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3章 気付いたシルヴァン

3-2 フィリスは知りたい

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「……ということがあったのです。一体私は、何を知らないんでしょうか」
「それをなぜ自分に聞くのですか」

 紅茶を淹れるための水を汲みに厨房へ来たグレアムを捕まえて聞くと、彼は心底嫌そうに眉を歪めた。

「シルヴァン様が一番信頼している部下の方なら、何かご存知なのではないかと思って」
「…………仕方ありませんね」

 唇の端がほんの少し緩んでいるのは気のせいだろうか。グレアムは、やれやれとでも言いたげに肩をすくめる。

「同胞……魔獣を闇に返すことで、得るものがあるでしょう」
「経験?」
「違います」
「……仲間との絆?」
「それも違います。仲間との絆? あなたは仲間との絆を得ているんですか?」
「……そういうことも、ありました」
「違いますよ。あとは自分で考えてください」
「あっ、待って!」
「魔王様をお待たせしているのです。では」

 素早く機敏な動きで出て行ってしまったグレアムを止め切れなかった。
 残されたフィリスは、難しい顔で作業台を見つめる。ボウルに入った酸味の香る透明な果汁。今日はゼリーに挑戦している。リモーネの果汁を混ぜ込んで作ると、酸っぱくて爽やかなゼリーになるらしい。

「……大丈夫ですよ、上手くできています」
「あ……はい、ありがとうございます」

 また何か失敗したのかと気を利かせてくれたディルの声かけに軽く頭を下げ、フィリスは作業に戻った。

(魔獣を討伐することで得るものなんて、何もなかったわ)

 戦場での暮らしを思い返してみても、フィリスにはぴんと来ない。魔獣を放置することで失うものはある。仲間や己の命、健康な体。魔獣を討伐すればそれを得られるという言い方も出来なくはないが……元々持っているものを「得る」と表現するのは不自然だ。「守る」と言うべきである。
 では一体、何を?
 ぼんやりしていたらゼリーを混ぜすぎ、「これではゼリーというよりは飲み物ですね」とディルに言われてしまった。シルヴァンが失敗でもいいからひと口は寄越せと言ったらしく、これも夕飯行きとなる。

(何も思い浮かばないままだわ)

 それから数日、ふと「魔獣を討伐して得られるものとは?」という疑問が頭に上るものの、答えは得られずに時間だけが経った。
 まさかシルヴァンに直接聞くわけにはいかない。隣でゼリーを食べるシルヴァンの横顔を眺めるフィリスは、そのどこかに答えがないか無意識に探していた。
 目が合う。

「安心しろ、ちゃんと美味いぞ」
「えっ、あっ……はい、ありがとうございます」

 ジュース状になってしまったゼリーへの感想だった。フィリスも出来上がった時に食べた(というか飲んだ)が、爽やかな味わいと僅かにぷるぷるした喉越しはそれはそれで美味しかった。
 コツン、と硬い音が響いたのはその時である。この音を聞くのは二度目だ。窓の外には例の如く、瘴気によってぼろぼろになった配達鳥が浮いている。

「何だ、また手紙か」

 フィリスの胸に飛び込んだ配達鳥に、シルヴァンは眉根を寄せる。

「あの男からか?」
「あの男?」
「あの……お前が、訳がわからんと評する文章を書く男だ」
「あ、リナルドですか。……そうみたいです。今日は、リナルドからだけですね」

 騎士団長アラバからの手紙が入っていないということは、魔瘴石を破壊したことによる魔獣の減少が効果を出したのだろうか。フィリスは、ひとまず安心する。

「……ただの仲間にしては、随分とまめに頼りを送ってくるのだな」
「心配してくれてるんだと思いますよ」
「心配する必要などないだろうに」
「そうなんですよね、私はここでとても良い暮らしをさせてもらってるんですけど……だから心配しなくていい、と伝える方法がないものですから」
「いや。お前はここへ来る前、自分で『愛しているから一緒に行く』と宣言したではないか」
「……はい、言いましたね」

 それが何だと言うのだろう。首を傾げるフィリスの隣に、窓を閉めたシルヴァンがどっかりと座る。スプーンでゼリーをすくって口に運びつつ、「ならば心配いらぬだろう」と付け足した。

「お前が自分の意思で来ると言っているのに、何を心配する必要がある?」
「それは……無事でいるか、とか?」
「聖女のお前を傷つけられるのは俺くらいなものだぞ。お前が自分の言葉で宣言したものを、そのリナルドとやらは信じていないのだな」
「……そう、でしょうか」
「そうとしか思えん。お前を信じるのなら、こうも連日そんな内容の手紙を寄越すはずがない」
「そんな内容の手紙?」
「……お前は知らなくて良い」

 それならば自分で読みこなそうと思うものの、開いた手紙に数行目を走らせると脳が限界を訴えてくる。

(私の言葉を信じていないから、こうして手紙を送ってくる……)

 シルヴァンに断言されると、そうかもしれないと思えてきてしまう。

「……シルヴァン様は、私の言葉を信じているんですか?」

 ふと湧いた疑問が唇に乗る。シルヴァンの持つスプーンが、ゼリーのグラスの縁に当たってカチリと鳴った。

「信じているから、今こうしているのだろう」
「ああ……そうですよね」

 今フィリスとシルヴァンが席を並べて食事をしているのは、伴侶になるからだ。彼はフィリスが言った「愛している」という言葉を信じ、行動してくれている。
 自分を慕う者に優しいシルヴァンの振る舞いは、人間であるフィリスにも適用されているのだ。

(……嘘だったなんて、言ってはいけないのよ)

 フィリスは自分に言い聞かせる。「愛している」という言葉が嘘だと認めた時が、フィリスの命の終わりであり、仲間達の命の終わりである。絶対に認めてはならない。
 わかってはいるのだ。だが、しかし。

(……申し訳なくてたまらない)

 シルヴァンの優しさを、嘘によって引き出している感覚。嘘をつき慣れないフィリスは、騙している罪悪感で胸がちりちりと焼けるようだった。

「どうした、難しい顔をして」
「いえ……無用な心配をさせることを、申し訳ないと思いまして」

 嘘をつき通すためにまた嘘をつく。シルヴァンを騙す申し訳なさに苛まれながらも、フィリスはそう返した。
 嘘だと認めることは絶対にできない。あのペンダントを渡している今、失敗はできないのだから。

「それを使って返事をしてやればいいのではないか? 送って来られるのだから、送り返せるだろう」
「できないんです。この魔導具は、相手の体の一部を入れないと届かないので」
「……リナルドとやらは、お前の体の一部を持っているのか?」
「そういえばそうですね。何でこんなに何回も手紙を寄越せるんでしょう。……あっ、髪の毛が入ってた」

 魔導具の頭部を開くと、一筋の髪が出てくる。明らかに自分のものである桃色の髪を見て、フィリスの記憶が蘇った。

「そうだ! 万が一のために、髪をくれと言われてあげたことがあります。それを使って送ってきてるんですね」
「万が一のために髪がいるのか?」
「死んだら何も残らない可能性がありますからね。埋葬のために、髪だけ取っておいたんだと思います」

 フィリスが魔獣に害される可能性はかなり低いが、全くないわけではない。失敗に失敗を重ねれば、全身食われて死ぬ末路だってあり得る。万が一の時には、髪の毛だけがその人の生きた証となってしまう場合もあるにはあるのだ。
 シルヴァンの力を目の当たりにした以上、その未来もあり得たと言うほかない。シルヴァンによって消し飛ばされた後の世界では、フィリスの存在を残すものは髪しかなかっただろう。

「私はリナルドの髪なんて持ってないので……それに、魔石も足りないと思います。こっちに飛んでくるので、それなりに消費していると思いますから」

 家族などが送ってきた配達鳥を騎士達が送り返せるのは、そこが戦場であり、魔獣の残した魔石をたくさん手に入れられるからだ。その一部を配達鳥に入れ、手紙を送り返すことは認められた行為である。

(魔石を、たくさん手に入れられる……?)

「あっ」
「どうした?」
「いや、何でもありません」

 魔獣を倒したら、魔石が得られる。グレアムの出した質問の形にぴたりと当てはまる答えに、つい声が出てしまった。
 シルヴァンにいきなり言ってもし間違っていたら、また「何も知らないのだな」と言われて心を閉ざされる。話しかけてもまともな答えを得られないあの時間は、胃が痛くなりそうに苦痛なのだ。まずグレアムに確認しようとフィリスは決め、その場を誤魔化す。

***

「魔獣を倒したら、魔石を得られます」
「何ですか、突然」
「先日の質問の答えです」

 水汲みに来たグレアムを例の如く捕まえて話しかけると、彼はあからさまに溜息をつく。

(シルヴァン様に無視されるよりは心が痛まないわ)

 そのわかりやすい態度が、かえってありがたい。「合ってますか?」と迫ると、グレアムは渋々といった顔つきで頷いた。

「合っていますよ」
「ああ、良かった……!」
「わかったのなら、戦いを終えるなどという馬鹿げた発言はもうしませんね」
「……? なぜです?」
「わからないのですか?」

 わからない。きょとんとするフィリスのあまりにも澄んだ眼差しに、グレアムは深々とため息をついた。

「魔王様の言うとおりですね、あなたは素直すぎる。そのままでは、何も知らないのと同じですよ。もう少し考えたほうが良いでしょう」

 そう言い放ち、グレアムは背を向ける。ぬか喜びしたぶんショックが大きく、呼び止められないままにその背中を見送ることとなった。厨房から出ようとしたグレアムが、はたと足を止めた。

「魔王様?! どうされたのですか」
「お前が遅いから様子を見に来たのだ」
「も、申し訳ありません。水汲みに少々時間がかかりまして」
「……やはりフィリスと話していたのだな」

 扉の向こうから顔を出したのはシルヴァンであった。フィリスと、グレアムの顔を交互に見比べる。

「ディルの目があるから大したことはできないだろうとは思うが……一体何を話していた?」
「相談に乗ってもらっていただけです」
「何の相談だ?」
「それはちょっと……シルヴァン様には……」
「ああっ、この馬鹿娘、誤解を招くような言い方を!」
「馬鹿娘だと?」
「申し訳ありません魔王様、ただ、人魔戦争の起こりについて知りたいと言うので触りを教えていただけなのです」

 シルヴァンとフィリスの間で、グレアムだけが焦った様子を見せる。彼の言葉を聞き、シルヴァンは眉間の皺をいっそう深めた。

「そんなもの、俺に聞けばよかろう」
「魔王様はお忙しいですから、自分で良ければお伝えしようと考えた次第でして」
「俺からフィリスを遠ざけたのか?」
「いえっ、そういう意図では決して……!」
「ははっ」

 シルヴァンの乾いた笑いが厨房に響き、いつもは賑やかな空間がしーんとなる。

(笑ったわ……)

 シルヴァンが笑うなんて珍しい。周囲を黙らせるその笑顔は、楽しげな様子とは裏腹に妙な威圧を感じるものだった。

「冗談だ、グレアム。帰るぞ」
「じょ、冗談……」

 魂の抜けたような様子のグレアムは、呆然とした足取りでシルヴァンに続く。ぱたんと扉が閉じ、厨房に残った者は皆息を小さく吐き出して緊張を解いた。

「冗談など、お言いになる方ではありませんがねえ……」

 のんきに呟くディルの声で、やっと皆に笑顔が戻ったのだった。
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