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第一章

第十八話 もう失うものなんて何もないから

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 僕の足元で、小学校低学年くらいの男の子が、座り込み泣きじゃくっている。
 迷子――そう言った表現は、ある意味正しいのかも知れない。
 この子は両親と、はぐれてしまったのだから。
 しかし、ここには迷子センターも、警察もいやしない。
 僕はホルダーから拳銃を抜き出し、その子供の額に銃口を向けた。
 そして、躊躇することなくトリガーを引く。

 パァン――。

 乾いた音と共に、真っ赤な血しぶきが飛び散った。
 この世界にいるのは、僕のような……人の心を捨てた殺人鬼だけだ。
 僕は顔に付いた血を拭い、次の標的へと照準を合わせる。
 僕は人を殺すことに、何も感じなくなっていた。
 これはゲームだ……。
 どうせもう一度……何度でも、生き返るのだから。
 ――そう割り切って。
 大切なものを失ったから、もうこれ以上失うものなんて無いのに。
 あの時、大切なものを失う前に、鬼になれていれば……。

 シモンの役回りは、遠距離からの狙撃。
 僕の役回りは、潜入し殲滅。
 拳銃を手に敵のアジトに潜入し、一人一発で仕留めていく。
 僕のアビリティは、視界に入った一定距離の敵を、一瞬で倒すことができる。
 背後から撃たれない限り、接近戦で撃ち負けることはない。
 僕は壁を背に、常に耳を澄ませ周りを警戒するくせをつけた。
 シモンは、何も教えてはくれない。
 だから動きを盗み、自分で考えて行動に移す。
 もう、こんな世界はこりごりだ。
 生き残って、元の世界に戻る――ただ、それだけのために、僕は人を殺し続ける。
 僕は、寝転びながら夜空を見上げていた。
 やがて、天の星は十を切った。
 いつの間にか、僕の星のすぐ下で輝いていたアイの星も消えていた。
 そろそろ、見張りの交代の時間だ。
 まったく眠れなかった。
 僕とシモンの二人になって、常に敵の襲撃に怯えているせいだろうか。
「交代します」
 僕は、見張っていたシモンに声を掛けた。
 相変わらずシモンと二人きりだと会話に困る。
 でも彼と話すようになって、少し打ち解けてきたと思う。
 だから、気になっていたことを質問しようと思った。
「あの、シモンさんはクリムゾンネイルに、会ったことはあるんですか?」
 ハイジを殺したあの虎はクリムゾンネイルでは無い――あの時シモンはそう言っていた。
 シモンは僕から話掛けられたことが意外だったのか、暫く黙って僕の顔を見て、また顔を逸らした。
「あぁ」
 彼は小さな声で一言呟いた。
 そして、暫く沈黙が続いた。
「奴について知りたいのか?」
「えぇ、もし同じ世界にいるのなら、どういう奴なのか知っておきたいと思って……」
 僕はシモンの顔を見つめた。
「なぜ、クリムゾンネイルに殺されたら復活しないのか……」
「怖いか?」
「はい……」
「死ぬのが?」
「もし、そいつに殺されたら、二度と生き返らないって……」
「それは、元の世界でも同じことだったろう?」
「そうだけど、僕のいた世界は平和で、命の危険なんて殆どないから」
「そうか……恵まれているな」
 彼もまたハイジと同じように、戦争のある国に生まれたのだろう。
 日本は平和なのだ……命の心配なんてせずに生活できる。
 ハイジやシモンは、例え元の世界に戻っても、ここと同じように命の心配をしながら生きなければならないのだ。
「クリムゾンネイル……奴もまた、我々と同じようにこの世界に連れてこられた者の一人だった」
 シモンは水筒の水を口に含みながら続けた。
「しかし、奴は悪魔と契約し、死神の剣を手に入れたのだ」
「悪魔……?」
 僕の質問に彼は答えなかった。
 この世界にもそんな存在がいるというのか?
「奴の力は強大だ。復活することのできるこの世界において、唯一本当の死――を与える力がある。奴がその気になれば、虐殺が始まるだろう」
 僕はゴクリと唾を飲んだ。
 クリムゾンネイルが、僕たちと同じ世界にいないことを願いたい。
 生きて……元の世界に戻りたいから。
 シモンは眠りに就き、僕は見張りを行う。
 僕は何時間も、星が浮かぶ真っ黒な暗闇を見上げていた。
 ペーロもアイさんも、そしてハイジもいない。
 今でも聞こえてくる気がする。
 みんなの話し声が――、笑い声が――。
「ねぇ……ねぇってば……」
 ハイジ?
 僕は慌てて振り返った。
 ハイジがいるはずも無いのに……。
 振り返ると、そこにはハイジとは正反対の小悪魔的な……あの少女が立っていた。
 今日の服装はドレス姿では無く、寝間着姿だった。
 彼女は僕の横に腰掛けた。
 ネグリジェというのだろうか? 薄手の服で露出の多い格好をしている。
「そんな格好じゃ、風邪ひくよ」
 はだけた胸元に思わず目がいってしまう……。
「どこ見てるの?」
 僕は慌てて目を逸らした。
「み、見てないよ……」
「うふふ……」
「見たいのなら見せてあげてもいいのよ……脱ぐ?」
「な、なにを言って……」
 僕は彼女に背中を向けた。
「べ、べつに見たくないし……」
「うふふ……かわいい……」
 少女は僕の後ろから抱きついてきた。
「また、あの子と間違えたのね?」
 あの子……ハイジのことだろう。
「無理もないわ……」
 少女の両手が僕の頬に触れる。
「だって……わたしとあの子は……」
 少女は、僕の正面に回り込み腰を下ろした。
「キミはいったい?」
「わたしは……そうね、アリス――とでもしましょうか」
「アリス……」
「あの子はまだ生きているわ……また生き返ったの……こことは違う別の世界で」
「あの子って……ハイジのことだよね?」
 僕は恐る恐る聞いてみた。
 やはりこの子は、ハイジと何か関係がある……そう思ったから。
 アリスは何も答えること無く、ただ笑顔を作っている。
 否定しないということは、肯定なのだろう。
「そうか……無事に生き返ったんだ」
 よかった――安心した。
「あの子は受け入れなければならない。目を背けているだけ……まだまだ子供なのよ」
「アリス……キミは何者なんだい?」
 彼女は、僕の質問には答えなかった。
「あなたは、あの子のことが好きなんでしょ?」
 僕もその質問には答えられず、俯いた。
「いいわ……言わなくても、顔に書いてあるから」
 僕はきっと……ハイジのことが……好きだったんだと思う。
「あの子は、この世界で学ぶべきなの……ここは世界の理なのだから」
「あなたはどう思う? 人が殺し合うことについて」
「できれば殺したくなんかない」
「それは、自分の手を汚したくないだけの偽善ね」
「でも……大切な人を守るためなら」
「殺すのは仕方ないと……そう自分に言い聞かせるのね」
 アリスは、僕に背を向けて言った。
「真逆のことを言ってるわね」
「もっと早く気づいていれば……甘さを捨てていれば」
「ライオンも狩りをするし、あなた達も牛や魚を食べる。結局は何かを糧として、その犠牲の上に生命は成り立ってるの。それに気づけない彼女は、まだ子供なのよ」
「人間は、牛や魚とは違う……」
「そうね……牛や魚は殺し合いなんかしたりしない……。平気な顔で人を殺している今のあなたをみたらあの子、どう思うかしらね」
「それなら僕は……どうすればいいんだ!?」
 僕はアリスに向かって叫んだ。
「ごめん……」
 僕はすぐに謝った。
 アリスに腹を立てても仕方の無いことなのに。
 怒りの矛先がほかになかったから……。
「いいことを教えてあげる」
 アリスは僕の目の前で屈み込み、顔を近づけてきた。
「あの子もね、キミのこと……スキ……みたいよ」
 僕はその言葉に動揺して、頭が真っ白になった。
 アリスは僕の頬を両手で掴んだ。
 ほのかな香りと共に、僕の唇に柔らかい感触が伝わる。
 僕とアリスの唇が重なった。
 ……え?
 あまりにも突然で、僕はすぐに俯いた。
「うふふ……ファーストキスだったのかしら?」
 心臓からバクバク音がする。
「好きな子がいるなら、もっと積極的にならないと……こんな風に」
 それっきり、アリスは話掛けてこなかった。
「キミは一体……」
 僕は顔を上げて周りを見渡したが、アリスの姿はどこにも無かった。

 照りつける日差しが肌を焼き、砂嵐が視界を遮る。
 真上に登った太陽を正面に浴びながら、僕とシモンは赤土の大地の丘を登っていた。
 砂には僕たちの辿った足跡がつく。
 しかし、風が吹き付け、その痕跡を消してくれていた。
 どこか木陰で一息つきたいところだが、高い樹木などは見渡す限りありはしない。
 草木と言ったら、サボテンのような丸くて棘のある植物だけだった。
 それをナイフで刺すと、水分が滴り落ちる。
 水筒の蓋を開けて、ナイフ伝いに水を補充する。
 この植物がある限り、飲み水不足になる心配は無い。
 頭の上から足元へと、汗が流れ落ちる。
 もう、限界だ……。
 僕は立ち止まり、水筒の蓋を開けて、真っ逆さまにして喉に流し込んだ。
「一度に飲み過ぎないようにしろ!」
 シモンはそう言うが、湿度が無くて乾燥する。喉が渇いて仕方ない。
 外気は日本の真夏より暑く、地面からも熱気が込み上げてくる。
 まるで、トースターの中で焼かれている気分だ。
 水筒の水は二本分バックパックに入れていたが、二本目も空になりつつあった。
 手で目の上に日よけを作り、丘の上を確認する。
 頂には、壊れた家屋が見える。
「あそこで……少し休みませんか?」
 シモンに対して僕から提案するのは、これが初めてだ。
 それほど、体力が限界だった。
「5分間だ」
 シモンはそう答えた。
 休めるなら僅かな時間でも良かった。
 丘を登り切ると、廃墟の集落となっていた。
 この暑さと、草木も生えない荒れ果てた土地だ。人々が離れていくのも当然だろう。
 赤土を材料にしたレンガ造りの建物が、500メートル位に渡って建ち並ぶ。
 ここで暮らしていた人達が、この土地を離れてもうどれくらいになるのだろうか?
 殆どの家の屋根なり、壁なりが崩れてしまっている。
 しかし、日除け程度にはなりそうだ。
 僕はバックパックを肩から下ろし、平らになっている瓦礫を見つけて腰掛けた。
 こんな荒野に、動物など僕達以外に一匹もいやしない。
 聞こえてくるのは風の音だけだ。
 だから、遠くの微かな悲鳴も聞き取れた。
「敵か!?」
 僕は素速くホルダーから拳銃を取り出し、セーフティを外す。
 そして、いつでも射撃できる準備を取った。
 シモンは、崩れかけた壁にぴたりと背中を付けて、顔半分だけ出して前方を覗き込んでいた。
「この先に一人いるぞ……。お前は裏から回り込め。ほかに仲間がいる可能性が高い。索敵を怠るな!」
 シモンとの連携も、だいぶ板に付いてきた。
 僕達は二手に分かれた。
 同じ方向から攻めるのではなく、敵の側面、背後を取ることで優位に攻められる。
 廃墟の裏側で足音がした。
 これまで何度も戦闘してきたが、今でも緊張や不安、恐怖がない訳ではない。
 僕のアビリティを信じるんだ。
「だいじょうぶ……だいじょうぶ……」
 ハイジの口癖だ――。
 僕は自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。
 そして拳銃を構えながら、塀伝いに進んだ。
 足音を立てないようにして、ゆっくりと進む。
 角を曲がった所に一人いる……。
 足音で分かる。
 待つべきか、飛び出すべきか?
 ここは、飛び出すのが強い。先に視界に入れれば、こちらが先に引き金を引くことができる。
 僕は勢いよく飛び出し、角を曲がった先に銃口を向けた。
 そこには少年がいた……。
 驚いた顔でこちらを見上げている。
 そして、彼の手には拳銃が握られていた。
 いつもの僕だったら、躊躇うことなく引き金を引いていた。
 しかし、トリガーにかけた指は微動だにしない。
 目の前の少年も、拳銃を握ったまま、僕に銃口を向けようとはしなかった。
 僕もその少年も、お互いに顔を見合わせた。
「ビリー……」
 その少年は、僕の名を呼んだ。
 目の前にいたのは、ルカだった。

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思わぬ人物との再会! ふたりの運命は!?
⇒ 次話につづく!
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