなく、父親は美緒の姿を認めてもその場を動く事はなかった。
そうしている間にも、小林の家族はどんどん搭乗手続きに向かっているのがみえて、美緒は戸惑った。声をかけるべきか、このまま去るべきか…
「…ほら、行くぞ」
動けずにいた美緒に声をかけたのは小林だった。小林も美緒のすぐ側にいたから、母親との会話も、父親の存在も気付いたはずだ。
「…で、でも…」
「今は、これ以上は望んでないと思うぞ」
「…え…」
「でなければ、声、かけるだろ、普通」
「あ…」
小林にそう言われた美緒は、両親の意図を察した。そうか、今は本当に一目だけでもと思って来たのか…父親に視線を向けたが、父親は相変わらずその場から動かずにいた。きっと小林の言葉通りなのだろう。
一瞬だけ小林が足を止めて父親の方に一礼した。父親の姿が僅かに揺れたようにも見えたが、直ぐに頭を下げてその姿のまま止まった。さ、行こうともう一度言われた美緒は、小林に手を引かれ、何度か振り返りながらこれから家族になる人達の後を追った。
飛び立つ空は、青く晴れ渡っていた。
◇ ◇ ◇
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
本編終了です。
この後は小林サイドの話が数話入ります。
もう少し暖かくなってからでいいのでは…との声もあったにはあったが、最短でと言うのが小林と朱里の意向で、美緒と大石はごめんなさいねぇと小林の母親に謝られてしまったが、異を唱える事はなかった。社長もその後継者の鋭も、小林や朱里と同類なのだ。異を唱えたところで結果は変わらないことくらい、とっくに理解していた。
婚約披露は取引先と親族を集めたために規模が大きくなり、人数の多さに美緒は不安を感じたが、朱里の家の辻井家は警察関係の仕事に就く者が多かったのが美緒に安心感を与えた。朱里の話では、父の巌だけでなく兄や叔父、祖父も警察官で、何かあっても即対応出来ると言われたのが大きかった。当然小林も片時も側を離れなかったし、念のため薬を飲んでおいたのもよかったのだろう。人目に晒されて不安は感じたが、特に問題なく終える事が出来た。
こうして、付き合い始めてから半年ほどで美緒は正式に巧の婚約者としてお披露目された。既に栗原と早川が起こした事件で二人の仲が知れ渡っていたのもあり、特に異議を唱える者もいなかった。小林と美緒を傷つけた栗原親子が会社から追い出され、栗原の会社自体も身売りする羽目になった事で、美緒に手を出せば小林家の逆鱗に触れるとの認識が広まったのもあるだろう。
結婚は小林が早くしたいと急かした上、人が多い豪華な式はやっぱり怖いと美緒が不安を漏らしたのもあって、身内だけでの海外挙式の予定だ。美緒が今まで一度も海外に行った事がないと知った小林が、それならと張り切ったのもある。海外で式を挙げた後、二人はそのままその地でハネムーンを過ごす事になるだろう。
ちなみに婚約を披露した後、美緒は小林に説得されて婚姻届を出す事になった。小林狙いのハイエナから美緒を守るためだと言われ、また母親もその方がいいと言ったからだ。対外的には結婚式までは公表しないことを条件に、美緒はその提案を受け入れた。
「ねぇ、美緒…ちょっといい?」
結婚式まで残り二週間となったある日、美緒は母親から電話を受けた。来週には母もこちらに来て一緒に過ごす予定だったため、その話かと思った美緒に母親は意外な事を言ってきた。
「…言い難いんだけど…」
「何?」
いつも言いたい事はハッキリ言う母親が言い淀むなんて珍しい…と、美緒は母親の態度に不安を感じた。今になって結婚に反対なのだろうか…それとも別の要因で…?と美緒の中で不安が急速に膨らむのを感じた。
「その…こんな時にとは思うんだけど…お父さんが…」
「…お父さん?!」
思いもしなかった単語が出てきて、美緒は思わず大きな声を上げた。近くで読書をしていた小林が何事かとこちらに視線を向けた。
「お、父さんって…」
「あんたのお父さんよ。実はこの前、連絡があって…」
「…連絡?」
今更何の用だというのだろう…長年不倫をして自分と母を裏切り続け、相手の離婚が成立した途端、罵声を浴びせて出て行った男が…
「あんたに…会いたいって言ってきたのよ」
「はぁ…」
今更どんな顔をして会いたいなどと言っているのだろう…美緒は怒りよりも呆れで間の抜けた声が出てしまった。
「今更?あんだけ暴言吐いて出て行ったのに?」
「そうなんだけどねぇ…」
歯切れの悪い言い方に不審を感じた美緒に、母は予想もしていなかった事を話し始めた。母親の話では、離婚から五年ほど経った頃、父親が二人を尋ねてきたのだという。
離婚後に不倫相手と再婚した父は、暫くはよかったらしいが、その内に互いの性格や生活習慣に不満を感じるようになったという。二人の仲は急速に冷めていき、結局再婚して三年目に離婚したらしい。互いに二十年近くかけて築いた家族の信頼関係を捨ててまで選んだ選択は、呆気なく壊れた。
それから父親は暫くは一人気ままに暮らしていたが、健康診断でがんが見つかった。その時に父は、急に自分が捨てた妻と子を思い出したのだという。がんの治療が終わった五年前に訪ねてきて、母親に平謝りしたらしい。それから母は時々父に会っているらしく、その時に美緒の結婚の話をしたのだという。
「そっか…」
母親にその話を聞かされても、美緒の心は以前ほど波立つ事はなかった。以前は凄く傷ついたし怒りで死んでも許せないと思っていたが、今は正直どうでもよかった。これは早川に襲われてからカウンセリングを受けてきたせいで、父親絡みの恨み辛みが解消されたのもあるだろう。小林のお陰で男性不信も薄れたし、絶対に裏切らない執着心の塊のような男にロックオンされた事で、美緒の中では父親の事はすっかり過去の事になっていたのだ。きっと再婚相手ともうまくいかなくなり、病気になって気弱になったのだろう。
「…慶事の前に縁起でもないとは思うんだけどね…」
そう言って母は電話の向こうで力なく笑った。母も父の身勝手さには呆れているのだろう。それでも、子を成し夫婦として共に暮らしてきた時間は、母の人生の大部分を占めている。それに、人情家であっけらかんとした性格の母は、怒りを持ち続ける事も、弱っている父を見捨てる事が出来なかったのだろう。そして、出来れば美緒との関係もいい方に向かって欲しいと願っているのだろう、美緒のために。
「…やめて、おく。まだ…」
それでも美緒は、父親に会おうとは思えなかった。わだかまりがないとは言い切れないし、急すぎて気持ちが定まらず、また不安感に囚われそうで怖かった。そんな自分に罪悪感が湧いたが、ごめんと謝った美緒に母は、やっぱりそうよね~と笑った。それは本心でもあり、母なりの美緒への気遣いでもあっただろう。
「…よかったのか?」
電話を切って暫くぼんやりしていた美緒に、小林がためらいながらも声をかけてきた。お父さんと声に出していたため、ある程度の話の内容は小林にも伝わったのだろう。美緒は小林に父親の事は殆ど話していなかった。離婚の経緯などは話したが、その後美緒がどう思っているかなどは、気持ちのいい話ではないため話さなかったのだ。
「うん…まだ、会いたいと思えないし…怖い…かな…」
「…そっか」
母からの電話の内容を小林に話した美緒は、素直に今の気持ちを表した。もうすぐ結婚するし、実家での憂い事は先に晴らした方がいいのだろうとは思う。そうは思うが、今はやっぱり会いたいとは思わなかった。会えば色々気になるだろうし、嫌な気分になる可能性もある。今はがんの治療も終えて問題なく暮らしているというから、それ以上の事を知って気に病みたくもなかった。色々あったとはいえ、結婚式は楽しみなのだ。今更それを父親に壊されたくはなかった。
「でも、無理すんなよ」
「うん」
「会いたいなら…会えばいいんだぞ?不安なら俺も行くし」
「…うん、ありがと…」
以前は父親の事になると平常心ではいられなかったのに、今は不思議なくらいに心が凪いでいた。それも目の前の男のせいだろうか…
「ま、俺たちが結婚するのが今になったのも…お前の親父さんのせいだしな。当分は我慢させておけばいいんじゃないか?」
「へ?!な、なんで?」
「だって、お前の男性不信と男嫌い、親父さんのせいだろ?」
「それは…」
「もしそれがなかったら、俺達もう少し早くこうなっていたと思わないか?」
「……」
なるほど、そういう見方も出来るのかと、美緒は小林の持論に驚きながらも妙に納得した。確かに父親の不倫がなく、あのまま穏やかに暮らしていたら、もしかしたら小林に憧れて早いうちにこうなっていたのかもしれないのだ。でも…
「それは…ないんじゃない?そうだったら、私なんてその他大勢に埋もれていたと思うし…」
「いや、それはない。きっと直ぐに好きだと自覚して、学生結婚していたと思う」
「…ええ?…やっぱり、ないと思うんだけど…」
「いや、美緒は存在自体が別格だ。それはない」
何よ、その根拠のない変な自信は…と美緒は思ったが、迷いなく断言されるのは嫌な気分ではなかった。そこまで一途に思われているのはやっぱり嬉しい。独占欲が強すぎて危ない奴とは思うが、これくらいの執着心だから男性不信の自分も不安にならないのかもしれない。
「美緒」
それから十日後、美緒は小林とその家族、そして母と一緒に空港にいた。これからフライトの予定だったが、空港に到着後程なくして美緒は母親に声をかけられた。
「何、お母さん?」
「……」
移動している最中に声をかけられた美緒が母親に振り返ると、母親は何も答えずに視線だけを移動させた。何よもう…と美緒が母親の視線を追って、固まった。
そこには、二十歳の時に別れたっきりだった人物がこちらを向いて立っていた。
「…お、父…さん…?」
思いがけない再会に、美緒は戸惑い困惑した。こんな場面で会うなど思いもしなかったからだ。美緒の記憶に残っていた父に比べ、その男性は随分と痩せ、自分達を怒鳴りつけた力強さもなく、髪も白くなり酷く弱々しく見えた。それでも、見間違えようがなかった。
「…お母さん」
戸惑いながらも抗議を含めて母を呼ぶと、母親はごめんね、と力なく呟き、それでこの再会を組んだのが母親なのだと美緒は理解した。遠くから一目だけでもって言うから…と言う母親の言葉に嘘はないのだろう。実際、父親がいるのは声が届く距離ではなく、父親は美緒の姿を認めてもその場を動く事はなかった。
そうしている間にも、小林の家族はどんどん搭乗手続きに向かっているのがみえて、美緒は戸惑った。声をかけるべきか、このまま去るべきか…
「…ほら、行くぞ」
動けずにいた美緒に声をかけたのは小林だった。小林も美緒のすぐ側にいたから、母親との会話も、父親の存在も気付いたはずだ。
「…で、でも…」
「今は、これ以上は望んでないと思うぞ」
「…え…」
「でなければ、声、かけるだろ、普通」
「あ…」
小林にそう言われた美緒は、両親の意図を察した。そうか、今は本当に一目だけでもと思って来たのか…父親に視線を向けたが、父親は相変わらずその場から動かずにいた。きっと小林の言葉通りなのだろう。
一瞬だけ小林が足を止めて父親の方に一礼した。父親の姿が僅かに揺れたようにも見えたが、直ぐに頭を下げてその姿のまま止まった。さ、行こうともう一度言われた美緒は、小林に手を引かれ、何度か振り返りながらこれから家族になる人達の後を追った。
飛び立つ空は、青く晴れ渡っていた。
◇ ◇ ◇
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
本編終了です。
この後は小林サイドの話が数話入ります。
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