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第四話『Age.13』

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 正直、目の前で起きていることが信じられなかった。
「じゃあ、悪いけど失礼するよ」
 そう言って、バカ王子が席を立つ。後ろを振り返ることもなく、お嬢様に配慮することもなく。
「殿下、いま来たばかりじゃないですか‼」
 血相を変えてお嬢様が立ち上がるも、バカ殿下はとっとと馬車に乗り込んでしまった。
「しっんじられないっ‼ ダスラ、どう思う⁉」
 月に一度、婚約者同士でお茶を飲みかわそうと『あちらから』約束してきた十五の日。毎月十五日に、お互いがスケジュールを開けておくという約束だったのだけど。
「私は……私は、セレスの誕生日パーティーを泣く泣く欠席して今日という日を空けたのよ‼」
 この怪獣ナーシャにも数少ないながら友人と呼べる存在がいて、今日はセレスことセレスヴァティー・ヴェンテ伯爵令嬢からバースデーパーティーにお呼ばれしていた。
 こう見えて友人は結構大事にするタイプのお嬢様だったから、手紙だけではなく前々日に直接会いに行って事前に欠席を詫び、二日早い誕生日プレゼントを預けていったぐらいだ。
 それが、あのバカ王子は『今日は公務があるので』とか言って開始早々十分で席を立った。そりゃ王子様としてはお仕事あるんだろう、公務とか言われたらこちらとしては我をとおすわけにはいかない。
 だがちょっと待て。毎月十五日に会おうと言ってきたのは、その日は必ずスケジュールを空けるように念を押してきたのは誰だったか。
「お前だーっ‼」
 ついつい高ぶる感情のあまり、走り去っていく小さな馬車の後ろ姿を指さして叫んでしまった。お嬢様が、ビクッとして驚愕の表情で飛び上がる。
「な、なに? ダスラ⁉」
「あぁ、失礼しました……取り乱してしまいました」
 でもどうしても我慢できなかった。お嬢様は目に涙をためてらっしゃるし、なにより私がナーシャだったころのセレスは唯一無二のかけがえのない親友だったのだ。
「そ、そう?」
 さっきまで怒り狂っていたお嬢様だったが、私の奇行ですっかり大人しく――なるような怪獣ではもちろんないので、ギリギリと歯ぎしりをしながら再沸騰している。
「まったく、こんなことならセレスのパーティーに行けばよかった!」
 まったくそのとおりだ。だけど、ちょっと気になるのは。
(私のとき、殿下がこんな短時間で途中退出したことあったかな?)
 時系列的に、あのバカ王子はまだ浮気相手のスーリヤ嬢と出会ってないはずなのだ。そしてこの時期の王子とは、良好な関係を築いていた記憶があるのだけどね。
(セレス、ごめんね)
 今の私はダスラだけど、心の中でセレスに謝ってしまう。
「どうしますか? すぐにでも屋敷に立ち返り、私を鞭でしばきますか?」
「えぇ、そうするわ。準備してちょうだい」
「かしこまりました」
 このバカ王子が、月一の逢瀬を反故にするのはこれが初めてではない。いや、最初から来ないと事前によこしてきやがったことはあるのだが、途中退場は今回が初めてだった。
 最初から来ない月は、まぁ事前に連絡があったからよしとしよう。だが今回のようなケースでは、お嬢様としても誰か(というか私)で八つ当たりというか憂さ晴らしでもしなければ気が晴れまい。
 そしてお嬢様の私専ダスラ用の鞭は、今日も元気に現役である。
(絆創膏と消毒薬のストック、まだあったかな……)
 そんなことを考えながら茶器を片付けていたら、ふと私の脳内に名案が浮かぶ。くっそ、思わず顔がパアァッとなってしまったではないか(うーん語彙力!)。
「あの、ナーシャ様」
「なに?」
 先月十三歳になったばかりのお嬢様に、事前に誕生日プレゼントはなにがいいか訊いたら『お嬢様はやめて』とのリクエストを受けたので、『ナーシャ様』とお呼びすることになった。
 それのどこがプレゼントになるのやらさっぱりわからなかったが、お金を使わなくてラッキーなんて思ったものだ。まぁ給金はいいのだけどね、この猛獣の飼育係の手当てついてるから。
「鞭がイヤなので進言するわけじゃないのですが」
「うん? なにがあろうとも鞭打ちはするわよ?」
 そうっすか。
「幸いにしてあのバカ王子が十分で退散しやがったから、セレスの……じゃなかった、セレスヴァティー様のバースデーパーティーに今からでも参加しませんか?」
「え、でも……ってダスラ、いまバカ王子って言った?」
「言いましたね」
「……」
 ま、不敬ですね。もしお嬢様が王宮に密告ちくったら、私の首は身体と早々におさらばすることになる。
「言わずにはいられなかったんです。もうしわけありません、お嬢様の婚約者を侮辱して……あっ!」
「今度はなによ⁉」
「あ、いえ。気づいていないならいいんですが」
「気づいてるに決まってるじゃない! また『お嬢様』って呼んだでしょ‼」
 チッ、耳ざといお嬢様だな。
「まぁその分は一回追加するとして、」
 するんかーい!
「もうパーティーは始まってるわ。それに私、欠席って返事したし」
 シュンと項垂れて、小声になってしまうお嬢様。なんだ、可愛いな。
「でもセレスとしても、ナーシャ様に参加してもらったら嬉しいと思うんです」
「……ダスラ、身分をわきまえなさい。セレスは伯爵令嬢なのよ⁉」
「失礼いたしました。セレスヴァティー様はナーシャ様の数少ないご友人なので、ついつい気軽にお呼びしてしまい……」
 バカ王子はOKでセレス呼び捨てはNGなのね。そりゃそうか。
「数少ない、は余計よ!」
 そう怒鳴りながら、思いっきり右手を振り上げるお嬢様。ビンタかな?と思って中腰になって差し上げた。
 私のほうが身長が二十センチほど高いので、そのままだと届かないというか。いや届くことは届くが、殴りにくいだろうなーと思ったので。
 したら、私のそのセルフサンドバッグっぷりが気に食わなかったのだろう。バカにされたとでも思ったのだろうか?
「うぐっ⁉」
 飛んできたのはビンタではなく、膝蹴りだった。しかも私の太ももの外側、多分だけどここは急所だ。
(痛い……痛すぎる……)
 お嬢様の細くて尖った膝が、私の太ももにのめり込む。
 痛みのあまり立っていられず、思わず涙目でしゃがみこんでしまった。手に持ったティーカップを落としてしまい、地面に落ちて割れ砕ける。
「も、もうしわ……け……」
 声もまともに出ないまま、悶絶してしまった。なんでこの怪獣は、私の急所を的確に突くのか。
「あの、ダスラ? ……大丈夫?」
「だ、だいじょばないです……」
 私の尋常じゃない痛がりようを見て、さすがにお嬢様も心配そうな表情を浮かべる。そして変な表現で応じてしまうくらいには、私は青息吐息で。
(あっ!)
 心配のあまり両手で患部を押さえてしゃがみ込んだ私に近寄ろうとするお嬢様を、両手で突き飛ばした。だってね、足元に割れたティーカップの破片がたくさんあるんですよ。
「キャッ‼」
 そしてお嬢様としては私を心配して近寄ったら突き飛ばされたもんだから、軽く吹っ飛んで尻もちついて。そして鬼の形相ですよ、えぇ。
「ダスラァ~?」
「いえっ、ち、ちが……はへ、はへ……」
 痛みで絶賛悶絶中の私、涙目で足元に散らばる破片を指さしつつ突き飛ばした理由をジェスチャーで伝えようとはするのだけどね? もう言葉になりません。
「なに言ってるわかわかんないわよっ‼」
 うーん、理不尽‼
 まぁそうと決まれば善は急げといいます。馬車はゴトゴトと、一路ヴェンテ伯のお屋敷へ。
 でもその車内にて、どうもお嬢様の顔色が晴れない。
「ナーシャ様、馬車酔いですか?」
「違う……」
 元気ないな?
「ねぇ、ダスラ」
「なんでしょう?」
「もし逆の立場でよ? 欠席の返事を出したお客様がいきなり来たら、お屋敷としては困るわよね?」
 なるほど、そこが気になってるのか。
「そうですね。まぁヴェンテ伯といえばラーセン公爵家ほどではないですがお金持ちですし、ほかならぬセレスヴァティー様のお誕生日パーティ。お料理とかは余裕をもって作ってらっしゃると思いますよ」
「そういうのを心配してるんじゃないの」
「と言いますと?」
「こう、なんというか……失礼じゃないかなって」
 うーん、まぁ一理ある。あるとは思うけど、セレスとしてはお嬢様が来てくれて嬉しいと思うんだけどな。
「大丈夫ですよ。セレスヴァティー様も嬉しいと思いますし、それにいざとなったら」
「いざとなったら?」
「私のせいにしてください」
「ダスラの?」
 お嬢様、キョトンとしてらっしゃるな。というかこういうとき、無慈悲に私を利用するのがナーサティヤ・ラーセンじゃなかったか。
(少なくとも私がナーシャだったときは、そうだったなぁ)
「なんで遠い目してるの?」
「あ、いえ。なんでも……」
 うーん、トリップしてしまった。
「で、ダスラのせいにするってどういうこと?」
「殿下との茶会、事前に中止が決まっていたのに私が伝え忘れたことにするんです」
「……」
「で、いつものように・・・・・・・『この役立たずポンコツの行き遅れが~っ』って怒鳴りながら、ひたすら私を鞭でしばくといいです」
「……」
 そうすると、そこまでしなくてもいいから許してあげてってなって。
「我ながら名案だと思うのですが……?」
「却下するわ。自分の言葉で、自分で伝える」
 ほぅ。さすがに十三歳ともなればお嬢様も成長なさるのね。ちょっとホロリときてしまった。
「ねぇ、ダスラから見て私ってそんなイメージなの?」
 そりゃかつての自分ですし。
「まるで違うみたいな言い方ですね?」
「……帰ったら覚えておきなさいよっ‼」
 うーん、怒りっぽいお嬢様だこと。まぁ元気も出てきたみたいだし、結果オーライとしますか。
 で、まぁそうこうするうちに馬車はセレスの……じゃなかった、ヴェンテ伯のお屋敷へ。来客の対応に出たメイド長さんに、お嬢様が誕生日パーティーに参加しにきたと伝えるのだけど。
「ラーセン嬢は、本日欠席と承っておりますが?」
 ですよねー。お嬢様も、心なしか表情が暗い。
「はい、もうしわけありません。ですが欠席に至る理由で手違いがございまして、本当は出席できる運びとなりまして。ご迷惑は百も承知ですが、なにとぞセレスヴァティー様にお取次ぎをお願いできないでしょうか」
「……少々お待ちください」
 お嬢様と二人、エントランスフロアで待つことしばし。
「お待たせしました。セレス様も、大歓迎とのことです」
 パアァッ‼と周囲に花が咲いたような表情になる、新・ナーシャと旧・ナーシャことダスラ。思わず同期シンクロしてしまったではないか。
「ナーシャ様、では行きましょう」
「うんっ‼」
 いいお返事、いただきました。メイド長さんに先導され、パーティー会場へ。
「お嬢様」
「なに? ていうか鞭一回ね。またお嬢様って言った!」
「あ……」
 くっそう、油断した。
「で、なに?」
殿下クソにバックレられたことは、セレスヴァティー様には?」
「……言えるわけないでしょ」
「うーん、でもセレスヴァティー様に愚痴を聞いてもらったらスッキリするかと思うんですよねー」
 私のその発言で、ピタッとお嬢様の足が止まる。ん?
「今日はセレスの誕生日なのよ? 愚痴を聞かせるとか、ダスラ正気なの⁉」
 そうおっしゃるお嬢様の顔は真っ赤に上気して、唇が怒りのあまりプルプル震えている。拳は、ギュッと強く握りしめられてて。
「おじょ……ナーシャ様。もうしわけありません、私の頭がおかしかったようです」
「わかればいいのよ」
 いかん、いかんな。私の目に涙が浮かんできた。
(私、失敗した。マジで最悪だ……)
 お嬢様の言い分、もっともだ。誕生日パーティーの主役にかける言葉は『おめでとう』であって、失礼を承知で押しかけてきておいて愚痴を聞かせるなんてもってのほかで。
「ダスラ……泣いてるの?」
「いえ、目から出ているのは出汁です」
「出汁⁉」
「ナーシャ様のお優しさに感動したのと、自分のクソッタレ加減にほとほと呆れまして」
「はぁ?」
 なおもなにかを言いかけようとしたお嬢様だったけど、パーティー会場となる大広間の扉の前へ到着。メイド長さんが、扉を開けてくれた。
「ではごゆっくり」
「え、ダスラは来ないの?」
 セレスの誕生日パーティーともなれば、そこは貴族の社交場だ。私みたいな平民メイド(しかも他家の)が立ち入っていい場所じゃない。
 一応それをご説明して一人で入ってもらったのだけど、なんだかとっても納得いかなさそうな表情だな?
(そういや私、四六時中ずっとお嬢様といるなぁ)
 なんとなくそんなことを思いながら、大広間外の廊下でボーッと立ちんぼの私。
 どうやらパーティーはまだ始まっていなかったみたいで、招待客が次々と目の前を通り過ぎていく。その都度、私は邪魔にならないように端っこで深々と一礼するにとどめて。
 身分の低い自分からは直接話しかけちゃダメってのもあったんだけど、それだけじゃなくて。それだけじゃなくて、泣きそうな顔を見られたくなかったから。
(ガネーシャだ……)
 セレスと同じく、お嬢様の数少ない友人である侯爵令嬢。いつも癇癪を起こす怪獣ナーシャをなだめてくれる、ちょっと損な役回りで。
(ダスラになってからは、初めて会ったな……)
 最後に会ったのは処刑されるちょっと前だったから、二十六年ぶりくらいかな。私が処刑されるきっかけになった罪状を、最後まで冤罪だって言い張ってくれて。
 残念ながらガネーシャとは言葉を交わすには至らなかったけど、間を置かずに来たのはカーリー男爵令嬢。
「あら、あなたダスラ?」
「はい。お久しぶりです、カーリー様」
 公爵令嬢であるお嬢様相手に、男爵令嬢の身ながら無遠慮に対等の立場で喧嘩してくれる悪友だ。
「あなたがいるってことは、今日はあいつ来てるの?」
「はい。急遽参加が可能になりまして」
「そう、良かったわ。最近会っていなかったから」
 カーリーはちょいちょいラーセンうちの屋敷に遊びにきてくれてたから、私とも馴染みがある。まぁ遊びにつーか、お嬢様と口喧嘩ばっかしてたような気もするけど。
 セレス、ガネーシャ、カーリー。この三人は、私の処刑に最後まで反対してくれていた。絶対に冤罪なんだって、信じてくれてたんだ。
 だけど私は、罪を認めた。もちろん冤罪なのだけど。
 爵位を剥奪された父をはじめとする家族、そして奉公先を失った家人たちの保護と引き換えに。それは半ば、断れない司法取引のようなものだったけどね。
(だから私が罪を認めたと知って、彼女たちはどう思っただろう)
 そんなことばっかり、さっきから考えてる。
 そしてどれだけ時間が経ったろう、パーティーはお開きになったみたいで扉が開く。退室していく招待客たちに、主催者ホストであるセレスが一人一人にお礼の言葉をかけていく。
 私は邪魔にならないように、壁の花というか壁の雑草と化して気配を消して。
(あ、お嬢様だ)
 最後に会場に残ったのは、後片付けに従事する使用人たちを除けばセレスとお嬢様、そしてガネーシャとカーリー。ん? 四人ともこっちに近寄ってきてる?
「ダスラ、あなたはちゃんと反省なさいね?」
 って、ちょっと困惑顔のセレス。待て、なんのことでしょうか。
「聞いたわよ~、ダスラ。あなた、殿下が今日来られないってのをド忘れしてたんだって?」
 そう言ってギロリと睨んでくるのは、カーリー。
「まぁまぁ。間違いは誰にでもあるわ」
 相変わらずのなだめ役は、ガネーシャだ。彼女の声、久しぶりに聴いたな……ってそうじゃなくて‼
「でもダスラ、でしたっけ。あなたの過失によって、公爵令嬢であるナーシャが恥をかくところだったわ。快く許してくれたナーシャに感謝なさいね?」
 ふむ。さっきからどっかで聞いた話で私、怒られてんな⁉ どういうことだろうとお嬢様の顔をチラと見たら、サッと視線を外しやがったこの野郎。
(なるほどね、そういうことか)
 思わず吹き出しそうになるのを、太ももをギュッと抓って必死に我慢する健気な私ですよ、えぇ。
「セレスヴァティー様、ガネーシャ様、カーリー様。みなさまのおっしゃることは心根に刻みこんで、二度とナーシャ様に恥をかかせないことをここに誓います」
 そして膝と鼻がくっつくんじゃないかってぐらい、深々と頭を下げる。
(ありがたいな、お嬢様ナーシャのために怒ってくれてる)
 思わずウルッときてしまったではないか。それに引き換え――。
「ま、まぁみんな! わっ、私はもう気にしてないからっ‼」
 すっごく後ろめたそうに慌てながら、その場を治めようとするお嬢様。もう確認するまでもないな、私が提案したアレに乗っかってしまったのだろう。
 自分の言葉で自分で伝えるとは、なんだったのか。
(でも、それでこそお嬢様だ!)
 変な話なんだけど、なんだかすっごく安心してしまった。


 そして帰路の途、馬車の中。さきほどからお嬢様の様子がおかしい。
「あの……」
「はい?」
「……なんでもない」
 一事が万事こんな感じで、いったいなにを言いたいのかがわからなくて。なにやら後ろめたそうに、終始ずっと私から目をそらしてる気がする。
「まさかお嬢様が反省するとは思えないし……」
「え?」
「あ、すいません。心の声が出ました」
 やばいやばい、迂闊だった。しかもお嬢様って呼んじゃったから、また鞭が追加になるのだろうか。
「反省……してる」
「え?」
 お嬢様が小さく呟くその言葉が信じられなくて、思わず訊き返してしまった。ちょっと間があって、やがて勇気を振り絞るようにしてお嬢様が口を開く。
「ダスラのせいにして、ごめんなさい」
「あ、はい」
 まさかお嬢様から謝罪されると思わず、凍り付いてしまう私。いつからこの怪獣は、反省なんていう高等技を覚えたのか。
 小さく頭を下げたままのお嬢様の上半身を起こして、お世辞にも美人とはいえないながらも精一杯の愛嬌で微笑みかけてみる。
「まぁ当初の予定どおりですし、事前に承諾がほしかったのは確かですが気にしてないですよ」
「うん、そうよね……」
 今さらながら、前周わたしのときとお嬢様の中身がちょっとだけ違うのに驚いてしまう。私がナーシャだったとき、ダスラに謝ったことなんか一度もないのだ(ダスラ、ごめん!)。
「まぁそれはいいんですけど、一つうかがっても」
「なにかしら?」
「今のナーシャ様がそうであるように、殿下もまた反省して頭を下げてきたらお許しになられますか?」
 これだけは確認しておきたい。お嬢様は、殿下に対してどういう人物像を見ているのかを。
「相手は王族よ? 私の立場で許す許さないなんてことは」
「ナーシャ様」
「はい?」
 なんだか、モヤる。伏し目がちで、声も小さくて……これはお嬢様の本心じゃないなって。
「では仮に。仮にですよ? ナーシャ様が対等な立場だったとして、殿下をお許しになられますか?」
「殿下が反省して謝罪したらってことよね?」
「はい」
「……」
 しばしなにかを逡巡している様子のお嬢様だったけど、毅然とした表情で顔を上げる。
「私はダスラに悪いことをしたから謝罪したわ。そしてダスラはそれを許してくれた。なのに逆の立場になったら許さないってのは、それは違うと思う」
「それはそうなのですが……」
「なに?」
 お嬢様、いい子だ。満点の回答だと思う、思うのだけど。
「私はナーシャ様が殿下をお許しになられなくても、それは当然と考えます」
「ダスラ……」
「というか殴り飛ばしてもいいかと」
 これは偽らざる本音だ。
「そんなわけにはいかないでしょ。本当にダスラは過激なんだから」
「お前が言う……あ、声に出てた」
「……鞭、追加ね」
 うーん、ここまで何回鞭が追加になったんだろう。それを思って思わずどんよりとしてしまう私だったけど、なにが面白かったのかお嬢様が吹き出した。
「本当にダスラってば面白い!」
「楽しんでいただけてなによりです」
 とりあえず棒読みで返しておく。
「でもそうね、ダスラにだから本音を言ってもいいかな」
 ダスラにだから……? いかん、頬が緩む。
「はい、決して口外しません。たとえ冤罪をかけられて処刑されても」
「? なんでそんなピンポイントなの?」
 そんな未来がお嬢様にやってくるのは、なんとしてでも阻止する。そして私も無事、三十歳の誕生日を迎えるのだ!
(あと三年……)
 あと三年で私は二十九歳、お嬢様が十六歳。今のところ、なにかフラグが立っている様子はないけれど油断はできない。
「まぁそれはお気になさらず。で、なんでしょうか?」
「うん、あのね」
「はい」
「私、殿下とは結婚したくないの……」
 そりゃそー……えぇっ⁉
「なんで驚くのよ?」
「あ、いえ。理由を伺っても?」
「ん……殿下がイヤっていうか、それも少しあるけどなによりも。未来の国母、王妃として私はふさわしくないと思うの」
「お嬢様ナーシャ」
「それもういいから」
 またお嬢様と呼んでしまったのを雑に訂正したら、苦笑いが返ってきた。さーせん。
「未来の王妃として自信がないということですか?」
「うん」
「ナーシャ様はまだ十三歳ですよ? 王妃教育だってこれからですし」
「そうなんだけどね……じゃあ訊くけど、私はいい王妃になれると思う?」
 うーん? うーん、うーん?
「そこは社交辞令ぐらい返しなさいよ!」
「すいません……」
「私はね、ダスラ」
「はい」
「もうちょっと、人間として成長しなきゃいけないと思う。貴族としてもそうなんだけど、それ以前に」
「ご立派です」
「ありがとう、でもダスラの顔には『そのとおり』って書いてあるわ」
「え⁉」
 お嬢様なりのジョークだったんだろう。だけど本当にそう思ってたから、思わず狼狽して馬車の窓に映る自分の顔を確認してしまった。
「あ、罠にハメましたね⁉」
「ダスラが勝手にハマったのよ?」
「……ですね」
 なんだかこんな軽口の叩きあいが楽しくて、思わず吹き出してしまった。そしてお嬢様もつられて吹き出す。
「私もナーシャ様だから言いますが……言っても?」
「今さら遠慮する仲……じゃなかった。ダスラじゃないでしょ」
 なんだかその言い間違いが嬉しくて、ちょっと照れてしまう。できれば言い直さなかったら完璧だった。
「ではお言葉に甘えて。もしナーシャ様が殿下との婚約を本気で忌避したいならばですが」
「うん」
「いかなる手段を使ってでも、その悲願を叶えてさしあげとうございます」
「……うん」
 そう、どんな手段を使ってでも。私のときのダスラが、牢からお嬢様わたしを助けるためにその手を血で染めたように。
「使い捨てにしていただいて構いません。この命、いかようにもお使いください」
「うん、ありがとうダスラ。でもそこまで言ってもらえるのは、ちょっと重いかな」
 そりゃそうか。まだ十三歳の女の子だもんね、今のお嬢様って。
「それこそ今日のように、私に罪を被せてしまってもいいんですよ?」
 これは本気で言ったのだけど、
「だから反省しているってば‼」
 なぜか逆上するゴリラ。しまった、地雷だった……嫌味のつもりじゃなかったんだけどな。
「ダスラってほんと、一言多いのよ」
 頬を膨らませてぶーたれているお嬢様だったけど、
「そしてその一言ひとことが、鞭になるわけですね‼」
 さっきから妙なテンションになってる私、いま瞳がキラキラしているかもしれない。
「まぁそうなる、のかな?」
 そう言ってお嬢様は、なにやら指折り数え始めた。
「殿下の不実に対する八つ当たりと、あと一、二、三……四かな?」
「なにがですか?」
「今日のノルマ」
 あぁ、鞭ですかそうですか。もう背中の鞭傷、特に古傷のおかげで肌の表面がちょっとザラザラしてるんですけどね⁉
「合計で五回ですか?」
「え、なんで八つ当たりのが一回で済むと思ったの?」
「……」
 いやそもそも八つ当たりのは、私が鞭打たれる理由を見出せないのですが⁉
「え、でもダスラ。あの直後に『私を鞭でしばきますか?』とか言ってなかった」
「言ってた……ような……」
 くっそう、記憶力いいな⁉
「で、八つ当たり分は何回でしょうか?」
「うん。まぁそれはダスラに今日は悪いことをしちゃったから、ノーカンでいいわ」
「じゃあ合計で四回ですね」
「ううん、八回よ? ……冗談なんだから、そんな怖い顔しないでよ!」
 般若のごとき表情になってた私に、さすがに怯むお嬢様。
 ま、私を鞭打つことでお嬢様の心の平穏が取り戻せるならとこれまで甘受してきたけど、そろそろ鞭は卒業してもらいたいな⁉
 やがて馬車はラーセン宅に到着。お着換え、入浴とひととおりの世話をやいて夕食ディナーの時間。今日も今日とて、ご両親はいらっしゃいません。
「クソ親がっ……」
 お一人で寂しそうに無言でカトラリーを手にするお嬢様の表情が目に入り、思わず吐き捨ててしまった。お嬢様の手が、ピタリと止まる。
「……なんて?」
「あ、いえ。なんでも」
「なんて言ったの?」
「いやその……」
「クソ親って言った?」
 聴こえてるじゃないですか。しかも、私に両親がいないことはお嬢様も知ってるから……文脈的に、私が発した『クソ親』とはラーセン公爵とその夫人だ。
 さすがにこれはやばい。罰の鞭なんて一億発でも受けるが、お嬢様のご両親を目の前で侮辱してしまった。ご両親から愛されていないとはいえど、お嬢様からはご両親を……まだ愛してるのかもしれないから。
「言いました」
 私は観念する。さすがに平民メイドが主人を、公爵を侮辱したとあっては予定より三年早く処刑がやってきてもおかしくないのだ。
 いやそれよりも怖かったのは、お嬢様を傷つけてしまったかもしれないということ。
「真意を訊いても?」
 険しい表情で、お嬢様は一度手にしたナイフとフォークをテーブルに戻す。まっすぐに、私を見つめる。
 ここは、嘘とかでごまかしちゃだめなやつだ。なんとなく、そう思った。そう思ったからこそ――。
「私がお嬢様の親であれば、こんな寂しそうな表情の我が子を一人で食事させません。一緒に美味しいものを食べながら、今日一日にあったことを聞き取ります。そして親として、褒めたり諫めたり……それがなぜ、あの人たちはできないんでしょうか」
 なんだか変なスイッチが入ってきた。私の唇が、震えている。
「そして今日は、あのような結果になったとはいえど殿下との茶会の日。なにがあったのか、仲は進展したのか……私が親なら、気になってしかたがありません」
「……」
 黙って、座ったまま私を見上げるお嬢様は無言だ。だけど、ちょいちょいと指先で私にしゃがむようにジェスチャーを送る。
(あ、殴られるだけで済みそう?)
 そう思って、お嬢様の前で両膝をつく。そしてお嬢様の右手が、私の頬の……涙を拭った。
「なんでダスラが泣くのよ?」
 え、泣いてた? 私が? 慌てて左側の頬を自分の手で確かめてみると、なにやら出汁が。
「確かに出汁が」
「それはもういいから!」
 ツッコミながらそう言って吹き出すお嬢様の目も、心なしか潤んでる気がする。
「失礼しました、この暴言についての責任は取らせていただきます」
 さすがに無罪というわけにはいかないだろう。覚悟を決めてそう言いながら立ち上がるのだけど、
「私しか聴いてないんだから、別にいいわよ」
 そう言ってお嬢様は卓上ベルを鳴らす。今日の調理を担当したシェフが、青い顔をしてすっ飛んできた。
「お嬢様、なにか不手際でも⁉」
 あ、なにする気だ? とりあえずチラとテーブル上の料理を確認するが、お嬢様の好きなものばかりでキレる要素が見当たらない。
 いつもならば、嫌いな食材を使った料理が出たら『フンガーッ!』とシェフを呼んで大暴れする怪獣だ。だけど今回は、どうもそうじゃないっぽいみたいで?
「もう一人ぶん、用意してちょうだい」
「は?」
 そういう命令は初めてだったので、シェフは虚を突かれた形だ。
「聴こえなかったの⁉」
「はっ、はい! ただいま‼」
 慌ててすっ飛んでいくシェフを少しイラ立ちの表情で見送るお嬢様に、私は恐々と声をかけてみる。
「あの、お二人ぶん召し上がるので?」
「んなわけないでしょっ‼」
 本気で噴火する五秒前のお嬢様。だとしたら、もう一人分は誰が食べるのだろう?
「ダスラが言ったのよ?」
「?」
「一緒に美味しいものを食べながら、今日一日にあったことを聞き取るって。そして、褒めたり諫めたりって」
「言いましたね?」
「だからダスラ、これは命令です。今日は私と一緒のテーブルで夕食をとりなさい」
「……私は平民で、」
「命令、と言いました」
 問答無用で、私の言葉に被せてくるお嬢様。こうなったらもう誰にも止められない。
「かしこまりました」
 仕方ないので、エプロンを外して畳みつつお嬢様の真向かいの席に腰を下ろす。私のぶんの料理が運ばれてきたのだけど、お嬢様の料理のほうがタイムロスしたぶん冷めてしまっているので私のと取り換えてもらった。
 ちょっと申し訳なさそうな表情になってるのが、なんかだか愛おしい。そしてシェフが退室して、二人きりの晩餐が始まる。
 私が親ならば、我が子と一緒に美味しいものを食べながら今日一日にあったことを聞き取ると。そして親として、褒めたり諫めたりするのが普通なんじゃないかとは自分でも言ったけど。
「でもなぁ」
「なによ?」
「私はナーシャ様の今日一日に起きたこと、全部知ってるのですが」
「言われてみればそうね?」
 改めてなにを話せばいいのか、私にはとんとわからぬ。褒めたり諫めたりも馬車の中でやった気がするしで。あ、料理はすごく美味しいです。
(なにより、お嬢様と二人きりの食事って初めてじゃなかろうか)
 なんて思ってたら。
「ねぇ、ダスラ?」
「はい?」
 そしてお嬢様の口から出たそれには、自分でも無自覚だったというか。
「ダスラはなんで、上機嫌になってるの?」
 それを受けて、私は自分で自分にとってもびっくりしたんだ。
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