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25:クニオフィンチ
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「ここからまっすぐ西へ向かえば、約束の場所だ」
言って、バックパックを背負うマクブライト。
旅の準備をすませたハナコはうなずき、トキオに視線をやる。
「本当にもう大丈夫なのか?」
「これ以上、おれのせいで足止めさせるわけには、いきませんから」
トキオの顔色は、昨日よりもよくなっているように見えた。
「徒歩で行かれるのですか?」
神父が心配そうに訊ねる。
「車を乗り捨てた場所までもどるのは危険だし、なによりここを移動するのなら、徒歩のほうがいい」
応えるマクブライト。
「それに、西にはテンガン川があるから、渡るにはどっちにしろ車は邪魔だ」
「川を渡るの?」
訊ねるハナコ。
「ああ」
「船やなんかの調達は楽じゃないんじゃないの?」
「大丈夫だ。心当たりがある」
言って、煙草をくわえて火をつけるマクブライト。
つくづく頼りになる男だと思い、それに比べて外の世界での、おのれの無力さが改めて身に染みる。旅路を進むたび、勝ち気な鼻っ柱が、これでもかと折られてゆく気分だ。
「……ほんと、あんたには世話になりっぱなしだな」
「なあに、これも仕事のうちだ。それにこういう事態を見越して、ドンさんはおれに旅の同行を依頼してきたんだろうよ。なにしろ、お前はそとの世界に不案内だからな」
「ただの報酬運搬係だと聞いてたけどね」
「ま、そういうことにしとくさ」
マクブライトが言うとおり、ドンの真意はそこにこそあるのだろう。「今回の仕事を任せてほしい」という無茶な申し出を承諾しておきながら、ドンは未だに自分のことを信頼しきってはいないのだ。いや、というよりも、心配なのだろう。どんなに強がってみたところで、ドンやマクブライトの目には、ハナコはまだお転婆な少女にしか映っていないのだ。
無力感とあいまって、焦燥感までが胸に渦巻く。
すると肩に手を置かれ、振り返ると、トキオだった。
「頼りにしてますよ」
励まされた。
それが、なぜかムカついた。
「分かってる」
ぶっきらぼうに言ってアリスへ視線を移すと、バスケットを抱えたままじっとハナコを見上げていた。
アリスにまで心を見透かされている気がする。
「……約束どおり、その小鳥は置いていきなよ」
念を押すと、アリスはうなずいてクニオフィンチを優しくバスケットから取りだし、片手に乗せたままゆっくりと頭上に掲げた。
二三度、ケガの具合を確かめるように羽ばたいたあと、小鳥がその小さな手から飛び立った。かなとこ雲を背に大空を悠々と飛び回るクニオフィンチは、すっかり傷が癒えているようだった。
「野生の力、おそるべしってやつだな」
マクブライトが笑い、空を見上げるアリスの、ずり落ちそうなバックパックの肩掛けをうしろからなおした。
力をこめればすぐにでも握りつぶせそうなほど小さな体で、楽しそうに大空を泳ぎ回るクニオフィンチに、純粋な感動をすら覚える。
気がつくと、ハナコたちばかりでなく、見送りに出てきていた村の住人たちの誰もが、息を呑むようにして小鳥を目で追っていた。
あの小鳥は、ここにいる誰よりも自由だ。
しばらく出発することをすら忘れて、その優雅な空中遊泳に見とれていると、そのまま小鳥がアリスの頭に軽やかに舞い降りた。マクブライトが言うとおり、本当に人懐こい種類らしい。
「チチュン チチュン チュン チチュン」
夏空を祝福するかのような澄んださえずりに心を優しく撫でられ、さきほどまでの言い表しようのない胸のうずきが、嘘のように溶かされていく。
それからもう一度さえずり、小鳥が、今度はアリスのとなりに立つハナコの肩にピョンと飛び移ってきた。人差し指の背で頭を撫でてやると、小鳥は目をつぶり、嬉しそうにしてその身をゆだねてきた。すっかり安心しきったその顔には、無上の可愛さがある。
撫でるのをやめると、小鳥はふたたび大空へと飛び立った。
「これで安心だな」
アリスに言うと、無言のままうなずき返された。
その顔には、かすかな笑みが浮かんでいる。
その時、遠くから小さくパンッという乾いた破裂音が聞こえ――
――クニオフィンチが、血と羽の雨に変わった。
ボトボトと地べたに飛び散る小鳥だった無残なモノを、なにが起こったのかも分からず唖然として眺めていると、
「奴らだ!」
双眼鏡を覗き込むマクブライトの大声が、鼓膜を揺らした。
我に返り、蜘蛛の子を散らすように逃げていく住民を避けながらアリスを見ると、呆けて口を開けていた。
「おい!」
怒鳴ってつよく肩を揺さぶると、我に返ったアリスはそのまま耳をつんざくようなほどの叫び声をあげた。
ハナコはすぐにアリスの口を塞ぎ、神父に視線を走らせた。
「こちらへ」
神父のこめかみから、一筋の汗が流れ落ちた。
言って、バックパックを背負うマクブライト。
旅の準備をすませたハナコはうなずき、トキオに視線をやる。
「本当にもう大丈夫なのか?」
「これ以上、おれのせいで足止めさせるわけには、いきませんから」
トキオの顔色は、昨日よりもよくなっているように見えた。
「徒歩で行かれるのですか?」
神父が心配そうに訊ねる。
「車を乗り捨てた場所までもどるのは危険だし、なによりここを移動するのなら、徒歩のほうがいい」
応えるマクブライト。
「それに、西にはテンガン川があるから、渡るにはどっちにしろ車は邪魔だ」
「川を渡るの?」
訊ねるハナコ。
「ああ」
「船やなんかの調達は楽じゃないんじゃないの?」
「大丈夫だ。心当たりがある」
言って、煙草をくわえて火をつけるマクブライト。
つくづく頼りになる男だと思い、それに比べて外の世界での、おのれの無力さが改めて身に染みる。旅路を進むたび、勝ち気な鼻っ柱が、これでもかと折られてゆく気分だ。
「……ほんと、あんたには世話になりっぱなしだな」
「なあに、これも仕事のうちだ。それにこういう事態を見越して、ドンさんはおれに旅の同行を依頼してきたんだろうよ。なにしろ、お前はそとの世界に不案内だからな」
「ただの報酬運搬係だと聞いてたけどね」
「ま、そういうことにしとくさ」
マクブライトが言うとおり、ドンの真意はそこにこそあるのだろう。「今回の仕事を任せてほしい」という無茶な申し出を承諾しておきながら、ドンは未だに自分のことを信頼しきってはいないのだ。いや、というよりも、心配なのだろう。どんなに強がってみたところで、ドンやマクブライトの目には、ハナコはまだお転婆な少女にしか映っていないのだ。
無力感とあいまって、焦燥感までが胸に渦巻く。
すると肩に手を置かれ、振り返ると、トキオだった。
「頼りにしてますよ」
励まされた。
それが、なぜかムカついた。
「分かってる」
ぶっきらぼうに言ってアリスへ視線を移すと、バスケットを抱えたままじっとハナコを見上げていた。
アリスにまで心を見透かされている気がする。
「……約束どおり、その小鳥は置いていきなよ」
念を押すと、アリスはうなずいてクニオフィンチを優しくバスケットから取りだし、片手に乗せたままゆっくりと頭上に掲げた。
二三度、ケガの具合を確かめるように羽ばたいたあと、小鳥がその小さな手から飛び立った。かなとこ雲を背に大空を悠々と飛び回るクニオフィンチは、すっかり傷が癒えているようだった。
「野生の力、おそるべしってやつだな」
マクブライトが笑い、空を見上げるアリスの、ずり落ちそうなバックパックの肩掛けをうしろからなおした。
力をこめればすぐにでも握りつぶせそうなほど小さな体で、楽しそうに大空を泳ぎ回るクニオフィンチに、純粋な感動をすら覚える。
気がつくと、ハナコたちばかりでなく、見送りに出てきていた村の住人たちの誰もが、息を呑むようにして小鳥を目で追っていた。
あの小鳥は、ここにいる誰よりも自由だ。
しばらく出発することをすら忘れて、その優雅な空中遊泳に見とれていると、そのまま小鳥がアリスの頭に軽やかに舞い降りた。マクブライトが言うとおり、本当に人懐こい種類らしい。
「チチュン チチュン チュン チチュン」
夏空を祝福するかのような澄んださえずりに心を優しく撫でられ、さきほどまでの言い表しようのない胸のうずきが、嘘のように溶かされていく。
それからもう一度さえずり、小鳥が、今度はアリスのとなりに立つハナコの肩にピョンと飛び移ってきた。人差し指の背で頭を撫でてやると、小鳥は目をつぶり、嬉しそうにしてその身をゆだねてきた。すっかり安心しきったその顔には、無上の可愛さがある。
撫でるのをやめると、小鳥はふたたび大空へと飛び立った。
「これで安心だな」
アリスに言うと、無言のままうなずき返された。
その顔には、かすかな笑みが浮かんでいる。
その時、遠くから小さくパンッという乾いた破裂音が聞こえ――
――クニオフィンチが、血と羽の雨に変わった。
ボトボトと地べたに飛び散る小鳥だった無残なモノを、なにが起こったのかも分からず唖然として眺めていると、
「奴らだ!」
双眼鏡を覗き込むマクブライトの大声が、鼓膜を揺らした。
我に返り、蜘蛛の子を散らすように逃げていく住民を避けながらアリスを見ると、呆けて口を開けていた。
「おい!」
怒鳴ってつよく肩を揺さぶると、我に返ったアリスはそのまま耳をつんざくようなほどの叫び声をあげた。
ハナコはすぐにアリスの口を塞ぎ、神父に視線を走らせた。
「こちらへ」
神父のこめかみから、一筋の汗が流れ落ちた。
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