元天才リベロの僕は、激重ヒロインたちに管理されています。

シエリヌス

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血のバレンタイン・前編 ~カカオの香りは戦場の匂い~

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1

 二月一日。
 県立桜島南高校の校舎内には、妙な緊張感が漂い始めていた。
 期末テスト前のピリピリ感とは違う。もっと甘ったるくて、ドロドロとした、脂質と糖分と執念の混じり合った気配。

 そう、バレンタインデーが近づいているのだ。

 男子バレーボール部の部室。
 着替えをしながら、キャプテンの一ノ瀬がニヤニヤしながら僕に言った。

「おい日向。今年の二月十四日は日曜日だぞ」
「……え、そうなんですか?」
「おう。つまり学校での義理チョコ配布イベントは発生しねぇ。……呼び出しによる『本命アタック』のみが行われる、ガチの決戦日ってわけだ」

 一ノ瀬が僕の肩をバシッと叩く。

「お前、生きて月曜を迎えられるといいな」
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ」

 僕は苦笑いしたが、内心では笑えなかった。
 僕の周りには、今、四つの巨大な台風が存在しているからだ。

 **霧島楓**。幼馴染にして、お世話係(自称)。
 **種子島凛**。後輩マネージャーにして、管理者。
 **神宮司雫**。美術部の先輩にして、所有者(自称)。
 **御門蘭**。転校生にして、お隣さん兼・狂信者。

 彼女たちが、この一大イベントをスルーするはずがない。
 いや、むしろここ数日、彼女たちの様子がおかしいのだ。

 部活中。
 楓は休憩時間になるたびに、スマホで「カカオ 致死量」「チョコ 溶かし方 失敗しない」などを検索しているし、凛は「スクラロースとアスパルテームの配合比率……」とブツブツ呟きながら謎の白い粉を調合している。
 蘭に至っては、「愛の媚薬 通販」という危険なワードを検索しているのを僕は見てしまった。

 ……逃げたい。
 リベロとしてどんな剛速球からも逃げない僕だが、今回ばかりは逃げたい。

2

 その日の放課後。
 1年A組の教室。

 凛は、放課後のホームルームが終わっても席を立たずにいた。
 机の上には、参考書ではなく、分厚い料理本と電卓が置かれている。

「……計算が合いません」

 凛が眉間に深い皺を寄せる。
 彼女が挑んでいるのは、バレンタインのチョコレート作りにおける「栄養素」と「味」の両立だ。
 通常のチョコレートは脂質と糖質の塊であり、アスリートである悠真に摂取させるには不適切きわまりない。
 そこで凛は、プロテインパウダーと高カカオチョコ、そして天然甘味料を駆使した「完全栄養食チョコ」の開発に着手していた。

「ですが、試作品第4号のテイスティング結果は『泥の味』でした。……なぜです?」

 凛が頭を抱える。
 そこへ、隣の席の蘭が、優雅に紅茶(持参したポット)を飲みながら声をかけた。

「あら、凛さん。まだ残っていらしたの?」
「……御門さんこそ。部活の時間ですよ」
「今日は『食材調達』のために早退させていただきますの。……ふふ、フランスから空輸した最高級クーベルチュールが届く頃ですわ♡」

 蘭が勝ち誇ったように言う。
 凛はムッとした。

「……素材の良さだけで勝負するなんて、芸がありませんね。工夫というものが足りんのと違いますか?」
「なんですって? 料理は素材が命ですわ。凛さんのように、ビーカーとフラスコで作るような実験料理、悠真様が喜ぶと思いまして?」
「実験ではありません! 調理科学です! ……それに、私は先輩の体を一番に考えて……」

「体、ねぇ……」

 蘭が意味深にニヤリと笑う。

「私は、悠真様の『心』を溶かしますわ。……とろとろにね♡」
「……ッ! 不純です! 不潔です!」

 凛が顔を赤くして立ち上がる。
 二人の間に火花が散る。
 教室に残っていた数人の生徒が、氷点下の空気に震え上がって逃げ出していく。

「勝負ですわ、凛さん。……当日、どちらのチョコが悠真様に選ばれるか」
「望むところです。……データに基づいた完璧なチョコで、貴女の鼻を明かしてやります」

 バタン!
 凛は鞄を掴み、教室を飛び出した。
 向かう先は、家庭科室ではない。化学室だ。

3

 一方、その頃。
 2年C組の教室、及び美術室。

 楓は、家庭科部の友人を捕まえて、猛特訓を受けていた。

「ねえ! テンパリングって何!? 温度計ないとダメなんけ!?」
「ちょ、楓ちゃん落ち着いて! チョコ刻むのに出刃包丁使わないで!」

 楓のエプロンは既にチョコまみれだ。
 彼女の料理スキルは「家庭料理」なら高いが、「お菓子作り」となると壊滅的だった。なぜなら、目分量でドバドバと砂糖を入れる癖があるからだ。

「悠真は甘党やから! 砂糖は通常の3倍入れるが!」
「それジャリジャリするよ!?」
「愛の重さで溶かす!」

 論理が破綻している。
 だが、楓の目は真剣そのものだ。
 去年までは、なんとなく「幼馴染の義理チョコ」として渡していた。でも、今年は違う。
 ライバルが増えた。しかも、どいつもこいつも強敵だ。
 ここで「本命」を叩きつけなければ、悠真を奪われてしまう。

(……負けられん。絶対、ウチのが一番美味しかって言わせてやる!)

 楓は出刃包丁を振り下ろした。
 まな板が真っ二つに割れた。

 一方、美術室。
 独特の油絵具の匂いの中で、雫は一人、粘土をこねていた。
 いや、よく見るとそれは粘土ではない。
 チョコレートだ。

「……ふふ。美しいわ」

 彼女の手によって成形されているのは、驚くほど精巧な「心臓」の形をしたチョコレート。
 血管の一本一本までリアルに再現され、ラズベリーソースで「生々しさ」まで演出されている。

「私の心臓を、君に捧げる……。比喩ではなく、造形として」

 雫はうっとりと、そのグロテスクかつ芸術的なチョコを見つめた。
 これを夜中に渡されたら、悲鳴を上げること間違いなしだ。
 だが、彼女にとってこれが最高の愛情表現なのだ。

4

 そして、決戦前夜。
 二月十三日。土曜日。

 僕の家の周りは、異様な空気に包まれていた。
 まず、右隣の霧島家。
 キッチンの換気扇から、焦げ臭いような、甘ったるいような匂いが延々と漂ってきている。時折、「ああっ! 固まらん!」「なんで分離すっと!?」という楓の絶叫が聞こえる。

 そして、左隣の御門(別邸)。
 こちらはもっと深刻だ。
 窓から怪しげな紫色の煙が出ている。
 中から、蘭の「マムシの粉末はここで投入……」「愛の呪文を……」という不穏な独り言が漏れてくる。

 僕は自分の部屋のベッドで、布団を被って震えていた。

「……明日、地球滅亡しないかな」

 そんな願いも虚しく、夜は更けていく。
 スマホが震える。凛からのLINEだ。

『先輩。明日の朝、7時00分に解錠してください。……寝不足は厳禁です。最高のコンディションで受け止めてもらわんと困ります』

 ……受け止める? 何を? 物理攻撃を?
 さらに、雫からのメッセージ。

『窓を開けておいて。……夜闇に紛れて、君の寝室に行くわ』

 不法侵入予告だ。
 僕は慌てて窓の鍵を二重に確認した。

 眠れない夜。
 左右から聞こえる調理音(爆発音)を聞きながら、僕は覚悟を決めた。
 リベロだろ、俺。
 どんなボールだって……いや、どんなチョコだって拾ってみせる。
 たとえそれが、致死量の愛だとしても。

5

 二月十四日。決戦の朝。
 午前七時。
 インターホンが連打される音で、僕は飛び起きた。

「悠真ー! 開けてー! 一番乗りやっどー!」

 楓だ。
 まだパジャマ姿のまま玄関を開けると、目の下にクマを作った楓が、巨大な風呂敷包みを抱えて立っていた。

「……お、おはよう楓」
「おはようやなか! 寝てる場合け! ほら、これ!」

 ドサッ!
 渡されたのは、ホールケーキの箱くらいの大きさがある包みだ。重い。漬物石くらいある。

「……これ、チョコ?」
「当たり前やん! 徹夜で作ったとよ! 『悠真専用・特大愛情詰め込みブラウニー』や!」

 ブラウニー。本来は焼き菓子だが、この重量感はレンガに近い。
 楓は顔を真っ赤にして、僕を見上げた。

「……一番に食べてほしくて。……あいつらに渡す前に、ウチの愛で腹一杯にしてやろうと思って」
「……」
「ど、どうね? 嬉しいけ?」

 不安そうに上目遣いで聞いてくる。
 その指先には、いくつもの絆創膏が貼られていた。
 ……断れるわけがない。

「うん。嬉しいよ。ありがとう、楓」
「へへっ……! 味わって食えよ! 残したら承知せんからね!」

 楓が嬉しそうに笑う。
 その時。

「……一番乗りとは、随分と気が早いですわね」

 背後から、冷ややかな声がした。
 振り返ると、左隣の家から、蘭が出てきたところだった。
 彼女もまた、目の下にクマがあり、髪が少し乱れている。そして手には、桐の箱(!)を持っていた。

「おはようございます、悠真様♡」
「ら、蘭ちゃん……おはよう」
「朝一番の愛の告白、私がいただくつもりでしたのに……。まあいいですわ。質で勝負ですもの」

 蘭は僕に歩み寄り、恭しく桐の箱を差し出した。

「開けてみてくださいまし」

 恐る恐る蓋を開ける。
 中には、金箔に包まれたトリュフが一つだけ、鎮座していた。
 たった一粒。だが、放たれるオーラが違う。

「……これ、中身は?」
「ふふ。……秘密ですわ」

 蘭が妖艶に微笑む。

「ただ、これを食べれば……貴方様はもう、私以外の女性(メス)を見られなくなりますわ。御門家に伝わる秘伝の調合……いえ、スパイスを効かせてありますの」
「……毒じゃないよね?」
「愛ですわ♡」

 右手にレンガ(ブラウニー)、左手に劇薬(トリュフ)。
 すでにキャパシティオーバーだ。

 そこへ。

「……遅くなりました。交通機関の遅延が発生しまして」

 道路の向こうから、凛が走ってきた。
 彼女にしては珍しく、息を切らしている。
 手には、銀色のアタッシュケース。

「り、凛ちゃん? そのケースは……」
「温度管理と衝撃吸収を完璧にするため、専用ケースを用意しました」

 凛は玄関先でケースを開いた。
 プシュー、とドライアイスの煙が出る。
 中には、試験管のようなガラス容器に入った、ペースト状のチョコが整然と並んでいた。

「……宇宙食?」
「『完全食チョコ・改』です。固形化すると吸収効率が下がるため、ゲル状にしました。一本で一日に必要な全栄養素と、先輩への想い……あ、いえ、カロリーを摂取できます」

 凛が早口で説明する。耳が赤い。

「味は……保証しません。ですが、成分は完璧です。……食べて、くれますか?」

 不安げに揺れる瞳。
 普段のクールな彼女からは想像できない、弱気な表情。
 ……食べるしかない。たとえ泥の味だとしても。

「……ああ。食べるよ。凛ちゃんの計算なら間違いないだろ」
「ッ……! はい! 間違いなかです!」

 凛がパァッと顔を輝かせる。方言が出ている。

6

 三者三様のチョコを受け取り、僕はリビングに戻った。
 テーブルの上に並ぶ、異様な物体たち。
 母さんと妹の小春が起きてきて、それを見て絶句した。

「……お兄ちゃん。これ、呪物?」
「チョコだよ。愛の結晶だよ」
「重っ。物理的にも精神的にも重っ」

 小春がドン引きしている。
 だが、まだ終わっていなかった。
 
 ピンポーン。
 再びチャイムが鳴る。
 今度は誰だ。宅配便か?

 ドアを開ける。
 誰もいない。
 足元に、黒い箱が置かれていた。
 黒いリボンがかかった、美しい箱。
 メッセージカードが添えられている。

 『私の心臓を、君に。 雫』

 ……怖い。
 箱を開けると、そこには予想通り、リアルすぎる心臓型のチョコが入っていた。
 ラズベリーソースが、ドロリと滴っている。
 芸術的すぎて、食べるのに勇気がいる。いや、これはもう食品サンプルではないのか?

 こうして、四つのチョコが揃った。

 楓の「重量級ブラウニー」。
 蘭の「金箔・謎トリュフ」。
 凛の「完全食ゲル」。
 雫の「リアル心臓」。

 僕は手を合わせた。
 いただきます。

 まずは楓のブラウニー。
 硬い。歯が折れそうだ。
 でも、噛み砕くと、口の中に素朴な甘さが広がる。焦げた苦味も少しあるけれど、一生懸命作った味がする。
 ……美味い。

 次に凛のゲル。
 ……不味い。圧倒的に不味い。
 プロテインと薬草を混ぜたような味だ。
 でも、身体の奥がカッと熱くなる。元気が湧いてくる気がする。

 そして蘭のトリュフ。
 口に入れた瞬間、痺れが走った。
 山椒? 唐辛子? いや、これは……マムシ?
 意識が飛びそうになるが、なんとか飲み込む。
 後味は、最高級チョコの芳醇な香りだった。ツンデレな味だ。

 最後に雫の心臓。
 ナイフを入れると、中から赤いソースが溢れ出す。ホラーだ。
 だが、味は一番繊細で、大人なビターチョコだった。見た目に反して、中身は純粋なのだ。

 全部、食べた。
 お腹がパンパンだ。胃が驚いている。
 でも、不思議と胸焼けはしなかった。

 昼過ぎ。
 みんなを集めて、感想を伝えた。

「……全部、美味かったよ。ありがとう」

 僕が言うと、四人は顔を見合わせ、それから一斉に笑った。

「当たり前やん! ウチのが一番やったろ?」
「いいえ、私のゲルが細胞レベルで効いているはずです」
「悠真様、目がうつろですわよ? 効いてきましたわね♡」
「……ふふ。私の心臓、食べてくれてありがとう」

 いつの間にか現れた雫も加わり、騒がしい午後が過ぎていく。
 
 バレンタイン。
 それは、ただ甘いだけの日じゃない。
 戦って、傷ついて、それでも伝えたい想いをぶつけ合う日。
 
 僕は、この重たくて愛おしい日常を、これからも守っていこうと思った。
 ……とりあえず、明日の体重測定が怖いけれど。
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