清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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5章、マイノリティと生命の砂時計

59、「騎士オスカーは北西を王に献上せよ」

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   59、「騎士オスカーは北西を王に献上せよ」

 
 今日は、エリックと『二人で竜を呼んで見せよう』と約束した日だ。
 連日開かれるパーティの定位置みたいになった『騎士王』の隣の高座たかざに落ち着いたクレイは、階下のダンスフロアを鑑賞しながらエリックの合図を待っていた。
 
 優雅な曲はラーシャ姫の歌劇にも使われる名曲『夜のために』――くるくると踊る男女は遠目にも美しく、華やかだ。

 そして、中央ファーリズの国の国主であるアーサー王が声を響かせるのだ。
 隣には『鮮緑』という二つ名を持つ新進気鋭の冒険者上がりの騎士、アッシュ・フィーリーを伴って。

「歴史に名臣忠臣は数あれど、当世の我が騎士は過去に例を見ぬ至上の勲功くんこうを魅せる国家の誇り――皆も把握しておろうが、私は今日ようやくおおやけに語れるとあって高揚こうようを隠せないのだ」

 アーサー王が朗々と語る。
 クレイはエリックが『鮮緑』の隣に立つのを眺めながら、アーサー王の言葉をきいた。

「さあ、これまで秘していたが、立派な騎士を紹介しようではないか。皆、待ちかねているのだろう。私もだ」

 アーサー王のはしゃぐような声がなんだか気に入らない――こちらに注がれ、何かを待つような数々の視線が不快に思える……クレイはチラリと傍らの『騎士王』を見た。
 置き物のように身じろぎせず端然たんぜんと座っている『騎士王』は、静かだった。
 視線をものともせず、アーサー王に無反応で、全く動じた様子がない。
 
 ――こいつ、実は寝てたりして。
 クレイはそんな風に思って――続くアーサー王の言葉にぎくりとした。

「オスカー・ユンク卿! かの北西を獲得せしめた『騎士王』の名を、皆がそう呼びたくて仕方ないのだと私はわかっているとも。よろしい、よろしい。このファーリズ王アーサーが今正式に肯定しよう、彼の名が皆の思う名であると!」

 なんと、アーサー王が『騎士王』の正体をバラしたではないか!

「おお……っ」
「やはり!?」
うわさ真実まことであったか!」
 
 会場中がざわりとして、二人の王を見比べるように無数の視線が交差した。

 アーサー王は気持ち良さそうにそんな会場に視線を巡らせ、得意満面、『騎士王』を指す。
 
「『騎士王』は我が騎士。ファーリズの騎士であるっ! 民と国家のために悪の魔王を討伐し、北西の『覇者の指輪』を奪い、かの地を掌握しょうあくした彼と、彼の率いる混沌騎士団は、私の強兵策により特別に育成された『中央ファーリズの騎士』である!!」

 ――我が騎士だって!

 クレイの胸に一瞬、噴火寸前の灼熱のマグマみたいな反発心がどろりと芽生え、しかし秒を待たずに冷えていく。

 ――確かに、そうとも言えるが。

 ユンク伯が溺愛する息子オスカーにアーサー王の強兵策、チームを作って実戦的な仮想戦場で試合させる策の試験台となっていたのは、明らかなのだ。中央の国ファーリズのために剣を奮う彼らは、中央の騎士、国主であるアーサー王の騎士だったといえるではないか。

 ――アーサー王に直々に褒め称えられ、人々に称賛されるのは、喜ばしいことではないか……別に、むかむかするような必要はないではないか。

 クレイは自分の中に芽生えた感情をそっとなだめた。
 
「我が騎士オスカーは、北西を王に献上せよ」

(……はっ?)
 ――凄いことを言っている。

 アーサー王が堂々と声を響かせると、会場が湧いた。

「なんと、北西が中央のものに!!」
「大陸の勢力図が大きく変わりますぞ!」 
「今日という日は大陸史に残る特別な日となりましょうっ」

 アーサー王が晴れの場で堂々とはっきりと言うのだ。
 それすなわち、『発表して良い状態になったから言っている』のだ。
 
 当然、前々から二人は話し合い、調整し、合意と方針の確たる内定の上でこのおおやけに発表するのであろう――、それはこの場に居合わせた誰もが当然に思う事だった。

(そうだったのか。そう……そうだったのか)
 クレイは両手をきゅっと握った。
 
(ということは、エインヘリアはこれからファーリズに統合される? なんだか、凄い事になるような……『騎士王』は、アーサー王の臣下の身分になるの? そのままエインヘリアの領主みたいになるのかな? 中央に帰ったりするの……? 僕たちの国は、掲げる旗は、王様は……)
 
 自分の心臓の音がばくばくと耳を騒がせている。
 じっとりと背に汗が感じられる――不安で心がいっぱいになる。

 しかし、そこに爽涼そうりょうな風が吹き込むような一声が投じられた。
 既定路線に思われたアーサー王のレール宣言を吹き飛ばし、くるっとくつがえしてしまうような、りんとしてしたたかな王子の声が割り込んだ。
 
「父上、それは違いますよ」
 ――エリックだ。

 よく晴れた青空みたいな瞳をきらきらさせて、世の中で一番綺麗で神聖な王様みたいな顔をして、エリック王子が声を響かせる。



「――んっ?」

 エリック王子が示した先には、会場にたった今入ってきたといった顔のユンク伯と、父伯に付き従う貴公子――オスカーがいた。
 そして、その後ろにはレビエやショー、シュナと言った少年騎士団ケイオスレッグ時代からの仲間がそろっている。

「あれっ? ユンク伯?」
「令息が……」
「おや、後ろに揃っているのはケイオスレッグのメンバーだ。俺はあいつらの試合をよく観てた……」
「私もよ。懐かしい」

 ざわざわと人々のささやきが音の波となり、会場中に満ちていく。
 視線は皆、落ち着かなくあちらこちらを見比べて答えを探すようにして――そんな人々にオスカーは不遜ふそんな笑顔を見せ、優雅に一礼してみせるのだった。

「父上、オスカーは俺の友人なのですよ」
 
 エリックが息子の顔で爽やかに父に語りかけている。
 
「なにより、彼はクレイの騎士なのです。俺が誓いに立ち会ったんですよ。あいつったら、『いいよ』と言われてないのにさっさと手の甲に口付けしちゃってさあ――ははっ」

「ふぇっ……?」
 唐突に名前を出され、クレイは目を丸くした。

 エリックが悪戯っぽく微笑んでいる。

 混沌騎士団――ケイオスレッグのメンバーが、和気あいあいとした声を響かせる。
「アーサー王なんて知らないよ。俺たちはオーナーに金で雇われただけだもん」
 シュナが子供っぽい口調で――以前とは見違えるほど上達した中央ファーリズ語で言い放つ。
「そうそう。剣がふるえりゃなんでもいい――王様に忠誠誓ったことなんてあったかな? ないよな?」
 ショーが白い歯を見せる。
「俺たちはリーダーが気に入ってるんで、リーダーしだいですよ」
 レビエが肩をすくめて『リーダー』を見た。
 
 彼らの『リーダー』――オスカーは、観客にいつかそうしていたように明るい笑顔で大きく手を振り、注目を浴びるのに慣れている様子で大声を張り上げた。

「これはこれは注目して頂き光栄ですッ、家を出た放蕩ほうとう息子として有名な俺です! オスカー・ユンク。オスカー・ユンクでございます! 今後ともユンク家をよろしくお願いします!」

 商品の売り込みでもするように実家の名をアピールする、商人めいて騒がしく、調子の良い声。
 それを耳にした中央貴族の中には『なんだあれは。品のない』と顔をしかめる者もいた。
 
 そんな衆目の中、オスカーは大きな歩幅で階段をずんずんとのぼり、『騎士王』の席――北西エインヘリア勢の陣容に近付いてくる。
 
「人によっては俺が死んだと思われてる方もいらっしゃるようですが、なにせ仲間がめちゃめちゃ有能な奴らばかり。なにより、俺が忠誠を誓ったご主君が武運を願ってくれたものだから、そのおかげで俺ってばこうしてしぶとく元気いっぱいに生きているわけですな! ……な!」
 ぱちりとウインクされて、クレイはビクッとした。
 
「ふぁっ……」
 気付けば、ずんずんと近づいてきたオスカーはもうクレイの目の前にいて、ニコニコした笑顔でひざをついている。
 
「いと健やかなる大地の恵みグレイプス、愛らしい菫毒ヴィオレッタ、気高きエンプレス――この方こそ我が主君!」
 
 声は低くつやめいて、断固としてゆずらぬというような強い意思をみせている。

 ――それは絶対で、誰に何と言われようが揺らがぬのだ、認めぬ者は残らず黙らせてやろう。
 
 そう不遜ふそん傲慢ごうまんに己の牙をちら見せて、沈黙のとばりを他者に強いるような覇気はきがある。

「俺はこの黒竜の王子様、コルトリッセンの公爵令息殿下……『ラーシャの御子みこ』クレイ様にただひとつの忠誠を誓っているのです――」

 世界中に言い聞かせるような宣言が、高らかに成される。
 

信念に因りFAITH博愛のCHARITY剣は冴えてPROWESS怯まずCOURAGE

高潔な身はHONESTY盾とならんDEFENSE

礼節持ちCOURTESY只人の私人は死して生涯の忠誠LOYALTYを誓うのだ……」
 

 苛烈かれつほむらの色をぎらぎらとさせる瞳が、強い意思の光を魅せて、クレイをまっすぐに見つめてくる。
 
 
 ――『さあ、俺を受け入れると仰い』。

 そんな風に無言でちょっと上からな感じで促しているのだ。
 

 クレイはアーサー王やエリックや、華やかに雅やかに着飾った中央貴族たちの視線を意識しながら頬を紅潮させた。
 
 胸の奥で、鼓動がふわふわと踊っている。

(どうだ、わかったか。オスカーは僕の騎士なんだ)
 
 ……そんな思いが、クレイの唇の端をゆるゆると上向きにさせる。
 息を吸い、声に想いを乗せるのが素晴らしい特権に思えて、世界の主役にでもなったみたいな気分で、最高に気持ちがいい。

「オスカーは僕の騎士である……僕は、その忠誠を受け入れているのだ」
 
 誇らしく紡ぎ響かせる声は、勝利宣言のようだった。
 自らの意思で昂然こうぜんと手を差し伸べれば、オスカーが神聖な儀式のように神妙に手を取って唇を寄せる。

(そうだ。僕がいいって言うまで、それをしちゃだめなんだぞ、お前)
 初めてそれをやった時、返事をする前からさっさとクレイの手の甲に唇を付けた少年を思い出して、クレイは胸がいっぱいになった。

 ――ところで、後ろにいる『騎士王』の中身は誰なのだろう。

 ――『騎士王』がいて、オスカーがいる。これはなんだか、不思議だな。

「というわけで、俺は『騎士王』ではありません。でもって、クレイ殿下の騎士なのですッ! アーサー王陛下は何か勘違いをなされていたようで」
「いやいや。何を言うかね。そんな……今更何を」
「勘違いをなされていたようで!!」
「困るよ君、ちょっと……」 
 
 アーサー王が文句を言いつつ、流されかけている。
 エリック王子はそんな父の背を距離感近くぽんぽんと叩き、「貴族らの中にも、そんな噂が多かったですからね。仕方のないことです」と声をかけている。

(それが通っちゃっていいのだろうか)
 クレイが知っている限り、何度か『騎士王』は素顔をアーサー王やその近臣にみせているし、声を出して歓談しているのだ。
(これからどうするというのだろう……さすがにアーサー王との関係悪化は免れまいよ)

 そんな心配を他所に、オスカーはいそいそと手袋を脱いだ。
 
「そうそう、クレイ様」
「なあに……」
「国を出て貴方様のもとに戻るまでの日々、俺は子分たちとちょっとした冒険をして参ったわけです」 
「ん……」
 
 ぼんやりとそれを見守っていると、このタイミングで露出してはいけないと思われる指輪がきらりと手袋の下から現れる。
 
「冒険の末に手に入れたお宝を、俺はご主君に献上いたしましょう!!」 
 
 オスカーは逆の手で指輪をつまみ、気を落ち着けるように数度呼吸をしてから、一気にを自分の指から外した。

「――……」

 褐色の大きな手のひらに乗せられ、献上されるのは、小さな指輪だ。
 
 この世のものとは思えぬ美しい輝きを放つ銀の輪には、古い装飾妖精文字で沢山の文字が細々と刻まれている。
 それは、古妖精フェアグリンがつくった魔法のアイテムだ。
 
 煌めく宝玉は見る角度でさまざまな色合いを見せる幻想的で神秘的な美しい石で、それが特別なのだと誰にもわかる強大な力を秘めた石だった。

 ……それをめた者は、北西を支配する古妖精フェアグリンに認められてエインヘリアの玉座を――王権を授かることができるのだ。
 

 ――『覇者の指輪』。

 人々がそう呼ぶ指輪が、そこにあった。
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