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シーズンⅡ-5 母親失格

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「涼子、ほんとうに大丈夫かしら。なんだか心配」

 朝美の刻文市でのライブの話で盛り上がった後で部屋に戻った君子は、もうすぐ就職する涼子のあまりの気軽さが心配になってきた。

「うぅーん。失敗されるとちょっとマズいんだけど。菊池先輩に申し訳ないことになるし」

 耕三さんも浮かない顔になっている。

「大切な先輩ですものね。菊池さんの取り計らいがなかったらって思うとゾッとする、あの涼子が無事にお勤めできるのもすべて菊池さんのお陰だし。涼子に社会人の自覚を持たせて送り出すようにしないと、はじめっから挫折しそう」

 そう言ったあとで君子は深いため息をついた。

 自然と出てしまったのだ。

 去年、耕三さんが刻文支店長で戻ってから北部銀行の菊池顧問と何度か会う中で、菊池顧問が心配して北部銀行森下常務に涼子の就職先を頼んでくれた。

 そのおかげで北部学園事務局に就職が内定したが、涼子はまったく知らない。

 耕三さんから相談された君子は、涼子のゼミの先生から北部学園を受験してみるように言ってもらうのが涼子を自然に動かすには一番いいとアドバイスしている、耕三さんがそれを実行に移してまもなく涼子が「わたし学生の女神になるかも知れない。教授が向いてるって言ってくれたの」でその気になったのが経緯だ。

 あと何日もないが、とにかく社会人になる自覚を持たせないと今までの苦労が水の泡になる。

 気が付くとまため息をついてしまう。

 涼子のこともそうだがさっき話に出た刻文銀行の内田さんのことも気になる、耕三さんが渡したチケットが刻文銀行経営企画部長の内田さんというのがすごく気になってしまう。
 
「あなた、さっき言ってた刻文銀行の内田さんて部長をするくらいだから相当なお年の方なんでしょ。ライブに行くなんて凄いエネルギーあるなって思った」

「違う、違うよ、まだ四十手前か四十ってとこかな。スラっとした美人さんだよ」

「えっ、そうなんだ。そんな若い人が部長さんってよっぽど能力あるのね」

「バリバリのキャリアウーマンって感じ。能力はめちゃ高いし評判もいい。家柄も図抜けている。文句の付け所が無い人かな。仕事柄、我々ともよく会ってる。いまも重要な案件を頂いてるんでみつつの本社と連携して頑張ってるし」

 間違いない、紗栄子《さえこ》さんだ。

 知らぬ間に内田紗栄子さんは部長さんになっていたとは、ただの飲み仲間として少し恥ずかしいって思う。

 紗栄子さんは東日本大震災の前までは毎週北部市に来ていてその週末の大半を君子との二人飲みで過ごしていた、震災後は北部市に来る回数が激減、やっと去年あたりから来るようになっていたが毎週ではなく月に一回か多くても二回程度、でも嬉しいことに二人飲みは復活している。
 
 君子自身には大きな変化はなにも起きていない。

 工藤有佳と別れてよかったと思う。

 そうは思うが、君子が待ち焦がれていたものを与えてくれたのは他ならない工藤有佳だったのも確かだ。

 君子が我を忘れて本性を曝け出せるのは後にも先にも有佳だけのような気がする。

 別れてから時間が経つほどに一層その想いが強くなる。

 ビンタ、スパンキング、縛り、二穴同時を思い出す度に辛くなる、特に辛いのは言葉で嬲りつくして来る有佳をもう二度と見れないことだった、言葉での嬲りを普通に躊躇いなく平気でできる人だった。

 それでも許せない。

 今にして思えば、有佳を信じ始めた矢先に事件は起きたとも言える。

 朝美が言ってくれなければどうなっていたことか、それを思うだけで怖い。

 まさか娘が狙われるとは、それを発想する有佳はあまりにも異常だ。

 自分との時間は何だったんだろう、君子を責めながら頭の中では娘をどうにかしようと考えていたとは信じられない。

 有佳という人間は心のどこかに致命的な欠陥を持っている。

 有佳は闇の中で息をひそめて生きている獣と同じだ。

 もう交わることはない。


****



 この数年間、君子は同じ悩みを抱えたままで過ごしている。

 ずっとこの一つに悩まされ続けている。

 それは、「身も心も離れられなくさせられる、それが有佳さんの恋人になるってこと」の詳しい内容をいつか朝美が聞いてくることだ。

 朝美と二人だけの秘密を共有してこの数年を過ごしている。

 朝美が打ち明けていなければ大変なことになっていた、工藤有佳に自分と同じ目に会わされていたはずなので朝美には聞く権利が確かにあるのは間違いない。

 それは分かっている。

 朝美も私と同様に有佳に縛られてビンタされ言葉で嬲りつくされるのだ、それを思うと辛くなり涙が出てくる。

 なのにどうしたことか、時間が経つにつれて二人のそういう場面を想像する自分が出てきた、いつしか君子は自分がされたすべてを朝美に置き換えて妄想するようになっている。

 朝美が工藤有佳に攻められる。

 一度置き換えると、次からは必ず置き換えるようになりそれ以外が出てこないことに驚いた、唖然とした、辛くなるのだが止められない。

 中学に入った頃から朝美は急に大人っぽくなり、やがて一つ、また一つと蕾が開花するように女らしくなっていった。

 何気ない仕草に色気を感じさせる娘に君子は当惑した、娘の姿を見るたびに眩しく見えてしまう、置き換えが常態化しているせいかも知れない。

 君子の代わりに朝美が工藤有佳に攻められている構図ほど美しいものはないとさえ思える。

 朝美の顔形は幼い頃の美しさのまま大人になっている、知り合いからも「朝美ちゃんは変わらないわねぇ」と言われるほどだ。

 変わらないのは顔立ちだけでない、その性格もだ。

 一度言い出したら忘れない娘だから、きっとどこかの時点で間違いなく聞いてくるに違いない。

 その時に何と答えればいいのか。

 どんな会話になるのか想像がつかない。

 詳しい内容はとてもじゃないが教えられないがそれで朝美が納得するとは思えない、今まで二人きりで際どい会話をしたことは一度もないが内容が内容なだけに必ずそうなるだろう、それが分かっているだけにその時が来るのが怖い。

 もっと怖いことがある。

 自分で慰めている時にイク寸前に浮かぶ相手の顔が今は工藤有佳ではない。

 それまではいつも工藤有佳の顔だった。

 工藤有佳に攻められてイク、置き換えている朝美も攻められる側、工藤有佳の言葉で最後は頂《いただ》きに上る。

 いつもはそうだった。

 だがあの日、工藤有佳が消え朝美が現れた。

 いつのまにか君子を攻める立場に変わっている、実の娘から蔑みの言葉を投げつけられながら果ててしまった自分がいる。

 あまりの満足感にしばらく動けなかった。

 やがて自分の異常さに怯えた、前もそうだった、工藤有佳との接写した画像の交換の時もあとになって異常さに怯えていたのに、今度は実の娘でまたやってしまったという思いに苛《さいな》まれる。

 君子は自分を恥じた。

 なんで入れ替わったのだろう。

 なんで朝美が出てきたんだろうと思ったが、『なんで』の意味は本当はとっくに分かっていたのかも知れないが自分に対する言い訳を用意した。

 工藤有佳と朝美がもしそういう関係になっていたならば、工藤有佳は朝美に溺れる、そして君子は捨てられる、君子が捨てられたことにやがて朝美は気が付く、朝美のことだから、きっと、君子を可哀想だと思い朝美が工藤有佳の代わりを務めてくれる。

 自分の中で自分に言い訳する、そう思うことにすれば抵抗が和らぐ。

 本当は違う。

 イク寸前に想い浮かぶ顔がいつ入れ替わってもおかしくないくらい君子の思考に朝美が入り込んでいる、願望と言ってもいい。

 ひどい発想で母親失格の変態だと思う。

 こんな母親は世界中を探したってどこにもいない、最悪だ。

 自分の発想が情けない。

 だが、その後はしなかったと言えばウソになる、何度もしている、想像の世界だからと自分に言い訳をつくり今では否定もしなくなっている、それが怖い。

 朝美からこの数年間、工藤有佳との関係で詳しい内容を聞かれたことは一度もない、そこまでの関心はもう無いのかも知れない。

 そう願いたい。

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