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演奏魔

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ルシェの言う通りここのモンスターはリヴィとルシェの手にかかれば余裕なようで、順調にダンジョンを進んだ。
もうそろそろ最深部だろうかと話していると、モンスターが一体もいない場所に辿り着いた。
演奏魔、そうリヴィとルシェが叫んだのは同時だった。
彼女たちの視線を辿ると、部屋の中央にモンスターらしき物体を確認することができた。近づいてみると、体の大きさがテディベアぐらいで、人間のような見た目をしていた。
「ソウタ君、演奏魔のことは知らないよね?」
「演奏魔?」
答えを聞く前にそのモンスターがおじきをして、持っていた指揮棒を振り始めた。すると、どこからかアップテンポな音楽が流れてきた。
「え? なんだこれ?」
リヴィが空間移動をするときに使うジッパーに似たものが奥の壁に現れ、中から鎧の騎士や魔法使いが音楽にあわせて攻撃を繰り出しながら行進してきた。
こちらに向かってくるというのに、ふたりが武器を構える様子はない。
「お、おい! ふたりとも、どうして攻撃しないんだ?」
騎士たちは規則正しく歩き、そのたびに鎧がガシャンガシャンと鳴り響き、それが音と合っているため鎧自体が楽器のようにも思われた。
魔法使いが自分の背丈ほどもある杖をバトンのように振り回しながら色鮮やかな炎を放つたびにフロア全体が明るくなった。
何も行動を起こさないふたりを見て焦る俺に、リヴィが説明をしてくれた。
「演奏魔はモンスターと部屋を操って音楽にあわせて攻撃をしてくるの。先へ進むには、私たちも音楽にあわせて踊りながら避けるしかない」
「お、踊る?」
「安心して。私の動きにあわせてくれれば大丈夫。それにミス一回だけなら、その腕輪が防いでくれる。その腕輪が壊れてしまったら、私の魔力をすべて使って演奏魔を倒す。そうすれば無事に帰れるわ」
リヴィと冒険をすることになった日にもらった銀の腕輪は、当然ながら毎回つけている。
しかし本当に、こんなちっぽけな腕輪が守ってくれるのだろうか。口には出さなかったが、いつも不安で仕方がなかった。
「でも、あの騎士は弱いんだろう? 倒してしまったほうが早いんじゃないか」
「演奏魔に操られているモンスターは完全に別物よ。比べ物にならないほど強化されているの」
「そんな……。じゃあ、本当に踊るしか方法はないのか」
「そういうこと。でも大丈夫。あなたなら正攻法でやれるわ。ルシェ、ソウタに説明をしたいから、先にいってくれるかしら?」
「いいよ~。私も久しぶりだから、ちょっと緊張しちゃうな」
弓をしまって軽く伸びをしたルシェは、部屋の中央に出て迫りくる騎士団と対峙した。
縦に揺れながらリズムをとり、騎士たちの動きを観察している。ルシェが何かをする気配がないまま、最前列の騎士が彼女の目の前で剣を振り上げた。
「あぶないっ!」
振りおろされた剣がルシェの端正な顔を切り裂く直前、彼女はそれを横にかわすと音楽にあわせて体を動かし始めた。
騎士たちはルシェを狙って攻撃をしているわけではない。ただ音楽にあわせて行進しながら剣や魔法で様々な攻撃を繰り出しているが、それを彼女は軽やかなステップですべてかわしている。
よく見ると、演奏魔が操るのは騎士たちだけではなかった。この部屋自体もまた音楽にあわせてチェス盤のような升目の地面が抜け落ちている。
あぶないっ! と思った瞬間が何度もあったが、ルシェはそれらをすべて舞うように避けている。
「……これを、俺もやるのか?」
「ええ。もうじき、ここにも騎士たちが到着するわ。そうなったらもう逃げ場はないの」
「まじか……」
アップビートなこの曲よりも早いテンポで俺の心臓は鳴った。今にも吐きそうだ……。
「大丈夫。演奏魔が奏でる音楽にはいくつか種類があるのだけれど、今回のは比較的に簡単なものよ。覚える動きは、せいぜい二、三パターンね。さ、両手を出して」
「え、ああ、うん」
おもむろに出すよういわれた両手を握られ、その状態でステップを教えてくれた。
「音をよく聞いて」
ルシェが実践しているのを見ながら動きを教わる。
確かに動きの種類は多くない。ここが普通のダンスフロアであれば難しくないかもしれないが、剣や魔法をかわしながら命がけで踊るとなると、話はまったく別物になってくる。
リヴィが一通り説明を終えたところで、最前列の騎士がすぐそこまで迫ってきた。
「さ、いきましょ」
「えっちょっと待っ……」
そういってリヴィは俺の手を取り、前に出た。
いきなり、剣が俺の目の前で振り降ろされた。
「わっ!」
「落ち着いて。私と同じ動きをして」
練習ではリヴィの足元を見ながらステップを踏むことはできた。しかし実践となるとそうはいかなかった。教えられたことが目の前の床と同じように抜け落ち、頭が真っ白になってしまった。
そんな俺の緊張をほぐそうとしたのか、紅玉のような目で俺を真っ直ぐ見て、頬笑みながらリードしてくれた。
「もっと力を抜いて。目で避けるんじゃなくて、音をよく聞くの。そうすれば、自然と攻撃もかわせるわ」
もうかれこれ一〇回以上はダンジョンを共に攻略した仲だが、彼女のこんな表情を見たことはなかった。
今、間違いなく俺の命はリヴィが握っている。そのことに不安がないわけではない。しかし……。
「そう、その調子よ」
曲調が盛り上がるサビらしき場面で、地面の升目が真ん中のひとつを残して周りの八個すべての床がなくなるときがある。その場面がくると、リヴィとひとマスを分け合うため、彼女との距離がぐっと近くなる。揺れる彼女の髪からだろうか、常に黒をまとい、冷静沈着で隙のない佇まいからは想像しにくいが、花のような甘い香りがした。
「上手ね」
「あ、ありがとう」
俺たちはただ利害が一致しているだけの関係だ。しかし、彼女は俺にとても良くしてくれている。実際、彼女と会ってからの毎日は劇的な変化を遂げているのだ。
……だが、それも俺を騙すための演技だとしたら? いやそもそも俺を騙す理由なんてないはずだし、もし何かをするつもりならば機会はいくらでもあったはず……。
「ソウタ!」
「……っ!」
集中力を欠いたせいでステップを間違えた。緑の火炎が耳のすぐ横をかすめ、リヴィの手を離してしまった。
ひとり放りだされ、錯乱状態で必死に攻撃をかわすうち、気が付いたらルシェのところに辿りついた。
「こっちにきてくれたんだ。いっしょにおどろ?」
たった今何が起きていたのかを脳が処理する前に、ルシェは俺の手を取り騎士たちのあいだを縫い始めた。
ルシェの胸が音楽にあわせて揺れた。そして、ふたたび俺の集中力も揺らいだ。
耳に神経を集中させるため、なるべくルシェの目だけを見るようにして踊った。
ルシェとは今日会ったばかりなので、こうしてしっかり顔を見るのは初めてだった。全体的にふわふわした印象はあったが、それは丸い目と柔らかい表情が影響しているのだと思った。
リヴィのように淡々と表情を崩さずに踊ってくれるとありがたいのだが、ルシェは踊りを心から楽しんでいるようで、曲調や動きに合わせていちいち表情が変わった。
それを間近で凝視しているのが恥ずかしくてつい目をそらすと、五マスほど先で踊るリヴィを視界に捉えた。
目をつむったリヴィが音楽にあわせて鎌を振り回しながら舞っている。華麗なステップも、敵とダンジョンの攻撃をかわし続ける。
ルシェにリードをしてもらっていたが、リヴィの美しさに思わず目を奪われ、気が付いたら彼女のマネをして踊っていた。
すると、突然視界が変わった。俺の左頬を引きよせて顔を前に向けさせ、頬を膨らませたルシェと目が合った。
「今は私のことだけ見て。じゃないとケガしちゃうよ」
「あ、ああ。ごめん」
突発的に口をついて出た言葉だったが、果たして俺は謝るべきだったのか?
そんなことを考えていると例のサビの部分になった。ルシェとひとマスを分け合うとき柔らかい感触を覚えたが、ルシェは特に気にしている様子はなかった。
このひとも、何を考えているかわからない。リヴィも言っていたが、レアアイテムの出現率が高いダンジョンを、なぜ見ず知らずの俺たちと攻略しようとするのか……。ただ岩だけ破壊させれば済むことじゃないか。
「あっ!」
ルシェが声を発したことで、ようやくステップを間違えたことに気がついた。
危うく地面から落ちそうになり、もつれた足で運よくリヴィの元に辿り――つくことはなく、俺はひとりになってしまった。
ダメだ、集中しろ。俺は同じ過ちを繰り返し過ぎだ! 他人を信じるかどうかなんて、この際どうでもいい。もうやるしかないんだ。目の前のことに集中しろ!
ワン、ツー! ワン、ツー!
無心で音楽だけに耳をかたむけると、自然と体が動いた。
振り降ろされる剣士の攻撃をかわし、魔法使いの火炎を静止してやり過ごし、抜け落ちる地面を飛び越えた。
間もなくして演奏の終了とともに、行進をしていた騎士団は光の粒となって消えた。
俺は床にへたれ込んだ。全身が汗ばんでいる。
「お疲れ様。よくできたわね」
命の危機が去り、ほっとした今、真面目な顔をして本気でダンスしたことが恥ずかしくなってきた。
「もう二度とやりたくない……」
「え~なんで? 上手なのにもったいないよ」
この部屋に残ったのは俺たちと演奏魔だけになった。
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