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騎士団は魔女を放さない
ニーナの置かれた現実
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「あんた、何て顔してるのさ! 真っ赤じゃないか! もういいから早く座って、水を飲みなさい!」
食堂に入るなりアテリアに言われ、入り口側の席に座らされる。自覚がなかったが、顔に出るほどのぼせていたらしい。
目の前に、水の入ったコップを2つ置かれる。机の横で腕を組んだアテリアが、「すぐに飲みなさい!」と言う。
「……美味しい」
水はすーっと喉の奥に落ち、あっという間に1杯なくなった。火照った体に、生温い水は甘露のように染み込む。2杯目もすぐなくなり、空っぽのコップをアテリアが回収する。
「食事を持ってくるからね。全く、いくら寒いからって、湯に浸かり過ぎだ」
怒りながら去るアテリアの丸い背中を見送る。厨房に入ろうとしたアテリアの背が、びりりと震えた。
「あんたたち! なんて顔してるんだい!」
誰のことかは容易に推測がついた。エルートの言葉にショックを受けた私は、先に湯を出て着替えを済ませたはずだ。今頃やってくる人は他にいない。時間差と、何よりも、この花の匂い。
「いやあ、つい入りすぎちゃって」
「揃いも揃って! 早く座りなさいよ!」
アテリアにどやされ、苦笑した騎士たちが入ってくる。湯上がりだから、いつもより楽な服装だ。二の腕やふくらはぎが露わになる格好に、私の目は、思わずエルートの太い腕に吸い込まれる。向かいに座って水を飲む彼の、コップを持ち上げる仕草に合わせて、筋肉がぐぐっと動く。
見惚れたら失礼だ。慌てて視線を引き剥がし、彼の顔を見上げた。
「それにしても、真っ赤だな」
差し伸べられたエルートの手が、そのまま額に触れる。コップを触ったせいか、ひんやりとした感触だ。目を瞑ると、余計に心地良く感じられた。
エルートが変なタイミングで咳払いをしたので、私は目を開けた。視界の端から、野苺に似た甘酸っぱい匂いと共にアテリアがやって来て、目の前にどん! と皿を置く。
「肉を大盛りにしといたからね! たくさん食べて、精をつけなさい!」
皿に盛られた肉は、宣言通り、いつもより多く見える。
「……凄いな」
エルートが顔を引きつらせているから、見間違いではないだろう。私も、頬がぴくりと引きつった。いつも食べ切れないのに、この量はあまりにも多い。
アテリアの味付けは美味しいのだけれど、こう同じ味が続くと飽きてしまう。私は、先ほど部屋に戻って時に掴んできた薬草を、ポケットから出した。細かく砕いて肉に振りかけると、爽やかな酸味が加わって、新鮮な味わいが楽しめる。
「それは?」
「薬草です。風味が変わって、ずっと美味しく食べられるので」
「俺のにもかけてくれ」
残りの薬草を振りかけると、エルートは「うまい」と頬を綻ばせた。
胸が跳ねる。彼が喜んだことが嬉しくて、そしてすぐ、浮かれた自分を責めたい気持ちになった。
「それ何?」
「薬草です」
隣のテーブルから覗き込んできたレガットに答えると、彼はあからさまに顔を顰めた。
「薬草なんて食べ物じゃないよ、魔女さんってやっぱり下手物喰いなんだね。蛙とか食べんの?」
「止めろレガット、食事時に」
レガットの言葉を聞いたアイネンが、不快そうに眉根をひそめる。
「よく食べられるな」
「旨いぞ。試しにどうだ」
「断る。魔女の薬草なんて食えるか」
アイネンの物言いは、相変わらず手厳しい。
私の用意する薬草は、怪しいものに見えるのか。彼らのやりとりでそう気付き、私ははっとした。「魔女の薬草」なんて、騎士の誰も求めていない。
一般的に薬草は、病や怪我など、特別な状況下で使用する不味いものだ。しかし本当は、常食にしても良いほどの魅力がある。だから、他人にその良さが伝わると嬉しい。アテリアに褒めてもらったり、エルートに喜ばれたりしたことに浮かれ、他の人にも良さを知ってほしいと思い上がっていた。
危ないところだった。誰も求めていない薬草を提供したところで、見向きもされず、悲しい思いをするのは私だった。
求められていないことを、わざわざしてはいけない。母の教えを破ったら、悲しい目に遭うのは自分だ。失敗する前に気付くことができて良かったと、内心、ほっとする。
「いくらなんでも薬草は……あ、でも魔女さんのご飯なら美味しいかもね。良い奥さんになりそうだし」
レガットは思い出したように表情を一変させ、先ほどの発言を取り繕う。
レガットの発言の意図はもう知っているから、甘い言葉にも戸惑わない。付け焼き刃の甘い言葉で、私の気を惹こうとしているのだ。
彼は私の「魔法」が騎士団で重用されると期待しているらしい。そんなの、希望的観測も甚だしい。私が魔獣を探せるのは魔法なんかではなく、鼻が良いだけ。レガットが求めるものは、本当は私にはない。
私はレガットの甘い台詞を、適当に笑っていなす。求めるものがわかっていれば、対応も容易い。彼が求めるものは持ち合わせていないのだから、応えることもできない。
「慎め、レガット」
「はいはい、すいませんって」
レガットは軽く笑って受け流す。
「それより魔女さん、暫くは僕も暇だから、良かったら王都を案内するよ。エルートとデートなんて、しないだろ?」
身を乗り出して話しかけてくるレガットの言い方は、いやに演技がかっている。緑の瞳がきらりと光り、甘く蕩ける笑顔を浮かべる。彼の意図を知らなければ、きっと動揺していた。そう思うくらいには、完成された微笑だ。
「お前が暇なら、俺も暇なんだ。どうしてニーナが俺を差し置いて、お前と出かけるんだよ」
「いやあ、それは、ね?」
レガットは片目をぱちりと瞑り、お決まりのウィンクで私に合図を送る。ね、と言われても何もない。私は緩々と首を左右に振った。応える代わりに、質問を投げかける。
「どうして暇になるんですか?」
「雨の季節だから、討伐が減る。雨の日は地面がぬかるんで危険が大きいから、余程緊急の事態でない限り、雨が止んだ後に出向くのが恒例なんだ」
エルートの説明に、私は頷いた。
前回はレガットが、今回はアイネンが、軽い怪我ではあるが負傷している。団長ガムリの旧友や、エルートの両親は、魔獣によって命を落としている。アイネンが魔獣の牙を盾で受け止めた一連の動作も、雨が降って全てが濡れていたら、さらに酷い展開になったかもしれない。
肉食の魔獣を相手取ったやりとりは、歴戦の騎士でも油断は禁物だ。環境が悪いなら、尚更であろう。
「草食魔獣で手が出しにくい奴を、討伐しに行くことも多いよね」
「ああ、特に我々は。そうした状況下での討伐は、エルートの得意分野だからな」
自分の名が出ているというのに、レガットとアイネンの会話に、エルートは興味がなさそうだ。彼はがぶりと大きな口を開け、肉を食べる。エルートが加わらない会話に長々と入り込む必要もないので、私は意識を肉に向けた。
元々のソースの美味しさと、薬草の風味のおかげで食が進み、大盛りの肉も完食することができた。エルートは2枚の皿を重ね、席を立つ。
皿を持つときに二の腕の筋肉が動いたのを、また見てしまった。普段は見えないその肉体は、見た目以上に屈強だ。彼を追って歩く私は、真っ直ぐ立つ彼の背筋にまた見惚れてしまう。
この完成された肉体は、目の毒だ。目を逸らすと、食器が重なった下膳棚の向こうで、にかっと笑うアテリアが見えた。
食堂を出ると、廊下は静謐な空気に満たされている。窓の外から雨音だけが聞こえる。まだ暫くは、雨の日が続くだろう。緑盛る季節から木枯れる季節に変わるときの雨は、長く、冷たく、静かだ。
「明日も、朝はアテリアを手伝うつもりか」
「はい、特にお呼び出しがなければ」
扉の外でエルートに問われ、私はそう答えた。アテリアは、私の助力を純粋に喜んでくれる。鼻以外の私が役に立てることは珍しいから、食堂の手伝いは楽しい。
エルートは顎を撫でて考える仕草をした。それから、口を開く。
「では、昼過ぎに馬車を呼んでおこう」
「馬車ですか?」
「ああ。人目につくから王都の案内はできないが、俺の気に入りの場所を紹介するくらいはできる」
王都の案内。どうやらエルートの提案は、先程のレガットの誘いと繋がっているらしい。
「カプンへ出かけてもいいが、あの距離を移動するのに、この雨では濡れて体が冷えてしまうだろう。雨に濡れたばかりだから、無理は良くない」
「ありがとうございます。そんなに頻繁に戻らなくても大丈夫です。お気遣いなく、休みの日は適当に過ごせますから」
命を大事にするエルートは、雨の中の討伐は危険だから、行きたくないのだろう。その本心をうまく隠し、カプンに向かわない理由付けをしてくれる。
ひとりでできる趣味は、いろいろある。私が言うと、エルートは首を横に振った。
「気遣いはしていない。俺と君が、雨の時期で暇なのに、どこへも行かないなんておかしいだろう。それだけだ」
恋仲の体裁を整えるために、エルートは貴重な休日まで、私のために使おうとしている。
「そんなこと……」
本当は私のお出かけなんて求めていないだろうに、申し訳ない。弱い声で丁重に断ろうとしたとき、食堂の扉が開いた。
「うわ。何でまだここにいるの?」
中からは、レガット達が登場する、私は、断り文句を飲み込むしかなかった。そのまま解散し、流れに任せて各々、自室に向かう。
明日はとりあえず、出かけるしかない。覚悟を決めて、私は床につく。
寝転ぶと、甘くほのかな香りが鼻をくすぐる。ベッドの枕元には、白い花をかけてある。エルートと初めて出会った広場で摘んだ、あの白い花。目を閉じると、気持ちが花咲く季節に戻っていくようだ。
エルートの言葉で胸が痛むようになったのは、いつからだろうか。少なくとも初めは、彼に無視されたとしても、「母の教えを破ったからだ」という反省しかしなかった。エルートは私に興味がないのだと思い知らされる度に、どうして胸がちくりと痛むのだろう。
ずっと目を逸らしていた問題から、目を閉じたら、もう逃れられなくなった。
好きだという言葉に、胸が跳ねた。それが自分のことを指していなくても。それが、嘘だとわかっていても。レガットのように、私の能力に明らかな興味を示してくれた方が、わかりやすくて楽かもしれない。
恋仲を取り繕って貰うたびに、私は心のどこかで嬉しくなってしまう。エルートは、私個人に何の興味もないのに。彼の興味は魔獣にあり、私はそのために役立つ道具でしかない。
最初から、ずっとそうだ。わかっているのに、いつからか、胸がちくりと痛む。
感情に決着を付けられず、もやもやとしたものを抱えたまま、気づけば私は眠りの世界に落ちていた。漂う野苺の匂いに目を覚ますと、辺りはもう朝だった。
朝と言っても、かなり薄暗い。厚い雨雲が垂れ込め、雨が降るから、日の光があまりないのだ。
寝入りが良くなかったせいで、頭がぽやぽやしている。強引に起き上がると、支度をするアテリアと目が合った。
「いいのかい? 昨日あれだけ雨に打たれたら、疲れただろう」
「大丈夫です。手伝わせてください」
この妙な疲弊感は、昨日雨に打たれたのが原因か。別に、エルートとの関係に悩んだせいではない。そう判断し、私はアテリアと共に食堂へ向かう。
朝食の準備で忙しくしていると、余計な悩みは全て忘れられる。ただ、目の前にある皿を洗い、拭き、盛り、運ぶ。額から汗を流して動いていると、もやもやが晴れ、さっぱりした気分になった。
「助かるよ、ニーナ。仕事を覚えてきたから、指示もいらなくなったねえ」
額の汗を拭きながら言うアテリアは、どこか満足げだ。
「ありがとうございます」
この厨房は、鼻ではなくて、私自身が役に立てる場だ。それが嬉しくて礼を言うと、アテリアは「それはこっちの台詞だね」と豪快に笑った。
「雨だから、討伐もないだろう? 予定は何かあるのかい」
雨の日に討伐がないのは、騎士団では共通認識のようだ。予定ならある。断りきれなかった予定が。
「エルートさんと出かける予定です」
「そうかい! それは良かったねえ!」
答えると大袈裟に言われ、私は苦笑いする。良かった、なんてことはない。申し訳なさが募るばかりだ。エルートの貴重な休日を、私との体裁のために浪費させるなんて。
「あんた、彼といるときは本当に幸せそうだもんねえ」
「え……」
意外な言葉に、思考が止まった。表情が強張る私をよそに、アテリアはふくふくとした笑顔で、言葉を続ける。
「今だってそうだ。彼の話になった途端、そんな顔してさ」
そんな顔。私は頬に触れる。強張っているとしか思えない私の表情は、今どんな形になっているのだろうか。
「若いっていいねえ。恋する若者の顔は、見るとこっちまで元気が出るよ」
恋という言葉が、頭の中でこだまのように行き来する。
目を逸らしていた感情を、ひと言で言い当てられてしまった。
恋。恋なのだ。
エルートへの気持ちは。目を背けていた感情は。私の胸の痛みは。もやもやは。
いつからなんて、わからない。でも、渦巻くこの思いは、確かに。
一度指摘されると、もう無視できなかった。そう、私の抱く感情は、恋と呼ぶべしものなのだ。
私は彼に恋をしている。だけど彼には、私への興味なんて微塵もない。
それが、私の置かれた現実だった。
食堂に入るなりアテリアに言われ、入り口側の席に座らされる。自覚がなかったが、顔に出るほどのぼせていたらしい。
目の前に、水の入ったコップを2つ置かれる。机の横で腕を組んだアテリアが、「すぐに飲みなさい!」と言う。
「……美味しい」
水はすーっと喉の奥に落ち、あっという間に1杯なくなった。火照った体に、生温い水は甘露のように染み込む。2杯目もすぐなくなり、空っぽのコップをアテリアが回収する。
「食事を持ってくるからね。全く、いくら寒いからって、湯に浸かり過ぎだ」
怒りながら去るアテリアの丸い背中を見送る。厨房に入ろうとしたアテリアの背が、びりりと震えた。
「あんたたち! なんて顔してるんだい!」
誰のことかは容易に推測がついた。エルートの言葉にショックを受けた私は、先に湯を出て着替えを済ませたはずだ。今頃やってくる人は他にいない。時間差と、何よりも、この花の匂い。
「いやあ、つい入りすぎちゃって」
「揃いも揃って! 早く座りなさいよ!」
アテリアにどやされ、苦笑した騎士たちが入ってくる。湯上がりだから、いつもより楽な服装だ。二の腕やふくらはぎが露わになる格好に、私の目は、思わずエルートの太い腕に吸い込まれる。向かいに座って水を飲む彼の、コップを持ち上げる仕草に合わせて、筋肉がぐぐっと動く。
見惚れたら失礼だ。慌てて視線を引き剥がし、彼の顔を見上げた。
「それにしても、真っ赤だな」
差し伸べられたエルートの手が、そのまま額に触れる。コップを触ったせいか、ひんやりとした感触だ。目を瞑ると、余計に心地良く感じられた。
エルートが変なタイミングで咳払いをしたので、私は目を開けた。視界の端から、野苺に似た甘酸っぱい匂いと共にアテリアがやって来て、目の前にどん! と皿を置く。
「肉を大盛りにしといたからね! たくさん食べて、精をつけなさい!」
皿に盛られた肉は、宣言通り、いつもより多く見える。
「……凄いな」
エルートが顔を引きつらせているから、見間違いではないだろう。私も、頬がぴくりと引きつった。いつも食べ切れないのに、この量はあまりにも多い。
アテリアの味付けは美味しいのだけれど、こう同じ味が続くと飽きてしまう。私は、先ほど部屋に戻って時に掴んできた薬草を、ポケットから出した。細かく砕いて肉に振りかけると、爽やかな酸味が加わって、新鮮な味わいが楽しめる。
「それは?」
「薬草です。風味が変わって、ずっと美味しく食べられるので」
「俺のにもかけてくれ」
残りの薬草を振りかけると、エルートは「うまい」と頬を綻ばせた。
胸が跳ねる。彼が喜んだことが嬉しくて、そしてすぐ、浮かれた自分を責めたい気持ちになった。
「それ何?」
「薬草です」
隣のテーブルから覗き込んできたレガットに答えると、彼はあからさまに顔を顰めた。
「薬草なんて食べ物じゃないよ、魔女さんってやっぱり下手物喰いなんだね。蛙とか食べんの?」
「止めろレガット、食事時に」
レガットの言葉を聞いたアイネンが、不快そうに眉根をひそめる。
「よく食べられるな」
「旨いぞ。試しにどうだ」
「断る。魔女の薬草なんて食えるか」
アイネンの物言いは、相変わらず手厳しい。
私の用意する薬草は、怪しいものに見えるのか。彼らのやりとりでそう気付き、私ははっとした。「魔女の薬草」なんて、騎士の誰も求めていない。
一般的に薬草は、病や怪我など、特別な状況下で使用する不味いものだ。しかし本当は、常食にしても良いほどの魅力がある。だから、他人にその良さが伝わると嬉しい。アテリアに褒めてもらったり、エルートに喜ばれたりしたことに浮かれ、他の人にも良さを知ってほしいと思い上がっていた。
危ないところだった。誰も求めていない薬草を提供したところで、見向きもされず、悲しい思いをするのは私だった。
求められていないことを、わざわざしてはいけない。母の教えを破ったら、悲しい目に遭うのは自分だ。失敗する前に気付くことができて良かったと、内心、ほっとする。
「いくらなんでも薬草は……あ、でも魔女さんのご飯なら美味しいかもね。良い奥さんになりそうだし」
レガットは思い出したように表情を一変させ、先ほどの発言を取り繕う。
レガットの発言の意図はもう知っているから、甘い言葉にも戸惑わない。付け焼き刃の甘い言葉で、私の気を惹こうとしているのだ。
彼は私の「魔法」が騎士団で重用されると期待しているらしい。そんなの、希望的観測も甚だしい。私が魔獣を探せるのは魔法なんかではなく、鼻が良いだけ。レガットが求めるものは、本当は私にはない。
私はレガットの甘い台詞を、適当に笑っていなす。求めるものがわかっていれば、対応も容易い。彼が求めるものは持ち合わせていないのだから、応えることもできない。
「慎め、レガット」
「はいはい、すいませんって」
レガットは軽く笑って受け流す。
「それより魔女さん、暫くは僕も暇だから、良かったら王都を案内するよ。エルートとデートなんて、しないだろ?」
身を乗り出して話しかけてくるレガットの言い方は、いやに演技がかっている。緑の瞳がきらりと光り、甘く蕩ける笑顔を浮かべる。彼の意図を知らなければ、きっと動揺していた。そう思うくらいには、完成された微笑だ。
「お前が暇なら、俺も暇なんだ。どうしてニーナが俺を差し置いて、お前と出かけるんだよ」
「いやあ、それは、ね?」
レガットは片目をぱちりと瞑り、お決まりのウィンクで私に合図を送る。ね、と言われても何もない。私は緩々と首を左右に振った。応える代わりに、質問を投げかける。
「どうして暇になるんですか?」
「雨の季節だから、討伐が減る。雨の日は地面がぬかるんで危険が大きいから、余程緊急の事態でない限り、雨が止んだ後に出向くのが恒例なんだ」
エルートの説明に、私は頷いた。
前回はレガットが、今回はアイネンが、軽い怪我ではあるが負傷している。団長ガムリの旧友や、エルートの両親は、魔獣によって命を落としている。アイネンが魔獣の牙を盾で受け止めた一連の動作も、雨が降って全てが濡れていたら、さらに酷い展開になったかもしれない。
肉食の魔獣を相手取ったやりとりは、歴戦の騎士でも油断は禁物だ。環境が悪いなら、尚更であろう。
「草食魔獣で手が出しにくい奴を、討伐しに行くことも多いよね」
「ああ、特に我々は。そうした状況下での討伐は、エルートの得意分野だからな」
自分の名が出ているというのに、レガットとアイネンの会話に、エルートは興味がなさそうだ。彼はがぶりと大きな口を開け、肉を食べる。エルートが加わらない会話に長々と入り込む必要もないので、私は意識を肉に向けた。
元々のソースの美味しさと、薬草の風味のおかげで食が進み、大盛りの肉も完食することができた。エルートは2枚の皿を重ね、席を立つ。
皿を持つときに二の腕の筋肉が動いたのを、また見てしまった。普段は見えないその肉体は、見た目以上に屈強だ。彼を追って歩く私は、真っ直ぐ立つ彼の背筋にまた見惚れてしまう。
この完成された肉体は、目の毒だ。目を逸らすと、食器が重なった下膳棚の向こうで、にかっと笑うアテリアが見えた。
食堂を出ると、廊下は静謐な空気に満たされている。窓の外から雨音だけが聞こえる。まだ暫くは、雨の日が続くだろう。緑盛る季節から木枯れる季節に変わるときの雨は、長く、冷たく、静かだ。
「明日も、朝はアテリアを手伝うつもりか」
「はい、特にお呼び出しがなければ」
扉の外でエルートに問われ、私はそう答えた。アテリアは、私の助力を純粋に喜んでくれる。鼻以外の私が役に立てることは珍しいから、食堂の手伝いは楽しい。
エルートは顎を撫でて考える仕草をした。それから、口を開く。
「では、昼過ぎに馬車を呼んでおこう」
「馬車ですか?」
「ああ。人目につくから王都の案内はできないが、俺の気に入りの場所を紹介するくらいはできる」
王都の案内。どうやらエルートの提案は、先程のレガットの誘いと繋がっているらしい。
「カプンへ出かけてもいいが、あの距離を移動するのに、この雨では濡れて体が冷えてしまうだろう。雨に濡れたばかりだから、無理は良くない」
「ありがとうございます。そんなに頻繁に戻らなくても大丈夫です。お気遣いなく、休みの日は適当に過ごせますから」
命を大事にするエルートは、雨の中の討伐は危険だから、行きたくないのだろう。その本心をうまく隠し、カプンに向かわない理由付けをしてくれる。
ひとりでできる趣味は、いろいろある。私が言うと、エルートは首を横に振った。
「気遣いはしていない。俺と君が、雨の時期で暇なのに、どこへも行かないなんておかしいだろう。それだけだ」
恋仲の体裁を整えるために、エルートは貴重な休日まで、私のために使おうとしている。
「そんなこと……」
本当は私のお出かけなんて求めていないだろうに、申し訳ない。弱い声で丁重に断ろうとしたとき、食堂の扉が開いた。
「うわ。何でまだここにいるの?」
中からは、レガット達が登場する、私は、断り文句を飲み込むしかなかった。そのまま解散し、流れに任せて各々、自室に向かう。
明日はとりあえず、出かけるしかない。覚悟を決めて、私は床につく。
寝転ぶと、甘くほのかな香りが鼻をくすぐる。ベッドの枕元には、白い花をかけてある。エルートと初めて出会った広場で摘んだ、あの白い花。目を閉じると、気持ちが花咲く季節に戻っていくようだ。
エルートの言葉で胸が痛むようになったのは、いつからだろうか。少なくとも初めは、彼に無視されたとしても、「母の教えを破ったからだ」という反省しかしなかった。エルートは私に興味がないのだと思い知らされる度に、どうして胸がちくりと痛むのだろう。
ずっと目を逸らしていた問題から、目を閉じたら、もう逃れられなくなった。
好きだという言葉に、胸が跳ねた。それが自分のことを指していなくても。それが、嘘だとわかっていても。レガットのように、私の能力に明らかな興味を示してくれた方が、わかりやすくて楽かもしれない。
恋仲を取り繕って貰うたびに、私は心のどこかで嬉しくなってしまう。エルートは、私個人に何の興味もないのに。彼の興味は魔獣にあり、私はそのために役立つ道具でしかない。
最初から、ずっとそうだ。わかっているのに、いつからか、胸がちくりと痛む。
感情に決着を付けられず、もやもやとしたものを抱えたまま、気づけば私は眠りの世界に落ちていた。漂う野苺の匂いに目を覚ますと、辺りはもう朝だった。
朝と言っても、かなり薄暗い。厚い雨雲が垂れ込め、雨が降るから、日の光があまりないのだ。
寝入りが良くなかったせいで、頭がぽやぽやしている。強引に起き上がると、支度をするアテリアと目が合った。
「いいのかい? 昨日あれだけ雨に打たれたら、疲れただろう」
「大丈夫です。手伝わせてください」
この妙な疲弊感は、昨日雨に打たれたのが原因か。別に、エルートとの関係に悩んだせいではない。そう判断し、私はアテリアと共に食堂へ向かう。
朝食の準備で忙しくしていると、余計な悩みは全て忘れられる。ただ、目の前にある皿を洗い、拭き、盛り、運ぶ。額から汗を流して動いていると、もやもやが晴れ、さっぱりした気分になった。
「助かるよ、ニーナ。仕事を覚えてきたから、指示もいらなくなったねえ」
額の汗を拭きながら言うアテリアは、どこか満足げだ。
「ありがとうございます」
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「雨だから、討伐もないだろう? 予定は何かあるのかい」
雨の日に討伐がないのは、騎士団では共通認識のようだ。予定ならある。断りきれなかった予定が。
「エルートさんと出かける予定です」
「そうかい! それは良かったねえ!」
答えると大袈裟に言われ、私は苦笑いする。良かった、なんてことはない。申し訳なさが募るばかりだ。エルートの貴重な休日を、私との体裁のために浪費させるなんて。
「あんた、彼といるときは本当に幸せそうだもんねえ」
「え……」
意外な言葉に、思考が止まった。表情が強張る私をよそに、アテリアはふくふくとした笑顔で、言葉を続ける。
「今だってそうだ。彼の話になった途端、そんな顔してさ」
そんな顔。私は頬に触れる。強張っているとしか思えない私の表情は、今どんな形になっているのだろうか。
「若いっていいねえ。恋する若者の顔は、見るとこっちまで元気が出るよ」
恋という言葉が、頭の中でこだまのように行き来する。
目を逸らしていた感情を、ひと言で言い当てられてしまった。
恋。恋なのだ。
エルートへの気持ちは。目を背けていた感情は。私の胸の痛みは。もやもやは。
いつからなんて、わからない。でも、渦巻くこの思いは、確かに。
一度指摘されると、もう無視できなかった。そう、私の抱く感情は、恋と呼ぶべしものなのだ。
私は彼に恋をしている。だけど彼には、私への興味なんて微塵もない。
それが、私の置かれた現実だった。
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