突然倒れた婚約者から、私が毒を盛ったと濡衣を着せられました

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4話

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五月の満月が夜空に浮かぶ晩、とある貴族の邸宅で開かれた音楽会は、社交界の注目を集めていた。庭園には白いテントが張られ、銀のトレイに載せられたシャンパンのグラスが月光を反射し、まるで星屑のようにきらめいていた。ヴァイオリンの調べが風に乗って舞い、庭の噴水の水音と調和して、夢のような雰囲気を醸し出していた。

その中で、ロイド・フラハーティは再び主役の座を狙っていた。黒い燕尾服に身を包み、胸元には新たに手に入れたというサファイアのブローチを光らせ、彼は自信満々に賓客たちと談笑していた。婚約者の令嬢を隣に従え、まるで無垢な被害者から立派な勝利者へと生まれ変わったかのような振る舞いだ。彼の目には、かつてメリッサを非難したときのような冷酷な光が、今も確かに宿っていた。

そして、彼のグラスが口に運ばれた瞬間――

「うぐっ……!」

突然、ロイドは喉を押さえ、膝をついた。顔は真っ青になり、手は震え、唇は紫色に変色していた。彼の婚約者が悲鳴を上げ、周囲の人々が一斉に彼の周りに集まる。

「また……また毒を! 俺に……毒が……!」

その声は、あの夜、メリッサのパーティーで響いたものとまったく同じだった。人々の間に恐怖が広がり、誰かが「まさか……また?」と囁く。視線は自然と、遠くに立つメリッサへと向けられた。彼女は青いドレスを纏い、静かにその場を見守っていた。心臓が高鳴ったが、彼女は顔に出さず、指先だけで小さな扇を握りしめた。

だが、その場にいたアーネスト・オブライエンは、一歩前に出た。

「待て。誰も動くな」

その声は低く、しかし圧倒的な威厳を伴っていた。人々は思わず足を止める。彼は冷静な目でロイドを見下ろし、次にその手元のグラスに視線を落とした。

「医者を呼べ。だが、その前に――」

彼は手袋を外し、ロイドの口元に指を近づけた。わずかに残った泡のようなものを摘み取り、鼻に近づけてかぎとる。

「……これは、スズランの粉末だ。致死量ではない。筋肉の痙攣と呼吸困難を引き起こすが、数時間で回復する。しかも、飲んだ直後に発作が出る点から考えて、意図的に混入されたものと見て間違いない」

周囲がざわめく中、アーネストはさらに続けた。

「だが、問題は――なぜ、同じ手口がまた繰り返されたのか、ということだ。前回、メリッサ・シンクレアのパーティーで起きた“毒入り事件”も、実はこれと同じ薬草の反応があった。当時の医師の報告書を俺は調べた。そして、その薬草は、フラハーティ卿の屋敷の薬草園に、ごく限られた量だけ栽培されていた」

その言葉に、場が凍りついた。

「……どういうことだ?」

「つまり」とアーネストはゆっくりと、しかし断固とした口調で言った。「あなた自身が、自分に毒を盛ったように見せかけている。自作自演だ。前回も、今回も――そして、その矛先を、無実の女性に向けた」

ロイドの顔色が、今度は怒りで真っ赤に染まった。

「何を言ってる! 俺が自分を……そんな馬鹿な!」

「では、なぜ、」とアーネストは声をさらに落とした。「前回の事件の三日後、あなたはすでに新たな婚約者の家に訪問していたのか? 医者が“命に関わる”と診断した男が、そのような行動を取れるものか? そして、なぜ、毒物検査で何一つ検出されなかったのか?」

沈黙が広がった。風さえも止んだように感じられた。

アーネストは一歩、さらに前に進み、ロイドを見据えた。

「俺は、前回の事件の後、あなたがメリッサ嬢の財産に関する書類に興味を示していたことを知っている。彼女の祖父が遺した鉱山の権利書――それを手に入れるために、婚約を破棄し、彼女の名誉を貶める必要があった。だから、あなたは自分を“被害者”に仕立て上げた。そして、彼女を“悪女”に変えた」

ロイドの肩が小刻みに震えた。彼は口を開こうとしたが、言葉が出なかった。

「……認めろ。ここにいる全員の前で」

その声に圧され、ロイドは膝をついたまま、顔を伏せた。やがて、かすれた声で呟いた。

「……ああ、そうだ。認める。俺がやった。スズランを微量に混ぜた。でも……でも、メリッサが邪魔だったんだ! 彼女の家は金があるが、俺の家は没落していた。あの鉱山の権利があれば……俺は再起できたのに! なのに、彼女は疑いもせず俺を受け入れた。そんな女に、俺の人生を握られたくなかった!」

その告白が、夜の空気に重くのしかかった。

アーネストは静かに振り返り、メリッサのほうを見た。彼女の顔には、涙が伝っていた。しかし、それは悲しみの涙ではなかった。冤罪が晴れる、解放の涙だった。

「メリッサ・シンクレア嬢は、無実です」

アーネストの声が、静けさの中を切り裂いた。

「彼女は、一度もあなたを傷つけるつもりなどなかった。むしろ、あなたを信じ、愛していた。その誠実さを利用し、名誉を踏みにじったのは――他ならぬ、あなた自身だ」

その言葉が終わると、庭園には長い沈黙が訪れた。やがて、誰かが拍手を始めた。次に、また一人。そして、やがて、多くの人々が立ち上がり、メリッサに向かって拍手を送った。

彼女は立ち尽くし、その温かさに体が震えた。月光が彼女の顔を照らし、涙は真珠のように輝いた。

あの夜、彼女は一人で闇に飲まれた。だが今、光が戻ってきた。

そして、その光の先に――アーネストが立っていた。
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