ハナコ・プランバーゴ

ノコギリマン

文字の大きさ
21 / 53

20:トウモロコシ

しおりを挟む
 目の前にひろがるトウモロコシ畑に、ハナコは嘆息した。

 淡い月明かりの下だと、それがどこまで続くのかまでは分からないが、それでもやはり圧倒される。

「こんなに目立つ場所を見つけられなかったなんてね」

 言って、月明かりがあるということはと思い、いつのまにか雨がすっかり止んでいることに気づく。近づいてトウモロコシの細長い葉に触れると、夜露よつゆ雨露あまつゆなのかは分からないが、しっとりと濡れていた。

「ほら、あれだ」

 農道の先を指すマクブライトに言われて見ると、少しはなれた場所に、人家のものとおぼしき灯りが点々と見えた。

 レーダーマッキーの情報に偽りなし、ということだ。

『じゃあ、またなにか分かれば連絡する』

 淡々と言って、レーダーマッキーが通信を切った。

「ほんとに、大丈夫なの?」

 あらためて、渦中の情報屋が信頼できるのかを訊ねると、

「大丈夫。奴は、おれやお前なんかよりも強く政府を憎んでいるからな。まず、タレこまれるようなことはない」

 と、呑気にマクブライトは言い、農道を歩き出した。

 およそ一時間前、車のガス欠により徒歩でコミュニティーを目指すことになったハナコたちは、勢いの弱まった雨の中を必死に歩いて、ようやく辿り着いたことになる。

 ゲイに負わされた傷をかばいながらついてきたトキオは、すっかり疲弊しきっている。

 それに、アリス。

 疲れた様子さえ見せずに横を歩く白磁の肌の少女は、ようやく見えた灯りにホッとしたのか、すこしだけ表情を緩ませているようにも見えた。

 もうすっかりお気に入りになってしまったのだろう、首から下げたずぶ濡れの笑い袋を揺らしながら、健気にも大人たちについてくる。そのヘソの上あたりで貝殻のように閉じた手の中には、全身が灰色の小鳥がいた。歩き出してからすぐにアリスが見つけたもので、右の羽にケガを負って飛べなくなっているようだった。それを見て、マクブライトが「ほお、クニオフィンチか」と眉尻を上げながら言った。

「クニオフィンチ?」
「ああ、だいぶ前に貴族の奴らのあいだで流行った手乗りのペットさ。人懐こくて、なによりも数十パターンある鳴き声がまた可愛いんだ。まあ、ブームが過ぎた今となっちゃ、捨てられたヤツが野生化しちまってるみたいだが」
「ヤケに詳しいね」
「おれは小鳥が好きだからな」
「ハッ、冗談ばっか。それにしても小鳥に自分の名前をつけるなんて、もかなり悪趣味ね」

 ハナコの言葉にマクブライトは口の端を上げ、

「噂じゃ、これは遺伝子操作で生まれた代物らしい」

 と、言った。

「その遺伝子操作じたいが、実際のところ、なにを目的としていたのかは分からねえが、それでもこの異常に人懐っこい小鳥が生まれ、クニオ様はそれを金儲けの道具にしたんだよ。それに、流行さえ定期的に与えておけば、一般大衆なんていうお気楽な生き物はそのことにかまけて、政治のことなんぞ考えないからな」

 マクブライトの講釈にホウッと息を漏らしてアリスに視線を移すと、大事そうにクニオフィンチを包みこんだまま無言で見つめ返してきた。それは、あの六番街の射的屋で向けられたものと同じ意味合いの、とても澄んだ目だった。

 ハナコは無言でうなずき、クニオフィンチについてアリスを咎めることもなく歩き出した。

 そして一時間後、ようやくここまで辿り着いたことになる。

「それにしても、大きなトウモロコシ畑だね」
「これが普通だ。トウモロコシは安価な上に栽培も容易だからな。大量生産、大量消費の典型みたいな穀物よ。だから貴族様たちが食べる五番の上等な食物とはちがって、おれらは、これを食わされている」

 ハナコの舌が、バーの美味とはほど遠いメニューの味を思い出す。

「知らなかったな、ここで作られていたのは」
「国民が反乱を起こす最大の原因はなんだと思う? なぜこの国は独裁体制だっていうのに国民は反乱を起こさない?」

 いつものマクブライトの迂遠うえんな言い回しがはじまる。

「さあね。軍がやっぱり怖いんじゃない? 恐怖に支配されていたら、だれも動かないだろうよ」
「じゃあ、〈血の八月〉のとき、お前はなんの恐怖も感じなかったか?」
「それは……」

 思い出したくもないが、なによりもまず恐怖が胸中を支配していたのは確かだ。

「恐怖感に縛られながら、それでも戦った。なぜなら命を脅かされたからだ。むしろ恐怖心は、人を動かすなによりの原動力なんだよ」
「じゃあ、なんで国民はいま立ち上がらないんだ?」
「平時における国民の最大の恐怖はなんだと思う?」
「……暴力?」
「お前が暴力に脅えるタマかよ」

 マクブライトが鼻で笑う。

「答えは、だ。空腹こそが革命の種ってな。はそれを分かっているんだろう。粗悪なトウモロコシとはいえ食えるものがあるうちは、だれも動きやしない。これ以外にも、意外とおれらのまわりに食物はゴマンと溢れている。この国では、高望みさえしなければ悲劇の起きないシステムが、徹底的に敷衍ふえんされているんだよ」
「あまりにも飢えると、腹の音が革命を叫ぶときの声に聞こえてくると」

 トキオがしかつめらしく言い、都合良く腹を鳴らした。

「おれも腹が減って、いまにも暴動を起こしそうですよ」
「もうすぐだ。ま、ありつけるのはトウモロコシだろうがな」

 マクブライトのつまらないコーンジョークに顔をしかめながら、ハナコは気がつかれないようにソッと腹を撫でた。まだ鳴らないが、トキオと同じく確かに空腹だ。

 横を歩くアリスを見ると、ハナコの真似のつもりなのか、クニオフィンチを片手でもって彼女もまた腹をさすっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

処理中です...