〔完結済み〕カエルの大学 ✕ 世界のマホウ

弥良ぱるぱ

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CAPVT I. 寂しがり屋のこぼれ雨

XIX. 即席ポレンタ(高級)

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「せんせー、ところでその瓶って何ですか?」

 教室のどこからか質問が飛んで来た。自分のせいで授業がすっかり中断していた事実が遅ればせながらやってくる。いつもより机との距離が近いのもあり、今すぐにでも席の下に隠れたい思いだった。

「“麻酔薬”です! そうそう、すっかり忘れてました~」

 我に返った先生は再び忙しなく動き始める。

「これを使うことで相手に痛みを感じさせずに手術が出来ちゃうんです。色々と種類や用途があるんですよ~? 塗ったり、飲んだり、吸わせたり。お腹を開く時には吸引式のものになりますね~」

 説明を挟みながら、教師座の上には様々な機材が乗せられていく。縄のように長い管に、鞴《ふいご》によく似た道具まで。瞬間的に見た限りでは治療を目的とする道具とは思えなかった。

「使う時も作る時も大変なんですよね~。むか~しむかしに量を間違えて死にかけたこともありました~」

 爽やかに語るピレア先生とは裏腹に、教室内には冷たい雰囲気が流れる。物騒な思い出話ではあるものの、秀でた教師の失敗談は聞いていて何かと面白い。特に親しい人の過去となれば蜜のように甘く感じ、いつまでも舐めていたくなる。

「あのぉ……」

 ディーアは蝋燭《ろうそく》を吹き消すかような、声とも取れない声を出す。煙のようにゆらゆらと伸ばした腕がなければ、質問をしているとは決して思わなかっただろう。

「ユスティディアさん、ど~しました?」

「どうして薬を使わないといけないん、でしょうか。痛みを無くすのが目的な、ら魔法でも出来ま、せんか……?」

 言われてみれば確かにそうだ。それだけ緻密に書かれていれば痛みを感じる場所

「! それは良い質問ですね!」

 うさぎが跳ねるが如く単座から飛び出たピレア先生は、すかさずディーアの両手を取った。

「繰り返しにはなりますが世界魔法は想像を形にする魔法。対象物を強く思い浮かべられるかど~かで結果が大きく変わります。“痛み”はまだまだ分からないことが多いので、今もお薬に頼りっきりです。一応の仕組みとしては神経がその役割を担っていて~……」

 ピレア先生は徐《おもむろ》に握った手を持ち上げ、いつしかディーアを起立させる。その姿はさしづめ吊るされているようだった。

「神経さんは普段このように、しっかりとお互いを繋いでいます。だからこそ感じた情報を――」

「――ヒャあぁ!」

「ん~、腋を触られてますね~」

「ひぃい!」

「これは肋骨~」

「ふヤぁあ……」

「腰の辺り~」

「ぁ……」

「と、このように共有することができます~。麻酔薬というのはこの関係をこうして……」

 ……絡めた指を、たやすく解く。

 力を抜かれたディーアはそのまま席へと倒れてしまう。ドサリと倒れ込む彼女は私と違い、どこか大人の色があった。

「離す効果があるんです。これにより部分的に痛みを無くすことが出来るんです。でもこの働きは飽くまで理屈。まだきちんと解明できていないので、手術の際はちゃんと麻酔薬を使いましょ~ね」

 新しい認知、新しい発見。

 自分が今まで知り得もしなかった未知の体験。まるで本当に世界が広がったかのような新しい感覚を全身に覚える。

 授業を受けていてよかった。

 頭をじんわりと溶かしていくような素晴らしい余韻をしばらく一人で楽しんでいた。

「あれ? ユスティディアさん? ユスティディアさん? あらら、ど~しましょ~……」

 安否を窺おうにも肝心の顔は厚く覆われているため確認できず。代わりに湿った吐息を小刻みに繰り返していた。

 たぶん、恐らく、彼女は大丈夫だろう。

 きっと大丈夫なはずだ。



「――おい! 大丈夫か!!」

 男性の叫び声。

 自由の利く上半身を無理やり捩《ね》じり、声のする方を見た。一目で場所の特定には至れなかったが周囲の視線を辿っていくうちに、やがて二人の男学徒等に行き着いた。

 一人は生気が無いように項垂《うなだ》れ、もう一人がその介抱に努めている。正気に戻そうとしているのか時々揺さぶる相手の顔は完全に血の気が引いており、遠目からでも分かるほど大量に発汗していた。

「ど、どどうしちゃったんですか~!」

 ディーアに駆け寄った時とは比べ物にならない速さで二人の元へと飛んでいく。刻一刻と悪化していく病人の表情を確認するやいなや、流れるように長椅子に横たわらせる。

「こ、こいつ昔から胃腸が弱くて、で魔法を使ったら治るんじゃねぇかって冗談半分で言ったら試しちまって……それで……」

「それは私の失言ですね……。でも心配いりませんよ!」

 再び教師座へと飛んで戻り、席に置かれた医療道具を根こそぎ持って帰ってくる。その中には勿論くだんの麻酔薬も入っていた。

 ハンカチに麻酔薬を染み込ませ、患者の鼻口に宛てがう。初めは布を押し返すくらい荒い呼吸を繰り返していたが次第に落ち着きはじめ、やがては動かなくなった。

「死んじまっ――」

「――麻酔が効いただけです」

 普段の朗らかな喋りとは打って変わる通った声色。
 ピレア先生は長い管を飲み込ませると、持っていた管の先端を鞴《ふいご》と連結させた。

「いいですかリーノさん、この鞴をゆっくりと深く、動かして下さい」

 ただその後の手術がどうしても知りたくて、私は鞄の上に立って様子を窺った。横になっている学徒はまるで死んだように寝ているが、そのお腹は異常なまでに膨れ上がっていた。

 ピレア先生は細い短刀を学徒のお腹に宛がい、真っすぐ下に移動させる。まるで赤い絵の具で絵を描いているかのように、短刀で切られた箇所から赤い血がぷっくりと浮かんできた。

 何度か同じように切り、縦一文字にできた傷口をゆっくりと手で開くと、そこには薄ピンク色をした内臓らしきものが現れる。

 ダメ、もう見てられない。

 元々無理な体勢だったこともあり、正面を向き直した瞬間体中が痛くなった。

「胃が二倍くらい膨らんじゃって。でもこれなら元に戻すのも簡単ですね!」

「あぁ、良かった。おいハンス、これで治るか――」

 ――バツンッ! と高い破裂音がした。

 直後、饐《す》えた臭いが噴霧される。周りにいた学徒等は皆、口を押えたりえづいたりしていた。

 無理を押してもう一度ピレア先生の方へと振り向く。

「大丈夫。絶対に治せますから」

「《――necto接続〔胃再生〕eratあった――》」

「《――necto接続〔皮膚再生〕eratあった――》」

 覚悟してからが速かった。

 最後に先生は別の小瓶を取り出し、麻酔薬と同じ方法で使うと、しばらくして学徒が目を覚ます。

「あ? あ、あ先生?」

「気にしないでくださ~い。そうそう体に負担が掛かっているので、数日間はお粥だけ食べてくださいね~」

 学徒はうやうやしく感謝の意を述べる。すると教室にはどこからか自然と拍手が生まれた。

 大量の拍手によって告げられる手術の終了。

 無事に手術が成功した安堵と、実際に治す一部始終を体験できた嬉しさに胸がいっぱいになった。

「では授業を再開しましょ~」

 ピレア先生が最前列に戻ってくる。それと同時に私も姿勢を正面に戻した。

 ん?

 机の上。私の目の前に何かがある。

 ピンク色をした、いかにも柔らかそうな物体。たまに痙攣《けいれん》を引き起こしては私に存在を訴えかける。

 あれ?

 視線は無意識にディーアの本へと向いていた。今なお開かれた医学書には無数の臓器が無造作に配列されている。その中でディーアのペンが今なお一つの標本図を指示していた。

 形状は瓜に似ていて、出入口が細く窄《すぼ》んでいる。大きく切り開かれた内部は幾重にも肉の波が形成され、全体に粘液を纏っていた。

 飛んで来たのって胃……

「……うぷぇ゛」

 短い悲鳴が出たかと思えば今度はお腹の中から大量の何かが競り上がる。食い止めようとしたものの強力な衝動を抑えられず……空しく口外へと放出された。

 歪む視界。

 遠のく音。

 薄れていく意識の中で、とある情景を思い出す。

 それはリベラさんと二人で食べた、あの素晴らしい牛肉だった。





 私は再び外にいた。

 辺りは黄色く色づき始め、回廊の影はもう随分と伸びている。絵画のように切り取られたこの空間には、ただ風の通る音だけが聞こえていた。

 とぼとぼと。ただ、とぼとぼと。

 黙ってひたすらに足を動かす。

 とぼとぼ、

 とぼとぼ、

『なぁ……その……もう、平気か?』

 背後から聞きなれた声がする。もっともよく聞いていたのはこんな慈愛に溢れた声色ではなく、もっと高圧的で怒りに満ちたものだったが。

「はぃ……」

 気力が全くないせいか声という声が出ず、喉から風が抜けるようだった。

 ただでさえ下がっていた視界が更に落ち、いつしか自分の胸元が映る。暗色の着古していた衣服はまるで新品のように見違えていた。皺《しわ》一つない様を眺めるたびに脳裏では汚い思い出が蘇る。

 私は盛大に嘔吐《おうと》した。
 それこそ全てが出る勢いで。

 とはいえ強制的に立たされていたお蔭か、幸いディーアの私物を汚すことなく吐瀉《としゃ》物は私の服を伝って灰色の大地に還っていった。

 泣きじゃくりながら謝罪をする私をディーア痛いほど介抱してくれて、ピレア先生は早退という形で私を帰してくれた。

 本来の授業を抜け出す目標は達成したものの、強引に立ち去るよりも遥かに後味が悪くなってしまった。

『一つ聞きたいことがある』

「……なんですか」

『どうしてそこまで意地を張る』

「意地ってなんですか」

『“授業”と言うヤツだ。あんな仕打ちを受けてまでやる意味が本当にあるのか?』

「仕打ちって……」

 心の内で言葉が何度も反響する。

 その都度反論を考えるものの、都合のいい言い訳が出ることは無かった。

 パティナさんの言い分はもっともだ。

 子供と間違われて連行されて挙句の果てにはお尻を叩かれ、逃げられたと思ったらまたしても連行されて、挙句の果てにはゲロまで吐いて。

 どこに好きになる要素があるのか。

「でも……でも……」

 それでも私は知っていた。

 授業を受ける楽しさを。

 確かに嫌なこともあったかもしれない。
 たまたま最悪が重なっただけかもしれない。

 けれど、

 どんなに不運が重なろうとも、新しい物事を知る喜びまでは奪えなかった。

「……でも。それでもやっぱり私は、授業が好きなみたいです」

 パティナさんは暫く沈黙したのちに『そうか』と呟いた。

 全部吐き出してしまったと思っていた気力が再び勢いよく湧いてくる。
 目線が上がり、視界は開け、歩調はだんだん速くなる。

 ひたすらに。ただ、ひたすらに。

 前だけを向いて歩いていく。

 すたすた、

 すたすた、

 すたすた、

 と。

 軽やかな足取りが止まったのは、目的地に着いたから。

 長い旅路の果てにようやく辿り着く、一連する事件の発生地。

 リベラさんの棲む城。

 そう、図書館だ。
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