〔完結済み〕カエルの大学 ✕ 世界のマホウ

弥良ぱるぱ

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CAPVT I. 寂しがり屋のこぼれ雨

X. ヨダレ滴る噴水広場

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 約束通り噴水広場に到着する。

 もうすぐ昼時になるからか人の姿はあまりなく、お蔭でいつもよりじっくりと見渡せた。反対はしにいる学徒たちが手に載るくらいに小さく映る一方で、大学の建物や庁舎に囲まれているせいか心ばかりの閉塞感がある。

 けれど通りのような粗雑な石畳とは違い、滑らかな大理石が敷き詰められたここはまさに、ルパラクルの中心地として相応しい厳格さがあった。

 広場の中央にある大きな噴水。

 その縁《ふち》に静かに腰を下ろす人物が一人。藍《あい》の短髪からは青い髪が腰まで伸びており、肌に吸い付くほど窮屈そうな制服を涼し気に着こなしている。

 標的のリベラさんだ。

本人は本を読んでいるらしく、幸いこちらには気付いていない。

『コルダ、分かってるな?』

 鞄の中から不吉な声が漏れる。

「(……出来るだけ頑張ってみます)」

 重苦しい足を何とか前に動かしていく。

 大外も大外。星のような軌道で広場を回り、ついに彼女の正面に立つ。

「よぉ、早かったな」

開いた本の合間からひょっこりと視線を上げている。その仕草はまるで口元を扇で隠す貴婦人のようだった。

「リベラさんの方がこそ、早すぎます」

「こんなん普通だろ。それより就任式は楽しかったか?」

「えっ? あぁ、まぁ、色々と……ははは」

「随分と顔が青いじゃねぇか、食いもんを喉にでも詰まらせたのか?」

「た、食べてません。食べてませんよ! 約束はちゃんと守りましたから」

「なら良い」

 にこりと微笑むリベラさん。普段のドきつい性格もあってか、チラリと覗かせる素の表情は噴水に寝転ぶ女神さまと変わらないくらい魅力があった。

通常であれば眼福《がんぷく》の二文字で終わっていただろう。しかし私はこれからこの顔に、唾を吐かなければならなかった。

 今なら相手が腰掛けている分、顔との距離もだいぶ近い。いざ実行に移す前に。今一度、唾吐き作戦のイメージをした。


 「ぺっ!」

  べちゃりと不快な音を立て、頬を伝う私の唾液。
  リベラさんは振るえる指先で頬をなぞる。

 「テメェ……何したか分かってんのか?」

  狼のような眼差しをこちらに向けてくる。

 「あの、でも、これには訳が――」

  ――間髪入れずに炸裂する豪快な平手打ち。
  直後に視界はぐるりと回り、自分の背中が見えましたとさ。


 妄想の出来事だというのに、みるみるうちに血の気が引いてく。

 無理無理、絶対できっこない。

 こんなのよくよく考えてみれば、殺される機会を決めるのが自分か他人かの違いじゃないか。

 ああなんてこと。私の運命はこの無策を了承した時点で詰んでいたのだ。

「? ォレの顔に何か付いてるか?」

 ニコリと微笑むリベラさん。屈託のない笑顔のせいで罪悪感が更に増す。

「い、いえいえ付いてないです」

 これから付けないといけないんです。

 あぁ、叔父さん。
 もう生きて会えないかもしれないです。

 心底絶望し、不意に視線を上げる。するとリベラさんの奥にある噴水に自然と焦点が定まった。

 中央の高い台座。その頂《いただき》には先生の銅像が置かれており、あんぐりと開けた口からは水が山なりに放出されていた。

 まるで絶えず唾液を吐いているかのように……。

 そこではたと妙案が浮かぶ。

 作戦はこうだ。
 まず魔法を使って噴水を暴発させ、リベラさんをずぶ濡れにする。その隙に唾でも唾液でもなんでも掛けてしまえば、本人は気づくことなく命令を全うすることが出来る!

 葉を隠すには森の中、唾を隠すなら水の中。

 全て水に流してしまえば問題ない。

 早速実行することにした。

 まず鞄を自分の前に移動させ、胸元が見えないようにする。それからおもむろに手を服の中に入れ、学章に触れた。

 あとは噴水を暴発させるために呪文を……呪文……。

 あれ? どうやって唱えればいいの?

 素直に「〔噴水が暴走してリベラさんが水浸しに〕」だなんて唱えてしまえば、こちらの魂胆が筒抜けとなり、唾を掛ける掛けないに関わらず何かしらの報復が待っている。

 かと言って無詠唱で発動するとなると、別の問題が発生しかねない。運が悪ければ未来の教科書に新たな失敗例として追加されてしまう。

 だからどんな形であれ、詠唱はしなければならなかった。

「あンのぉ、リンベラさァん。最近わだし嫌なことがあってェ」

「どうしたんだよ急に」

「《んェっとォnecto……〔噴水が暴走してェ、水浸しになっちゃうっていう〕えらっとぉerat》目に遭ってェ」

「暴走だぁ?」

 怪訝《けげん》な顔をしたリベラさん。彼女はすぐさま体を捻《ひね》り、真後ろにある噴水を見上げた。

「まぁ……昔よりかは悪くなったが――」

 ――けたたましい水音と共に、一瞬にして視界がぼやける。
 その直後に感じたのは、濡れた服が肌に纏《まと》わりつく嫌な感触だった。

「……たぶん中で詰まってたんだろ。その、災難だったな」

 ポケットからハンカチを取り出し、私に近づくべく最初の一歩を踏む。

 その直後だった。

「んァ!」

 短い奇声を上げながら、リベラさんの重心は真後ろに倒れていく。立て直そうと咄嗟《とっさ》に私の鞄を掴んだことで、もろとも華麗に宙を舞った。

 途端、広場に響く見事な水音。

 背中から豪快に落ちたせいか、水面には綺麗な水柱が花開いていた。

 一連の事故にすっかり目を奪われてしまっていたが、ようやくここで我に返る。

 唾を掛けるには今しかない。

「大丈夫でぅか!」

 急いで口に唾液を含ませる。
 あとは、あとはこれを掛けるだけ。

 これで私は死なずに無理難題を乗り越えられる!

 叔父さん、私はまだ生きて会うことが出来そうです。

 噴水に急いで駆け寄り、水面に浮かぶ標的を見定めた。

『こ、コルダぁ……』

 真下で聞こえるパティナさんの声。

 ありえない場所からの発声に驚き、急遽《きゅうきょ》視線を下げてみる。すると何故かパティナさんも水の中に沈んでいた。

 なんで…………あ!

 リベラさんが水面に倒れる最中、落ちまいと掴んだ私の鞄。あの時の衝撃でパティナさんは外に放り出されたんだ。

 肝に嫌な悪寒が走る。同時にリベラさんも身を起こそうと全身に力を入れていた。

 初めから無理なものは無理だったんだ。

 急いでパティナさんを拾い上げ、後方に浮かんでいた鞄に突っ込む。すると鞄の蓋が閉じたのと僅差で、リベラさんの上半身が水面から現れた。

「はぁ! はぁ……はぁ……はぁ……」

 ずぶ濡れになったリベラさん。二色に分けられていた綺麗な髪も、今や海藻のように乱れて体に纏《まと》わりつき、制服も水を吸ったことで肌への密着をより強めていた。

「あの……その大丈――」

「――あ゛ぁぁァアあ゛!!」

 絶叫しながら縁《ふち》に近づくリベラさん。何事かと目で追ってみると、縁には同じくずぶ濡れになった本があった。

 秘密の部屋を探していた時うっかりリベラさんに見つかってしまい、勘違いの末、借りることになった『世界の肉刑』その本である。

 どうやら鞄から落ちたのはパティナさんだけではなかったようだ。

「おいコルダ、図書館に戻るぞ!」

 鬼気迫る形相で本を手に取ると、ずぶ濡れのまま走り出す。

「え? あ、ちょっと待っ……」

 私の制止も意味がなく、このまま突き放されるのはマズいと思い、水気を帯びた服のまま仕方なく彼女の後を追った。
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