〔完結済み〕カエルの大学 ✕ 世界のマホウ

弥良ぱるぱ

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CAPVT I. 寂しがり屋のこぼれ雨

VIII. こどもの出し物

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「コラ、横入りはよせ」

 惚《ほう》けていた所に言葉の水を掛けられる。

 王子様の従者だろうか。主人の服装を順当に格下げした出で立ちをしている。他の御付きも似たような恰好で、美形ぞろい。

 住む世界があまりに違い過ぎて、本当に物語の世界に足を踏み入れてしまったような気分。

「良いではないか、これくらいの許容なくして副学頭は務まらんぞ?」

「何をおっしゃる。貴方の場合は“呑気”と言うんです。ほらまったく、頸飾《けいしょう》が傾かれてますよ」

 二人の距離が一気に近づく。

 一方は恥ずかしそうに相手を受け入れ、もう一方は躊躇《ちゅうちょ》なく相手の首後ろに手を伸ばす。首飾りを直すというたったそれだけの所作のはずが、私には公然であろうとお構いなしに首筋に接吻《せっぷん》するように映った。

 美男同士の退廃的な行為を目の当たりにし、物語の世界に足を踏み入れてしまったことを強く実感する。

 幸福と羞恥《しゅうち》が心中で洪水を引き起こしていた真っ只中、ふと話題の二人と目が合った。

 まるで私の胸中を見透かしてるような冷たい視線。

 妄想の泡がパチンと割れ、一気に現実へと引き戻される。

「あっ、こ、この度は、就任おめでとうございます!」

 取って付けたかのような出まかせが口から飛び出す。

「ぉ、おぉ。かたじけない。礼儀はもはや大人顔負けだな」

「ね、年齢的には……もう大人です」

「! それはすまなかった、小さき人よ。せめて名前だけでも教えてはくれまいか」

「こ、コルダです。コルダ・ドラカプティ」

「ドラ…………あのドラカプト家の令嬢か!」

「え? ぁあ……はい」

 歯切れの悪い返事が漏れる。

 確かに血統で言えば本家の人間で間違いない。けれど物心が付く頃には、既に叔父さんと二人暮らしをしていたため“令嬢”という言葉には大きな違和感があった。

「ご先祖の伝説はよく知っている。怪物退治の話なんぞページが擦り切れるほど読み込んだわ!」

 学頭としての威厳を完全に脱ぎ捨て、まるで少年のように目を輝かせている。

 たまに会いに来てくれる両親も、こんな御伽噺《おとぎばなし》をよく聞かせてくれた。しかし家族関係がそもそも希薄だったので、登場人物といくら血が繋がっているとはいっても、物語の中から出てくることは無かった。

 複雑な心境の私に対して、学頭の熱は増すばかり。遠い誰かの武勇伝を高らかに語る。

「はぁ、困らせてどうするんですか」

 お付きの飛ばした言葉の針が学頭の妄想を見事に割る。学頭は一瞬ほうけた表情をしたかと思えば、瞬く間に生来の気品を取り戻した。

「いや、つい一人たかぶってしまったな、許してくれ。あぁそうだコルダ殿。なにか困り事はあるだろうか。応《こた》えられる範囲であればなんでも良いぞ! 学頭は学徒の庇護《ひご》者だからな」

 困り事ならずっと後ろに……あ。

 目的をすっかり忘れていた。

 学頭を見つけたは良いものの、彼の声は誰が聞いても男性だと分かる。パティナさんの探し人とは明らかに違っていた。

 学頭ではない誰かを一から探さなければならない。

 途端にやる気が瓦解《がかい》する。

 せっかくここまで来たのだから、せめて、せめて何か持ち帰らせて。

「……じゃ、じゃあ、図書館の立ち入り禁止の場所を、教えて下さい」

 一斉に周りの人達が噴き出す。

 私としては至って冷静な、いや、深刻な問題を打ち明けたつもりなのに。

「ち、違います、本当にあるんです! よく似てるんですけど全然違う場所なんです。床が木で出来ていて、埃まみれの汚い――」

「――やはり子供ではないか」

 付き人の一人が、笑い声と混ぜ合わせながらそう吐き捨てた。

 ああ、やっぱり。

 人よりも背が低くて、人よりも見た目が幼いと、私は“こども”として映るんだ。たとえいくら大人だと主張しても。

 しかし自分が一番されて悔しいことを、こうも大勢からなじられると流石に傷つく。許容はとっくに超えていて、もう視界が酷く歪んできた。

「やめんか嘆かわしい。寄ってたかって愚弄《ぐろう》するとは」

 彼の一言により、周囲に起きていた煩わしい歓声は瞬く間に収束していった。

 自然と俯きかけていた顔を上げてみる。学頭から向けられる視線はなんとも物悲しかった。

「コルダ殿、すまなかった」

「いっ、いえ。こういうのは慣れてるので……」

「そなたの方が立派な大人だ」

「ど、どうもありがとうございます」

「して本当にあるのか?」

「何がです?」

「立ち入り禁止の場所だ。副学頭のころ見学で用具室まで見せてもらったが、そのような部屋は無かった。だが話を聞くに、一度行ったような口ぶりだが……」

 マズい。

 学頭なら知っていると思って質問したのに。これではパティナさんの盗難を遠回しで尋問されているのに他ならない。

 自分から聞いた手前、後にも引けず。

 沈黙が長引くだけでも懐疑《かいぎ》心はどんどん溜まっていってしまう。かといって適当にはぐらかそうとすれば、それこそ怪しまれる。

 じわりじわりと背中に汗が滲《にじ》む。

 どうしよう、

 どうしよう、

 どうしよう。

 考えれば考えるほど真っ白になる頭。対して感覚は鋭さを増し、周囲の視線が素肌に刺さっていくのがありありと分かる。

 発言する機会はとうに超えていた。

「あ、あの――」

 とにかく、とにかく何か喋らなきゃ。

『――近くにいる!』

 突然の絶叫に驚きつつ、辺りを激しく見回す。

『何してる! 早く行け!』

「えっ、あ!」

 再びの絶叫に、私の体は倒れるように後ろへ下がる。

「コルダ殿――」

「――こ、この度はおめでとうございました!」

 足の間を掻き分け、とりあえず駆ける。

「ど、どっちですか」

『そのままでいい!』

 相手は玄関の方にいる。お肉やお菓子の誘惑を振り切り、ひたすらに走った。

 けれど行く手には最後の難関が待ち受ける。出入り口に出来た人の渦。入館してある程度の時間が経とうというのに、相変わらず流出入は激しさを留めていた。

 もしここで見失えば、もうあとは底抜けの網《あみ》。

 後がない。

 圧死しかけた恐怖も忘れて、ただひたすらに渦中へと飛び込んだ。

 舞い上がる埃。

 汗とお酒の臭い。

 そして全身に掛かる人の圧。

 既に無い体力を振り絞り、前へ前へ、とにかく前へと押し通る。普段なら殴られても仕方がない行為だが、死なないため、目的を果たすためには仕方のない暴力だった。

『あ、あ……声が』

 巨大な門を潜る頃、背中に悲痛な声が当たる。

 これまで捜索は全てパティナさんの耳頼りだった。そんな彼女がここに来てあんな弱音を吐くということは事実上、敗北を受け入れるようなものだ。

 頼りの綱がはらりはらりと解《ほど》けていく。

 嫌。嫌々。絶対嫌。

 何のためにここまで来たの。

 立ち入り禁止の場所を聞き出すのに失敗して、今度は会いたい人にまで逃げられる?

 嫌。嫌。絶対に嫌。

 せめてこれだけは叶えさせて……。

 より必死になって、前方を塞ぐ人壁を押す。気持ちは突き落とす勢いなのに、実際は呼吸を辛うじて確保できるほどの小さな空間が生まれるだけ。掻き分けようにも人との間は膠《にかわ》のように密着していて、水であってもすり抜けるのは不可能に思える。

 たとえ魔法が使えたとしても、この荒波を割る方法を私は持ち合わせてはいなかった。



 半ば溺れながらも、ようやくお屋敷から脱出する。

 入館する時と変わらず、広場には多くの人で賑わっていた。片手には酒、もう片方には食べ物と館内との差は屋根の有無くらいだ。

 嗅ぐだけでも酔ってしまいそうな酒気を堪えて、人の間を掻い潜る。

 尋ね人は一体どこに。

「パティナさ……」

 ……聞き出そうとした矢先、自然と口を噤《つぐ》む。あれからパティナさんは黙ったまま。見つかる危険性を冒してまで私に命令する彼女が、だ。

 認めない。
 認めなくない。

 人に圧し潰されても頑張って耐えた。
 掻く必要もない恥にも耐えた。

 ひとえにパティナさんを返すため、ひいては学徒生活のため。

 なのに、なのに。なのになのになのに……。

 たちまちやるせない気持ちでいっぱいになる。

 それでも薄々は自分でも気づいていたと思う。会わせる人はもうとっくに網から抜け出てしまったのだと。今思うと中途半端な呼びかけになってしまったのも、そんな気持ちの表れだったのかもしれない。

 彼女の沈黙が告げている。
 解決の糸が断たれた、と。
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