10 / 25
シーズンⅡ-10 分室配属の二人
しおりを挟む
二〇一五年四月。
「やっとこの部署に新入社員が配属かぁ。本部にお願いし続けて良かったよ」
そう言うと、北部学園事務局分室長の近藤栄一《こんどうえいいち》は、室長用の肘掛が付いた椅子に腰を下ろし、朝のお茶を一口、啜った。
「室長。あんまり期待しないでおきましょう。なにせ、一人は北部銀行からの縁故ですからね」
近藤のデスク脇に立っている木崎《きざき》が、少し声を落として言ってきた。
「木崎主任。いくらみんなとここが離れてるからといって、気をつけて。我々二人しか知らされてない経緯だから」
「すみません。つい」
こういうところが気が利かない、みんなと同じ部屋で仕事してる自覚を持ってもらいたい。
「いまごろ入社式だろうから、来るとすれば昼前になるかな。顔合わせしたら、お昼ご飯に連れて行きたいんだけど」
「室長。みんなでカバーしますので。ぜひ連れて行ってやって下さい」
近藤はお茶を飲む手を休め主任を見上げた。
「そぉ、ありがとう。じゃぁ、状況を見てということで」
お任せください、との言葉を残して木崎は自席に戻って行った。
分室は北部市の玄関口、北部駅北口から歩いて二、三分のところにある。
北口を出ると巨大なビルが右前方に見える、見た目はパリの凱旋門のようだがそのビルには数十メートルもの奥行きがある、巨大建造物とでも呼べる代物だ。
近づくと凱旋門の空間に当たる場所の横半分には人が二、三十人が並んで登れるくらいの外階段とその脇にエスカレーターが見える。
エスカレーターの右側はだだっ広い空き地にしか見えない。
右側の奥の方が見える所まで近づくと、そこにはガラス張りの扉があるのでこの巨大建造物に一階からも入れると分かる。
外階段を登りきったところが三階に相当し広々とした空間には丸い四人掛けのテーブル席がいくつも置いてあり、案内ブースには係員が座っている。
奥にもさらに階段が見える。
階段を上がると四階と五階が県立図書館になっている。
県立図書館入り口までが凱旋門だと門の中の部分、外空間だがビルをくり抜いている構造なので雨や雪は凌《しの》げる。
八階建てで奥行きがある巨大建造物には運転免許センターやパスポートセンター、住宅相談センターがあり、貸し会議室も豊富にある。
学校関係では県立大学が本校とは別にここにキャンパスを置いている。
北部学園はキャンパスは置いていないが事務局の分室を置いていた。
近藤栄一は二階にある分室への通勤には、気分次第で一階と三階を使い分けている。
三階外空間のテーブル席は夕方になると図書館に来ている中高生で一杯になることも多く、北部学園の生徒もかなり利用している。
北部学園は大学と短大、付属高校、中高一貫の女学院、そして二つの幼稚園を有した学校法人で、大学と短大のキャンパスが市の中心部から十五キロ離れているためターミナル駅近くのここに分室を設けている。
分室は、ゴールデンウィークと年末年始以外は火曜日が定休日で日曜も祝日も開いている。
大学の学生数は二千人足らずだが学園全体では四千人が在籍し、六十四名の事務職員でフォローしていた、この規模の学園では多い職員数だ。
他校との差別化と多い職員の有効的な活用の為に昨年度から取り入れた分室の日曜祝日開放が思いのほか好評で学園が活気づいている。
休日に訪れる要件では手続き等の申請だけでなく、相談が多い。
待つ人も出てきたが、幸い図書館があるので待ち時間を告げることで、うまく回転できている。
日曜休日ローティーションは分室員と本部職員で組んでいる。
当初は本部職員から今までの生活リズムに狂いが生じる等の苦情が出ていたが、やっていく中で参加した本部職員からもっとご父兄に認知される仕組みづくりが必要だとの提言がなされるまでになってきており学園は手応えを感じ始めている。
近藤栄一はこの機を逃さず、定着させるには日曜休日出勤に先入観のない新人の投入が必要だと訴えた。
定着すれば、志願者数増加に繋がる可能性が大きいということも忘れずに付け加えた。
本来、北部学園の事務職員は退職や定年での補充しかおこなっていない。
この四月は当初三名の新卒採用計画だったが分室強化で四名枠に変更されそのうちの二名が分室に来る連絡を受けていた。
うち一名が国立大学出身者。
北部銀行からの紹介だが本人にはたぶん知らされていない。
学園本部に木崎主任と出向いた時に近藤はそれを告げられていた。
飲み終わったお茶をしばらく見つめていた近藤だが、意を決して袖机の引き出しから配属されてくる二人の履歴書を取り出した。
右竹薫:うたけかおる:男性。
北部大学社会文化学部卒。
国際政治学専攻。
須藤ゼミ。
特に注力したのは、近代トルコ政治史。
卒論は「国是世俗主義と公正発展党以降の政治力学が、国際政治の中で現代トルコに与えた影響について」。
宮藤涼子:くどうりょうこ:女性。
国立陸奥大学人文社会科学部卒。
アジア圏文化専攻。
米内ゼミ。
研究対象は中国古代史に学ぶ文化形成と周辺諸国への影響。
卒論は「朝貢冊封《ちょうこうさくほう》が中国周辺諸国に及ぼした影響はチュルクにどう影響したのかの一考察」。
この二人の履歴書のコピーを先週末に本部から受け取り、何度も目を通していた。
読んだ時の第一印象を思い出し、何度目かのため息をつきそうになったが、かろうじて踏み止まることができた。
初めて二人の履歴書を見たとき、他のと違うのにすぐに気づいた。
二人共と言うか、揃いもそろってこの二人は、部活やアルバイトのアピール度がゼロだった。
それだけではない、資格も普通免許しか載ってない。
いまどき考えられない。
こっちは就職のプロなのに、なんなんだこれはという悪いイメージばかりが刷り込まれ、かなり落ち込んだ。
メインの仕事が企業訪問であることに近藤は自負を持っている。
一人でも多くの学生を無事に就職ができるようにサポートする、そのために企業とのパイプをつくってきた。
ターミナル駅に近い分室が企業との接触を担《にな》ってきたが、近藤だけではできないし、分室員総出でも足りないくらいだった。
就活シーズンが終了するのを待って、二百社に案内状を送り大学主催のパーティを開催し、企業との繋がりを維持する。
それが済むと今度は、企業の規模や過去の採用人数等を勘案して教授や准教授、講師、助教に企業を割当てる。
次の就活シーズンが始まるまでに、割当先企業にアポイントを入れて訪問してもらうスケジュール管理は難しいが、それも近藤達の大きな仕事の一つになっている。
学生には履歴書の書き方とアピールポイントの書き方、面接の仕方まで教える。
分室に備え付けられている企業ファイルには、その企業との就活の記録を書かせていた。
それもこれも企業との縁を大事に結んでもらいたいがためだが、プロから見たらこの二人の履歴書は紙屑だと断言できる。
ただ、ため息の原因はそこではなかった。
どんな履歴書であれ採用され、もうすぐここに来る。
ため息はトルコと中国から来ていた。
履歴書は山のように見て来たが二人の卒論は、思い過ごしかも知れないがマニアック過ぎると思えた。
読み返す度に自分に刷り込まれるイメージが近藤を不安にしていた。
****
十一時過ぎに二人は揃ってやってきた。
引率は、ない。
見た目の第一印象は、二人とも悪くなかった。
右竹薫の背丈は低く体つきも細く、男らしさが備わっていない感じがしたが、清潔感があり好感さえ持てた。
宮藤涼子は、身長は右竹薫と同じぐらい、少し切れ長な目も手伝って知的な感じがしたし、顔立ちも悪くないと思えた。
近藤は二人を皆に紹介した。
二人ばらばらだったが、よろしくお願いしますと、ごく普通に挨拶をしてきた。
続いて分室のメンバー、木崎主任、小笠原、立花、池田を紹介。
二十七歳の立花瑤子《たちばなようこ》は分室で紅一点。
男では池田譲《いけだゆずる》が二十六歳で年が一番近い。
みんな北部大学出身。
高校は立花瑤子が北部女学院、他は北部大付属高校。
特に池田は高校時代に甲子園出場を経験している野球一筋のガッツマンだ。
今日の新人を迎えるまでは、分室全員が北部一色だった。
挨拶が終わったタイミングで木崎主任が、大丈夫ですからと、耳打ちしてきた。
主任を見ずにありがとうと返し、頷いてから近藤は二人を連れ出した。
****
三人がいなくなったのを見計らって、誰が口火を切るのかと立花瑤子は思っていたが、案の定それは池田だった。
「二人とも身長おんなじくらいって感じでしたね。右竹君が華奢《きゃしゃ》過ぎてまいった」
「もやしだなありゃ」木崎主任が続いた。
「池田君がごっついだけ。身長は確かに同じくらいね。ほんと華奢って感じ。鼻梁といいすっと尖った顎の線といい見るものを飽きさせない。彼みたいなのを美形って言うのよ」と瑤子流の観察報告を振ってやった。
「瑤子さん、これだもんな。なにが美形です? ありゃ体重五十ないな。いくら美形でも運動神経を置き忘れてきた男なんかに仕事が務まるんですかね」
分室の多忙さを考えると、体育会系の見方から外れることがない池田の見解にも一理ある。
池田の言葉で、沈黙の気配が伝播してしまった。
「宮藤さん可愛いと、俺は思う」
それまで黙っていた小笠原圭吾《おがさわらけいご》がぽつりと呟いたのを聞いて瑤子は速攻で受けた。
「はいはい、圭吾さん。可愛いの基準は私ですか?」
「いや、瑤子さんは普通に綺麗でしょ」
綺麗って言われて嫌になる女はいない。
圭吾は時々、真実をストレートに言うので好感がもてる。
「確かに世間知らずな可愛らしさはあるわあの娘。ちょっとダークっぽいけど」
これから盛り上がるって感じになってきたが、木崎主任が割って入ってきた。
「室長が二人をお昼ご飯に連れて行った。戻るまで皆でカバー、よろしく」
締めの合図が来た。
来訪者がいないんだからもう少し話を続けたって罰は当たらないと思ったが、皆が仕事に戻るのを見て瑤子も従った。
****
「うちの分室はみんないい人だから大丈夫。宮藤さんは立花さんとどお、うまくやれそう?」
建造物内にある食事ができるカフェに近藤は二人を連れてきた。
今日のランチはナポリタン、食後のコーヒーはホットかアイスを選べる。
味もいいので建造物内では人気のスポットだった。
「はい。お綺麗な方ですね、それに大人な感じ。いろいろと教えてもらいたいと思います」
「そう。それはよかった。右竹君はどお、大丈夫そう?」
「そうですね。僕もいろいろと教えてもらいたいと思いました」
「・・・・・・」
右竹薫に分室の雰囲気に溶け込めそうかを訪ねたつもりだったが、受け止め方が違っている。
「右竹君ってば、立花さんに何を教わるつもりなの? 私が先ですからね。右竹君はあとあと」
近藤は右竹薫の反応に驚き、続く宮藤涼子の仕草にもっと驚いていた。
宮藤涼子は右竹薫に向かって言いながら、手の甲を外側に二度振ったのだ。
あまりにストレートすぎて無意識だと分かるが、社会人になって初めての食事の場でにすることではない。
第一、女性らしくない。
「その仕草、可愛くないですね」
優しい言葉使いだがはっきりと言い放った右竹薫を見るとフォークをぐるぐる回していた手の動きを止めて、まだ言い足りない感じで宮藤涼子を見ている。
「さっきの挨拶の時、立花さんが宮藤さんを見たのは一刹那《いっせつな》だけでしたよ」
宮藤涼子を見ると、彼女の手元の動きもフォークを差したままで止まっている。
「それはっ・・・右竹君の勘違いよ。私はずっと見てました」
拍子抜けした。
この新入社員は、どうしようもない自己中女で世間知らずだ。
嫌味はない感じなだけ救いか、たぶん天然だろう。
なぜか、二人のやり取りを見ていて気分は悪くない。
当のご本人は、フォークを止めたままで右竹薫を睨んでいる。
「宮藤さんはいい人ですね。右竹薫と申します。同期として、これから宜しくお願いしますね」
それを聞いたご本人の表情が一瞬で上から目線に変わった。
右竹君もさすがに気づいただろう。
ご本人様は勉強ばかりで世間の常識を学んでいないのか。
持って生まれた性格が成せる技なのかは知らないが、単純な人だということは理解できた。
「・・・・・・」
上から目線を解除できないらしい。
宮藤涼子は黙ったままで動かない。
たまらず、近藤は割って入った。
「えっ。君たちお互いの挨拶とかってまだなの?」
「まだです」
同時だった。
ばらばらだった二人の息が、ここで揃った。
それから食後のコーヒーを飲み終えるまで、不思議なことに二人は楽しそうに会話を続けていたように思う。
社会人初日で上司と食事なら、定番は上司が話しそれを聞く。
出来る奴はさりげなく上司の話題に質問を入れてくる、だろうに。
私が振る話題には、その都度ちゃんと聞いてくれる態度は二人とも好感が持てたが、質問がくる気配は、ない。
私の話しが終わると二人は、立花瑤子さんの話に戻る。
口数が多いわけでもないが続く。
楽しそう。
その二人を見て、履歴書を見た時の不安を思い出した。
僅《わず》かな時間しか接していない立花さんの分析を、細かく話し合っているこの二人はどう見てもマニアック過ぎる。
自分が分室長でいる間、世俗主義、朝貢冊封、チュルクの話題が出てこないことを祈るほかない。
「やっとこの部署に新入社員が配属かぁ。本部にお願いし続けて良かったよ」
そう言うと、北部学園事務局分室長の近藤栄一《こんどうえいいち》は、室長用の肘掛が付いた椅子に腰を下ろし、朝のお茶を一口、啜った。
「室長。あんまり期待しないでおきましょう。なにせ、一人は北部銀行からの縁故ですからね」
近藤のデスク脇に立っている木崎《きざき》が、少し声を落として言ってきた。
「木崎主任。いくらみんなとここが離れてるからといって、気をつけて。我々二人しか知らされてない経緯だから」
「すみません。つい」
こういうところが気が利かない、みんなと同じ部屋で仕事してる自覚を持ってもらいたい。
「いまごろ入社式だろうから、来るとすれば昼前になるかな。顔合わせしたら、お昼ご飯に連れて行きたいんだけど」
「室長。みんなでカバーしますので。ぜひ連れて行ってやって下さい」
近藤はお茶を飲む手を休め主任を見上げた。
「そぉ、ありがとう。じゃぁ、状況を見てということで」
お任せください、との言葉を残して木崎は自席に戻って行った。
分室は北部市の玄関口、北部駅北口から歩いて二、三分のところにある。
北口を出ると巨大なビルが右前方に見える、見た目はパリの凱旋門のようだがそのビルには数十メートルもの奥行きがある、巨大建造物とでも呼べる代物だ。
近づくと凱旋門の空間に当たる場所の横半分には人が二、三十人が並んで登れるくらいの外階段とその脇にエスカレーターが見える。
エスカレーターの右側はだだっ広い空き地にしか見えない。
右側の奥の方が見える所まで近づくと、そこにはガラス張りの扉があるのでこの巨大建造物に一階からも入れると分かる。
外階段を登りきったところが三階に相当し広々とした空間には丸い四人掛けのテーブル席がいくつも置いてあり、案内ブースには係員が座っている。
奥にもさらに階段が見える。
階段を上がると四階と五階が県立図書館になっている。
県立図書館入り口までが凱旋門だと門の中の部分、外空間だがビルをくり抜いている構造なので雨や雪は凌《しの》げる。
八階建てで奥行きがある巨大建造物には運転免許センターやパスポートセンター、住宅相談センターがあり、貸し会議室も豊富にある。
学校関係では県立大学が本校とは別にここにキャンパスを置いている。
北部学園はキャンパスは置いていないが事務局の分室を置いていた。
近藤栄一は二階にある分室への通勤には、気分次第で一階と三階を使い分けている。
三階外空間のテーブル席は夕方になると図書館に来ている中高生で一杯になることも多く、北部学園の生徒もかなり利用している。
北部学園は大学と短大、付属高校、中高一貫の女学院、そして二つの幼稚園を有した学校法人で、大学と短大のキャンパスが市の中心部から十五キロ離れているためターミナル駅近くのここに分室を設けている。
分室は、ゴールデンウィークと年末年始以外は火曜日が定休日で日曜も祝日も開いている。
大学の学生数は二千人足らずだが学園全体では四千人が在籍し、六十四名の事務職員でフォローしていた、この規模の学園では多い職員数だ。
他校との差別化と多い職員の有効的な活用の為に昨年度から取り入れた分室の日曜祝日開放が思いのほか好評で学園が活気づいている。
休日に訪れる要件では手続き等の申請だけでなく、相談が多い。
待つ人も出てきたが、幸い図書館があるので待ち時間を告げることで、うまく回転できている。
日曜休日ローティーションは分室員と本部職員で組んでいる。
当初は本部職員から今までの生活リズムに狂いが生じる等の苦情が出ていたが、やっていく中で参加した本部職員からもっとご父兄に認知される仕組みづくりが必要だとの提言がなされるまでになってきており学園は手応えを感じ始めている。
近藤栄一はこの機を逃さず、定着させるには日曜休日出勤に先入観のない新人の投入が必要だと訴えた。
定着すれば、志願者数増加に繋がる可能性が大きいということも忘れずに付け加えた。
本来、北部学園の事務職員は退職や定年での補充しかおこなっていない。
この四月は当初三名の新卒採用計画だったが分室強化で四名枠に変更されそのうちの二名が分室に来る連絡を受けていた。
うち一名が国立大学出身者。
北部銀行からの紹介だが本人にはたぶん知らされていない。
学園本部に木崎主任と出向いた時に近藤はそれを告げられていた。
飲み終わったお茶をしばらく見つめていた近藤だが、意を決して袖机の引き出しから配属されてくる二人の履歴書を取り出した。
右竹薫:うたけかおる:男性。
北部大学社会文化学部卒。
国際政治学専攻。
須藤ゼミ。
特に注力したのは、近代トルコ政治史。
卒論は「国是世俗主義と公正発展党以降の政治力学が、国際政治の中で現代トルコに与えた影響について」。
宮藤涼子:くどうりょうこ:女性。
国立陸奥大学人文社会科学部卒。
アジア圏文化専攻。
米内ゼミ。
研究対象は中国古代史に学ぶ文化形成と周辺諸国への影響。
卒論は「朝貢冊封《ちょうこうさくほう》が中国周辺諸国に及ぼした影響はチュルクにどう影響したのかの一考察」。
この二人の履歴書のコピーを先週末に本部から受け取り、何度も目を通していた。
読んだ時の第一印象を思い出し、何度目かのため息をつきそうになったが、かろうじて踏み止まることができた。
初めて二人の履歴書を見たとき、他のと違うのにすぐに気づいた。
二人共と言うか、揃いもそろってこの二人は、部活やアルバイトのアピール度がゼロだった。
それだけではない、資格も普通免許しか載ってない。
いまどき考えられない。
こっちは就職のプロなのに、なんなんだこれはという悪いイメージばかりが刷り込まれ、かなり落ち込んだ。
メインの仕事が企業訪問であることに近藤は自負を持っている。
一人でも多くの学生を無事に就職ができるようにサポートする、そのために企業とのパイプをつくってきた。
ターミナル駅に近い分室が企業との接触を担《にな》ってきたが、近藤だけではできないし、分室員総出でも足りないくらいだった。
就活シーズンが終了するのを待って、二百社に案内状を送り大学主催のパーティを開催し、企業との繋がりを維持する。
それが済むと今度は、企業の規模や過去の採用人数等を勘案して教授や准教授、講師、助教に企業を割当てる。
次の就活シーズンが始まるまでに、割当先企業にアポイントを入れて訪問してもらうスケジュール管理は難しいが、それも近藤達の大きな仕事の一つになっている。
学生には履歴書の書き方とアピールポイントの書き方、面接の仕方まで教える。
分室に備え付けられている企業ファイルには、その企業との就活の記録を書かせていた。
それもこれも企業との縁を大事に結んでもらいたいがためだが、プロから見たらこの二人の履歴書は紙屑だと断言できる。
ただ、ため息の原因はそこではなかった。
どんな履歴書であれ採用され、もうすぐここに来る。
ため息はトルコと中国から来ていた。
履歴書は山のように見て来たが二人の卒論は、思い過ごしかも知れないがマニアック過ぎると思えた。
読み返す度に自分に刷り込まれるイメージが近藤を不安にしていた。
****
十一時過ぎに二人は揃ってやってきた。
引率は、ない。
見た目の第一印象は、二人とも悪くなかった。
右竹薫の背丈は低く体つきも細く、男らしさが備わっていない感じがしたが、清潔感があり好感さえ持てた。
宮藤涼子は、身長は右竹薫と同じぐらい、少し切れ長な目も手伝って知的な感じがしたし、顔立ちも悪くないと思えた。
近藤は二人を皆に紹介した。
二人ばらばらだったが、よろしくお願いしますと、ごく普通に挨拶をしてきた。
続いて分室のメンバー、木崎主任、小笠原、立花、池田を紹介。
二十七歳の立花瑤子《たちばなようこ》は分室で紅一点。
男では池田譲《いけだゆずる》が二十六歳で年が一番近い。
みんな北部大学出身。
高校は立花瑤子が北部女学院、他は北部大付属高校。
特に池田は高校時代に甲子園出場を経験している野球一筋のガッツマンだ。
今日の新人を迎えるまでは、分室全員が北部一色だった。
挨拶が終わったタイミングで木崎主任が、大丈夫ですからと、耳打ちしてきた。
主任を見ずにありがとうと返し、頷いてから近藤は二人を連れ出した。
****
三人がいなくなったのを見計らって、誰が口火を切るのかと立花瑤子は思っていたが、案の定それは池田だった。
「二人とも身長おんなじくらいって感じでしたね。右竹君が華奢《きゃしゃ》過ぎてまいった」
「もやしだなありゃ」木崎主任が続いた。
「池田君がごっついだけ。身長は確かに同じくらいね。ほんと華奢って感じ。鼻梁といいすっと尖った顎の線といい見るものを飽きさせない。彼みたいなのを美形って言うのよ」と瑤子流の観察報告を振ってやった。
「瑤子さん、これだもんな。なにが美形です? ありゃ体重五十ないな。いくら美形でも運動神経を置き忘れてきた男なんかに仕事が務まるんですかね」
分室の多忙さを考えると、体育会系の見方から外れることがない池田の見解にも一理ある。
池田の言葉で、沈黙の気配が伝播してしまった。
「宮藤さん可愛いと、俺は思う」
それまで黙っていた小笠原圭吾《おがさわらけいご》がぽつりと呟いたのを聞いて瑤子は速攻で受けた。
「はいはい、圭吾さん。可愛いの基準は私ですか?」
「いや、瑤子さんは普通に綺麗でしょ」
綺麗って言われて嫌になる女はいない。
圭吾は時々、真実をストレートに言うので好感がもてる。
「確かに世間知らずな可愛らしさはあるわあの娘。ちょっとダークっぽいけど」
これから盛り上がるって感じになってきたが、木崎主任が割って入ってきた。
「室長が二人をお昼ご飯に連れて行った。戻るまで皆でカバー、よろしく」
締めの合図が来た。
来訪者がいないんだからもう少し話を続けたって罰は当たらないと思ったが、皆が仕事に戻るのを見て瑤子も従った。
****
「うちの分室はみんないい人だから大丈夫。宮藤さんは立花さんとどお、うまくやれそう?」
建造物内にある食事ができるカフェに近藤は二人を連れてきた。
今日のランチはナポリタン、食後のコーヒーはホットかアイスを選べる。
味もいいので建造物内では人気のスポットだった。
「はい。お綺麗な方ですね、それに大人な感じ。いろいろと教えてもらいたいと思います」
「そう。それはよかった。右竹君はどお、大丈夫そう?」
「そうですね。僕もいろいろと教えてもらいたいと思いました」
「・・・・・・」
右竹薫に分室の雰囲気に溶け込めそうかを訪ねたつもりだったが、受け止め方が違っている。
「右竹君ってば、立花さんに何を教わるつもりなの? 私が先ですからね。右竹君はあとあと」
近藤は右竹薫の反応に驚き、続く宮藤涼子の仕草にもっと驚いていた。
宮藤涼子は右竹薫に向かって言いながら、手の甲を外側に二度振ったのだ。
あまりにストレートすぎて無意識だと分かるが、社会人になって初めての食事の場でにすることではない。
第一、女性らしくない。
「その仕草、可愛くないですね」
優しい言葉使いだがはっきりと言い放った右竹薫を見るとフォークをぐるぐる回していた手の動きを止めて、まだ言い足りない感じで宮藤涼子を見ている。
「さっきの挨拶の時、立花さんが宮藤さんを見たのは一刹那《いっせつな》だけでしたよ」
宮藤涼子を見ると、彼女の手元の動きもフォークを差したままで止まっている。
「それはっ・・・右竹君の勘違いよ。私はずっと見てました」
拍子抜けした。
この新入社員は、どうしようもない自己中女で世間知らずだ。
嫌味はない感じなだけ救いか、たぶん天然だろう。
なぜか、二人のやり取りを見ていて気分は悪くない。
当のご本人は、フォークを止めたままで右竹薫を睨んでいる。
「宮藤さんはいい人ですね。右竹薫と申します。同期として、これから宜しくお願いしますね」
それを聞いたご本人の表情が一瞬で上から目線に変わった。
右竹君もさすがに気づいただろう。
ご本人様は勉強ばかりで世間の常識を学んでいないのか。
持って生まれた性格が成せる技なのかは知らないが、単純な人だということは理解できた。
「・・・・・・」
上から目線を解除できないらしい。
宮藤涼子は黙ったままで動かない。
たまらず、近藤は割って入った。
「えっ。君たちお互いの挨拶とかってまだなの?」
「まだです」
同時だった。
ばらばらだった二人の息が、ここで揃った。
それから食後のコーヒーを飲み終えるまで、不思議なことに二人は楽しそうに会話を続けていたように思う。
社会人初日で上司と食事なら、定番は上司が話しそれを聞く。
出来る奴はさりげなく上司の話題に質問を入れてくる、だろうに。
私が振る話題には、その都度ちゃんと聞いてくれる態度は二人とも好感が持てたが、質問がくる気配は、ない。
私の話しが終わると二人は、立花瑤子さんの話に戻る。
口数が多いわけでもないが続く。
楽しそう。
その二人を見て、履歴書を見た時の不安を思い出した。
僅《わず》かな時間しか接していない立花さんの分析を、細かく話し合っているこの二人はどう見てもマニアック過ぎる。
自分が分室長でいる間、世俗主義、朝貢冊封、チュルクの話題が出てこないことを祈るほかない。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
8
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる