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CAPVT I. 寂しがり屋のこぼれ雨
XV. 強制入園
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『飲ませた? ハッ、ははは! 成程あやつが吼えていたのは、お前の唾液が原因か。……クッ、クァッはハははは!』
まるで楽器のように、高らかに笑ってみせる。
これだけ大きな声を出していても道行く人が鞄を訝《いぶか》しがらないのは、やはりパティナさんの声は私にしか届いてない。
「生きた心地がしなかったんですよ?」
『はァ……すまなかった。しかし、でかしたぞコルダ。あとはあの獅子に誰が主人かを教えるだけだ』
昼食時を過ぎたからか、人通りの勢いもだいぶ穏やかになった。
日が少しだけ差し込んでくる回廊の中をスイスイ進む。
『コルダよ、あのリベラとやらは本当に百本も尾があるのか?』
「? 人間ですから尻尾なんて生えてないですよ」
『いや元に戻った時だ』
「……はい?」
この人は何を言ってるんだろう。
けれどパティナさんの声色には私を騙そうとする気配は全くなく、むしろ母親に質問を投げかける子供のような純朴さがあった。
しかしそうなると「元に戻った時」という言葉に疑問が生じる。
現に変身する魔法なんて聞いたことがない。成功例を調べようものなら数多の失敗例が噴き出る始末。
アエス先生の講義に出ていた失敗例も、元を正せば自身を若い頃に“変身する”実験だ。
誰しも変わりたい願望を持ってはいても、実現できる術がない。
いくら世界魔法を用いたところで、おとぎ話との境界線には未だ厚い壁が存在していた。
『我輩も多くて苦労したからな。百本ともなればさぞ不便だっただろう』
「あの……パティナさんって姿を自由に変えられるんですか?」
『試したことは無い。せいぜい人と獣を行き来するだけだ』
いた。
おとぎ話の住人が。
「ど、どうやるんですか? 失敗とかしないんですか?」
『教えて出来るものではない』
「ならどちらかに変身しましょうよ。もうあんな危険を冒さなくて済むんですから」
『戻れるなら初めからしている』
言われてみれば確かにそうだ。
もしかするとパティナさんはずっと以前に失敗し、今の姿になってしまったのかもしれない。
毅然と話している彼女だが、心の内では耐えがたい苦悩を抱えているに違いない。
これ以上の詮索は関係悪化しか生まないと判断し、会話は自然と沈黙中に消えていった。
図書館のある通りに入る。
ここを進めば目的地まであと少し。
見慣れた扉はもう視界の正面に捉えていた。
「ああ! そこのアンタ! アタシの授業から逃げようたって、そうはいかないよ!」
おばさんが声を荒げる。
何事かと声のする方を見てみると、赤いローブをはためかせながら私に迫ってきた。
白髪まじりの茶髪を振り乱し、唐突に私の腕を掴む。
「えっ⁉ え? なんですか? なんですか!」
『どうしたコルダ!』
「うるさいガキだねぇ、さっさと来な!」
グイと力任せに、図書館とは逆方向に引っ張られる。
何とか引きはがそうとするも、手枷のようにガッチリと食い込んで逃れられない。
「あ、やめ! 放してください!」
声を荒げて抵抗するも聞き入れてもらえず、ずるずると引きずられてしまう。
だんだん遠ざかる図書館をただ静観するしかできなかった。
連れてこられたのは初等科の教室。
構造は大学のものと似ていて、入口側には教師用の単座があり、その対面には受講者の長椅子が何列か備わっている。
しかし折角の長椅子も今や子供たちの遊具に成り果てていた。椅子の上で踊り出したり、互いに髪を引っ張り合ったり、中には号泣しながら母親の名前を連呼する子もいる。
もはや教室が一つの遊び場となっていた。
「ちゃんと席に着かないと鞭で叩くよ!」
子供たちの奇声を吹き飛ばすほどの声量。
罰を嫌っているのか、作業を止めてそそくさと自分達の席に着く。
「あの、私これでも学徒なんですけど……」
「フンッ。授業が嫌だからって、今度は学徒様気どりかい」
「違います、本物の学徒です!」
「うるさいねぇ! そんなに鞭で叩かれたいのかい⁉」
ダメだ、話が通じない。
私を子供と断定しているため、これ以上の説得は無意味だった。
恫喝《どうかつ》に耐え兼ね、渋々空いている席に座る。子供用の椅子だからか、お尻には久しぶりに木の固い感触がした。
全員の着席を確認した教師は、自分の玉座にどかりと座る。
それから二つ折りの黒板に何かを書くと、私達に見せてきた。二つの文字が書かれている。
「アシトス! これは何て読む」
「しらなーい」
隣に座る男の子がだらしなく答えた。
上等な服を着ている癖に、髪はボサボサで常に鼻水が垂れている。
「じゃあこれは」
「わかんなーい」
「なんでこんな簡単な文字も読めないんだい! 馬鹿な子にはお仕置きだよ!」
鞭を手に取り、単座から降りる。
すると教室では「お仕置きだ! お仕置きだ!」と一種のお祭りのように騒がしくなった。その中で大柄な男の子がアシトスを背負って前に出る。
丁度お尻が突き出たような格好になると、教師は手にした鞭で思いっきり引っ叩いた。
何度か痛がる声が響く。
やがてアシトスは泣き出してしまった。
満足した教師は手を止め、何事もなかったかのように席に戻った。
「これは何て読む?」
視線がぴったりと私に向けられる。
「……ア、です」
「じゃあこれは」
「ウ、です」
「やるじゃないか」
遠回しに馬鹿にされてる気分。
教師は黒板を取り下げ、また何かを書き始めた。
「これは読めるかい?」
「馬、家」
「じゃあこれはどうだい?」
「馬は、馬よ、馬の、馬に、馬を、馬から、家で」
なんでこんな当たり前なことをしているのだろう。
これが出来ないと本すらまともに読めないのに。
「あの、馬鹿にし――」
「――凄いじゃないか! もしかして神童じゃないのかい⁉」
え?
予想とは相反し、教師は手を叩いて喜んでいる。
「すごーい」
「すげぇ!」
教師に連動し、周囲の子供たちも拙《つたない》い言葉で私を賞賛し始めた。
息をしてるだけで褒められる。
そんな異質な空間に困惑の色を隠せなかった。
とはいえ……。
改めて教室をぐるりと見回す。
私を取り巻く生徒達は目をキラキラと輝かせ、手をパチパチと叩いている。
純粋な賛美に、自然と口元が緩んでしまった。
そこでふと妙案が浮かぶ。
このまま知識を披露していけば、子供と決めつけていた教師も私が学徒であると認めざるを得なくなる。
既に神童を超えているのだ。
次の質問が来たときは、これまでの知識と経験の粋《すい》をぶつけやろう。
まるで楽器のように、高らかに笑ってみせる。
これだけ大きな声を出していても道行く人が鞄を訝《いぶか》しがらないのは、やはりパティナさんの声は私にしか届いてない。
「生きた心地がしなかったんですよ?」
『はァ……すまなかった。しかし、でかしたぞコルダ。あとはあの獅子に誰が主人かを教えるだけだ』
昼食時を過ぎたからか、人通りの勢いもだいぶ穏やかになった。
日が少しだけ差し込んでくる回廊の中をスイスイ進む。
『コルダよ、あのリベラとやらは本当に百本も尾があるのか?』
「? 人間ですから尻尾なんて生えてないですよ」
『いや元に戻った時だ』
「……はい?」
この人は何を言ってるんだろう。
けれどパティナさんの声色には私を騙そうとする気配は全くなく、むしろ母親に質問を投げかける子供のような純朴さがあった。
しかしそうなると「元に戻った時」という言葉に疑問が生じる。
現に変身する魔法なんて聞いたことがない。成功例を調べようものなら数多の失敗例が噴き出る始末。
アエス先生の講義に出ていた失敗例も、元を正せば自身を若い頃に“変身する”実験だ。
誰しも変わりたい願望を持ってはいても、実現できる術がない。
いくら世界魔法を用いたところで、おとぎ話との境界線には未だ厚い壁が存在していた。
『我輩も多くて苦労したからな。百本ともなればさぞ不便だっただろう』
「あの……パティナさんって姿を自由に変えられるんですか?」
『試したことは無い。せいぜい人と獣を行き来するだけだ』
いた。
おとぎ話の住人が。
「ど、どうやるんですか? 失敗とかしないんですか?」
『教えて出来るものではない』
「ならどちらかに変身しましょうよ。もうあんな危険を冒さなくて済むんですから」
『戻れるなら初めからしている』
言われてみれば確かにそうだ。
もしかするとパティナさんはずっと以前に失敗し、今の姿になってしまったのかもしれない。
毅然と話している彼女だが、心の内では耐えがたい苦悩を抱えているに違いない。
これ以上の詮索は関係悪化しか生まないと判断し、会話は自然と沈黙中に消えていった。
図書館のある通りに入る。
ここを進めば目的地まであと少し。
見慣れた扉はもう視界の正面に捉えていた。
「ああ! そこのアンタ! アタシの授業から逃げようたって、そうはいかないよ!」
おばさんが声を荒げる。
何事かと声のする方を見てみると、赤いローブをはためかせながら私に迫ってきた。
白髪まじりの茶髪を振り乱し、唐突に私の腕を掴む。
「えっ⁉ え? なんですか? なんですか!」
『どうしたコルダ!』
「うるさいガキだねぇ、さっさと来な!」
グイと力任せに、図書館とは逆方向に引っ張られる。
何とか引きはがそうとするも、手枷のようにガッチリと食い込んで逃れられない。
「あ、やめ! 放してください!」
声を荒げて抵抗するも聞き入れてもらえず、ずるずると引きずられてしまう。
だんだん遠ざかる図書館をただ静観するしかできなかった。
連れてこられたのは初等科の教室。
構造は大学のものと似ていて、入口側には教師用の単座があり、その対面には受講者の長椅子が何列か備わっている。
しかし折角の長椅子も今や子供たちの遊具に成り果てていた。椅子の上で踊り出したり、互いに髪を引っ張り合ったり、中には号泣しながら母親の名前を連呼する子もいる。
もはや教室が一つの遊び場となっていた。
「ちゃんと席に着かないと鞭で叩くよ!」
子供たちの奇声を吹き飛ばすほどの声量。
罰を嫌っているのか、作業を止めてそそくさと自分達の席に着く。
「あの、私これでも学徒なんですけど……」
「フンッ。授業が嫌だからって、今度は学徒様気どりかい」
「違います、本物の学徒です!」
「うるさいねぇ! そんなに鞭で叩かれたいのかい⁉」
ダメだ、話が通じない。
私を子供と断定しているため、これ以上の説得は無意味だった。
恫喝《どうかつ》に耐え兼ね、渋々空いている席に座る。子供用の椅子だからか、お尻には久しぶりに木の固い感触がした。
全員の着席を確認した教師は、自分の玉座にどかりと座る。
それから二つ折りの黒板に何かを書くと、私達に見せてきた。二つの文字が書かれている。
「アシトス! これは何て読む」
「しらなーい」
隣に座る男の子がだらしなく答えた。
上等な服を着ている癖に、髪はボサボサで常に鼻水が垂れている。
「じゃあこれは」
「わかんなーい」
「なんでこんな簡単な文字も読めないんだい! 馬鹿な子にはお仕置きだよ!」
鞭を手に取り、単座から降りる。
すると教室では「お仕置きだ! お仕置きだ!」と一種のお祭りのように騒がしくなった。その中で大柄な男の子がアシトスを背負って前に出る。
丁度お尻が突き出たような格好になると、教師は手にした鞭で思いっきり引っ叩いた。
何度か痛がる声が響く。
やがてアシトスは泣き出してしまった。
満足した教師は手を止め、何事もなかったかのように席に戻った。
「これは何て読む?」
視線がぴったりと私に向けられる。
「……ア、です」
「じゃあこれは」
「ウ、です」
「やるじゃないか」
遠回しに馬鹿にされてる気分。
教師は黒板を取り下げ、また何かを書き始めた。
「これは読めるかい?」
「馬、家」
「じゃあこれはどうだい?」
「馬は、馬よ、馬の、馬に、馬を、馬から、家で」
なんでこんな当たり前なことをしているのだろう。
これが出来ないと本すらまともに読めないのに。
「あの、馬鹿にし――」
「――凄いじゃないか! もしかして神童じゃないのかい⁉」
え?
予想とは相反し、教師は手を叩いて喜んでいる。
「すごーい」
「すげぇ!」
教師に連動し、周囲の子供たちも拙《つたない》い言葉で私を賞賛し始めた。
息をしてるだけで褒められる。
そんな異質な空間に困惑の色を隠せなかった。
とはいえ……。
改めて教室をぐるりと見回す。
私を取り巻く生徒達は目をキラキラと輝かせ、手をパチパチと叩いている。
純粋な賛美に、自然と口元が緩んでしまった。
そこでふと妙案が浮かぶ。
このまま知識を披露していけば、子供と決めつけていた教師も私が学徒であると認めざるを得なくなる。
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