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15)琴葉と『元旦那様』のこれから【完結】
しおりを挟む2人で深く眠ったあの夜が過ぎ、朝日がまた昇る。
朝早くにこっそりと出たつもりだったのに、元旦那様はすでにベッドから消えていて。疑問に思いつつも玄関に向かうと、しっかりとその場に立っていた。
「お見送りまでして下さるんですか。」
「また会えるんだろう。それなら、こんな時ぐらいは見送るよ。今生の別れじゃあるまいし。」
わざとらしくあくびをする元旦那様に目を丸くしたが、なんとなく言葉を口に出来なかった。ただ、頷いた後、慣れ親しんだ館を見上げた。
何故か、いろんな思い出が脳裏をよぎった。
今思えば、傷ついたことも、嫌なこともたくさんあったのだと思う。
心を抑えて耳を塞いで見て見ぬふりをしたこともたくさんあった。
それでも、生きていたのは、この城野宮家や元旦那様に守られていたことも一端にある。
『ありがとうございます、琴葉姉様。』
『・・・そう、それが貴方の決めた道なのね。・・・恨む?いいえ、巽の側にいてくれたのに、感謝こそすれ恨む筋合いなどありませんよ。』
小百合様や椿様に電話した時に言われた『ありがとう』という言葉。
お礼を言ってもらう立場じゃない。むしろ、私が謝らなければならない立場なのに。
私の実家に振り回された元旦那様は被害者といってもおかしくない立場。
中途半端に揺れていた『私』の意志が弱いのが一番悪いというのに。
それなのに、城野宮家の人間はみんな優しい。
私や私の実家の都合で意図的に『巽』様を旦那様として悪者に仕立て上げたのに。
巽様は自分も酷いことをしたからと認めようとはしないだろうけれど。
それでも、離婚してケジメをつけた今なら、言わせてもらえるだろうか。
「巽様、貴方に謝罪をさせてください。私は貴方が姉と共に母様と話をした時点で気づいていました。」
あなたが『歌を歌っていた方』に求婚していたことに。
「でも、私は黙っていた。姉の嘘をそのままにしておけば・・・『私』が・・・あの家から解放されるかもしれないと思って隠していました。」
・・・反発したのも、貴方の中にある『琴葉』のイメージを打ち壊したかったから。
姉の好きなようにさせていたのも、私にとっては都合が良かったんです。その分、私は好きなだけ・・・椛屋から逃げることができていたから。
「貴方を悪く言える立場じゃないんです・・・本当ならば。なのに、私は貴方を悪者にした。全部を貴方のせいにしようとした。本来ならば私が向き合わなければいけなかったことだったのに。だから・・・言わせてください。申し訳ございませんでした。」
深くお辞儀してから、巽の表情を確認しようとする。だけれど、琴葉を見る巽の表情は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「本当に、君が謝ることなどないよ。君がしたこと以上に俺のやったことの方が酷いからね。実際、惚れた女性を間違えたあげくに、初体験の相手を友人に頼んだ愚かな自分を未だに許せずにいるんだから、せめて追い打ちをかけないでもらいたいな。」
「・・・・ああ、別にそれ自体は気にしてないのですが。」
「そこは気にした方がいいと思う。とりあえず、君は「自分」探しついでにもっと自分を大事にすることを学んでくるといい。」
はぁとため息をつきながら頭を撫でてくる。・・・これも前はなかった変化だ。
本当に、皮肉なことだと、琴葉は思った。
「本当に・・・もっと早く『椛屋琴葉』として貴方と向かい合えばよかった。そうすれば、まだ、円満に・・・あの家と離れることができたかもしれませんね。」
「たらればを考えるときりがないし、感傷的な気がして好きじゃない。」
「・・・巽様はそうでしょうね・・・ああ、そろそろ時間なので行きます。」
「気を付けていっておいで。」
「・・・行ってきます。」
最後に深くお辞儀してから、今度こそ足を一歩二歩と動かして歩き出した。
玄関の方を振り返らなかったのは、巽がそれを望まないだろうと思ったから。
歩くたびに、頬を伝う涙が熱いと感じても、拭うことができなかったのは、抑えきれなかった感情が溢れ出ていたからだ。
「ああもう、今になってやっと自分が馬鹿だって気づきましたよ。」
今さらながら自分がどれだけ馬鹿か思い知ることになるとは。こんなにも悲しいと思うぐらい、あの家を気に入っていたとは。
「・・・今なら、巽様にビデオやカメラを向けられても笑えそう。」
涙を拭った琴葉の目に映ったのは眩しい太陽と青空。しばらく見上げていた琴葉は思い切ったように駅の方へと向かって行った。
巽は突然やってきた親友である森野徹の依頼に対して呆れ果てていた。
この眼前にいる友人はすでに結婚して、娘もいるせいか子煩悩な父親になっている。そして過去、琴葉のことでいろいろと迷惑をかけた相手でもある。それだけに頼みは無碍にできない。ただ、さすがに依頼内容には顔を引きつらせずにいられなかった。
「何故、俺がお前の娘の発表会に行かなきゃならんのだ。しかも、明日だぞ!」
「お前さ、かなーり前に借りがあったの覚えているだろう?」
「・・・琴葉のことか?」
「そう。忘れた訳じゃないだろう?どうしても手が離せない俺の代わりに、大事な可愛い娘の晴れ舞台を撮ってきてくれるよな?」
「奥さんはどうしたんだ?」
「病院だ。二人目の出産予定日が丁度重なってしまってな。」
「つまり、お前は立ち合うつもりなわけだな・・・だが、俺は赤の他人だ。大丈夫なのか?」
「安心しろ、ちゃんと事前に園長先生に話を通してある。それに、担任についても問題ない。お前の顔を知っているからな。」
「お前、そういうことは普通当事者の俺に真っ先に言うべきことだろう。俺の意志を無視して・・それに、そういう問題じゃない。お前の両親や奥さんの両親に頼めばいい話じゃ・・・・」
「まぁまぁ、とにかく頼むから。・・・それに断言してもいい。お前はきっと俺に感謝することになるだろう、それこそ俺の娘を崇め讃えてもいい勢いでな。」
「・・・そんなわけないだろう。」
彼なりに意図があるようだが、どう聞いても答える友人ではない。
それにここで引き下がる友人でもないと解っていたので、しぶしぶと了承した。幸いにして非番だから都合は悪くないと預かったビデオを見てため息をついた。
巽は不本意この上ないと思いながらも、友人に頼まれた任務を実行するべく、幼稚園に向かった。幼稚園に入ると、正面に掲示板が見えた。そこには一番奥の遊戯室で発表会があることも書かれている。掲示通りに進んでいくと、遊戯室が見えたのでこっそりと入った。
やはりというか、保護者の数が多く、どの親もカメラやビデオを構えている。クラス別での発表なのだろうか、子どもたちがいくつかのグループに別れて座っている。
友人の娘とは何度も会っているので、どこにいるかはすぐに解った。舞台の傍にいることからもうすぐ発表で、待機している最中なのだろう。手を振ると、向こうも気づいたのか持っている星の杖を振ってきた。
「奈々ちゃんは・・・ああ、いたな・・・よし、あそこらへんに陣取るか。なんだって、俺は子どももいないのにこんなことを・・・・。」
できるだけビデオを撮りやすい中央へと移動して、三脚を立てて待った。と、その時、出番なのか、ピアノが鳴った。音が響くのと同時に、歌っている声に聞き覚えがあることに気づいた巽は顔を向けた。
「・・・・・・馬鹿な、この声は。」
細い指先を鍵盤に滑らせ、楽しそうに声を出して歌っている女性。彼女の声も姿も見間違えるはずがない。あの別れた日から5年経つが未だに色あせず残っている。呆然と立ち尽くしていた巽だが、目が合った時、間違いなく彼女だと確信を持った。
「・・・琴葉、じゃないか。」
巽にとって幸いだったのは、ビデオをスタンバイしていた時にボタンもちゃっかり押していたおかげで、奈々ちゃんの雄姿を最初から最後まで収めることができたことだろう。
発表会が終わり、ついでに奈々ちゃんを病院までと頼まれていた巽は奈々ちゃんが出てくるのを待っていた。しばらくすると、出入り口に奈々ちゃんが現れ、その後ろから彼女が現れた。抱っこしていた奈々ちゃんをおろしながら、巽は琴葉に話しかけた。
「やっぱり君だったか。」
「久しぶりです。森野さんから聞いていましたが、本当に来られたんですね。」
「まさか、俺の顔を知っているという担任は君だったのか?」
「ええ。今、奈々ちゃんの担当をやらせてもらっています。」
「あいつめ、そういうことか。・・そうか、保育園で働いていたんだな。」
目を細めて聞くと、琴葉はエプロンのポケットに手を入れながら説明し出した。
「いえ、私は臨時なので、産休の先生が戻ってきたらお役御免になります。」
「ということは、終わったら、また仕事を探すことになるのか?」
「そうですね、そろそろメイドの仕事が恋しくなってきていますけれど・・・。」
「メイドどころか、女主人の座も空いている。いつ来ても構わないぐらいだ。」
巽がさらっというが、琴葉はどうでしょうねーと躱している。それに目を丸くした巽は過去を思い出して微笑んだ。
「見事に躱されたな。というか・・・表情が良くなっているね。」
「ええ。結構表情にでるようになりました。貴方の前でも出ているならかなりのものですね。」
確かにメイドだった頃の無表情と違う。徹には悪いがビデオを固定した後は、(自分)のスマホで琴葉の写真も撮影しまくった。もちろん即、待ち受けにしたのはいうまでもない。
暫くたわいのない話をしていた時、琴葉がいきなり眉間に皺を寄せ出した。どうやら、巽がスマホを持っていたことを思いだしたようだ。
「そういえば、スマホを構えていましたよね、まさか写真を?」
「よく気付いたな。」
「巽さんは変わらなさ過ぎて逆にびっくりしました。スマホが向けられたのに気づいてびっくりしましたもの。」
「悪いが、この5年、君への想いが途絶えたことはないな。」
「・・・卑怯なセリフですね、それ。」
「・・・どういう意味だ?」
「気づいていないならいいんです・・・意外に天然だったんですね。」
顔を真っ赤にさせた琴葉だが、どこに真っ赤になる要素があるのか解らない。次第に保護者の数も増えたので、琴葉とゆっくり話せる時間はなさそうだなと踏んだ巽は、琴葉に連絡先を聞いた後、奈々ちゃんを連れて帰ることにした。車のチャイルドシートに乗せた後、運転席に座る間にも、琴葉の顔が思い浮んだ。
「・・・なんか、5年前よりは幾分か和らいだし、距離はあるが、悪くない距離だな。」
ふと、思い出した。徹のドヤ顔を。
『お前はきっと俺に感謝することになるだろう、それこそ俺の娘を崇め讃えてもいい勢いでな。』
(・・・不本意だが、感謝してやろう。ったく、本当に過去の俺は馬鹿で間抜けすぎる。琴葉と姉の方を間違えた挙句に、徹に琴葉をくれてやろうとしただなんて。)
過去を思い出すだけで何度苛立ったことか。
あの時の俺の行動を後悔したことなど数知れず。
未だに夜に飛び起きることだってある。
あの頃犯した愚行の数々はきっと死ぬまで鎖となって俺を縛り付ける。
非難されても当然のことをした。本来なら、警察に突き出されて罵倒を受けてもおかしくないことをした。だけれど、彼女は俺を断罪しなかった。みんなは琴葉のことを優しいとか甘いとか言うが、違う。
された側の俺に言わせれば、全然優しくないし甘くない。
だって、逆に言えば、記憶に残すほどの価値がないと言われたようなものだから。
許しがあれば楽になれる。次に進むことができる。でも、彼女は許すとも言っていない。それに、彼女は生涯『許す』という言葉を使わないだろう。そして、俺はその許しを自分で決める立場にはない。つまり、俺に生涯『許される日は来ない』ということだ。
だからか、余計に後悔が募る。
形だけでも目に見える『許し』があればまだ幾分か楽だろう。
賠償金なんかは解りやすい『許さないけれどこれで手打ちにする』という証。
だが、それすらなければ、どうしたらいい?
そんなことは誰も教えてくれない。正解なんかないからだ。当たり前だ、本人にしかその痛みも苦しみも解らないものなのだから。
何が正しいかなんてわからない。
どうすれば赦されるのか考えても、終わりが来ない。
その焦りと苛立ちにどう向き合っていくかを生涯考えなければいけない。
これほど『断罪』に相応しいものはないだろう。
・・・彼女から下されたのはまさしく、『目に見えない断罪』だ。
(それでも・・・彼女に許しを求めてはいけないことぐらいはわかる。・・・ならば、俺が俺自身を断罪し続けるしかない。)
今、5年経って尚、彼女が俺を拒否しないこと自体が幸運なこと。それだけでもありがたいぐらいなのに、笑いかけてくれる。これは感謝しなければならないことだ。あの5年前はまだそこまでの実感がなかったが、今になってそのありがたみが深いほど解る。
「・・・寧ろ、これからが正念場だな。」
彼女の笑顔は俺を喜ばせるのと同時に古傷をえぐり出すものだから。
巽は一つため息をつきながら運転に集中し出した。
とりあえず、病院に寄った後は、黒川に言って準備をしてもらわないといけないと頭の中を整理する。メイドを増やしてもらうための雇用の手配をしなくてはいけないし、それに別れ際に琴葉は言ってくれた。
『近いうち、城野宮家にメイドとして戻ります。その時は今度こそ、『巽様』と向き合いますから、よろしくお願いします。』
琴葉はそう言ったが、それはこっちのセリフだと思った。敢えてあの時は言わなかったが、こちらにも心づもりが必要だと思った。
「・・・俺もちゃんと『琴葉』と向き合わなければならないからな。」
琴葉がメイド姿で再び『旦那様』と出会うのはこの3ヶ月後のことになる。5年前と変わらないメイド姿だが、一つ違うのは、あの時の感情を押し殺した琴葉ではない。
巽の前にいるのは、『椛屋琴葉』という一人の人間。
「おかえりなさいませ、巽様。」
あの時とは違う笑顔で迎えてくれる琴葉に対して巽が何とか返せた言葉はたった一言。
「・・・・ただいま、琴葉。」
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