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1 砂出しの働き方改革
side:ニコ 夢かもしれない
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砂漠の中に倒れていた彼女は、あまりにも非現実的で、夢かもしれないと思った。
田舎から出てきた俺は、砂漠の中を歩くのに必要な重装備に身を包み、一歩一歩、重たい足を引きずりながら歩いていた。魔法がろくに使えない俺は、田舎では、できる仕事がなかった。家族と離れるのは辛いものがあったが、人並みに生きていくためには、仕方がない。
王都には「砂出し」という、魔法が使えない者でも働ける仕事があるという話だった。田舎を取りまとめている人に紹介状を書いてもらい、はるばるここまで歩いてきた。長い道のりだった。
水筒から水を飲む。冷たい水が、喉を通る。俺が使える魔法といったら、この水筒に、水を出すくらいのこと。他の人と比べれば大したことはないが、砂漠の旅をする上では、重要な要素だった。飲み水がないのに、砂漠は行けない。水が出せなければ、俺は王都への道のりを断念していただろう。
「暑いな……」
それにしても、暑い。だらだらと垂れる汗を拭ったとき、目の端に、鮮やかな色が映った。
これが巷で聞く、幻覚だろうか。どこを見渡しても、青い空と、黄土色の砂。気が狂いそうなほど二色で統一されたこの世界の中に、鮮やかな色合いなんて、あるはずがない。
あと少しなのに。王都につくまでに、行き倒れてしまうのだろうか。王都に向かう旅人の中には、途中で命を落とす者も、いるとは聞いていた。家族があまりにも心配するので、下調べをし、休憩もきちんと取っていたのだが……もはや、これまでか。
向かう方向にある鮮やかな色合いは、近寄るにつれ、輪郭がはっきりしてきた。人の形をしている。近寄ると、穏やかな顔で、横たわっている少女だった。
「まじかよ……」
眠ったように見える、美しい顔。呼吸を確かめたが、息はしていないようだった。こんなところで、荷物も何も持たずに、穏やかに息絶えている少女。一体彼女に、何があったのか。
このまま捨て置くのは忍びなくて、少女の肩に手を触れた。かわいそうに、華奢な肩だ。死体を触っている、という嫌悪感は、不思議となかった。駄目元で、声をかける。
「……おい。大丈夫か?」
返事はない。当たり前だ。死んでいるのだから。それでも一応、俺は強めに、肩を揺すってみる。
「……揺らさないで」
喋った! 息は、間違いなく止まっていたはずなのだが。気分悪そうに顔を顰め、少女は掠れた声で言う。
「すまない。どうしたんだ?」
ぱっと手を離して訊くと、頭が痛いの、熱がないのと、弱々しく言う。具合が悪いのに、こんなところでひとりで倒れていたのか? 絶対におかしい。嘘をついているとは思わないけれど、彼女の話に違和感を覚えていると、いきなり手を貸せと言われた。手を出すと、今度は胸を触らされる。柔らかい感触がして、俺はどきっとした。この子は一体、何を考えているのだろう。
魔法を使えと言われて、風を出したら、今までに出したことのないような暴風が吹いた。こんな魔法、俺は使ったことがない。俺の出せる風の魔法といったら、髪を乾かす程度のものなのだから。
砂漠の暑さにやられて、夢を見ているのだろうか。本当の俺は、もう死にかけているのかもしれない。
幻覚かもしれない少女は、一向に消える気配がなく、わけのわからない話をし、俺にあれこれと訊いてくる。
「倒れて、ちょっとおかしくなったのかな」
俺の発した言葉の対象は、彼女に向けてだったのか、自分自身に向けてだったのか。ともかく、成り行きで俺はこの不思議な少女と行動を共にし、同じ宿に泊まることになった。
結論から言うと、この少女ーーイリスと行動を共にすることにしたのは、俺の人生の中で、最も良い選択であった。
イリスは賢い。俺にはない、そして恐らく王都の誰にもない、魔法の知識をもっている。
イリスは優しい。知識を惜しみなく人に与えるお陰で、俺は魔法が使えるようになった。出し惜しみしても、おかしくないのに、対価も取らない。魔法が使えると、就ける仕事が変わる。人生が変わる。
イリスは謙虚だ。それだけの知識があるのに、それをひけらかさず、魔法が使えると俺を褒める。イリスがいないと、できないことだったのに。……まあ、ちょっと自慢げな顔をしているものの。
イリスは可愛い。幼い子どもの可愛さ、というわけではない。「一緒にいたい」と言ってみたり、「無理だ」と言われるとムキになったり。そういう素直な反応を見ていると、可愛いと思ってしまう。
それにしても俺は、田舎のちびたちに対しては何の甘い感情も抱かなかったのに、イリスに対しては、なぜこうも揺り動かされるのか。彼女は一応大人の仲間入りはしているようだが、まだ幼い。なりゆきで「夫婦」扱いしているが、とてもそんな年齢ではなかった。
イリスを見て感情が揺れる度、俺はそうした後ろめたさを感じていた。
「イリスって、本当に記憶喪失なの?」
ある時、つい口が滑った。イリスは記憶喪失だと主張していたし、俺はそれをわざわざ否定するつもりはなかった、のだが。イリス自身がそれを忘れたように喋りまくっていたので、つい言ってしまった。あっ、という顔で黙ったイリスを見て、これは言っちゃいけなかったんだ、とはっとする。
ごめん、という前に、イリスが話し始める。彼女の話は、死んだ体に、彼女の魂が入ったという、突拍子もないものだった。
その内容にも関心はあったが、俺をほっとさせたのは、彼女の「中身」は二十代であるという事実だった。それなら、俺と大して変わりはない。会話をしたときの違和感の無さに、彼女の早熟さなのか、俺が未熟なのか悩んでいたが、その心配はなかった。
イリスの言動に心揺れるのも、同年代の女性との、当たり前のやりとりの中のこと。それが俺をどれだけ安心させたか、イリスは気づいていないだろう。薄々感じてはいたが、鈍いのだ、彼女は。
「なんだか、毎晩悪夢を見るのよね」
「へえ、どんな?」
「大蛇に巻き付かれる夢」
この時だって、ばれたのか、とどきりとした。イリスは俺に、「一緒のベッドで寝ても構わない」と言う。それもどうかと思うけど、彼女は、あまり気にしないようだ。俺も、椅子で眠るにも限界を感じていたので、ありがたくそれを受け容れた。そこまでは良かった。
翌朝、ふと目覚めて、俺はぎょっとした。イリスを抱き枕がわりにして、眠っていたのだ。しかもイリスは細くて、柔らかくて、良い匂いがして、俺は直ぐには離せなかった。イリスが起きる前に、何とか離れたのだが。
イリスはそれからも一緒に寝ようと促すし、俺も椅子よりベッドで寝たほうが明らかに調子が良いから、その言葉に甘えていた。寝る前はきちんと気をつけをして寝ているのだが、起きるとイリスを抱き枕にしているのだ。おかげですっかり、早起きが身についた。
ついにバレて糾弾されるかと身構えたのに、俺のどぎまぎした説明にあっさりと納得し、イリスはその話題を引っ込めた。
それからもイリスは空を飛ぶ方法を俺に教えたり、砂出しの皆に魔法を使わせたりと、自由な発想で大きな変化を起こした。
イリス自身は「魔法は何でもできるんだから当然」という感じだが、俺に言わせれば、イリスのしていることは、誰にもできない特別な行為だ。
彼女と過ごすうちに、魔法に関しては饒舌で頭が切れるが、それ以外のことについては案外できないということもわかってきた。
目を離して置けないのだ。ひとりにすると、銭湯でのぼせて気絶する。ご飯に夢中になると人の話を聞いていないし、何か考えて上の空でいることも多い。
特に対人関係については、苦手意識が強いようで、ただ世間話をしているだけの俺を、やたらと褒めて頼ってくれる。
「同じ人とこんなに長い間一緒にいて、嫌にならないのも不思議だし」
その上で、こんな風に言ってくれるのだ。
俺としても、この短期間しか一緒にいない割に、イリスとの距離は、肉体的にも精神的にも近いと思う。それは、運命的にも思えるほどだ。運命なんて言い方をしたら、現実的なイリスは、相手にもしてくれないだろうけど。
「俺は結婚したいけどね」
「ああ、そうだったのね。それは、悪いことをしたわ」
話の流れで試しに言ってみた言葉は、さっと流された。相手にしていない以前に、俺の言葉の意味を履き違えているのだろう。イリスは、鈍い。それも、かなり。
せっかく夫婦を名乗っているのだから、このままなし崩し的に、本当に俺の妻になってしまえばいいのに。
田舎から出てきた俺は、砂漠の中を歩くのに必要な重装備に身を包み、一歩一歩、重たい足を引きずりながら歩いていた。魔法がろくに使えない俺は、田舎では、できる仕事がなかった。家族と離れるのは辛いものがあったが、人並みに生きていくためには、仕方がない。
王都には「砂出し」という、魔法が使えない者でも働ける仕事があるという話だった。田舎を取りまとめている人に紹介状を書いてもらい、はるばるここまで歩いてきた。長い道のりだった。
水筒から水を飲む。冷たい水が、喉を通る。俺が使える魔法といったら、この水筒に、水を出すくらいのこと。他の人と比べれば大したことはないが、砂漠の旅をする上では、重要な要素だった。飲み水がないのに、砂漠は行けない。水が出せなければ、俺は王都への道のりを断念していただろう。
「暑いな……」
それにしても、暑い。だらだらと垂れる汗を拭ったとき、目の端に、鮮やかな色が映った。
これが巷で聞く、幻覚だろうか。どこを見渡しても、青い空と、黄土色の砂。気が狂いそうなほど二色で統一されたこの世界の中に、鮮やかな色合いなんて、あるはずがない。
あと少しなのに。王都につくまでに、行き倒れてしまうのだろうか。王都に向かう旅人の中には、途中で命を落とす者も、いるとは聞いていた。家族があまりにも心配するので、下調べをし、休憩もきちんと取っていたのだが……もはや、これまでか。
向かう方向にある鮮やかな色合いは、近寄るにつれ、輪郭がはっきりしてきた。人の形をしている。近寄ると、穏やかな顔で、横たわっている少女だった。
「まじかよ……」
眠ったように見える、美しい顔。呼吸を確かめたが、息はしていないようだった。こんなところで、荷物も何も持たずに、穏やかに息絶えている少女。一体彼女に、何があったのか。
このまま捨て置くのは忍びなくて、少女の肩に手を触れた。かわいそうに、華奢な肩だ。死体を触っている、という嫌悪感は、不思議となかった。駄目元で、声をかける。
「……おい。大丈夫か?」
返事はない。当たり前だ。死んでいるのだから。それでも一応、俺は強めに、肩を揺すってみる。
「……揺らさないで」
喋った! 息は、間違いなく止まっていたはずなのだが。気分悪そうに顔を顰め、少女は掠れた声で言う。
「すまない。どうしたんだ?」
ぱっと手を離して訊くと、頭が痛いの、熱がないのと、弱々しく言う。具合が悪いのに、こんなところでひとりで倒れていたのか? 絶対におかしい。嘘をついているとは思わないけれど、彼女の話に違和感を覚えていると、いきなり手を貸せと言われた。手を出すと、今度は胸を触らされる。柔らかい感触がして、俺はどきっとした。この子は一体、何を考えているのだろう。
魔法を使えと言われて、風を出したら、今までに出したことのないような暴風が吹いた。こんな魔法、俺は使ったことがない。俺の出せる風の魔法といったら、髪を乾かす程度のものなのだから。
砂漠の暑さにやられて、夢を見ているのだろうか。本当の俺は、もう死にかけているのかもしれない。
幻覚かもしれない少女は、一向に消える気配がなく、わけのわからない話をし、俺にあれこれと訊いてくる。
「倒れて、ちょっとおかしくなったのかな」
俺の発した言葉の対象は、彼女に向けてだったのか、自分自身に向けてだったのか。ともかく、成り行きで俺はこの不思議な少女と行動を共にし、同じ宿に泊まることになった。
結論から言うと、この少女ーーイリスと行動を共にすることにしたのは、俺の人生の中で、最も良い選択であった。
イリスは賢い。俺にはない、そして恐らく王都の誰にもない、魔法の知識をもっている。
イリスは優しい。知識を惜しみなく人に与えるお陰で、俺は魔法が使えるようになった。出し惜しみしても、おかしくないのに、対価も取らない。魔法が使えると、就ける仕事が変わる。人生が変わる。
イリスは謙虚だ。それだけの知識があるのに、それをひけらかさず、魔法が使えると俺を褒める。イリスがいないと、できないことだったのに。……まあ、ちょっと自慢げな顔をしているものの。
イリスは可愛い。幼い子どもの可愛さ、というわけではない。「一緒にいたい」と言ってみたり、「無理だ」と言われるとムキになったり。そういう素直な反応を見ていると、可愛いと思ってしまう。
それにしても俺は、田舎のちびたちに対しては何の甘い感情も抱かなかったのに、イリスに対しては、なぜこうも揺り動かされるのか。彼女は一応大人の仲間入りはしているようだが、まだ幼い。なりゆきで「夫婦」扱いしているが、とてもそんな年齢ではなかった。
イリスを見て感情が揺れる度、俺はそうした後ろめたさを感じていた。
「イリスって、本当に記憶喪失なの?」
ある時、つい口が滑った。イリスは記憶喪失だと主張していたし、俺はそれをわざわざ否定するつもりはなかった、のだが。イリス自身がそれを忘れたように喋りまくっていたので、つい言ってしまった。あっ、という顔で黙ったイリスを見て、これは言っちゃいけなかったんだ、とはっとする。
ごめん、という前に、イリスが話し始める。彼女の話は、死んだ体に、彼女の魂が入ったという、突拍子もないものだった。
その内容にも関心はあったが、俺をほっとさせたのは、彼女の「中身」は二十代であるという事実だった。それなら、俺と大して変わりはない。会話をしたときの違和感の無さに、彼女の早熟さなのか、俺が未熟なのか悩んでいたが、その心配はなかった。
イリスの言動に心揺れるのも、同年代の女性との、当たり前のやりとりの中のこと。それが俺をどれだけ安心させたか、イリスは気づいていないだろう。薄々感じてはいたが、鈍いのだ、彼女は。
「なんだか、毎晩悪夢を見るのよね」
「へえ、どんな?」
「大蛇に巻き付かれる夢」
この時だって、ばれたのか、とどきりとした。イリスは俺に、「一緒のベッドで寝ても構わない」と言う。それもどうかと思うけど、彼女は、あまり気にしないようだ。俺も、椅子で眠るにも限界を感じていたので、ありがたくそれを受け容れた。そこまでは良かった。
翌朝、ふと目覚めて、俺はぎょっとした。イリスを抱き枕がわりにして、眠っていたのだ。しかもイリスは細くて、柔らかくて、良い匂いがして、俺は直ぐには離せなかった。イリスが起きる前に、何とか離れたのだが。
イリスはそれからも一緒に寝ようと促すし、俺も椅子よりベッドで寝たほうが明らかに調子が良いから、その言葉に甘えていた。寝る前はきちんと気をつけをして寝ているのだが、起きるとイリスを抱き枕にしているのだ。おかげですっかり、早起きが身についた。
ついにバレて糾弾されるかと身構えたのに、俺のどぎまぎした説明にあっさりと納得し、イリスはその話題を引っ込めた。
それからもイリスは空を飛ぶ方法を俺に教えたり、砂出しの皆に魔法を使わせたりと、自由な発想で大きな変化を起こした。
イリス自身は「魔法は何でもできるんだから当然」という感じだが、俺に言わせれば、イリスのしていることは、誰にもできない特別な行為だ。
彼女と過ごすうちに、魔法に関しては饒舌で頭が切れるが、それ以外のことについては案外できないということもわかってきた。
目を離して置けないのだ。ひとりにすると、銭湯でのぼせて気絶する。ご飯に夢中になると人の話を聞いていないし、何か考えて上の空でいることも多い。
特に対人関係については、苦手意識が強いようで、ただ世間話をしているだけの俺を、やたらと褒めて頼ってくれる。
「同じ人とこんなに長い間一緒にいて、嫌にならないのも不思議だし」
その上で、こんな風に言ってくれるのだ。
俺としても、この短期間しか一緒にいない割に、イリスとの距離は、肉体的にも精神的にも近いと思う。それは、運命的にも思えるほどだ。運命なんて言い方をしたら、現実的なイリスは、相手にもしてくれないだろうけど。
「俺は結婚したいけどね」
「ああ、そうだったのね。それは、悪いことをしたわ」
話の流れで試しに言ってみた言葉は、さっと流された。相手にしていない以前に、俺の言葉の意味を履き違えているのだろう。イリスは、鈍い。それも、かなり。
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※※※
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表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
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