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「リンダとポールマッカートニー」について(前編)
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“No music , no life”・・ そう言ってよいほど、私は時間があれば音楽に接している。
晴れた日などに、クルマを走らせながら色んな曲を聴くのは、まわりの風景の移り変わりと相まって心が和むものだ。
車内で使う曲のソースも、USBからだったり、microSDやYoutubeから、またはCDからと様々である。
テレビでイチローも言っていた「アメリカでの球場と自宅の行き帰り、クルマの中は気に入ったリスニングルームになっている」と。
私の場合も全く同じで、静かな曲から、時には昔のレッドツェッペリンやキングクリムゾンを掘り起こしては結構なボリュームで聞いたりもしている。
そんな時は、心がリラックスしているからだろうか、家でうろうろしているときには思い出さないような昔のことが、なぜか数十年ぶりに記憶の中から浮んで来ることがある。
リンダマッカートニー・・・
もともとは米国の写真家、のちにポールの最初の伴侶となる。
ビートルズが解散する1年前の1969年に結婚。解散後はポールと組んだ(ほぼ二人の)ユニットで鍵盤楽器とコーラスをやっていた。ちょうどその時分は、夫のポールにとっては独立し新しい形へと変化していくきびしい時期だった。
ソロとなったその彼を、リンダはスタジオでの伴奏からアルバムの作成までかなり協力している。その頃のアルバムを改めて聞いてみると、まさに二人の手作り感が大いに感じられる。
しばらくしてバラード曲‘マイラブ’の大ヒットでポールの人気が回復し始めると、彼女は引き続きアルバムの作成や、ワールドツアーでともに転戦と、同じユニットメンバーとして、そしていわゆる内助の功で彼を支えた。・・・そんな彼女は、70年代ロック史に残ると言ってよい、素晴らしいミュージシャンだった。
さて、私が歌謡曲から離れて洋楽を聴き始めたのは中学に入るころ。
その時代はカーペンターズの全盛期と重なるのだが、ビートルズからの流れだろうか、まだまだイギリスをはじめとした欧州の曲がかなり週末のラジオの洋楽ヒットチャートに入っていた。
思うに英国のエルトンジョン。フランスのミッシェルポルナレフや、シルビーバルタンそれにフランソワーズアルディー。アイルランドのギルバートオサリバン・・・そのような面々が良い曲を出していた。
一方、やはりギター弾きの少年たちの心を鷲づかみにしていたのは、ブリテッシュロックという激しい音楽。ディープパープル、ローリングストーンズ、レインボー、バッドカンパニー、ツェッペリン、スジークワトロそしてクイーンらだった。
その時分、私が頻繁に歩き回っていた福岡という街は、まだまだ九州北部に位置する田舎都市(いなかまち)の印象だった。
だがあの頃は、あこがれの、先述した大物ミュージシャン達が、かなりの頻度で「福岡公演」をやってくれていた。地方都市特有のインフラが「無いない状況」であったにもかかわらずである。
つまり、見渡しても市内には
「立派な外国人用のホテルは無く、遠方からのファン用のシティホテルもほぼ無い」
「大音響のコンサートに耐えうる、音がきちんと通るホールが無い」
「集客において、周辺各地からの多様なアクセス手段が無い」・・・であった。
当時わざわざ福岡に来てくれた大物アーティストには感謝をこめて、
「実際に僕たちの目の前に現れてくれて、そして世界各地でのパフォーマンス通りのプレーを、手を抜かずに披露してくれてありがとう・・音楽少年たちの夢をかなえてくれてありがとう」
いまでもそう思う。
そんな高校の二年の時、
洋楽をよく語り合った友の一人に是石君がいた。
見た目、すらっとしたイイ男だった。ミュージシャンの情報について、彼はわたし以上に詳しかった。加えて彼は趣味でエレクトリックギターも弾いていた。
お互いの家がそこそこ近かったせいで、彼の所には頻繁に遊びに行っていた。
彼は学内では珍しく、博多弁をしゃべらなかった。常時、関西弁をしゃべるのである。おそらく小学生の時に関西に住んでいたと思われた。
最初に訪問した日に私は‘あれっ’と思った・・・彼の部屋にバイオリンが置いてあったからだ。思った「(音楽の英才教育?実は彼は、おぼっちゃま育ちかぁ!)」と。
ある日、その彼が学校の昼休みに私の方に寄ってきた。
「いま・・・かまへん?・・来月な、例のバンドの福岡公演があるやろ、行く予定あんの?」
私は行くつもりでいた。
「その公演やけどな、髙いS席やA席を買う必要はあらへんねん」
私が(ん?)のような顔をすると・・
「後ろの方の席買っといてやな、前へ行くとええんや」続けて
「始まる直前に。照明がスッと消えるやろ、その時にバーッとステージ前まで走っていきゃええねんで」加えて
「あのバンドのアメリカ公演の客席の写真を見たことあるやろう。お客はそんな風でやっとるからな。バンドとの一体感や」
へーッ?という顔で私は聞いていた・・・自分にはとてもできない芸当だ。そして思った
「おぼっちゃま的じゃないなぁ。よくもまあそんな発想がわいてくるもんだ(笑)」と。
公演当日、私はA席。
そこで笑い話のような光景を見た。
定刻となり会場の照明が暗くなり始めた・・一度に完全には消されず、徐々に暗くなっていった。周囲からはコンサートによくある「キャー」「ウォー」の声が会場に巻き起こった。
なんと・・・!
途端、ドドドドドドッと、けっこう大きな音が後ろから聞こえてきた。
後方から、熱烈なファンの連中が、暴徒のごとく、アリーナの狭い筋をステージに向かって走り始めたのである。それはまるで、デパートのバーゲンセールで、開店と同時に目当ての品物に殺到する買い物客のようだった。
しかし、この手のコンサートには会場整備員が配置されているものだ。
アリーナの前方には、ステージに寄せ付けまいと、客席の方をむいた係りが十数人立っていた。
「そら、予想通り!来た!」と
係員たちは、ラグビー部員のスクラム時のプッシュのように(いやそれ以上に、ノールールで)強引に、押し寄せてくる若者集団をうしろへ後ろへと押し返し始めた。昔の、学生運動集団と機動隊の衝突さながらだった。
なんとその(暴徒の)なかに是石君の姿があった・・・・。
彼は、他の数十人のファンと共に、完全に劣勢だった・・・彼のすぐ横には、あたりまえのはなし、ずらりとアリーナの椅子が固定してあった。その並べられていた椅子の下の方に足を取られ、体のバランスを崩しながらも、なんとか是石君はこけずに奮闘していた。
チケットはきちんと買うべきだ・・・そう思った。
彼のもくろみは全く外れた。ただし、よく言えば彼は「有言実行」していた訳で・・・その点ではたいした男だった。
そんなコンサートだった。
晴れた日などに、クルマを走らせながら色んな曲を聴くのは、まわりの風景の移り変わりと相まって心が和むものだ。
車内で使う曲のソースも、USBからだったり、microSDやYoutubeから、またはCDからと様々である。
テレビでイチローも言っていた「アメリカでの球場と自宅の行き帰り、クルマの中は気に入ったリスニングルームになっている」と。
私の場合も全く同じで、静かな曲から、時には昔のレッドツェッペリンやキングクリムゾンを掘り起こしては結構なボリュームで聞いたりもしている。
そんな時は、心がリラックスしているからだろうか、家でうろうろしているときには思い出さないような昔のことが、なぜか数十年ぶりに記憶の中から浮んで来ることがある。
リンダマッカートニー・・・
もともとは米国の写真家、のちにポールの最初の伴侶となる。
ビートルズが解散する1年前の1969年に結婚。解散後はポールと組んだ(ほぼ二人の)ユニットで鍵盤楽器とコーラスをやっていた。ちょうどその時分は、夫のポールにとっては独立し新しい形へと変化していくきびしい時期だった。
ソロとなったその彼を、リンダはスタジオでの伴奏からアルバムの作成までかなり協力している。その頃のアルバムを改めて聞いてみると、まさに二人の手作り感が大いに感じられる。
しばらくしてバラード曲‘マイラブ’の大ヒットでポールの人気が回復し始めると、彼女は引き続きアルバムの作成や、ワールドツアーでともに転戦と、同じユニットメンバーとして、そしていわゆる内助の功で彼を支えた。・・・そんな彼女は、70年代ロック史に残ると言ってよい、素晴らしいミュージシャンだった。
さて、私が歌謡曲から離れて洋楽を聴き始めたのは中学に入るころ。
その時代はカーペンターズの全盛期と重なるのだが、ビートルズからの流れだろうか、まだまだイギリスをはじめとした欧州の曲がかなり週末のラジオの洋楽ヒットチャートに入っていた。
思うに英国のエルトンジョン。フランスのミッシェルポルナレフや、シルビーバルタンそれにフランソワーズアルディー。アイルランドのギルバートオサリバン・・・そのような面々が良い曲を出していた。
一方、やはりギター弾きの少年たちの心を鷲づかみにしていたのは、ブリテッシュロックという激しい音楽。ディープパープル、ローリングストーンズ、レインボー、バッドカンパニー、ツェッペリン、スジークワトロそしてクイーンらだった。
その時分、私が頻繁に歩き回っていた福岡という街は、まだまだ九州北部に位置する田舎都市(いなかまち)の印象だった。
だがあの頃は、あこがれの、先述した大物ミュージシャン達が、かなりの頻度で「福岡公演」をやってくれていた。地方都市特有のインフラが「無いない状況」であったにもかかわらずである。
つまり、見渡しても市内には
「立派な外国人用のホテルは無く、遠方からのファン用のシティホテルもほぼ無い」
「大音響のコンサートに耐えうる、音がきちんと通るホールが無い」
「集客において、周辺各地からの多様なアクセス手段が無い」・・・であった。
当時わざわざ福岡に来てくれた大物アーティストには感謝をこめて、
「実際に僕たちの目の前に現れてくれて、そして世界各地でのパフォーマンス通りのプレーを、手を抜かずに披露してくれてありがとう・・音楽少年たちの夢をかなえてくれてありがとう」
いまでもそう思う。
そんな高校の二年の時、
洋楽をよく語り合った友の一人に是石君がいた。
見た目、すらっとしたイイ男だった。ミュージシャンの情報について、彼はわたし以上に詳しかった。加えて彼は趣味でエレクトリックギターも弾いていた。
お互いの家がそこそこ近かったせいで、彼の所には頻繁に遊びに行っていた。
彼は学内では珍しく、博多弁をしゃべらなかった。常時、関西弁をしゃべるのである。おそらく小学生の時に関西に住んでいたと思われた。
最初に訪問した日に私は‘あれっ’と思った・・・彼の部屋にバイオリンが置いてあったからだ。思った「(音楽の英才教育?実は彼は、おぼっちゃま育ちかぁ!)」と。
ある日、その彼が学校の昼休みに私の方に寄ってきた。
「いま・・・かまへん?・・来月な、例のバンドの福岡公演があるやろ、行く予定あんの?」
私は行くつもりでいた。
「その公演やけどな、髙いS席やA席を買う必要はあらへんねん」
私が(ん?)のような顔をすると・・
「後ろの方の席買っといてやな、前へ行くとええんや」続けて
「始まる直前に。照明がスッと消えるやろ、その時にバーッとステージ前まで走っていきゃええねんで」加えて
「あのバンドのアメリカ公演の客席の写真を見たことあるやろう。お客はそんな風でやっとるからな。バンドとの一体感や」
へーッ?という顔で私は聞いていた・・・自分にはとてもできない芸当だ。そして思った
「おぼっちゃま的じゃないなぁ。よくもまあそんな発想がわいてくるもんだ(笑)」と。
公演当日、私はA席。
そこで笑い話のような光景を見た。
定刻となり会場の照明が暗くなり始めた・・一度に完全には消されず、徐々に暗くなっていった。周囲からはコンサートによくある「キャー」「ウォー」の声が会場に巻き起こった。
なんと・・・!
途端、ドドドドドドッと、けっこう大きな音が後ろから聞こえてきた。
後方から、熱烈なファンの連中が、暴徒のごとく、アリーナの狭い筋をステージに向かって走り始めたのである。それはまるで、デパートのバーゲンセールで、開店と同時に目当ての品物に殺到する買い物客のようだった。
しかし、この手のコンサートには会場整備員が配置されているものだ。
アリーナの前方には、ステージに寄せ付けまいと、客席の方をむいた係りが十数人立っていた。
「そら、予想通り!来た!」と
係員たちは、ラグビー部員のスクラム時のプッシュのように(いやそれ以上に、ノールールで)強引に、押し寄せてくる若者集団をうしろへ後ろへと押し返し始めた。昔の、学生運動集団と機動隊の衝突さながらだった。
なんとその(暴徒の)なかに是石君の姿があった・・・・。
彼は、他の数十人のファンと共に、完全に劣勢だった・・・彼のすぐ横には、あたりまえのはなし、ずらりとアリーナの椅子が固定してあった。その並べられていた椅子の下の方に足を取られ、体のバランスを崩しながらも、なんとか是石君はこけずに奮闘していた。
チケットはきちんと買うべきだ・・・そう思った。
彼のもくろみは全く外れた。ただし、よく言えば彼は「有言実行」していた訳で・・・その点ではたいした男だった。
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