うちのポチがすみません。

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後輩オオカミくんの話6

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「ポチ、ケンくん」
 未だに放心状態で立ち尽くす二匹のオオカミ達に声を掛ける。
「お風呂、はいろっか?」
 返事の代わりに2本の尻尾が揺れた。

 それにしても、それにしてもだ。本当にこんな事をして良かったのだろうか。つい勢いに流されて、ケンくんとも身体を重ねてしまった。これは浮気になるのだろうか、いやポチも一緒だったから浮気にはならないのか。それでも、こういった関係は良くないだろう。ああいう事は恋人同士がするものであって……。
「あのさ」
 獣人にも対応可能な、人間一人で入るには広すぎる浴槽に声が響く。広いとは言っても、三人も入ればかなり狭いのではあるけれど。普段は風呂に入るのは嫌がるくせに、ケンくんの手前か、臭いと言われたせいなのか、珍しくボディーソープで全身を泡立たせているポチが振り向いた。
「なんだよ?」
 ケンくんは浴室の隅の方で遠慮気味に身体を洗っている。
「いや、なんというかさ、さっきみたいなのは」
 どう言ったものか。もうやめておこう? 無かったことにしよう? 言葉がまとまらない。
「んだよ、もうヤリたくなったのか?」
 下卑た笑顔を作るオオカミの頭にチョップをくらわす。
「そうじゃなくて。ああいうのはさ、ちょっと普通じゃないというか。」
 直接的な表現を用いるのははばかられる。歯切れの悪い言葉。
「イヤか?」
 ポチは浴室内をねめつけてから、言葉を吐いた。どちらに対する問いかけなのか、あるいは両方なのか。
「なあ、イヤか?」
 繰り返される言葉。裏にある感情が読み取れない。
「あ、の、僕は」
 僕が答えあぐねていると、ケンくんがおずおずと沈黙を破る。
「もし、お二人が良ければ、また……あ、ご、ごめんなさい……」
 耳を伏せながら上目遣いに慎重に言葉を滑り込ませる。
「ならいいじゃねぇか。」
 そう言って、また黙々と身体を洗い始める。
 時々、ポチのこうしたところが理解しがたい。感性が違うというか。種族の、というよりはポチ自身の考え方が変わっているのかもしれない。僕はポチの事が好きで、大切に思っているし、愛しているから身体で愛を交わしたい。ケンくんの事は、良い後輩だとは思うし、仕事抜きでもいい子だとは思う。ちょっと遠慮しすぎの節があるから、もう少し自己主張はして欲しいけれど。それで、ケンくんは僕の事が好きで、でも僕にはポチが居て、なのにポチはこんな事を言うし。
「なあケン、ほら見てみろよ、モヒカン!」
 僕が思考の渦の中で揉まれているうちに、ポチは泡立てた頭の毛をトサカのように逆立てて得意げな顔で笑いかける。能天気というかバカというか。ケンくん苦笑いしてるぞ。
「じゃ、じゃあ僕も」
 そう言ってケンくんもトサカを作ってみせる。浴室の壁に反射する二匹のハイエナもといオオカミの声を聞いていると、なんだか難しく考えていたのがバカらしくなってきた。結論は今出さなくても、ゆっくりと考えればいいや。
「ケンくん、泡流して一緒に湯舟入ろうか。」
 すぐさま抗議の声があがり、急いで身体を洗い流したオオカミが先んじて湯舟に潜り込む。さすがに三人入れる大きさじゃないだろう。
 それでもオオカミ達の熱い要望に応えて、身を縮めて折り重なるようにして入った湯舟からは、殆どの体積の湯が失われてしまっていた。今度は銭湯にでも行きたいな。

 二匹のオオカミ達がドライヤーで身体を乾かしている間に、僕は寝床の準備をする。大き目のベッドとはいえ全員で寝るのは難しい。となると、誰かはソファーで寝るしか無いのだが、ケンくんを追いやる訳にもいかないし、ここは僕かポチが譲るしか無いだろう。まあ、ポチにお願いしてもまたギャンギャンうるさいだろうから必然的に僕がソファーで寝る羽目になるのだけれど。
「ケンくん、悪いけどポチとベッドで寝てね。ちょっと匂うと思うけど。」
 頬を膨らませたポチが、別に臭くねぇし、と文句を言ってみせる。
「いえ、僕は床でも寝られますし、悪いですよ……」
 だからといって、はいそうですかと言える訳もなく。固辞するケンくんを諫めてなんとかベッドにと押し問答を続けていると、ポチが苛立ちながら僕たちの間に割り込んだ。
「いいから! ねる! みんなで!」
 日本語を覚えたての外国人のような片言で、強引にベッドへと引きずりこまれる。いや狭いでしょ明らかに。
「電気も消すからなっ!」
 辺りが暗闇に包まれる。まあ、いいか。諦めの境地でひしめき合うように身を寄せて目を閉じる。それぞれがベストポジションを探してもぞもぞと身体を動かし終わると、僕はベッドの上に大の字に張り付けになり、右手にはオオカミ、左手にもオオカミという極めて贅沢な体勢になっていた。二匹して毛皮を僕の身体に擦り付けながら、半分寝ぼけた鼻声をあげる。
 いつもより倍以上の温もりに包まれながら、夢の中におちていった。


「おはようございまーす。」
 普段よりは一オクターヴ以上は低い声で会社のドアをくぐる。
 僕の顔を見るなり同僚がぎょっとして、体調でも悪いのかと心配げに声を掛けてくれた。僕は手のひらをひらひらと振りながら、別に大丈夫だからと力なく答えた。
 昨日、二匹に抱き着かれて寝返りもままならない体勢で、冬だというのに暑苦しさで寝不足もいいところだ。こんな事ならソファーで寝ればよかったと、そっと抜け出そうとしても両側をホールドされている上に、むにゃむにゃと寝言を言いながら幸せそうな顔をしている二匹を見ていると、起こしてしまうのも可哀想でひたすらに甘い拷問に耐え続けていた。
「すみませんでした……」
 後ろについてきたケンくんが申し訳なさそうに耳打ちする。気にしないで、と軽く返事をして自席に座ると、欠伸を噛み殺しながらパソコンを立ち上げる。
 月曜日の気怠さに打ちひしがれながら、メーラーを立ち上げて未読メールに目を通していく。今日は定時で上がろう。
「よおー、北原。」
 聞きなれた嫌な声。僕はロボットのように抑揚無くオハヨウゴザイマスと発音する。もちろん目線はパソコンから外さない。
「今日は同伴出勤か? 懐かれてるねぇ」
 ケンくんが耳をピクリと動かした後、顔を真っ赤にして俯いた。ねえ部長、コンプライアンスって知ってるかな。言い返す気にもならず受け流しても、休みの内に何か良い事でもあったのだろうか、部長はかまわずにしゃべり続ける。
「まあ俺としても、仲良くやってくれた方が仕事も捗るし……ん?」
 何かに気付いた素振り。まさかな。
「おいお前、ワンコロとじゃれ合うのも程々にしておけよ。」
 流石に周りに聞かれると不味いと思ったのか、耳元で小さく囁いた。それを聞いて、はあ? と思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。何を言っているんだこのオッサン。
「いつにも増して犬くっせぇぞ。今日は客先に行く用事ないから良いものの、女子社員にスメハラだとか言われるぞ。」
 深刻そうでいて、どこか楽しそうな口調。僕は思わず腕や胸元の匂いを嗅いでみる。別段変わった匂いはしない。いつも通り。いや、ポチの匂いに慣れすぎたせいかもしれない。自分では気付いていないだけで、匂いを振りまいていたんだろうか。
「ま、これやるから。」
 机の上に消臭スプレーが置かれる。確かテレビコマーシャルで、汗だくの男たちが一振りするだけで爽やかな匂いになって女性達に囲まれるというのをやっていたな。缶の表面には大きく、ペットの匂いも、などと書かれていた。
 僕は苦虫を噛み潰しながら部長の顔を見ると、当の本人はどこ吹く風で自席に戻っていった。
「そんなに臭いかなぁ。」
 スプレー缶を手に取り、成分表を眺めながら一人ごちる。声に出した後、しまったと後悔。針の筵のケンくんは、今にも泣きだしそうな様子で小刻みに身体を震わせる。
 申し訳無い気持ちでいっぱいで、人目もはばからずにケンくんの頭を撫でる。向かいの島にいる社員が、一瞬いぶかしそうにこちらを見るも、すぐにまた視線を戻す。
「ごめんね。」
 ケンくんの耳にそっと顔を寄せる。耳先の一際長い毛が頬をくすぐった。
「今夜もまた、匂いつけてくれるかな?」

 その日はいつも以上のスピードで仕事をこなしたケンくんだった。
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