RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~

雪染衛門

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第四章 ポルノ・グラフィティ

30. 狐憑き

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 警官たちは現実的ではない光景に圧倒されたのか、誰もが動けなくなっていた。

 このなかで一番、場数を踏んでいる白髪交じりの警官だけが警棒を手にじりじりと距離を詰めていく。

 男は萎れた切り花の如くうなだれたままだ。千切れんばかりに振っていた足は、ぞんざいに放り出された状態。めくれたボトムスから、どこで作ったのか大きな古傷残るくるぶしが顕わになっている。

 白髪交じりの警官は、その顔を覗くように慎重に腰を下ろすと、男は急激に顔を上げた。

「……俺は、なんてことを」

 先ほどとはまるで別人だった。どこか頼りなく優しそうな面持ちに、たくさんの絶望を湛えた表情。恐らくこれが本当の彼の姿なのだろう。震える頬から、落涙するのを確認するや否や他の警官たちも、どっと男へ群がっていく。

 やがて無抵抗のまま、大人しくパトカーに乗り込む男を見届けると、白髪交じりの警官は持ち場に戻り、ため息をついた。

――まさに“狐憑きつねつき”である。

 彼はその昔、生家の町外れに住む風変わりな女から、よく聞かされてきた怪奇話を思い出していた。


 その女は身寄りがなく、外に出る姿を誰も見たことがないほど、引き籠もって暮らしていた。猫でも飼っているのか、小窓が一か所、年中開けっ放しになっていたので、不用心だなあとか、嵐の日はどうしているのだろうかだとか、子どもながらに心配したものだ。

 女は近所付き合いが悪かったことに加え、何十年もまるで歳を取らないと、周囲の大人から気味悪がられていて、親からも女との接触をきつく止められていた。

 だが、女が流暢りゅうちょうに話す身の毛もよだつ作り話聞きたさに、近所の子どもらを集めて、こっそり通ったものだった。――


 五十年以上も前の話だからすっかり忘れていたのだが、いまの光景によって唐突に思い出された。それほど一致していたので、もうじき定年を迎える身にして初めて、あれは作り話ではなかったのかもしれないと考え直す。

 今回の容疑者は、女の言葉で表現すると皆、“狐憑き”の症状になる。

 報告書によると、発見時はいずれも中身が空っぽのように呆けており、署員が話しかけると、ある者はヒステリックに泣き喚いたと、またある者は犬のように舌を出し、ハッハッと息を荒げては不気味に微笑んだという。そして、いずれもひとしきり奇行に走ったかと思えば、突然正気に戻り、大人しくお縄につくのであった。

 被害者の女性は皆、大量に血を抜かれることによる失血死と、常軌を逸する状況から早い段階で落画鬼の関与が疑われていた。だが、摩訶不思議な存在に対抗すべく特殊能力を持たない警察はただただパトロールを強化し、浮夜絵師による早期解決を祈ることしか、いまのところはできていない。

 そうしている間に、今回で五件目になる。五件目で遂に自分の所轄で通り魔……いや落画鬼の悪行を許してしまう。

 これまで落画鬼絡みの事件がひとつもなかったわけではない。その多くは、政府公認の秘密機関・浮夜絵師による速やかな排除と工作によって、落画鬼は彼らの存在と共に、上手く隠匿されてきた。
 
 その存在は現代においても、ほんの数年前まで政府と警察庁は警視正以上、そして公安部以外の者には決して開示されることはなかった。そのため巡査部長の彼も、知らず知らずのうちに“手を加えられまくった事件”の事後処理をしていただけだったことに、一切気付くことはなかったのである。

 まさか十八年前、日本各地に次々と甚大な被害を及ぼした、異常気象による天災地変までもが、実は凶悪な組織的犯罪集団に属する絵憑師たちの内部抗争、いわゆる落画鬼の仕業であったとは……。

 この大規模な抗争が、浮夜絵師たちの介入によって鎮圧されていなければ、日本は壊滅していたこと。その鎮圧に、当時高校生だった自分の一人娘が、事もあろうに浮夜絵師として参加していたこと。

 近年になって一気に知らされた時は、卒倒しそうになったほどである。思い出すだけで、と呼ばれた当時の傷がうずいた。


 このように歴史に残る大規模な天災でさえ、落画鬼による“侵略大災インベイジョン”であったと、少しも気付けなかったことは、彼が警察官として劣っているせいではない。
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