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血のバレンタイン・前編 ~カカオの香りは戦場の匂い~
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1
二月一日。
県立桜島南高校の校舎内には、妙な緊張感が漂い始めていた。
期末テスト前のピリピリ感とは違う。もっと甘ったるくて、ドロドロとした、脂質と糖分と執念の混じり合った気配。
そう、バレンタインデーが近づいているのだ。
男子バレーボール部の部室。
着替えをしながら、キャプテンの一ノ瀬がニヤニヤしながら僕に言った。
「おい日向。今年の二月十四日は日曜日だぞ」
「……え、そうなんですか?」
「おう。つまり学校での義理チョコ配布イベントは発生しねぇ。……呼び出しによる『本命アタック』のみが行われる、ガチの決戦日ってわけだ」
一ノ瀬が僕の肩をバシッと叩く。
「お前、生きて月曜を迎えられるといいな」
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ」
僕は苦笑いしたが、内心では笑えなかった。
僕の周りには、今、四つの巨大な台風が存在しているからだ。
**霧島楓**。幼馴染にして、お世話係(自称)。
**種子島凛**。後輩マネージャーにして、管理者。
**神宮司雫**。美術部の先輩にして、所有者(自称)。
**御門蘭**。転校生にして、お隣さん兼・狂信者。
彼女たちが、この一大イベントをスルーするはずがない。
いや、むしろここ数日、彼女たちの様子がおかしいのだ。
部活中。
楓は休憩時間になるたびに、スマホで「カカオ 致死量」「チョコ 溶かし方 失敗しない」などを検索しているし、凛は「スクラロースとアスパルテームの配合比率……」とブツブツ呟きながら謎の白い粉を調合している。
蘭に至っては、「愛の媚薬 通販」という危険なワードを検索しているのを僕は見てしまった。
……逃げたい。
リベロとしてどんな剛速球からも逃げない僕だが、今回ばかりは逃げたい。
2
その日の放課後。
1年A組の教室。
凛は、放課後のホームルームが終わっても席を立たずにいた。
机の上には、参考書ではなく、分厚い料理本と電卓が置かれている。
「……計算が合いません」
凛が眉間に深い皺を寄せる。
彼女が挑んでいるのは、バレンタインのチョコレート作りにおける「栄養素」と「味」の両立だ。
通常のチョコレートは脂質と糖質の塊であり、アスリートである悠真に摂取させるには不適切きわまりない。
そこで凛は、プロテインパウダーと高カカオチョコ、そして天然甘味料を駆使した「完全栄養食チョコ」の開発に着手していた。
「ですが、試作品第4号のテイスティング結果は『泥の味』でした。……なぜです?」
凛が頭を抱える。
そこへ、隣の席の蘭が、優雅に紅茶(持参したポット)を飲みながら声をかけた。
「あら、凛さん。まだ残っていらしたの?」
「……御門さんこそ。部活の時間ですよ」
「今日は『食材調達』のために早退させていただきますの。……ふふ、フランスから空輸した最高級クーベルチュールが届く頃ですわ♡」
蘭が勝ち誇ったように言う。
凛はムッとした。
「……素材の良さだけで勝負するなんて、芸がありませんね。工夫というものが足りんのと違いますか?」
「なんですって? 料理は素材が命ですわ。凛さんのように、ビーカーとフラスコで作るような実験料理、悠真様が喜ぶと思いまして?」
「実験ではありません! 調理科学です! ……それに、私は先輩の体を一番に考えて……」
「体、ねぇ……」
蘭が意味深にニヤリと笑う。
「私は、悠真様の『心』を溶かしますわ。……とろとろにね♡」
「……ッ! 不純です! 不潔です!」
凛が顔を赤くして立ち上がる。
二人の間に火花が散る。
教室に残っていた数人の生徒が、氷点下の空気に震え上がって逃げ出していく。
「勝負ですわ、凛さん。……当日、どちらのチョコが悠真様に選ばれるか」
「望むところです。……データに基づいた完璧なチョコで、貴女の鼻を明かしてやります」
バタン!
凛は鞄を掴み、教室を飛び出した。
向かう先は、家庭科室ではない。化学室だ。
3
一方、その頃。
2年C組の教室、及び美術室。
楓は、家庭科部の友人を捕まえて、猛特訓を受けていた。
「ねえ! テンパリングって何!? 温度計ないとダメなんけ!?」
「ちょ、楓ちゃん落ち着いて! チョコ刻むのに出刃包丁使わないで!」
楓のエプロンは既にチョコまみれだ。
彼女の料理スキルは「家庭料理」なら高いが、「お菓子作り」となると壊滅的だった。なぜなら、目分量でドバドバと砂糖を入れる癖があるからだ。
「悠真は甘党やから! 砂糖は通常の3倍入れるが!」
「それジャリジャリするよ!?」
「愛の重さで溶かす!」
論理が破綻している。
だが、楓の目は真剣そのものだ。
去年までは、なんとなく「幼馴染の義理チョコ」として渡していた。でも、今年は違う。
ライバルが増えた。しかも、どいつもこいつも強敵だ。
ここで「本命」を叩きつけなければ、悠真を奪われてしまう。
(……負けられん。絶対、ウチのが一番美味しかって言わせてやる!)
楓は出刃包丁を振り下ろした。
まな板が真っ二つに割れた。
一方、美術室。
独特の油絵具の匂いの中で、雫は一人、粘土をこねていた。
いや、よく見るとそれは粘土ではない。
チョコレートだ。
「……ふふ。美しいわ」
彼女の手によって成形されているのは、驚くほど精巧な「心臓」の形をしたチョコレート。
血管の一本一本までリアルに再現され、ラズベリーソースで「生々しさ」まで演出されている。
「私の心臓を、君に捧げる……。比喩ではなく、造形として」
雫はうっとりと、そのグロテスクかつ芸術的なチョコを見つめた。
これを夜中に渡されたら、悲鳴を上げること間違いなしだ。
だが、彼女にとってこれが最高の愛情表現なのだ。
4
そして、決戦前夜。
二月十三日。土曜日。
僕の家の周りは、異様な空気に包まれていた。
まず、右隣の霧島家。
キッチンの換気扇から、焦げ臭いような、甘ったるいような匂いが延々と漂ってきている。時折、「ああっ! 固まらん!」「なんで分離すっと!?」という楓の絶叫が聞こえる。
そして、左隣の御門(別邸)。
こちらはもっと深刻だ。
窓から怪しげな紫色の煙が出ている。
中から、蘭の「マムシの粉末はここで投入……」「愛の呪文を……」という不穏な独り言が漏れてくる。
僕は自分の部屋のベッドで、布団を被って震えていた。
「……明日、地球滅亡しないかな」
そんな願いも虚しく、夜は更けていく。
スマホが震える。凛からのLINEだ。
『先輩。明日の朝、7時00分に解錠してください。……寝不足は厳禁です。最高のコンディションで受け止めてもらわんと困ります』
……受け止める? 何を? 物理攻撃を?
さらに、雫からのメッセージ。
『窓を開けておいて。……夜闇に紛れて、君の寝室に行くわ』
不法侵入予告だ。
僕は慌てて窓の鍵を二重に確認した。
眠れない夜。
左右から聞こえる調理音(爆発音)を聞きながら、僕は覚悟を決めた。
リベロだろ、俺。
どんなボールだって……いや、どんなチョコだって拾ってみせる。
たとえそれが、致死量の愛だとしても。
5
二月十四日。決戦の朝。
午前七時。
インターホンが連打される音で、僕は飛び起きた。
「悠真ー! 開けてー! 一番乗りやっどー!」
楓だ。
まだパジャマ姿のまま玄関を開けると、目の下にクマを作った楓が、巨大な風呂敷包みを抱えて立っていた。
「……お、おはよう楓」
「おはようやなか! 寝てる場合け! ほら、これ!」
ドサッ!
渡されたのは、ホールケーキの箱くらいの大きさがある包みだ。重い。漬物石くらいある。
「……これ、チョコ?」
「当たり前やん! 徹夜で作ったとよ! 『悠真専用・特大愛情詰め込みブラウニー』や!」
ブラウニー。本来は焼き菓子だが、この重量感はレンガに近い。
楓は顔を真っ赤にして、僕を見上げた。
「……一番に食べてほしくて。……あいつらに渡す前に、ウチの愛で腹一杯にしてやろうと思って」
「……」
「ど、どうね? 嬉しいけ?」
不安そうに上目遣いで聞いてくる。
その指先には、いくつもの絆創膏が貼られていた。
……断れるわけがない。
「うん。嬉しいよ。ありがとう、楓」
「へへっ……! 味わって食えよ! 残したら承知せんからね!」
楓が嬉しそうに笑う。
その時。
「……一番乗りとは、随分と気が早いですわね」
背後から、冷ややかな声がした。
振り返ると、左隣の家から、蘭が出てきたところだった。
彼女もまた、目の下にクマがあり、髪が少し乱れている。そして手には、桐の箱(!)を持っていた。
「おはようございます、悠真様♡」
「ら、蘭ちゃん……おはよう」
「朝一番の愛の告白、私がいただくつもりでしたのに……。まあいいですわ。質で勝負ですもの」
蘭は僕に歩み寄り、恭しく桐の箱を差し出した。
「開けてみてくださいまし」
恐る恐る蓋を開ける。
中には、金箔に包まれたトリュフが一つだけ、鎮座していた。
たった一粒。だが、放たれるオーラが違う。
「……これ、中身は?」
「ふふ。……秘密ですわ」
蘭が妖艶に微笑む。
「ただ、これを食べれば……貴方様はもう、私以外の女性(メス)を見られなくなりますわ。御門家に伝わる秘伝の調合……いえ、スパイスを効かせてありますの」
「……毒じゃないよね?」
「愛ですわ♡」
右手にレンガ(ブラウニー)、左手に劇薬(トリュフ)。
すでにキャパシティオーバーだ。
そこへ。
「……遅くなりました。交通機関の遅延が発生しまして」
道路の向こうから、凛が走ってきた。
彼女にしては珍しく、息を切らしている。
手には、銀色のアタッシュケース。
「り、凛ちゃん? そのケースは……」
「温度管理と衝撃吸収を完璧にするため、専用ケースを用意しました」
凛は玄関先でケースを開いた。
プシュー、とドライアイスの煙が出る。
中には、試験管のようなガラス容器に入った、ペースト状のチョコが整然と並んでいた。
「……宇宙食?」
「『完全食チョコ・改』です。固形化すると吸収効率が下がるため、ゲル状にしました。一本で一日に必要な全栄養素と、先輩への想い……あ、いえ、カロリーを摂取できます」
凛が早口で説明する。耳が赤い。
「味は……保証しません。ですが、成分は完璧です。……食べて、くれますか?」
不安げに揺れる瞳。
普段のクールな彼女からは想像できない、弱気な表情。
……食べるしかない。たとえ泥の味だとしても。
「……ああ。食べるよ。凛ちゃんの計算なら間違いないだろ」
「ッ……! はい! 間違いなかです!」
凛がパァッと顔を輝かせる。方言が出ている。
6
三者三様のチョコを受け取り、僕はリビングに戻った。
テーブルの上に並ぶ、異様な物体たち。
母さんと妹の小春が起きてきて、それを見て絶句した。
「……お兄ちゃん。これ、呪物?」
「チョコだよ。愛の結晶だよ」
「重っ。物理的にも精神的にも重っ」
小春がドン引きしている。
だが、まだ終わっていなかった。
ピンポーン。
再びチャイムが鳴る。
今度は誰だ。宅配便か?
ドアを開ける。
誰もいない。
足元に、黒い箱が置かれていた。
黒いリボンがかかった、美しい箱。
メッセージカードが添えられている。
『私の心臓を、君に。 雫』
……怖い。
箱を開けると、そこには予想通り、リアルすぎる心臓型のチョコが入っていた。
ラズベリーソースが、ドロリと滴っている。
芸術的すぎて、食べるのに勇気がいる。いや、これはもう食品サンプルではないのか?
こうして、四つのチョコが揃った。
楓の「重量級ブラウニー」。
蘭の「金箔・謎トリュフ」。
凛の「完全食ゲル」。
雫の「リアル心臓」。
僕は手を合わせた。
いただきます。
まずは楓のブラウニー。
硬い。歯が折れそうだ。
でも、噛み砕くと、口の中に素朴な甘さが広がる。焦げた苦味も少しあるけれど、一生懸命作った味がする。
……美味い。
次に凛のゲル。
……不味い。圧倒的に不味い。
プロテインと薬草を混ぜたような味だ。
でも、身体の奥がカッと熱くなる。元気が湧いてくる気がする。
そして蘭のトリュフ。
口に入れた瞬間、痺れが走った。
山椒? 唐辛子? いや、これは……マムシ?
意識が飛びそうになるが、なんとか飲み込む。
後味は、最高級チョコの芳醇な香りだった。ツンデレな味だ。
最後に雫の心臓。
ナイフを入れると、中から赤いソースが溢れ出す。ホラーだ。
だが、味は一番繊細で、大人なビターチョコだった。見た目に反して、中身は純粋なのだ。
全部、食べた。
お腹がパンパンだ。胃が驚いている。
でも、不思議と胸焼けはしなかった。
昼過ぎ。
みんなを集めて、感想を伝えた。
「……全部、美味かったよ。ありがとう」
僕が言うと、四人は顔を見合わせ、それから一斉に笑った。
「当たり前やん! ウチのが一番やったろ?」
「いいえ、私のゲルが細胞レベルで効いているはずです」
「悠真様、目がうつろですわよ? 効いてきましたわね♡」
「……ふふ。私の心臓、食べてくれてありがとう」
いつの間にか現れた雫も加わり、騒がしい午後が過ぎていく。
バレンタイン。
それは、ただ甘いだけの日じゃない。
戦って、傷ついて、それでも伝えたい想いをぶつけ合う日。
僕は、この重たくて愛おしい日常を、これからも守っていこうと思った。
……とりあえず、明日の体重測定が怖いけれど。
二月一日。
県立桜島南高校の校舎内には、妙な緊張感が漂い始めていた。
期末テスト前のピリピリ感とは違う。もっと甘ったるくて、ドロドロとした、脂質と糖分と執念の混じり合った気配。
そう、バレンタインデーが近づいているのだ。
男子バレーボール部の部室。
着替えをしながら、キャプテンの一ノ瀬がニヤニヤしながら僕に言った。
「おい日向。今年の二月十四日は日曜日だぞ」
「……え、そうなんですか?」
「おう。つまり学校での義理チョコ配布イベントは発生しねぇ。……呼び出しによる『本命アタック』のみが行われる、ガチの決戦日ってわけだ」
一ノ瀬が僕の肩をバシッと叩く。
「お前、生きて月曜を迎えられるといいな」
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ」
僕は苦笑いしたが、内心では笑えなかった。
僕の周りには、今、四つの巨大な台風が存在しているからだ。
**霧島楓**。幼馴染にして、お世話係(自称)。
**種子島凛**。後輩マネージャーにして、管理者。
**神宮司雫**。美術部の先輩にして、所有者(自称)。
**御門蘭**。転校生にして、お隣さん兼・狂信者。
彼女たちが、この一大イベントをスルーするはずがない。
いや、むしろここ数日、彼女たちの様子がおかしいのだ。
部活中。
楓は休憩時間になるたびに、スマホで「カカオ 致死量」「チョコ 溶かし方 失敗しない」などを検索しているし、凛は「スクラロースとアスパルテームの配合比率……」とブツブツ呟きながら謎の白い粉を調合している。
蘭に至っては、「愛の媚薬 通販」という危険なワードを検索しているのを僕は見てしまった。
……逃げたい。
リベロとしてどんな剛速球からも逃げない僕だが、今回ばかりは逃げたい。
2
その日の放課後。
1年A組の教室。
凛は、放課後のホームルームが終わっても席を立たずにいた。
机の上には、参考書ではなく、分厚い料理本と電卓が置かれている。
「……計算が合いません」
凛が眉間に深い皺を寄せる。
彼女が挑んでいるのは、バレンタインのチョコレート作りにおける「栄養素」と「味」の両立だ。
通常のチョコレートは脂質と糖質の塊であり、アスリートである悠真に摂取させるには不適切きわまりない。
そこで凛は、プロテインパウダーと高カカオチョコ、そして天然甘味料を駆使した「完全栄養食チョコ」の開発に着手していた。
「ですが、試作品第4号のテイスティング結果は『泥の味』でした。……なぜです?」
凛が頭を抱える。
そこへ、隣の席の蘭が、優雅に紅茶(持参したポット)を飲みながら声をかけた。
「あら、凛さん。まだ残っていらしたの?」
「……御門さんこそ。部活の時間ですよ」
「今日は『食材調達』のために早退させていただきますの。……ふふ、フランスから空輸した最高級クーベルチュールが届く頃ですわ♡」
蘭が勝ち誇ったように言う。
凛はムッとした。
「……素材の良さだけで勝負するなんて、芸がありませんね。工夫というものが足りんのと違いますか?」
「なんですって? 料理は素材が命ですわ。凛さんのように、ビーカーとフラスコで作るような実験料理、悠真様が喜ぶと思いまして?」
「実験ではありません! 調理科学です! ……それに、私は先輩の体を一番に考えて……」
「体、ねぇ……」
蘭が意味深にニヤリと笑う。
「私は、悠真様の『心』を溶かしますわ。……とろとろにね♡」
「……ッ! 不純です! 不潔です!」
凛が顔を赤くして立ち上がる。
二人の間に火花が散る。
教室に残っていた数人の生徒が、氷点下の空気に震え上がって逃げ出していく。
「勝負ですわ、凛さん。……当日、どちらのチョコが悠真様に選ばれるか」
「望むところです。……データに基づいた完璧なチョコで、貴女の鼻を明かしてやります」
バタン!
凛は鞄を掴み、教室を飛び出した。
向かう先は、家庭科室ではない。化学室だ。
3
一方、その頃。
2年C組の教室、及び美術室。
楓は、家庭科部の友人を捕まえて、猛特訓を受けていた。
「ねえ! テンパリングって何!? 温度計ないとダメなんけ!?」
「ちょ、楓ちゃん落ち着いて! チョコ刻むのに出刃包丁使わないで!」
楓のエプロンは既にチョコまみれだ。
彼女の料理スキルは「家庭料理」なら高いが、「お菓子作り」となると壊滅的だった。なぜなら、目分量でドバドバと砂糖を入れる癖があるからだ。
「悠真は甘党やから! 砂糖は通常の3倍入れるが!」
「それジャリジャリするよ!?」
「愛の重さで溶かす!」
論理が破綻している。
だが、楓の目は真剣そのものだ。
去年までは、なんとなく「幼馴染の義理チョコ」として渡していた。でも、今年は違う。
ライバルが増えた。しかも、どいつもこいつも強敵だ。
ここで「本命」を叩きつけなければ、悠真を奪われてしまう。
(……負けられん。絶対、ウチのが一番美味しかって言わせてやる!)
楓は出刃包丁を振り下ろした。
まな板が真っ二つに割れた。
一方、美術室。
独特の油絵具の匂いの中で、雫は一人、粘土をこねていた。
いや、よく見るとそれは粘土ではない。
チョコレートだ。
「……ふふ。美しいわ」
彼女の手によって成形されているのは、驚くほど精巧な「心臓」の形をしたチョコレート。
血管の一本一本までリアルに再現され、ラズベリーソースで「生々しさ」まで演出されている。
「私の心臓を、君に捧げる……。比喩ではなく、造形として」
雫はうっとりと、そのグロテスクかつ芸術的なチョコを見つめた。
これを夜中に渡されたら、悲鳴を上げること間違いなしだ。
だが、彼女にとってこれが最高の愛情表現なのだ。
4
そして、決戦前夜。
二月十三日。土曜日。
僕の家の周りは、異様な空気に包まれていた。
まず、右隣の霧島家。
キッチンの換気扇から、焦げ臭いような、甘ったるいような匂いが延々と漂ってきている。時折、「ああっ! 固まらん!」「なんで分離すっと!?」という楓の絶叫が聞こえる。
そして、左隣の御門(別邸)。
こちらはもっと深刻だ。
窓から怪しげな紫色の煙が出ている。
中から、蘭の「マムシの粉末はここで投入……」「愛の呪文を……」という不穏な独り言が漏れてくる。
僕は自分の部屋のベッドで、布団を被って震えていた。
「……明日、地球滅亡しないかな」
そんな願いも虚しく、夜は更けていく。
スマホが震える。凛からのLINEだ。
『先輩。明日の朝、7時00分に解錠してください。……寝不足は厳禁です。最高のコンディションで受け止めてもらわんと困ります』
……受け止める? 何を? 物理攻撃を?
さらに、雫からのメッセージ。
『窓を開けておいて。……夜闇に紛れて、君の寝室に行くわ』
不法侵入予告だ。
僕は慌てて窓の鍵を二重に確認した。
眠れない夜。
左右から聞こえる調理音(爆発音)を聞きながら、僕は覚悟を決めた。
リベロだろ、俺。
どんなボールだって……いや、どんなチョコだって拾ってみせる。
たとえそれが、致死量の愛だとしても。
5
二月十四日。決戦の朝。
午前七時。
インターホンが連打される音で、僕は飛び起きた。
「悠真ー! 開けてー! 一番乗りやっどー!」
楓だ。
まだパジャマ姿のまま玄関を開けると、目の下にクマを作った楓が、巨大な風呂敷包みを抱えて立っていた。
「……お、おはよう楓」
「おはようやなか! 寝てる場合け! ほら、これ!」
ドサッ!
渡されたのは、ホールケーキの箱くらいの大きさがある包みだ。重い。漬物石くらいある。
「……これ、チョコ?」
「当たり前やん! 徹夜で作ったとよ! 『悠真専用・特大愛情詰め込みブラウニー』や!」
ブラウニー。本来は焼き菓子だが、この重量感はレンガに近い。
楓は顔を真っ赤にして、僕を見上げた。
「……一番に食べてほしくて。……あいつらに渡す前に、ウチの愛で腹一杯にしてやろうと思って」
「……」
「ど、どうね? 嬉しいけ?」
不安そうに上目遣いで聞いてくる。
その指先には、いくつもの絆創膏が貼られていた。
……断れるわけがない。
「うん。嬉しいよ。ありがとう、楓」
「へへっ……! 味わって食えよ! 残したら承知せんからね!」
楓が嬉しそうに笑う。
その時。
「……一番乗りとは、随分と気が早いですわね」
背後から、冷ややかな声がした。
振り返ると、左隣の家から、蘭が出てきたところだった。
彼女もまた、目の下にクマがあり、髪が少し乱れている。そして手には、桐の箱(!)を持っていた。
「おはようございます、悠真様♡」
「ら、蘭ちゃん……おはよう」
「朝一番の愛の告白、私がいただくつもりでしたのに……。まあいいですわ。質で勝負ですもの」
蘭は僕に歩み寄り、恭しく桐の箱を差し出した。
「開けてみてくださいまし」
恐る恐る蓋を開ける。
中には、金箔に包まれたトリュフが一つだけ、鎮座していた。
たった一粒。だが、放たれるオーラが違う。
「……これ、中身は?」
「ふふ。……秘密ですわ」
蘭が妖艶に微笑む。
「ただ、これを食べれば……貴方様はもう、私以外の女性(メス)を見られなくなりますわ。御門家に伝わる秘伝の調合……いえ、スパイスを効かせてありますの」
「……毒じゃないよね?」
「愛ですわ♡」
右手にレンガ(ブラウニー)、左手に劇薬(トリュフ)。
すでにキャパシティオーバーだ。
そこへ。
「……遅くなりました。交通機関の遅延が発生しまして」
道路の向こうから、凛が走ってきた。
彼女にしては珍しく、息を切らしている。
手には、銀色のアタッシュケース。
「り、凛ちゃん? そのケースは……」
「温度管理と衝撃吸収を完璧にするため、専用ケースを用意しました」
凛は玄関先でケースを開いた。
プシュー、とドライアイスの煙が出る。
中には、試験管のようなガラス容器に入った、ペースト状のチョコが整然と並んでいた。
「……宇宙食?」
「『完全食チョコ・改』です。固形化すると吸収効率が下がるため、ゲル状にしました。一本で一日に必要な全栄養素と、先輩への想い……あ、いえ、カロリーを摂取できます」
凛が早口で説明する。耳が赤い。
「味は……保証しません。ですが、成分は完璧です。……食べて、くれますか?」
不安げに揺れる瞳。
普段のクールな彼女からは想像できない、弱気な表情。
……食べるしかない。たとえ泥の味だとしても。
「……ああ。食べるよ。凛ちゃんの計算なら間違いないだろ」
「ッ……! はい! 間違いなかです!」
凛がパァッと顔を輝かせる。方言が出ている。
6
三者三様のチョコを受け取り、僕はリビングに戻った。
テーブルの上に並ぶ、異様な物体たち。
母さんと妹の小春が起きてきて、それを見て絶句した。
「……お兄ちゃん。これ、呪物?」
「チョコだよ。愛の結晶だよ」
「重っ。物理的にも精神的にも重っ」
小春がドン引きしている。
だが、まだ終わっていなかった。
ピンポーン。
再びチャイムが鳴る。
今度は誰だ。宅配便か?
ドアを開ける。
誰もいない。
足元に、黒い箱が置かれていた。
黒いリボンがかかった、美しい箱。
メッセージカードが添えられている。
『私の心臓を、君に。 雫』
……怖い。
箱を開けると、そこには予想通り、リアルすぎる心臓型のチョコが入っていた。
ラズベリーソースが、ドロリと滴っている。
芸術的すぎて、食べるのに勇気がいる。いや、これはもう食品サンプルではないのか?
こうして、四つのチョコが揃った。
楓の「重量級ブラウニー」。
蘭の「金箔・謎トリュフ」。
凛の「完全食ゲル」。
雫の「リアル心臓」。
僕は手を合わせた。
いただきます。
まずは楓のブラウニー。
硬い。歯が折れそうだ。
でも、噛み砕くと、口の中に素朴な甘さが広がる。焦げた苦味も少しあるけれど、一生懸命作った味がする。
……美味い。
次に凛のゲル。
……不味い。圧倒的に不味い。
プロテインと薬草を混ぜたような味だ。
でも、身体の奥がカッと熱くなる。元気が湧いてくる気がする。
そして蘭のトリュフ。
口に入れた瞬間、痺れが走った。
山椒? 唐辛子? いや、これは……マムシ?
意識が飛びそうになるが、なんとか飲み込む。
後味は、最高級チョコの芳醇な香りだった。ツンデレな味だ。
最後に雫の心臓。
ナイフを入れると、中から赤いソースが溢れ出す。ホラーだ。
だが、味は一番繊細で、大人なビターチョコだった。見た目に反して、中身は純粋なのだ。
全部、食べた。
お腹がパンパンだ。胃が驚いている。
でも、不思議と胸焼けはしなかった。
昼過ぎ。
みんなを集めて、感想を伝えた。
「……全部、美味かったよ。ありがとう」
僕が言うと、四人は顔を見合わせ、それから一斉に笑った。
「当たり前やん! ウチのが一番やったろ?」
「いいえ、私のゲルが細胞レベルで効いているはずです」
「悠真様、目がうつろですわよ? 効いてきましたわね♡」
「……ふふ。私の心臓、食べてくれてありがとう」
いつの間にか現れた雫も加わり、騒がしい午後が過ぎていく。
バレンタイン。
それは、ただ甘いだけの日じゃない。
戦って、傷ついて、それでも伝えたい想いをぶつけ合う日。
僕は、この重たくて愛おしい日常を、これからも守っていこうと思った。
……とりあえず、明日の体重測定が怖いけれど。
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それ以来、八杉裕一(やすぎ・ゆういち)は誓った。「高校では恋愛なんて面倒なものとは無縁の、平穏なオタク生活を送る」と。
だが、入学した紫水高校には《楽園の世代》と呼ばれる四人のSSS級美少女――通称《四皇》が君臨していた。
• 距離感バグり気味の金髪幼馴染・神行胱。
• 圧倒的カリスマで「恋の沼」に突き落とす銀髪美少女・銀咲明日香。
• 無自覚に男たちの初恋を奪う、おっとりした「女神」・足立模。
• オタクにも優しい一万年に一人の最高ギャル・川瀬優里。
恋愛から距離を置きたい裕一の願いも虚しく、彼女たちはなぜか彼にだけ、見え見えな好意を寄せ始める。
教室での「あーん」に、放課後のアニメイトでの遭遇、さらには女神からの「一緒にホラー漫画を買いに行かない?」というお誘いまで。
「俺の身にもなれ! 荷が重すぎるんだよ!」
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