ハナコ・プランバーゴ

ノコギリマン

文字の大きさ
9 / 53

8:少女

しおりを挟む
 窓框まどかまちに腰掛けて外を眺めながら、どうして「その依頼、あたしたちにやらせてよ」だなんてバカげたことを言ってしまったのだろうと、ハナコは我ながら驚いていた。ドンに言った借金の件が最大の理由なのだとは思う。この立ちゆかない八方塞がりの現状は、すべて借金というクソッタレな足枷からくるものではある。

 だがしかし、本当にそれだけが理由なのだろうか?

 とっくの昔に、他人へ対する優しさやなんかは心から掃き出してしまったつもりだったけど、もしかすると年端のいかない謎の少女に、わずかばかりの同情の念を抱いてしまったのかもしれない。あの〈血の八月〉の頃におなじくらいの年齢だった自分自身とを重ね合わせて、「可哀想に」と、らしくない感情でも芽生えてしまったのだろうか?

 ……分からない。

 あの事件から十二時間以上が経ち、もう昼前になるというのに、蒸し暑いバラック小屋に否応もなく閉じ込められていると、つい考えなくてもいいことを色々と考え込んでしまう。

「ネエさん、ほんとうに本気なんですか?」

 もう何度目かの、トキオの質問が飛ぶ。

「本気だよ。しつこいな」

 振り返り、青く塗装されたウッドチェアにすわり、背もたれに顎を乗せた仏頂面のトキオを見やると、当てこすりのような深いため息をつかれた。

「さっきから、ため息ばっかりね」
「そりゃそうっす。オヤジのあの態度じゃ、たぶんネエさんのワガママを受け入れちまう。いつものことですよ」
「なにが不満なわけ?」
「不満っていうか、この先の展開を考えてたら、あーりゃりゃな気分になっちゃったんす」
「この先の展開?」
「おれも、ネエさんのワガママには逆らえないってことですよ。オヤジが了承すれば、おれも行かざるをえなくなる」
「嫌なの?」
「嫌じゃないですよ。
「なにそれ?」

 言ってハナコは苦笑し、ベッドに眠る少女を見やった。

 静かな寝息をたてる少女は、昨晩のあの事件からずっと眠ったままだ。ドンが気を回してやってきた、口がかたいのだけが取り柄の闇医者、黒縁眼鏡のドクターによれば、「すこし熱があるが、特に問題はない」ということで、今のところ心配はしていないが、それでも、透きとおるように白い肌や陽光を柔らかく反射する金髪を見る限り、あまり体力がある方ではないように思える。

 ドンが言ったとおりのことを信じるならば、少女は〈ムラトの娘〉なのだろうが、かすかな違和感をおぼえる。その正体がなんなのかまでは分からないが、この少女がツラブセに長いこと匿われていた本当の理由は、他にあるような気がしてならない。

「……この娘、ほんとになんなんだろうね?」
「ムラトの娘。それだけで、十分に狙う価値があるでしょう」
「政府軍にとってはそうだろうけど、やっぱりアイツがどうにも気になっちまってね」
「ピクシー、ですか?」
「そう」

 やはり、あのバケモノのことがどうしても気がかりだ。

「うーん、でもおれたちはそういう諸々の事情なんてどうでもいい立場じゃないですか。『例えどんな代物であろうが、依頼されたブツは絶対に目的地まで運ぶ』ってのが〈運び屋〉の流儀でしょうに」
「……そうだな。それに、まだあたしらがやるとは決まってないしね」
「そうそう」
 呑気なトキオにすこし気をそがれていると、ベッドから物音がし、見ると、少女が寝ぼけまなこで半身を起こしていた。

「……」

 呆けたように口を開き、少女は部屋を見回した。

「ここは……どこですか?」

 透きとおる声で言って、少女がハナコに視線を据える。

「あ……ああ、ここはあんたを悪いヤツらから守るための場所だ」

 言いながら、一瞬、少女に心奪われたことをハナコは強く意識した。

「守る? 誰からですか?」

 つづけて少女が言う。

「それは……」

 困って二の句を継げずにいると、

「悪い奴らのことはおれらもよく知らないんだよ、お嬢ちゃん」

 と、トキオが助け船を出してくれた。

「そうそう、あんたは――」
「アリス」

 ハナコを遮り、少女が言った。

「え?」

 思わず聞き返すと、

「アリス。アリス・サーティーン・ヒエダ。わたしの名前です」

 と、少女は壊れそうな声音で名乗った。

 その、アリスという名前に、なぜか胸がうずく。

「……できすぎた名前ね。あたしはハナコ・プランバーゴ。とにかく、あんたはいま安全な立場にはいない。だからここでしばらく大人しくしてもらう」

 言って、窓外に目をやると、通りにチャコとケンジを連れ立ったドンの姿があった。

「アリス、今から事情を説明してくれる人が来てくれる。無理かもしれないが、あまり驚かないでくれよ。あたしはうるさいのが嫌いだからさ」

 立ち上がって見ると、アリスは静かにうなずき、

「分かりました」

 と言って、窓へと目をやった。

 そのうなじには、〈十三〉という黒い刺青が彫り込まれていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

処理中です...