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1 砂出しの働き方改革
1-7.はじめての銭湯
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入ってすぐのところにあったのは、共同の脱衣場である。今もまさに、他の女性が服を脱いだり、奥の部屋から出てきた女性が服を着たりしている。
……そういえば、着替えがないな。風呂上がりにまた砂だらけの服を着るのかとげんなりしつつ、私も服に手をかけた。
例の通気性の良い服を、するりと脱ぐ。
ゆったりとしたシルエットの服は、着脱もしやすいように出来ていた。頭からすっぽり抜き、軽く揺らして砂を落とす。
ついでに、まじまじと自分の体を見る。
薄い。痩せているというか、薄い。手足は細いし、腰回りなんか、もっとふっくらしていた方が健康的なんじゃないかと思うほどに薄い。辛うじて胸回りには脂肪がついて乳の形を成しているが、その程度だ。
この体、ろくに食べていなかったんじゃないか。
まあ、だから衰弱して、砂漠で死んだのだろう。
食事をしっかり摂って、健康的に太らせよう。そう決めながら服を畳み、見よう見まねで、近くの棚へしまった。
皆は棚にしまったあと、自分で鍵をかけているようだが、私は魔法が使えないから、鍵もかけられない。取られて困るようなものも持ってはいない。
鍵をかけずに、奥の部屋へ進む。
「……!」
中には広い空間が広がっていて、私は驚いた。
迷惑になるので、声を上げるのは何とか我慢する。
もくもくと立ち上る大量の蒸気。室内は薄暗く、光のなさと蒸気のせいで、どうなっているのかよく見えない。薄暗がりの中に、いくつもの人影が見える。丸みを帯びた背中は、どれも女性のものだ。
奥の方に、湯船があるみたい。
足元に気をつけつつ、周りの様子を伺いながら、そちらへ向かう。
他のお客は、湯船に入る前に、髪や体を流している様子だ。辺りを見回すと桶が積み重ねられている場所があったので、そこからひとつ桶を取った。張られた湯を掬う。
ばしゃ、と頭から湯をかけた。濡れた髪を指で掻き回し、また湯をかける。幾度か繰り返すと、肌も頭も、随分さっぱりした。
桶を脇に置き、私は漸く、湯船に近づく。既に数人の女性が中にいるが、それでもスペースの余裕はまだある。なかなかの広さだ。
足先からゆっくりと、湯に差し込む。熱すぎないのを確かめてから、全身を湯に浸からせた。
「ふぅー……」
深く長い吐息が出た。心地よい温度の湯が、体を包み込む。疲れて強張った体を、湯の温度がほぐしていく。
最高の気分。湯船に浸かることの幸せは、この、疲労が湯に溶け出す感覚にある。
浴槽のへりに頭をもたれかけ、目を閉じた。
誰かが湯をかける、ばしゃっという音。戸を開け閉めする音。潜めた話し声。そうした音を全て背景音とし、私は、水面が揺れる音に耳を傾けた。ちゃぷ……じゃぷ……。人の動きに合わせて、ある程度の規則性を持って聞こえる音。
それに集中していると、体はここにあるけれど、ここにないような、そんな不思議な感覚に陥る。
……どのくらい経っただろう。
「こらっ! こら! 起きなさい!」
怒号と共に肩を揺さぶられ、私の精神はいきなり現実に引き戻された。
重く閉じていた目を開ける。薄暗い中では、何が起きたのか、一瞬理解できなかった。
「こんなところで寝たら、危ないじゃないか!」
私にかけられた声の正体は、先程カウンターで会った、威勢の良い女性。その柔らかな指が私の肩を掴み、ぐいっと持ち上げる。薄くて軽いこの肉体は、その勢いで、立ち上がった。
ふらっ、とする。前方によろけたのを、安定感のある彼女の体が受け止めてくれた。
「もう! あのお兄ちゃんが心配して声をかけてくれたから良かったけどね、あんた、そうでなかったら死んでもおかしくないんだからね!」
……この体、一度死んでます。
そんな怒られそうな発言が頭をよぎったが、言葉にはならない。代わりに、酷い立ちくらみと気持ち悪さが私を襲う。
「うぅ……」
「ああ、もう! 世話が焼けるね。これを飲みなさい!」
蒸気の渦から抜け、ひんやりした空気が肌に触れる。脱衣場に戻ったようだ。濡れたままの体で何かに座らされ、私の口元に、冷たいものが当たった。
女性の声に促され、それを飲む。冷たさが、喉を通り、食道を抜け、胃に落ちていく。
ああ……冷たくて、美味しい。
「もっと飲むんだよ!」
ごく、ごく。
私の体はざるになったんじゃないかと思うほど、大量の水を、美味しくいただいた。足も冷水につけられたのか、ひんやりした心地よさが、上下から体の内部に広がっていく。
動悸が鎮まる。目眩が消え、視界が回らなくなった。気持ち悪さも、だいぶ引いた。
「人心地ついたね?」
「……はい」
女性が、私の顔を覗き込む。
頷きたくて頭を下げたら、それでぐらりと頭が揺れた。落ち着きはしたが、まだかなり調子が悪い。
「あんた、湯船で寝るなんて、何考えてるんだい!」
びりびりと空気が震えるような強烈さで、叱られた。
「……すみません」
温かい湯の中で、水も飲まずに長時間過ごすことの危険性を、私は知っている。眠ってしまったのだとしたら、危険だった。
実際、湯船から出た時の私は完全にのぼせ、体調を崩していた。返す言葉もなく、ただ謝る。
「まあ、いいさ。あんたが無事でなにより。旦那さんも心配してたよ。優しい旦那さんだねえ」
「……はい」
「早く着替えて、行っておやり。取ってあげる。あんたのは、これだね。……鍵はかけるんだよ」
私のしまった服を、彼女は手早く見つけて取ってきてくれる。私に手渡そうと、服を広げ……そして、盛大に顔を顰めた。
「なんだい、砂だらけじゃないか! せっかく風呂に入ったのに、こんなものを着ていくのかい!」
指先で摘んで振ると、ざらざらと砂が落ちる。
「……他に、なくて」
「あたしの娘のを、貸してあげる。ほら、えーっと、これこれ。着なさい」
女性はどこかから、ひらひらと鮮やかな服を取り出した。
「いえ、そんな」
人の娘のを、勝手に着るわけにはいかない。遠慮する私の頭の上から服が被せられ、すっぽり、着てしまった。
ああ、強引。
もうこうなれば、今更返しても仕方がない。洗って返そう。
「似合うじゃないか。娘はもう、それは着ないんだよ」
「……お借りします」
洗濯してある服がさらさらと肌に触れ、爽やかさを感じる。砂だらけの服を着るより、正直言って、ずっと良かった。
「ほら、旦那さんとこへ行きな。全然出てこないって、随分心配していたから」
私は壁に手を添え、まだ少しふらつく体を支えながら、ゆっくり出口へ向かう。脱衣場を抜け、カウンターのある出入り口付近へ出た。
「……イリス! こんなに長いこと、何してたんだ!」
「なんか……お風呂で寝ちゃったみたいで」
「はあ?!」
このあと私が、ニコからも大目玉を食らったことは、言うまでもない。
ついでに、まだふらふらしていることを叱られ、宿屋まで荷物のように背負われて運ばれたことも。
……不覚。
ニコの広い背の上で揺られながら、私は反省した。
うっかり眠ったせいで、自分は恥をかいたし、銭湯の女性やニコに心配をかけた。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「迷惑じゃないけど、心配したよ。今度、銭湯には謝りに行こうね」
「……ええ」
それにしても、これだけのことがあって「迷惑ではない」と言い切る彼の度量の広さである。
……そういえば、着替えがないな。風呂上がりにまた砂だらけの服を着るのかとげんなりしつつ、私も服に手をかけた。
例の通気性の良い服を、するりと脱ぐ。
ゆったりとしたシルエットの服は、着脱もしやすいように出来ていた。頭からすっぽり抜き、軽く揺らして砂を落とす。
ついでに、まじまじと自分の体を見る。
薄い。痩せているというか、薄い。手足は細いし、腰回りなんか、もっとふっくらしていた方が健康的なんじゃないかと思うほどに薄い。辛うじて胸回りには脂肪がついて乳の形を成しているが、その程度だ。
この体、ろくに食べていなかったんじゃないか。
まあ、だから衰弱して、砂漠で死んだのだろう。
食事をしっかり摂って、健康的に太らせよう。そう決めながら服を畳み、見よう見まねで、近くの棚へしまった。
皆は棚にしまったあと、自分で鍵をかけているようだが、私は魔法が使えないから、鍵もかけられない。取られて困るようなものも持ってはいない。
鍵をかけずに、奥の部屋へ進む。
「……!」
中には広い空間が広がっていて、私は驚いた。
迷惑になるので、声を上げるのは何とか我慢する。
もくもくと立ち上る大量の蒸気。室内は薄暗く、光のなさと蒸気のせいで、どうなっているのかよく見えない。薄暗がりの中に、いくつもの人影が見える。丸みを帯びた背中は、どれも女性のものだ。
奥の方に、湯船があるみたい。
足元に気をつけつつ、周りの様子を伺いながら、そちらへ向かう。
他のお客は、湯船に入る前に、髪や体を流している様子だ。辺りを見回すと桶が積み重ねられている場所があったので、そこからひとつ桶を取った。張られた湯を掬う。
ばしゃ、と頭から湯をかけた。濡れた髪を指で掻き回し、また湯をかける。幾度か繰り返すと、肌も頭も、随分さっぱりした。
桶を脇に置き、私は漸く、湯船に近づく。既に数人の女性が中にいるが、それでもスペースの余裕はまだある。なかなかの広さだ。
足先からゆっくりと、湯に差し込む。熱すぎないのを確かめてから、全身を湯に浸からせた。
「ふぅー……」
深く長い吐息が出た。心地よい温度の湯が、体を包み込む。疲れて強張った体を、湯の温度がほぐしていく。
最高の気分。湯船に浸かることの幸せは、この、疲労が湯に溶け出す感覚にある。
浴槽のへりに頭をもたれかけ、目を閉じた。
誰かが湯をかける、ばしゃっという音。戸を開け閉めする音。潜めた話し声。そうした音を全て背景音とし、私は、水面が揺れる音に耳を傾けた。ちゃぷ……じゃぷ……。人の動きに合わせて、ある程度の規則性を持って聞こえる音。
それに集中していると、体はここにあるけれど、ここにないような、そんな不思議な感覚に陥る。
……どのくらい経っただろう。
「こらっ! こら! 起きなさい!」
怒号と共に肩を揺さぶられ、私の精神はいきなり現実に引き戻された。
重く閉じていた目を開ける。薄暗い中では、何が起きたのか、一瞬理解できなかった。
「こんなところで寝たら、危ないじゃないか!」
私にかけられた声の正体は、先程カウンターで会った、威勢の良い女性。その柔らかな指が私の肩を掴み、ぐいっと持ち上げる。薄くて軽いこの肉体は、その勢いで、立ち上がった。
ふらっ、とする。前方によろけたのを、安定感のある彼女の体が受け止めてくれた。
「もう! あのお兄ちゃんが心配して声をかけてくれたから良かったけどね、あんた、そうでなかったら死んでもおかしくないんだからね!」
……この体、一度死んでます。
そんな怒られそうな発言が頭をよぎったが、言葉にはならない。代わりに、酷い立ちくらみと気持ち悪さが私を襲う。
「うぅ……」
「ああ、もう! 世話が焼けるね。これを飲みなさい!」
蒸気の渦から抜け、ひんやりした空気が肌に触れる。脱衣場に戻ったようだ。濡れたままの体で何かに座らされ、私の口元に、冷たいものが当たった。
女性の声に促され、それを飲む。冷たさが、喉を通り、食道を抜け、胃に落ちていく。
ああ……冷たくて、美味しい。
「もっと飲むんだよ!」
ごく、ごく。
私の体はざるになったんじゃないかと思うほど、大量の水を、美味しくいただいた。足も冷水につけられたのか、ひんやりした心地よさが、上下から体の内部に広がっていく。
動悸が鎮まる。目眩が消え、視界が回らなくなった。気持ち悪さも、だいぶ引いた。
「人心地ついたね?」
「……はい」
女性が、私の顔を覗き込む。
頷きたくて頭を下げたら、それでぐらりと頭が揺れた。落ち着きはしたが、まだかなり調子が悪い。
「あんた、湯船で寝るなんて、何考えてるんだい!」
びりびりと空気が震えるような強烈さで、叱られた。
「……すみません」
温かい湯の中で、水も飲まずに長時間過ごすことの危険性を、私は知っている。眠ってしまったのだとしたら、危険だった。
実際、湯船から出た時の私は完全にのぼせ、体調を崩していた。返す言葉もなく、ただ謝る。
「まあ、いいさ。あんたが無事でなにより。旦那さんも心配してたよ。優しい旦那さんだねえ」
「……はい」
「早く着替えて、行っておやり。取ってあげる。あんたのは、これだね。……鍵はかけるんだよ」
私のしまった服を、彼女は手早く見つけて取ってきてくれる。私に手渡そうと、服を広げ……そして、盛大に顔を顰めた。
「なんだい、砂だらけじゃないか! せっかく風呂に入ったのに、こんなものを着ていくのかい!」
指先で摘んで振ると、ざらざらと砂が落ちる。
「……他に、なくて」
「あたしの娘のを、貸してあげる。ほら、えーっと、これこれ。着なさい」
女性はどこかから、ひらひらと鮮やかな服を取り出した。
「いえ、そんな」
人の娘のを、勝手に着るわけにはいかない。遠慮する私の頭の上から服が被せられ、すっぽり、着てしまった。
ああ、強引。
もうこうなれば、今更返しても仕方がない。洗って返そう。
「似合うじゃないか。娘はもう、それは着ないんだよ」
「……お借りします」
洗濯してある服がさらさらと肌に触れ、爽やかさを感じる。砂だらけの服を着るより、正直言って、ずっと良かった。
「ほら、旦那さんとこへ行きな。全然出てこないって、随分心配していたから」
私は壁に手を添え、まだ少しふらつく体を支えながら、ゆっくり出口へ向かう。脱衣場を抜け、カウンターのある出入り口付近へ出た。
「……イリス! こんなに長いこと、何してたんだ!」
「なんか……お風呂で寝ちゃったみたいで」
「はあ?!」
このあと私が、ニコからも大目玉を食らったことは、言うまでもない。
ついでに、まだふらふらしていることを叱られ、宿屋まで荷物のように背負われて運ばれたことも。
……不覚。
ニコの広い背の上で揺られながら、私は反省した。
うっかり眠ったせいで、自分は恥をかいたし、銭湯の女性やニコに心配をかけた。
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