アルケミストのお姉さんは、今日もヒャッハーがとまらない!

仁川リア(休筆中)

文字の大きさ
7 / 28

第七話・藍色の道しるべ

しおりを挟む

 海へと続く斜面に青い花ワスレナグサが咲き乱れる、小高い丘の上の小径こみちに二人。マリンがシトリンの肩に優しく手を回すようにして、帰路の途を行く。
 さっきから、ずっとシトリンは口を開かない。マリンは困ったように、それでも黙って見守っていたのだけど……先ほどから、二人の前を小さな甲虫が近づいてはバッタのように飛んで逃げ、近づいては逃げを繰り返している。
 逃げる方向が道なりなので、まるで道案内でもしているかのようだ。
「シトリン、ミチシルベがおるよ」
「……ミチシルベ、ですか?」
 ようやっと口を開いてくれたのに少し喜びながらも、あえてそこはわざわざ口に出さないほうがいいだろう。マリンはそう判断して、自然体を装う。
「あの虹色の虫。さっきから私らが近づいてはちょっとだけ飛んで逃げ、また近づいたら飛んで逃げをくりかえしちょるじゃろ? まるで、私らのお家はこっちですよって案内しとるように見えんかな」
 シトリンもさっきから気づいてはいたが、特に興味はなかった。ただそこは猫獣人、猫の本能でちょっとウズウズはしていたのだけど。
「……ギルドではね、シトリンのこと悪くないって言ったけども」
「はい」
「全部悪くないわけじゃない。ちょっとお説教もあるんよ」
「もちろんです、ご主人様」
 ご主人様呼びに戻ってしまった。そこを指摘しようかと思ったが、お説教されると知って少し気が楽になったのだろう。シトリンの頬が、少し綻ぶ。
「ヘンな子じゃねぇ」
 マリンは思わず苦笑いだ。
(言い方を間違えたらいけんね。私もまた、シトリンに正しい道を示さんといけんけ)
 足をかけてシトリンを転ばせた卑怯者、ぶん殴ってやりたいところだけど……モルガナさんのヘッドバットで脛をへし折られてしまった。正直胸がスッとしたというか、殴るのは今度でいいだろう(要するに殴るのは決定)。
 シトリンに、床に落ちた料理を舐めさせたアイツ。シトリンが大事に大事に使ってくれていたモノクルを、シトリンの心と一緒に壊してしまった。あいつだけは、何があろうと絶対に絶対に許さない。
(かといって、私が犯罪者になるわけにもいかんね。シトリンを一人ぼっちにしちゃう)
 ジレンマである。どうしようかと悶々としているうちに、やがて自宅が見えてきた。
(本当なら優しく言ってあげたいところじゃけど、シトリンはそれを喜ばんかもしれんね。どうすればいいんじゃろ)
 いつの間にか、ミチシルベもいなくなっていた。
「まずお茶を飲んでからね。私が淹れるけん」
「あ、いえ私が‼」
 ここは、素直にやらせたほうがいいだろう。
「ええよ、じゃお願いするね」
「はい、マ主人様」
「……今、何て?」
 ヘンな言い間違い方をしてしまったことで、シトリンは恥ずかしさのあまり赤面して俯いてしまう。
(やっぱり、自然に呼んでくれるのを待つしかないんかねぇ)
 そう思いながらも、マリンの気は急いてしまう。
 家に入り、マリンはソファーに腰を下ろす。シトリンは台所で、お茶の準備だ。ほどなくしてシトリンがお茶を運んできたが、二人とも無言のままカップに口をつけてしばし。
 最初にシトリンが飲み終える。マリンを待たすわけにはいかないので、猫舌ながら頑張って飲み干したのだ。
 シトリンのその気概を察し、マリンは席を立って台所へ。グラスに入れた氷水を持ってきて、シトリンに手渡す。
「それで舌、冷やしんさい」
「すいません、ありがとうございます……」
(うーん、まだ元気がないね)
 どうしたもんかと思っているうちに、マリンのカップも底が見えてきた。残りを一気に飲み干して、それをテーブルの上に置く。静かに置いたつもりだったけど、その音でシトリンの肩が緊張のあまり少し震えた。
「さて、シトリン」
「はっ、はい!」
 シトリンは、怒ってほしいと言っていた。だから、過度に優しくするのはやめたほうがいいんだろう。何より、シトリンに説教しないといけない理由……それが、一つだけあるのだ。
「そこに、正座してくれる?」
「はい!」
 椅子から降りて、マリンの足元に正座で座るシトリン。緊張の面持ちである。
「まずね、シトリンが転んじゃった件。これはシトリンは悪くないんよ。悪いのは転ばせた奴じゃけ、これは気にせんといてええ」
「……はい」
「次に、こぼした料理がハンターさんの足や剣にかかってしまった件。これはシトリンが悪い。少なくともそのハンターさんにとっては、じゃけど」
「わかっています」
「確かに足をかけられたことが原因じゃけど、それはシトリンとそいつとの間の問題じゃけん、人に迷惑をかけておいて『悪いのはこいつです!』は無責任だと思う」
「はい。はい、わかります」
「もちろん、シトリンがわかってるのは知っちょる。ちゃんと謝ったってことも」
 だが、はらわたが煮えくり返るのはここからだ。
「じゃからと言って、シトリンに床にこぼした料理を舐めさせるのは行きすぎた行為なんよ。それには従わんでええけ、今度からは絶対にやらんようにね」
 モルガナの報告によれば、シトリンは最初拒否したという。だがそのシトリンの心が動いたのは……。
『ったく奴隷がよぉ? こうなりゃお前の『ご主人様』に責任を取ってもらわねぇとな?』
『そっ! それだけは勘弁してください‼ 舐めます、舐めて綺麗にします!』
 悔しくて、悔しくてたまらない。マリンが言うまでもなく、シトリンはちゃんと拒否したのに……そのシトリンの心をへし折ったのは、ほかならぬマリンへの気遣いだった。
「あの、ご主人様?」
 黙りこくってしまったマリンを、訝しげにシトリンが見上げる。
 マリンの眼鏡の隙間から、涙がつたって流れた。眼鏡を外し、ハンカチで抑えるように涙を拭う。そのまま眼鏡は着けず、テーブルの上に置く。
「パールさんからも後日説明あるじゃろうけど、お客様に迷惑をかけてしまった場合はまずお店が弁償するんよ。じゃからシトリンや主人である私が、直接弁償したりとかはないけん。もちろんその後に弁償しなきゃいけないとしても、それはシトリンや私がお店に、パールさんになんよね。それは覚えておいてね?」
「そう……だったんですか。はい」
 シトリンが納得してくれたみたいなので、マリンは少し安堵する。
「次に、モノクルが壊された件」
「……ッ。はい‼」
「もちろん、シトリンは全然悪くないんよ。まぁシトリンとしては、私に怒ってほしいんじゃと思う。シトリンが一番責任を感じてるのはここじゃろ?」
「はい……」
 マリンは優しくシトリンの頭をなでこなでこして、
「これは私が悪いんよ」
「え⁉」
「私は、シトリンにあげたつもりじゃった。じゃけどシトリンは頑として受け取ってくれんかったから、『新しいモノクルを買うまでの間、預かる』っていうシトリンの口車に乗っかることにしたんよ。じゃけどあげるって決めとったんじゃけ、それを納得させんといけんかった」
「ご主人様……違……」
「違わんよ。もし、シトリンが譲ってもらったってちゃんと解釈してくれていれば、シトリンがこんなに悲しまんで済んだかもしれん」
 シトリンにとって、『マリンから預かった大事なモノクル』が『マリンにもらった大事なモノクル』に変わるだけな気もするけども。
「いけんのは、そこから。いかなる理由があっても暴力はダメとは言わんよ? 私だって、今でこそ丸くなっちょるけど……そこそこ無茶はしてきたけん。確かに、床に落ちた料理を舐めさせられた、モノクルを取り上げられて壊された。絶対に許せんよね? でもそれは、シトリンに殺されなきゃいけないほどの罪じゃった?」
「そ……いえ、はい」
 返ってきたのは肯定の返事だったが、一瞬の表情の惑いをマリンは見逃さなかった。
「シトリン、『命令』じゃけん。何か言いたいことがあったら、反論しんさい」
 首の奴隷環は、主人の『命令』に対して抗うことを許さない呪がかけられている。あまりこれを使いたくないマリンであったが、ここは二人ともスッキリしておきたいところだ。
「で、では言わせていただきます……」
 マリンに抗う発言はしたくないシトリンだったが、奴隷環の呪でそのリミットが外れてしまっていた。
「私はアイツを殺したかったです」
「うん」
「私に殺されなきゃいけない罪かと問うならば、その答えは『はい』です」
「うん」
 ……二人の間に、沈黙が流れる。毅然として自分の意見を述べるシトリンに、マリンはそれを肯定するでもなく否定するでもなく。
「私もね、同じなんよ」
「同じ?」
 マリンの発言の意図がわからず、シトリンは少し困惑気味だ。
「もしこの世にハンターギルドのような、犯罪者を拘束する組織がなかったら。やりすぎた仕返しを罰する法律がなかったら。私だってね、今ごろそいつをミンチにしちょるよ。っていうかそれ、家に帰るまでの道すがらに何度も考えたぐらいじゃけ」
「はい」
「でも実際に法律は存在していて、それを犯したら捕まる。最悪処刑されたり、じゃなくても刑務所に何年も入ることになるじゃろうね。じゃから、なんとか思いとどまった。何でか、わかる?」
「……いえ」
「私がそうなったら……シトリンが一人ぼっちになるんよ」
「あ‼」
 そうなのだ。それはあのミチシルベを見ていて、もしこの道先案内人がいなくなったらとふと考えて。シトリンの行く道を照らすのは、間違いなく自分の役目なはず。
「シトリンはさ、私に迷惑がかかるって思って……あいつの言うとおりに、床に落ちた料理を舐めた。それは私に対する気遣いじゃったと思う」
「はい……」
「じゃあ、あいつを殴っているときに私への気遣いはあった? シトリンが逮捕されて刑務所に入ったら、私はまた一人ぼっちなんよね。でもそのとき、シトリンの中には憎しみと哀しみだけがあったように思うんよ」
「はい……はい……」
 思わず俯いたシトリンの琥珀色の瞳から、大粒の涙が溢れ出てくる。
「もしまたこんど、どうしようもない感情の渦に取り込まれそうになったときは、心を落ち着けてゆっくり心の中を見渡しんさい。シトリンの中に私はおるけん。シトリンから見えやすいように、一番キラキラした場所におるけん」
 シトリンが、無言で涙目の顔をあげる。
「そしてそのキラキラが指さすほうへ、臆せず惑わず進むとええよ。もしその道が間違ってたら、私が一緒に怒られてあげるけん」
「ごしゅっ、うぐ……ひっく……」
 マリンは立ち上がり、シトリンの前にしゃがみこんでその泣き顔を覗き込む。
「お説教はここまでです。ひどい言い方したかもしれんけど、堪忍してね?」
「いえ……いえ。どうも、どうもすいませんでした‼」
「うん!」
 そして、シトリンを優しく抱きしめる。シトリンはマリンの背に恐る恐る両手を回すと、まるで壊れたおもちゃのようにわんわんと泣き続けた。そのシトリンの背中をマリンは優しく撫で回しながら。
「明日にでも、シトリンのモノクルを買いに行こう。二人とも休みもらうけん。お金は私が立て替えちょくから、お給料出たら返してね?」
 マリンに抱きついたまま泣き続けるシトリンだったが、黙って何度も何度も頷く。
 そしてシトリンは思うのだ。マリンの言うキラキラは、マリンの瞳や髪と同じ綺麗な藍色なんじゃないかなって。その藍色の道しるべが、指さすほうへ歩いて行こうって。


「うーん……」
 マリン行きつけの眼鏡屋さんで、店主に見繕ってもらったモノクルのフレームがテーブルの上に数点置かれている。それらを手に取って、唸っているのはシトリンだ。
「ゆっくりでええけ、じっくり見てみんさい」
「あ、はい」
 シトリン、手に取っては左眼にあてて鏡を覗き込み……そして、なんだかちょっと不満そうな表情を浮かべて戻す。さっきからこの調子で、店主もちょっとバツが悪そうだ。
「あ、あのシトリン様? 店頭にあります品も見てまいりますか?」
「そうします。あの店長さん?」
「何でしょう?」
「ちょっと相談が……」
 シトリン、そう言ってマリンをチラリ。
「とりあえず、モノクルのコーナーまで案内してもらえますか?」
「かしこまりました」
 二人のその会話を聴きながらコーヒーを飲んでいたマリン。自分も続こうとカップを置いて腰を浮かしたところ、
「あっ、マリン……ご主人様は、ここでゆっくりしてってください!」
「そう?」
 よくわからないが、座りなおす。そしてシトリンがマリンさんと言いかけたことに気づいて、ちょっと上機嫌だ。
 モノクルのコーナーに案内されたシトリン、でもそれには見向きもせずにフロア奥の接客用スペースにいるマリンがこちらを見ていないのを確認。
「あの、折り入って相談があります」
「いかがなさいましたか?」
「マリンさんて、いつもここで眼鏡を買っているんですよね?」
 店の主人と混同しちゃうので、ここはマリンさん呼びするシトリンである。
「はい、そうです。マリン様の最初の眼鏡から、お作りさせていただいております」
「ということは、マリンさんのモノクルも?」
「ですね」
 シトリンの琥珀シトリン色の瞳がギラリと光る。
「同じモノクル、ありますか?」
 マリンに聴こえないように、小声になるシトリン。
「あれは特注の品でして、もちろんございますが……」
「?」
 どうにも店長の歯切れが悪い。
「あの?」
「いえ、お値段のほうがこちらになりますがよろしいでしょうか?」
 シトリンがマリンに聴かれたくなさそうなのを察した店長、横目でマリンがコーヒーを飲んでいるのを確認して、金額計算に使う小型の魔導機械を懐から取り出す。そこにピポパとボタンをプッシュして、シトリンに掲示した。
「……これ、何のお値段です?」
「当時お作りした、マリン様のモノクルの製作費となります。なお、税金は別途いただいております」
 学校に通ったことのないシトリンだったが、毎日マリンに時間をもらって数字の勉強はしている。また、黒足袋亭で食事の勘定などもしているからある程度物価というものはわかる。わかるのだけど……。
「この金額って、どのくらい……すごいんですか?」
「そうですね。お部屋が七つほどの二階建て一軒、といったところでしょうか」
「私、そんなモノクル壊しちゃったんだ……」
 モノクルを壊したのはシトリンではないのだが……ガックリとうなだれたシトリンの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「あ、あの⁉ お客様、どうなされましたか⁉」
 狼狽のあまり、店長は思わず大きな声で言ってしまう。そのただならぬ様子にマリンも気づいたようで、小走りで駆けてきた。
「シトリン、どうしたん⁉」
 心配そうにシトリンの頭をなでながら店長をギロリと一瞥、完全に冤罪である。
「あ、いえ。私が壊したモノクルの値段知っちゃって……本当に申し訳ありませんでした」
 そう言ってシトリンは両膝を床につけてドゲザをしようと試みるも、すかさずマリンに左右からガシッと掴まれて無理やり立たせられてしまった。
「めんどくさい子じゃねぇ。もう気にせんでええって言ったよ?」
「でも……」
 困り果てている様子のマリンに、店長が口をはさむ。
「あの、マリン様?」
「何でしょう?」
「どうやらシトリン様は、マリン様と同じモノクルをご所望のようなのです」
 何でバラすの⁉とでも言いたげに、シトリンが天を仰ぐ。そんなシトリンを見ながら、マリンは思わずため息だ。
「つまり、私に弁償したいってことなん?」
「あ、その考えはありませんでした。そうですよね、弁償しないと……」
 しまった‼とばかりに、今度はマリンが天を仰ぐ。そしてシトリンを安心させるように微笑みつつ、
「あれはシトリンにあげたんよ。じゃから、弁償とか考えんでええけ。ね?」
「はい……」
 でも弁償じゃないとしたら、なぜ同じモノクルを欲しがったのだろう。
(よっぽど気に入ったんかね?)
 金額が金額だし、もしシトリンが欲しいのなら買ってあげるのはやぶさかではない。ないが……。
(まぁシトリンが絶対断るじゃろうね)
 元々、シトリンの初めての給料で購入する予定だった。まだ給料日前なので、マリンが一時的に立て替えることにはしてあるけれども。
 貸しということにして、給料から毎月返すことにしたとしても何十年もかかってしまう。シトリンが自分の給料をずっと自由に使えないのは、マリンとしてはどうしても避けたい。
「そんなにアレが気に入ってたん? シトリンはイヤかもしれんけど、私もシトリンが我慢するのはイヤなんよ。じゃから、今回は私が全額」
「それはダメです‼」
 喰い気味に、マリンの言葉を遮るシトリン。そればっかりはさせないとばかりに、鼻息も荒い。
「あの、シトリン様はもしかしてと思うのですが……」
 長年の商売人の勘とでもいおうか、シトリンの本音を察する店長。
「シトリン様はマリン様がお持ちの物とペアということを、第一に考えておられるのではないですか?」
「そっ……そっ、そっ……」
 シトリン、ずばり指摘されて瞬時に顔を真っ赤にしてしまう。否定しようにもそのとおりなので、言葉も上手く出てこない。
「あぁ、なるほどね。そういうことなん」
 マリンはマリンで、そう言いながらも顔を不自然に顔を背ける。こちらも顔が真っ赤になっていた。
「そういうことでしたら……マリン様のお作りになったモノクルのデザインはそのままに、フレームは通常の素材を使った品をご用意できます。お値段のほうも、相場の金額になります。いかがでしょう?」
「あ、は、は、はい。そっ、それ、それで‼」
「う、うん、え、ええんじゃない? うん、ね?」
 マリンとシトリンは狼狽が治まらず、誰がどう見ても不審者です。立派なものです。店主は小さく苦笑いを浮かべると、
「かしこまりました。ただあのデザインは特注の物ですから、二~三日お待ちいただくことになりますがよろしいでしょうか?」
「構いません、よろしくお願いします」
「それではレンズをお選びするために、視力検査を行います。こちらにどうぞ」
「あ、はい!」
 シトリンと店主が専用の個室に入り、マリンは再び応接用のスペースに戻った。
(何かあったときのスペアも、用意しとかんといけんね)
 もちろん、これはシトリンに内緒で購入しておくつもりだ。フレームも、かつて自分が注文したやつと同じのにしとこう。いつかシトリンが、マリンからのプレゼントを気兼ねなく受け取ってくれるようになったら……それをプレゼントしようと思って。
 そのときシトリンはどんな表情を浮かべるだろう。マリンの頬が、自然と綻ぶ。
 ――それから三日後。モノクル完成の連絡を受けて、ちょうど週末の休日だったのもあり再び二人は眼鏡店へ。
「いかがでしょうか?」
 モノクルを装着して、鏡を覗き込むシトリン。その両目からは、たくさんの涙があふれだす。
「シトリン?」
「シトリン様?」
 今度は何ごとかと狼狽するマリンと店主だったが、
「お……」
「お?」
「マリンさんのとおんなじだぁ!」
 嬉しそうにそう漏らすシトリンに、思わずマリンはずっこけてしまった。
「それにマリンさん、これ左がよく見えるんです!」
 興奮のあまりご主人様呼びを忘れてしまっているシトリンだったが、そこはツッコんで戻されたらやぶへびだ。ここはスルーしておこう。
「良かったね、シトリン」
「はい‼」
 そしてシトリンの右手には、給料袋が握られている。事情を察したパールが、給料日を少し繰り上げてくれたのだ。
「それに、私のお給料でも買える値段なんです!」
 店長は笑みを湛えた優しい表情で、
「はい、勉強させていただきました。商品はお包みしますか? それとも」
「このまま着けて帰ります‼」
 店長の言葉を最後まで待たずに、ハイテンションで応じるシトリンである。
 本当はシトリンの給料を少し超える金額ではあったが、お得意様のマリンに免じて大幅なプライスダウンをしたことは、マリンですら知らなかった。
 店を出て、モノクルの慣らしのために少し街を散策することにした両名。
「ウフフフーフ、フフフフッフフン♪」
 上機嫌でスキップしながら、シトリンは上機嫌である。ついついマリンの前に出てしまっていた。
「転ばんようにね‼」
 後ろからそう呼びかけるマリンだったが、今のシトリンならば無理もないかなと苦笑いだ。
(私の初めての給料は、何に使ったんじゃっけ)
 そんなことを考えながら、ふと自分のポーチが不自然に膨らんでいることに気づいた。
「何じゃろ?」
 スキップするシトリンを後ろから見守りつつ、ポーチの中身を確認。
(いつ入れたん⁉)
 そういえば、店を出るときにお手洗いを借りたのだった。あのときだろうか。
 マリンのポーチに入っていたのは――シトリンの給料袋。モノクルの金額を除いた、全額だった。


 これは、シトリンがマリンにモノクルを借りた日の晩の出来事。マリンのモノクルがよっぽど嬉しかったのか家に返ってからも、ずっと装着したままのシトリンである。
「ご主人様、前から訊こうと思ってたんですが」
なあに?」
 夕食後のティータイム……といってもお茶を飲んでるのはシトリンだけで、マリンはワインだ。美味しそうにワインを嗜む、少し頬が紅潮しているマリンの美麗な顔に見とれていて、ふと気づいたようにシトリンが口を開いた。
「ご主人様は、左耳だけピアスが二つですよね。何かこだわりでもあるんですか?」
 マリンの両耳には、マリンの本名と同じアクアマリンの宝石をあしらったピアスが装着されている。だが左だけ、右が一つしかないのに対し二つあるのだ。
「あぁ、これね。アレ、どこにしまったんじゃっけ」
 マリンは席を立ち、ハンガーにかけてあるギルドの制服のポケットをまさぐる。そして中に入っていた……金色の二十センチほどの細いチェーンを取り出して。
「モノクルが落ちんようにね、このチェーンでピアスと繋げとった名残じゃね」
「そのチェーンに繋げるために、新たに開けたってことですか?」
「うん」
 なるほどと頷くシトリン。
「じゃけどすぐに眼鏡にしちゃったけん、穴埋めにピアスだけ残したから左だけ二つなんよ」
 シトリン、ふと自分の耳を触る……もちろん、猫獣人なので耳は頭頂部付近の左右にある。人間と同じ位置には、人間のような耳はないのだ。
(ご主人様の真似ができないじゃん……)
 ちょっと泣きそうな顔で、俯いてしまう。
「シトリン?」
「あ、いえ。何でもないです……って、え? あ、あのご主人様?」
 マリンはシトリンに歩み寄り、シトリンのモノクルを外して手に取った。そしてチェーンを繋げ、シトリンの左眼に戻して。
「シトリンの場合は、ほうじゃね。服の襟……それじゃと、オフショルダーのお洋服を着るときは困るね。うーん……」
 腕を組んで、しばし思案するマリン。
「こんな感じじゃろうか」
 ぶら下がっているチェーンの先端をシトリンの左横の髪に隠すように潜らせたあと、頭頂部付近から引き抜く。そのまま、シトリンの左の猫耳に当てて。
「うん、ええね!」
 と一人納得の面持ち。
「シトリンはさ、ピアスに興味ある?」
「……あの、私猫獣人なので耳が」
「うん、じゃからその耳に」
 シトリンは、考えたこともなかったが……。
「あ、それならチェーンが着けられますね‼」
「そうなんよ。もしシトリンに抵抗がないなら」
「ないですないです! お願いします‼」
 何故か食いつきのいいシトリンに対し、
(やっぱシトリンも女の子じゃね。オシャレに興味を持つお年ごろじゃし)
 とマリンは思っていたが、
(耳の位置が違うのがちょっと残念だけど、ご主人様とおそろいだぁ‼)
 とはシトリン。
「シトリンは、どんなピアスがええかねぇ。やっぱシトリンじゃけ、シトリンがええね!」
 別名を『黄水晶』、シトリンとは宝石の名前である。シトリンの瞳と被毛と、同じ琥珀色の。
(ご主人様と同じアクアマリンがいいなぁ……)
 シトリンはそう思っていたが、奴隷の身分で口出しするのは分不相応だと考え押し黙る。何より、マリンが楽しそうに妄想しているのだ、水は差したくなかった。
「シトリン用のモノクルを買いに行くときにでも、ピアスも一緒に買おうか。これは私がしたくてするんじゃけ、お金は心配せんでええよ」
「え、でも!」
「私はご主人様でしょ。奴隷の耳に穴を開けるんよ、ひどいご主人様じゃねぇ」
 そう言って楽しそうに笑うマリン、少し酔っているようだ。
「シトリンはね、酷いご主人様に身体に穴開けられちゃうんよ」
 返答に困るシトリンだ。だがマリンとしては、シトリンが断りにくい状況を作り出すための芝居だった。
「でもシトリンて価値が高いのでは?」
「もちろん、値段が付けられんほどの価値があるよ」
「そんな‼ 私のためにそれはやめてください!」
 シトリンは『宝石』のほうの話をしているつもりだったのだが、マリンはシトリン本人の価値を話しているつもりだった。なので、二人の会話が噛み合っていない。
「これは命令じゃけ。シトリンは私が買ってあげるけん」
「え? もう買われてますけど……」
 今度は逆にマリンは宝石のほうを、シトリンは自分本人のつもりで話している。
「?」
「?」
「何かもう、わやじゃ……」
 『わや』とは、マリンの住んでいた街の方言で『めちゃくちゃ』を指す。マリンはそう言うと、気持ち良さげに目をつぶりそのまま寝入ってしまった。
「あのぅ、ご主人様……ここで寝ちゃうと、風邪ひいちゃいますよ?」
 だがスゥスゥと静かな寝息を立てて、マリンは起きそうにもない。
(うーん、どうしようか)
 今日はまだ風呂にも入ってないし、マリンは化粧を落としていない。
 シトリンがやっても……マリンが寝ている状態でお風呂に入れたりメイクを落としたりしてもいいが、奴隷の身でそこまでやっていいもんだろうか? いや、むしろ奴隷だからこそやらなくてはいけないのでは。
「ご主人様の服を脱がせてお風呂……は敷居が高いな。それに勝手にそんなことしちゃいけないだろうし。でもこのまま寝るんだったら、メイクは落としておかないと」
 シトリンは席を立ち、マリンのドレッサーからメイク落としを持ち出す。そして見よう見まねで、普段マリンがやっているのを真似してみたのだけど。
「何でこんなことに……」
 両手両膝を床につけて、絶望の表情のシトリン。顔面が、血の気が完全に引いたように青白い。
 だがそれも無理はなかった。マリンの顔が、まるで数色のインクを塗りたくったような修羅場になってしまっているのだ。
「ふ……ふふ……」
 ヨロヨロと立ち上がり、リビングを出ていく。しばらくして戻ってきたシトリンの手には、『バールのような物』が握られていた。
「ご主人様! ご主人様‼」
 少し乱暴にマリンの身体を揺すりながら、なんとか起こそうとする。
「ん……うーん? シトリン?」
「起きてください、ご主人様。大変なんです‼」
「ッ‼ どしたん⁉」
 シトリンのただならぬ雰囲気に、酔いも吹っ飛ぶ勢いでマリンは飛び起きた。
「見てください‼」
 そう言ってシトリンは、手鏡をマリンに差し出す。
「……何を?」
「ご主人様の顔です」
 何がなんだかわからないまま、シトリンから受け取った手鏡で自分の顔を確認するマリン。
「……これは?」
「ご主人様が寝入ってしまわれたので、せめてメイクを落として差し上げたかったんですが……なので、コレ。どうぞ」
 そう言って、今度は『バールのような物』を差し出す。
「???」
 マリンは、さっぱりわけがわからない。
「ご主人様の顔をめちゃくちゃにした罪、この身を以て償います!」
 そう言ってシトリンは、床に大の字に寝転がった。
「さぁ、私の身体を好きなだけ!」
「どうしろと⁉」
 マリンは大パニックである。だが目をギュッとつぶって震えながら床に大の字になっているシトリンと、右手に持ったバールのような何か、左手の手鏡と順番に視線をやりすべてを察して。
「プッ‼ アハハハハハハハハハハハ‼」
 マリンは、思いっきり吹き出してしまった。何が起こったのかと片目を薄く開けて確認するシトリンを見下ろして、
「ほうじゃね。悪い子には『おしおき』が必要じゃね?」
「は、はい‼」
 そう言って、再びシトリンはギュッと目をつぶる。
「ヒャッハーッ‼」
 そう叫ぶが早いが、マリンはバールのような(略)も手鏡も床に置いて、シトリンの腹にまたがる。自らの裸足の足の裏を押し付けるようにしてシトリンの左右の腕を床にロックすると、シトリンの脇腹を猛烈な勢いでくすぐり始めた。
「ちょっ、ご主、な、何を……あははははははははは‼ やっ、やめ‼ うひっ、あははははははは‼ ゆっ、許し、ヒッ、ヒャッ……フヘホハハハハハハッ‼」
 胴体はマリンがまたがっていて、左右の腕は踏みつけられて床に押し付けられている。もはや抵抗の手立てがないシトリンは、延々と続くくすぐり地獄から逃れる術はなかった。
「ちょっ、ちょ、もうやめ……あはははははははは‼」
「シトリン、悪い子にはおしおきじゃけん‼」
 まるでピカソの絵画のような顔面のマリンと、上半身の自由を奪われた猫獣人のしょうもないじゃれ合いは、その後も小一時間ほど続いた。
 そしてこれは、その騒動から数日後のティータイム。
 もし騒動のときにモノクルとピアスがチェーンでつながっていたら、シトリンのピアス穴は引きちぎられてたんじゃないかって。それを思うと背筋がゾッとするマリンのであったけれど、
「それは違いますよ、マリ……ご主人様。私の左眼から簡単にモノクルを奪い取れそうだったから、そうなったんだと思います。もし繋がっていたら、あいつもそんなことはしなかったんじゃないでしょうか」
 そう言いつつも、シトリンは思う。
(多分、ご主人様の危惧したとおりになったんだろうな)
 だけど、マリンから『チェーンは危ないからやめよう』なんて言われたら目も当てられない。ここは、なんとしてでも阻止しなければ。
 そしてマリンも、シトリンのその思いを察する。
「安心しんさい。私も、シトリンのその耳に琥珀色シトリンのピアスするの、楽しみじゃけ」
 ホッと胸をなでおろすシトリンを見て、
(このプレゼントは受け取ってくれそうじゃね)
 と表情かおも綻ぶマリンであった。


 ルーペを片手に、覗き込んだり照明をあてたりのマリン。
「これは人工物ですね」
「は、はは……叶いませんな。確かにシトリンは人工物が多く出回っておりますが、決して天然物に引けを取らないクォリティです。決して、紛い物のような存在ではなく……」
「存じてますよ。天然物はほとんど採れないから、希少価値があるとも。でも、可愛い妹分にプレゼントなのでやっぱりこだわりたいんです」
 とあるジュエリーショップでマリンと店長の会話。可愛い妹分とサラッと言ってのけるマリンとは対照的に、隣に控えるシトリンは顔が真っ赤である。
(ご主人様てば、妹分て……)
「ほぅ、妹さんですか。失礼ですが、妹さんのお歳を訊いても?」
「シトリン、十三歳じゃっけ?」
「あ、はい」
 店長はシトリンをチラ見して、そしてその首輪にはめられた奴隷環に視線を移す。
「もしかして妹分てのは、そちらの獣人の奴隷ですかぁ?」
 その言外には、明らかにシトリンに対する侮蔑が込められているのは明らかだった。シトリンは申し訳なさそうに、シュンとしてうつむいてしまう。
「ちょっ、おっ、お客様! やっ、やめっ‼」
「え?」
 店主の慌てる発言に、ハッと顔をあげたシトリンが見たものは。
「貴様……二回殺されるのと三回殺されるの、好きなほうを選んでええよ?」
 眼鏡は着用したままだが、横にいるシトリンからはマリンの瞳が見える。それは明らかに、ガチギレしている獰猛な『猛獣』の瞳だ。
 その猛獣が店主の胸倉を捻り上げるように掴んで、高々と店主を吊るしていた。
「ご主人様! 落ち着いてください‼ 私は大丈夫、大丈夫ですから‼」
 慌ててマリンの腕を掴んで店主を下ろそうとするシトリンだが、
(なっ、びくともしない⁉)
 シトリンとて、腕力には自信がある。猫獣人であるがゆえに、その能力は生まれ持ったギフトだ。
 だが店主を射殺すかのように禍々しい視線で見上げるマリンは、まるで大岩のようにびくともしなかった。
(どっ、どうしよう‼)
 このままでは、衛兵を呼ばれてしまう。ハンターギルドに通報されるかもしれない、というかマリンはそこの職員だからまずいことになる。
「マリンさん!」
「何?」
 狼狽のあまり、ついマリンさん呼びをしてしまったシトリンだが……マリンがあっさりと振り向いた。その表情は、先ほどまでが嘘のように穏やかだ。
(あれ?)
 マリンさんと呼ばれたことが嬉しくて機嫌が直ったなんて、想像もできないシトリンである。
「あの、私は大丈夫ですから店員さんを下ろしてあげてください」
「このゴミを?」
 どうやら機嫌が直っているのは見かけだけのようで、内心は煮えたぎっているマリン。シトリンのお願いを、到底聞き入れる気配がない。
「マ、マリンさんが言ったんですよ⁉」
「何を?」
「私を一人ぼっちにしたくないって。このままじゃマリンさん、捕まっ……」
 感情の波があふれて、とうとう泣き出してしまうシトリン。マリンは大慌てで店長を放り投げると、
「ごめん、ごめんねシトリン! お願いだから泣かんといて‼」
 そういうマリンも、泣きそうな表情だ。
「シトリン、ここはやめてほかの店に行こう。ね? ね?」
「グスッ……はい」
 シトリンの肩を抱くようにして、店の出口へ向かうマリン。放り投げた店長にギロリと一瞥をくれると、思いっきりバンッと扉を閉めた。その音にびっくりして、シトリンが飛び上がる。
「うーん、フェクダじゃここが一番大きいショップじゃけ……参ったねぇ」
 マリンの機嫌が直ったかどうか不明なので、恐る恐る無言でマリンの顔色をうかがうシトリン。どうやらもう平常心に戻ったようで安心する。
「あの、別に天然とか私はこだわらないですし、それに天然物は高いのでは?」
「シトリンは忘れとるようじゃけど、」
 マリンはクスリと笑って、
「四億リーブラで落札されたん、誰じゃっけ?」
「あぅ、それはそうなんですが……」
「となると……ソラ商会で探してもらうかなぁ」
 ソラ商会とは、ここフェクダに本社がある大手商社だ。『ゆりかごから墓場まで何でも販売』をスローガンに掲げているように、幅広い品ぞろえで知られている。
 そこの女社長であるソラとは旧知の間柄で、マリンも姉のように慕っていた。幸いにして商会のある建物まで徒歩で行ける距離なので、そのまま歩いて向かうことにした。
「ソラ姉のとこ、宝石売ってたかな……」
「お知り合いですか?」
 シトリンは、自宅でのマリンとギルドでのマリンしか知らない。マリンの口から出た『ソラ姉』という初耳ワードに、少しモヤッとしてしまう。
(その人と仲いいのかな?)
 マリンを一人占めしたいというジェラシーからくる嫌気だったが、シトリンはその感情の名前を知らない。
「シトリン、どうかした?」
「え、あ、いや。何でもないです、すいません」
 会話はそれ以上続かず、やがて商会に到着する。
「大きな建物ですね……」
 フェクダでは珍しく、十階建ての大きな家屋だ。その存在感は周囲を圧倒していた。
 入口を入り、案内の受付嬢がいるカウンターへ向かう。
「いらっしゃいませ、御用の向きは何でしょうか」
「ソラ姉……あ、いやソラ社長はいらっしゃいますか?」
「どちら様でしょうか? アポイントの約束はございますか?」
 マリンはハンターギルドのギルド証を差し出す。現役時代から使っているもので、そこにはフェクダいや大陸では二人しか存在しない『SSランク』という文字が燦然と輝いている。
「アクアマリン・ルベライトと申します。申し訳ないんですが、アポイントはないんです。ですからせめて、新たにアポイントを取れればと」
 まるで信じられないものでも見たかのように、マリンのギルド証を穴が開くほど見つめる受付嬢。マリンを二度見三度見だ。
「しょっ、少々お待ちください‼」
 受付嬢、大慌てで魔電の受話器を上げる。何ごとか会話をした後、
「社長がお会いになります。ルベライト様は、社長室の場所はご存じですか?」
「はい、ありがとうございます。最上階の北側の奥で合っていますか?」
「間違いございません。ご案内いたしましょうか?」
「それには及ばないです、ありがとう」
 その二人の会話を聴きながら、何故かシトリンはドヤ顔だ。
 このフェクダ王国のみならず大陸中に名の知られたハンターであるマリンの名声は、今なお色あせることはない。そしてその自慢のマリンが、自分のご主人様だという矜持。
(うふふっ‼)
 先ほどまでのソラへの嫉妬心はどこへやら、すっかり上機嫌のシトリンなのでした。


 社長室。中にいたのは、マリンより二~三歳は年上と思われる……魔女の装束に身を包んだ黒髪の女性。このフェクダでは誰知らぬ者のいない、高名な賢者としても知られている。
「マリン、久しぶり」
「ソラ姉も。あ、紹介しますね。こちら私の妹分で、シトリンです」
(また妹分って言った……)
 不意打ちだったので、シトリンはまた真っ赤になってしまう。
「シトリンちゃんね。初めまして、ソラと申します。気軽にソラって呼んでくれていいわよ」
「そ、そんなわけにも……」
 困ったようにマリンを見上げるシトリンだったが、マリンは微笑みを返すだけ。だが猫獣人であることも、この首にはめられている奴隷環にも特に表情を変えないソラに、シトリンは好感を持っていた。
「そ、それじゃソ、ソラ様、よろしくお願いします」
「『様』はいらないんだけどな」
 ソラはそう言って苦笑いをすると、
「で、わざわざ私に会いに来たのは何の用? あ、用がなくても来ていいけど」
「そういうわけにもいきませんよ。恐らく世界中で一番忙しいんじゃないですか、ソラ姉てば?」
 ソラはそれには苦笑いのみを返し、マリンとシトリンにソファに座るよう促す。
「実はですね、シトリンを探しているんです。できれば、というか絶対天然物で」
「天然のシトリンね……そこのシトリンちゃんにプレゼントでもするの?」
「はい」
「ふむ……あれ? シトリンちゃんてもしかして、マリンが四億リーブラで落札したっていう」
「やっぱりご存じでしたか」
「へぇ、その子なんだ」
 ソラはそう言ってニッと笑うと、
「マリンに引き取られてよかったね‼」
 と満面の笑みを湛える。シトリンも、
「はい!」
 と元気よく返事をして、
「はい‼」
 思わず返事を繰り返してしまう。
「となると、ちょっと待ってね」
 そう言ってソラは席を立ち、数分後にティーワゴンを押して戻ってきた。
「お茶は五種類ほど用意したから、自分で好きに淹れてね」
 そして箱を取り出して、
「天然物のシトリンっていうと、うちじゃこれぐらいしかないのよ」
 そう言いながら箱の蓋を開けてみせる。中には、眩しいくらいに光り輝く天然のシトリンがギッシリと詰まっていた。
「ソラ姉の『これぐらい』の基準は、相変わらずぶっ飛んでますね」
 マリンはびっくりしつつも、思わず苦笑いだ。シトリンは、今にも目と顎が落ちそうなくらい驚愕の表情を浮かべている。
「ピアス一個作れるぐらいでいいんです」
「どっか、作ってもらうあてはあるの?」
 本来なら、『あのお店』が妥当なんだろう。だがあそこの店長は気に食わない。次に会ったらぶん殴ってしまいそうだから、そこはパスだ。
「ソラ姉のとこでやってもらうこと、できます?」
「構わないわよ。どんなデザインがいいかは決めてる?」
「あ、まだそこまでは……」
 マリンは横のシトリンに目をやり、
「シトリン、何か希望ある? こんなのがいい、とかあんなのがいいとか」
「いえあの私はどんなので……も……。あ、あの‼」
「何かな?」
「マ、ご主人様みたいなのがいいです」
 そう言って、マリンのピアスをチラッと見上げる。
「私みたいなの? こういう?」
 キョトンとして、自分のピアスを触るマリン。その二人の様子を、暖かい視線で見守るソラだ。
「マリンのそのアクアマリンのピアス、うちで買った物よね?」
「え、いえ違います」
「んーでも、それ。うちで作ったやつ。うちが卸したところから買ったんじゃないのかな」
「あ、そうなんですか⁉」
 それは知らなかったので、マリンは軽くびっくりだ。
「シトリンちゃん。つまりシトリンを使って、まったく同じデザインの物が欲しいってことかな?」
「そっ、そうです‼」
 思わず目を輝かせてガタッと立ち上がってしまうシトリンに、マリンも苦笑いを隠せない。いや、照れ笑いだろうか。
「いいわよ、ちょっと待っててね」
 そう言ってソラは箱からシトリンの欠片を取り出して、自らの手のひらに置く。そしてもう一方の手でその欠片をゆっくりと撫でまわしながら、何ごとかをつぶやきはじめた。
 時間にして十秒ほどだろうか。ソラが指を上げると、そこにはマリンのピアスとまったく同じ形の……シトリンでできた琥珀色のピアスが顕現している。
「そうやって作ってたんですか、コレ……相変わらずバケモノですね?」
「ひどいな? 人間離れしてるって言ってよ!」
 ソラは少し唇を尖らせて、それでも笑いながら反論してみせる。
「ソラ様、凄い……」
 シトリンは目をキラキラさせて、ソラの手のひらの上にあるピアスとソラの顔を交互に見つめていた。
「これこれ、こういう反応がほしいのよマリン?」
「シトリンが代わりにやったからいいじゃないですか」
「可愛くないわね、もうっ!」
 そしてソラはそのピアスをシトリンに手渡そうとするのだけど、
「あのっ、私からあげたいので……」
「あ、そうか。プレゼントって言ってたね。可愛くないっての取り消すわ。マリンてば可愛い!」
「からかわないでくださいよ!」
 そんな二人の会話を耳まで真っ赤にして聴いているシトリン、嬉しさのあまり頬がゆるんでしまう。そしてソラの手のひらにあるピアスをチラ見して、
(ご主人様と同じピアスだぁ……)
 シトリンは、もう天にも昇る心地なのでした。


【おまけ】『初めてのピアス』

「じゃ、じゃあ行くよ?」
「は、はい!」
 マリンの片手には針。といっても編針のように長く、太い。先は鋭利に尖っており、普段はここに毒を塗布して一撃必殺の武器として使っている。
 で、何をしようとしているかというと、これからシトリンの耳にピアスホールを開けようとしているのだけど。
(うぅ、シトリンの身体に私が穴を開けるなんて……)
 シトリン可愛さに、ちょっと及び腰のマリンだ。これまで散々、(悪い)人間や魔獣モンスターを屠ってきたというのに。
 マリン、よりにもよって目をギュっとつぶりシトリンの左耳をつまむ。シトリンはシトリンで、やはり怖いのかこちらも目をつぶっていて、マリンもそうしていることに気づかない。
 当然と言えば当然ながら、マリンの針はシトリンの頭皮を直撃した。
いった―い!」
「ごっ、ごめんシトリン!」
 もうこれで四度目だ。普通の人ならとっくに文句を言っているところ、シトリンはマリンを信じているのでひたすら我慢の虫を決め込む。
「うぅ、私できないよぅ……」
 マリンの心は、既に折れかかっているようだ。
「ご主人様、頑張ってください!」
 シトリンが必死に応援するのだけど。結局、七度目でやっと成功した。消毒して、おもむろに手鏡を出してシトリンに見せる。
「鏡を見て、シトリン。どう思う?」
 そう言って手鏡をシトリンの前に掲げるマリン。
「すごく……素敵です」
「よかった!」
 次にマリンはチェーンを手に取り、シトリンのモノクルにはめる。そしてもう一方を左サイドの髪に潜り込ませ、先端を頭頂部付近から引き抜く。そしてそれをピアスに繋げて、完成だ。
「これで、モノクルが床に落ちることはないけん」
「はい、ありがとうございます!」
 頭皮に針を誤爆されまくったけど、マリンとおそろいのピアスでご機嫌のシトリン。
 そしてこれは後日譚――『そんなぶっとい針を使うバカがおるかーっ‼』とマリンがモルガナに怒られたとかなんとか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転落貴族〜千年に1人の逸材と言われた男が最底辺から成り上がる〜

ぽいづん
ファンタジー
ガレオン帝国の名門貴族ノーベル家の長男にして、容姿端麗、眉目秀麗、剣術は向かうところ敵なし。 アレクシア・ノーベル、人は彼のことを千年に1人の逸材と評し、第3皇女クレアとの婚約も決まり、順風満帆な日々だった 騎士学校の最後の剣術大会、彼は賭けに負け、1年間の期限付きで、辺境の国、ザナビル王国の最底辺ギルドのヘブンズワークスに入らざるおえなくなる。 今までの貴族の生活と正反対の日々を過ごし1年が経った。 しかし、この賭けは罠であった。 アレクシアは、生涯をこのギルドで過ごさなければいけないということを知る。 賭けが罠であり、仕組まれたものと知ったアレクシアは黒幕が誰か確信を得る。 アレクシアは最底辺からの成り上がりを決意し、復讐を誓うのであった。 小説家になろうにも投稿しています。 なろう版改稿中です。改稿終了後こちらも改稿します。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー
ファンタジー
美少女になってしまった俺が男に戻る方法は、100人の女の子のくちびるを奪うこと!   けがれなき乙女の園、ささやく魔導書、うなるチェーンソー、そして咲き乱れる百合の花。

七億円当たったので異世界買ってみた!

コンビニ
ファンタジー
 三十四歳、独身、家電量販店勤務の平凡な俺。  ある日、スポーツくじで7億円を当てた──と思ったら、突如現れた“自称・神様”に言われた。 「異世界を買ってみないか?」  そんなわけで購入した異世界は、荒れ果てて疫病まみれ、赤字経営まっしぐら。  でも天使の助けを借りて、街づくり・人材スカウト・ダンジョン建設に挑む日々が始まった。  一方、現実世界でもスローライフと東北の田舎に引っ越してみたが、近所の小学生に絡まれたり、ドタバタに巻き込まれていく。  異世界と現実を往復しながら、癒やされて、ときどき婚活。 チートはないけど、地に足つけたスローライフ(たまに労働)を始めます。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...