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最近のありえない店員さんと私

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ここ最近視線を感じるのはきっと気のせいだと思いたい。そんなことを思ったのは、ポストが荒らされているのを目の当たりにしたからだ。


(現実逃避していても仕方がない。コレ、どう考えても元彼だよね・・・・)


遙はぼんやりと手首を見た後、片手でそっと覆い隠すように手首を掴んだ。


(・・・・もう、あんな思いはしたくないのに。)


脳裏に蘇るのは、かつてまだ社会人になったばかりで世間知らずだった自分。
よく一緒にいた先輩と一緒に仕事していて、次第に惹かれあって付き合って同棲を始めた。
このまま結婚まで・・・と思っていた時に訪れたのは悪夢だった。


(まさか自分が世間でいうドメスティックバイオレンスを受ける羽目になるとは。)


それでも、彼は私に執着し続けた。ある時は上から抑えつけたり、ある時は懐柔策をとってきたり。
今なら、あれはおかしいって解るけれど、当時は恐怖しかなかった。


(・・・今思えば、包丁突きつけられて、お前が悪いんだとずっと言われ続けていたあの時は気がくるっていたとしか思えない。)


後で『デートDV』という言葉を知って、調べてみたらほぼ当てはまったっていう・・・しかも、当時の私には『彼に捨てられたら困る』という心理が何故か働いていた。

「・・・今なら絶対アイツに盾突けるけれど、身体はまだあの時の怖さを覚えているのよね。」

気づけば、もう家の中にいた。遙はのろのろと会社の制服を脱ぎ、いつもの着ぐるみを被ろうとした。遙にとって、この着ぐるみはまさに『鎧』であり自分を守る『盾』だ。

身体のあちこちにまだ残る痕や傷は見ていて気持ちいいモノじゃないし、見られたくない。

結果的に大学の同窓会で出会った先輩が助けてくれて、アイツから離れることが出来たけれど、その助けてくれた先輩がこれまた三股かけていた人で・・・。
つくづく、私は男運がないらしい。

「しかも2人そろって私が悪いって言うし・・・違うと思いたいけれど、あそこまで豹変されたらなぁ。」

着ぐるみのファスナーを留めた後、リビングのゲームを起動させた。

彼からの暴力から逃げて、ふらふらと街を歩いていたところ、アニメイトが目に留まった。昔はゲームが好きだったことを思いだして入ってみたら、一部のコーナーにコスプレ衣装があって、その中に着ぐるみも何着かおいてあった。


(今思えば、何故かあの時ふらっと掴んでしまったのは、腕に残った無数の傷と向かい合いたくなかったからだろうか。)


テレビからゲームの音声が流れている。遙はひたすら没頭し続けた。

どれぐらいゲームをしていたのか解らないが、気づけば、窓から漏れていた光はすでに消え、当たりは暗くなっていた。

「・・・もう、夜なんだ・・・あれ?」

机においてあったスマホを見てみると通知表示が見えた。手を伸ばして一通のメールを開けた。

『遙、今から家に遊びに行っていい?夕飯一緒に食べたいな。』

「・・・・嵐君・・・からか。そういえば、つきあうことになったんだっけ。・・・よし、送信完了。」

気づけば、遙は嵐に了承の返事を返していた。その素早い行動とは裏腹に他人事のように呟いた遙はのろのろと立ち上がり、リビングの電気をつけた。暗いところから一気に明るくなったせいか蛍光灯の光が眩しい。

「・・・・よし、面倒だけれど、料理しないとね。」


(嵐君に夕飯をたべさせないといけないしね。)


しばらくキッチンで作業をしていると、チャイムの音が聞こえた。少し小走りで玄関に向かうとモニター越しに嵐の顔が見えたので、ドアを開けた。

「・・・早くない?」
「実は近くまで来ていてさ。ってか、なんなの、玄関にあった遙の部屋のポストがめっちゃくちゃボコボコにされてるし、なんか鍵も壊れてるけれど、もしかして?」
「うん、アイツというか、元彼だと思う。」
「何をのんきに言ってるのさ・・・もうちょっとセキュリティのイイところに引っ越しなよ。」
「一人暮らしにそこまで金をかけられません。」
「じゃあ、俺といっ・・・」「あ、お湯が沸いたみたい。」

途中で嵐の言葉を遮ったのはわざとじゃないと思いたい。でも、結果的にお湯が湧いたおかげで、聞きたくない言葉は聞かずに済んでホッとしている。


(あっぶな・・・一緒に暮らそうって言われそうになったよね?ちょっと遠慮したいなぁ。元彼とかアイツとかも豹変したし。さすがに三度目は嫌だよ。)


コンロを留めて、鍋にあったブロッコリーをザルに移して、サラダと一緒に皿へと盛りつけた。


「これでよし。嵐君、できたよー。」
「・・・・嵐でイイって言ってるのに、なんで君付け?あ、俺も運ぶからいっぺんに持たないで。」
「んー、気分で?あ、ありがとう。」

付き合うと決めたあの時から、以前は三日に一度ぐらいの割合で来ていた嵐がほぼ毎日来るようになった。ストーカーもどきのアイツから守ってくれるためということもあるみたいだけれど、正直、助かっている。


(口に出しては言わないけれどね。)


「さて、いただきます。」
「・・・・いただきます。」

リビングのテーブルに料理を並べたあと、二人で食べ始めた。話題は例によってゲームのことが多いが、少しずつ、他の話題も増えている。
ふと思い出したように、前から気になっていて行きたいと思っていた嵐の家について、ちょっと聞いてみる。

「嵐の家って、喫茶店だったよね。なんていう名前なの?」
「は、遙・・・・いきなり呼び捨てはやめて・・・・び、びっくりするから。」

時々、嵐は本心からなのか、冗談で言っているのか解らなくなる時があるが、今回は本心だとすぐに解った。目の前でお茶を零している上に、解せぬと言いたげな表情を見せていたから。今もぶつぶつと言いながらこぼれたお茶を拭いている嵐に対し、遙は首を傾げた。

「ええ、呼んでほしそうだから言ってみたのに。」
「・・・唐突過ぎるよ。せめてワンクッション置いてほしいな。」
「むー、それこそ、気分で、だよ?」
「いやだからな・・ああもういいよ。」

拭き終わった嵐は布巾をキッチンへおいてからまた戻ってきた。結局、嵐は喫茶店の名前を言わずに別の話題を話し始めたので、質問はスルーされた形になった。

「「ごちそう様」」

手を合わせて挨拶した後、お皿を洗っていると、嵐がテーブルの整頓をして拭いてくれているのが見えた。


(なんだかんだ言って手伝ってくれるのよね。)


片づけをして、後は紅茶でもと思った時、嵐がひょいとキッチンに顔を出してきた。

「遙、紅茶飲むなら入れようか?」
「んー、でも今インスタントしかないよ?」
「何言ってんの、いっただろ、いつも持ち歩いているって。」
「・・・そうだったね。」


(思いだした、紅茶好きなんだっけ。)


しかも喫茶店を手伝っていることもあってか、すごくおいしいのは以前に確認済み。
その味を思い出し、遙は素直に嵐に頼むことにした。

「じゃあ、お願いします。」
「はい、任された・・・・あのさ、遙、コレを俺専用としてここに置いてもいい?」

ちょっと迷いながらも、嵐は鞄に入っていたコップを見せてきた。

「わ、可愛いね。もちろんいいよ・・・あれ?これ、模様が片方しかなくない?」

コップを見るために受け取ってまじまじと見ていると、模様が途切れていることに気づいた。疑問を嵐に言うと、さすがという言葉と共に、鞄からもう一つを出してきた。


(・・・こっちのはこのコップと色違いだけれど、模様が繋がっているように見える。もしかして、ペアカップかな?)


「・・・・もしかしてこれ。」
「そ、ペアカップになってるんだ。実用的なのがなかなかなくて苦労した。」
「最初は両方頼もうと思っていたけれど、遙だってお気に入りのコップとかあるだろうから止めて、俺が家で使おうと思って・・・ってどうしたの?」

嵐の手にあったコップを取り上げ、二つとも洗うことにした。本当は買ったばかりの時は、煮沸消毒をしたほうが安心なのだろうが、お茶を飲みたい今は、少し綺麗に洗うぐらいでいいだろう。後でしっかりとしておこうと思い、ペアカップをしっかりと拭いてから、嵐に渡した。

「じゃあ、お願いします。」
「・・・遙、ソレ、反則。こんな時だけ・・・なんか、余裕あるように見えて悔しい。」
「余裕なんかあるわけないよ・・・なんでそう思うのかわからない。さて、ゲームしようっと。」

複雑そうな表情を見せた嵐を余所に遙はリビングで携帯ゲーム機を起動させた。もう何も言う気がなかったのか、次に嵐を見た時はすでに紅茶づくりに没頭していた。


(・・・・なんだかなーこういう時は男に見えるんだよな。黙っていればほんと、イケメンなのに。)


しばらく無言でゲームに夢中になっていると、テーブルの方から音が聞こえてきたので、顔をあげたその時は、丁度、嵐がテーブルに二客のペアカップを置いたところだった。

「遙、お待たせ。今日はアッサムでミルクティーにしてみた。牛乳を鍋で沸騰させてから入れてあるから、味がまろやかになっていると思う。」
「・・・・・ひと手間かけるのって、面倒そうに見える。」
「面倒だけれどさ、より美味しくなるって解っているんだからやるべきだと思うぜ。」

確かに、嵐の言うように美味しかった。ミルクの味にとげを感じない。


(・・・・時間があるときは牛乳を沸かそうかな。)


嵐が言うとちょっとやろうと思えるから不思議だ。
気づけば、嵐の一言はやる気のモチベーションにも役に立っている気がする。


「・・・・ん、こういう影響の仕方なら悪くないよね。」


(アイツの時は嫌な影響しかなかったけれど、こんな風に、面倒でもやろうって思えることが増えたらいいな。)


「遙・・・?」
「嵐君、入れてくれてありがとう。さ、飲みましょう。」
「・・・やっぱり遙の基準が良く解らない。また呼び方が戻っているし。」





・・・・私は気分屋さんなので、そこは諦めてください。





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