王国の彼是

紗華

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穏やかでない日常

150:棚の中  エルデ&ネイト

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『ボアファング討伐、回収部隊を要請する。怪我人はなし』


要点だけを認められたナシェル様の素っ気ない伝令は、オレリア様達がボアファングを倒せる実力をお持ちと存じ上げない殿下を大いに驚かせた。
執務室を飛び出す勢いの殿下を、カイン様とユーリ様が身を挺して取り押さえて宥め、最終的にネイト様を回収部隊に同行させる事で落ち着いたのだけれど…

これは、人選を誤った様ね…

「…ネイトは…何をしに行ったんだ?」

回収部隊と共に戻ったネイト様を王城の広場で迎えられた殿下は、呆れを隠せないといった表情でネイト様から一歩距離を置いた。

「コーエンと2人で、はしゃぎ過ぎた…といったところですか?」

「ええ、お2人で童心に返って、無邪気に戯れてましたよ」

「…プハッ…気持ち悪い」

「黙れ」

ユーリ様の頭のパシッと叩いたネイト様は、水に濡れた常装は濃紺というより黒に近く、髪には水草まで貼り付けている。

そしてちょっと、生臭い…

「……報告はレインから聞く。非番なのに悪かったな…エルデ、ネイトを頼む…って、ネイト!?近寄るなっ!エルデ!早く連れて行ってくれっ!今日はこのまま上がっていいぞ!」

「ちょっと?!殿下!やめて下さいよっ!ネイト!こっちに来るな!生臭いっ…オエッ…」

「何っだその態度は!俺を労えっ!」

「見るに耐えないですね…」

呆れ顔で呟くナシェル様と、その隣で溜め息を吐くカイン様は、回収部隊から報告を聞いているラヴェルお義兄様と、ジークお義兄様が苦い顔をして此方を見ている事に気付いているらしく、3人からそっと距離を置いた。


ーーー


常装の詰襟に指をかけてボタンを外す長い指…開いた詰襟から覗く喉仏。
脱いだ上着をラックにかける腕に浮き上がる血管、白いシャツを着ていても分かる均整のとれた筋肉…

「エルデ…?」

「?!ぬ、濡れた衣服はこの籠に入れて置いて下さいっ…着替えを用意してきます」

「ありがとう」

優しく微笑むネイト様に邪な目を向けてしまった事に罪悪感が募り、赤くなってるであろう顔を背けて、後ろ手に脱衣所の扉を閉め、今し方見た光景を遮断する様にキツく目を閉じる。

もう、嫌だ…閨教育を受け直しているなんて、同寮達に話すんじゃなかった…

鍛えられ上半身、名前を紡ぐ唇、ゴツゴツした剣だこだらけの掌でさえも…見慣れた筈のネイト様の全てが艶かしく見える様になってしまったのは、教育本よりも為になると渡された官能小説のせい。

ネイト様が殿下の護衛で帰って来ない夜に布団の中でこっそり開いた小説は、私の無知を曝け出し、羞恥と後悔の淵に落とした。

殿下や旦那様方に力説した、あの日の自分を埋めてしまいたい。
バナナで練習したなんて、ネイト様に胸を張って言った言葉を取り消したい…

詩的な言葉で綴られていた、自身のその箇所を服越しに見下ろす。


『こんなにも甘いのに溶けることがない…極上の飴玉だな…』

『こんなに蜜を零して…全部舐めてしまわないと…勿体無いな』


「~~っあ、甘くもないしっ…勿体無くなんかないわっ!」

「…何が甘くて勿体無いんだ?」

「?!ネイト様…何でもありません…って?!何故、ローブ姿なのですか?!」

「ごめん…着替えがなかったから……えぇっと…そんなに握りしめたら、シャツがシワだらけになるんだが…」

「…も、申し訳ありません…他のシャツをお持ちします…」

これ位なら充分着られると笑うネイト様の着替えに用意したシャツは、握りしめた部分がシワになっただけでなく、手汗で湿っている。

小説で知った閨のあれこれが呼んだのは、羞恥と後悔だけではない。
女性経験が豊富であろうネイト様に、初夜でがっかりされたらどうしようという悩みと、更には私の知らない誰かとあんな事をしたのかと、過去のネイト様と知らない相手に嫉妬するまでに至っている。

「一服してから戻ろうか、お茶を淹れるよ」

「えっ?!いえっ、お、お茶なら私が淹れますから!」

独身者用の部屋と違って、既婚者の人がする部屋には、お茶を淹れたり、軽食を作る為の申し訳程度の炊事場設えられている。

料理をしない貴族には必要ないスペースでも、お茶を飲みたい時に飲めるのは中々と便利で、何より、ネイト様が普段は足を踏み入れる事のないこの場所は、を隠すのに最も適した場所。

「大丈夫だよ。騎士団ではお茶が当番もあるから、エルデには敵わないけど、俺もそれなりに淹れられる」

を知らないネイト様が、爽やかに微笑みながら炊事場の棚へ手を伸ばす。

「ネイト様?!だめなのっ!その扉はーー」

「?!ちょっ…エルデッ?!危ないっ!」

ーードサドサッ…カンッ……バサッ…

「っ痛…」

「?!ネイト様っ!お怪我は…んぐっ…?」

豪快に降り注ぐお茶の缶や、お菓子の箱に、固く目を瞑って構えたけれど思っていた衝撃はなく、その代わりに、大きな掌に守られた頭上から聞こえたネイト様の呻く声に、慌てて顔を上げようとした私の頭は、何故か逞しい胸板に押し付けられた。

少し速いネイト様の鼓動と、久し振りの硬い感触に安堵の涙が込み上げたが、それは一瞬にして羞恥の涙に変わる…

「……【灼熱の楔に溶かされた純潔】……?エ、エルデ嬢…この本はいかがされたのですか…?」 

エルデの甘い香りと柔らかい感触を堪能している場合ではない。

散乱したお茶やお菓子の中に、見覚えがあり過ぎるあれは、俺の、本なのか…?
いや、俺の本は剣の手入れ道具と一緒にに隠してある。

ならばこの本は、うちのエルデが…?俺に隠れて…?

頭の中に浮かんだのは、アズール遠征前日に起きたバナナ事変。
余計なお節介をと舌打ちしたくなるが、思い出してしまったバナナと、【灼熱~】の赤い文字、そして久方振りのエルデの柔らかい身体の連撃に下の俺が疼き出す。

「エルデ嬢…ね、念の為、怪我がないか医務局で診てもらって来て下さい…こっ、此処は…自分が片付けておきます」

「……はい…」

今日は厄日なのか…?

頭と下の己を冷やす事で頭が一杯だった俺は、エルデの表情まで見る余裕がなかった。







































































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