46 / 53
45:引き渡し
しおりを挟む「なあ、お前なら今際の際に何を見ると思う?」
言って、マクブライトが最後の煙草に火をつけた。
山の麓の〈リバーサイドQ〉で調達したネズミ色のオフロード車のボンネットに腰掛けて頬杖をついていたハナコは、「また始まったか」とマクブライトの無駄話に眉をひそめ、その脇に置いてある、提げ紐がほどけた笑い袋を鳴らした。
「走馬燈ってやつ?」
「正確には〈脳裡を走馬燈のように駆け巡る人生の思い出〉だ。走馬燈ってのは灯籠を使って影絵の馬が走っているように見せるアニメーションの元祖みたいなもんだよ。どうだ、何を見ると思う?」
「さあね、考えたこともないよ。死ぬときに分かるだろ」
「未来を想像できるのが、人間の特権だぜ?」
「走馬燈なら過去だろ、未来じゃない」
「なら過去を思い出せ」
「ヤダよ、思い出したくもないね」
言って、荒野の地平線を双眼鏡で見る。
まだ車の影さえ見当たらない。
「つまらん奴だな。〈赤い鷹〉が来るまでの暇つぶしじゃねえか」
「もっと面白い話なら、付き合ってやってもいいけどね」
「そうだな。じゃあ、最もネガティブな動物はなんだと思う?」
「どういう意味だよ?」
「印象の話だ。たとえば、猫は間違いなくポジティブだ。奴らは高貴の代名詞のような動物だからな。媚びるということを知らん」
「すぐ足にまとわりついてきて餌をねだるじゃないか。あれは媚びているうちに入らないわけ?」
「シッポ振って舌を出す犬とは、見栄えが違うだろうが」
「なんだそれ、単なる好き嫌いの話じゃないか」
「まあ、どっちでもいいさ。お前はなんだと思う?」
「そうだね……クジラじゃないか?」
「クジラ? なぜそう思う?」
「クジラは哺乳類のくせに地上から逃げ出したんだろ。もともとの祖先があんなに大きかったかは知らないけど、それでも大きかったはずなのにさ。シャチやイルカとは事情が違うような気がする。クジラはきっと、地上で生きてくのが怖くて仕方がなかったんだよ」
「なるほどな。だが、クジラはむしろ、地上よりも遙かに可能性に満ちた雄大なる大海原へ乗り出した、とても勇敢な動物だとおれは思うがな。ネガティブどころか超がつくほどのポジティブじゃないか?」
「物は言いようだね。じゃあ、あんたはなんだと思うんだ? 言っとくけど、“人間”なんて陳腐な答えだったら、この話は終わりだからね」
「言われなくても分かってる」紫煙を吐き出すマクブライト。「答えはリスだな、間違いない」
「なんで?」
訊いて再び双眼鏡を覗くと、地平線に舞い上がる土煙が見えた。
「リスは――」
「来たみたいだよ」
遮って言うと、マクブライトは話の腰を折られたことに対して不満の鼻息を漏らし、肩に掛けていたアサルトライフルを銃口を下げたままにして両手で携えた。それを確認して振り返り、車内に視線を移すと、後部座席のトキオと、髪を三つ編みにしたアリスが共に頷いて息を呑む。
それから五分後、やって来た車がハナコたちから十メートルほど距離をあけて停車し、中から銃を携えた四人の軍服と、アタッシュケースを左手に提げる白髪を刈り上げた長身痩躯の老人が現れた。
いつもテレビで観ていた〈悪漢〉としてのたくましさがあまり感じられず、すこし戸惑う。長年にわたる不毛な戦いに疲れ切っているのだろうかと、いらない邪推さえしてしまう。
だが、それでもやはりさすがと言うべきかムラト・ヒエダは威厳を放っていた。
「随分と遅かったな」
抑揚のない低い声で言ったムラトが、顔を綻ばせることもなくハナコたちの後ろへ視線を向け、アリスを確認する。
「寄り道ばっかりだったもんで」
「わたしには関係ない」
ニコリともしないムラトに、ペースを崩される。
「約束の金はここにある。アリスを引き渡してもらおう」
「……分かった」
目で合図を送ると、トキオがアリスの手をとって車から出てきた。傍らまで来たアリスをちらと見やると、緊張からか額にじっとりと汗を滲ませていた。
昨日のアリスの決断を思い出す。
それが本当に正しい選択なのかどうかだいぶ迷ったが、当の本人の希望ならば従うのが筋なのだろう。
「あんたらを信用していないわけじゃないけど、ちょうど真ん中で引き渡しをしたい。あたしがアリスを連れて行く。そっちは誰でもいい。それで構わない?」
訊くと、ムラトは無言のまま頷き、軍服の一人にアタッシュケースを手渡した。
アタッシュケースを重たそうに両手で抱えた軍服が向かってくるのを確認し、ムラトたちに見えるようにしてボンネットに拳銃と警棒を置いたハナコは、アリスの手をひいて中間地点へと向かってゆっくりと歩を進めた。
軍服からアタッシュケースを受け取り、その予想以上の重たさにたまげそうになったのを気取られまいと取り澄ましながら開くと、中には一万サーク札の束が隙間なくぎっちりと詰め込まれていた。
はじめて拝んだ大金を、偽札が混じっていないかどうか無作為に抜き取って気を落ちつかせながら確認する。
「……よし、大丈夫だな」
閉じたアタッシュケースを抱えて立ち上がったハナコは、その間ずっと傍らで佇んでいたアリスへ一瞥をくれ、そのまま何も言わずに踵を返してオフロード車へと戻った。
アタッシュケースをトキオに渡してホッと一息をついて見ると、車に乗せられようとしていたアリスが立ち止まり、ムラトに向かってなにか言いはじめたが、ここまでは聞こえない。
「本当にいいんですか?」その光景を眺めながらトキオが言う。
「これこれがアリスの選択なら、従うまでだよ。それに忘れるとこだったけど、あたしらは〈運び屋〉だ。とにかく、たったいま任務は遂行したんだ」
「アリスには酷な気もしますがねえ」
「それでもさ」
アリスが首から何かをさげるジェスチャーをし、ハナコたちを指さした。ムラトも視線を寄越す。
「忘れ物を返してやれ」マクブライトが言う。
ハナコはボンネットに置いてあった笑い袋を手に取り、敵意がないことを示すために両手を上げたままムラトたちのもとへ向かい、駄目押しとばかりにくるりと一回転した。
武器の不所持を確認した軍服が銃口を下げる。
「それが、そんなに大事な物なのか?」ムラトが言う。
「まあ、そうだね」アリスにうしろを向かせ、紐を結びはじめるハナコ。「これは旅の思い出だからさ」
「髪型まで同じにして、どうやらだいぶ懐かれたようだな」
「この三つ編みには秘密があんの。知りたい?」
「いや。なんでもいいが、急いでくれ」
「分かってるよ」
言いながら、それでも手間取るハナコ。
「すいませんね、ちょっとこういうの苦手なもんで」紐をほどき、また結びはじめるハナコ。「……ああ、そうだ。あんたみたいな有名人に会ったら、訊いてみたいことがあったんだった。今際の際になにを思い出すと思う?」
「なんの話だ?」
「あたしみたいな九番の〈ゴミ漁り〉でも、あんたがいっぱい色んな経験をしてきたことくらいは知ってる。それで、死ぬ間際になにを思い出すかとか考えたことあるかなって思ってさ」
「考えたこともない。それは死ぬ間際に分かることだ」
「……あたしも、そう思うよ」
「質問の意図するところは分からんが、わたしは〈ゴミ漁り〉という言葉が好きではない。君も人間なら、最低限の矜持をもつべきだ」
「……もうひとつ言いたいことがあるんだけど」
「早くしてもらおう」
「この仕事を終えたら、あたしは自由の身になれるの。っていうか、正確には、任務を完遂したさっきの時点であたしはもう完全に自由の身になってるの」
「それは良かったな。祝儀でも欲しいのか?」
「ここからは、あたしの自由にさせてもらうってことさ!」
ムラトたちの隙をつき、アリスの三つ編みに隠していたバタフライナイフを引き抜いたハナコは、その切っ先をアリスの喉元に突き当てた。
軍服たちが反射的に銃口をハナコに向けると、そのあいだに立っていたムラトが手振りで命令してすぐにそれを下げさせた。
「銃を捨てな。あいにくとあたしはまだ走馬燈を見たくないの」
頷くムラトに従い、軍服たちが銃を地面に放り投げた。それを合図にトキオとマクブライトがやって来て銃を回収し、膝を突かせたムラトたちの手を後ろで縛りつけた。
「それが三つ編みの秘密か?」
「聞いとくべきだったね」
笑むハナコ。
「出鱈目すぎて虚を突かれたよ。何が目的だ?」
「戦争を起こさせないため」
「ほう。わたしを殺す気か?」
「安心して。そういうつもりはないから」
「ならば、わたしを政府にでも売る気か? 自由を手に入れて、最初にすべきことがこれだとは思えんが」
ため息をつくムラト。
「九番の連中が政府と関わりあいを持とうとするのは、大きな誤算だったな。いや、君が腐っているだけなのかな?」
膝をついたままのムラトの言葉は、明らかな挑発だった。
「ナメるなよ、政府は関係な――」
「ネエさん、話はあとです」
トキオに宥められる。
足まで縛りつけた軍服たちを車に放り込んだマクブライトが、無線機のスイッチを入れ、作戦どおり《赤い鷹》との通信を開始する。
「――つうわけで、お前らのボスは誘拐させてもらった。要求は追って連絡する。とりあえず、お仲間を迎えに来てやりな」
向こう側で喚き声のする無線機のスイッチを切り、ちゃっかり軍服の胸ポケットから煙草を拝借したマクブライトがハナコに向けて親指を立てた。
「あんたはあたしたちと一緒に来てもらう。立ちな」
「代表……」
呼びかける軍服へ目をやることもなく「予定どおり、手はずを整えておけ」と、なんのトラブルもないように言ってムラトが立ち上がると、トキオとマクブライトがそれぞれ両脇に手を回した。
そこでようやくハナコはバタフライナイフをアリスから離した。
「アリスも共犯とはな」
「この娘が主犯だよ。あんたの血を引いてるだけあるだろ?」
ハナコの皮肉に、ムラトがついに無表情を崩して口の端を緩めた。その微笑は、ハナコたちがアリスの正体を知らないものだと思っての嘲りにも見える。
「行きましょう」
トキオに促されオフロード車に戻り、助手席にアリス、後部座席へムラトを挟んでハナコとトキオが乗り込む。
「さて、吉と出るか凶と出るか」
マクブライトが冗談めかし、車を発進させた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
追放聖女だってお茶したい!─セカンドライフはティーサロン経営を志望中─
石田空
ファンタジー
「ミーナ今までありがとう。聖女の座を降りてもらおう」
貴族の利権関係が原因でいきなり聖女をクビになった庶民出身のミーナ。その上あてがわれた婚約者のルカは甘味嫌いで食の趣味が合わない。
「嫌! 人の横暴に付き合うのはもうこりごり! 私は逃げます!」
かくしてミーナは神殿から脱走し、ティーサロン経営のために奔走しはじめた。
ときどき舞い込んでくるトラブル。
慌ててミーナを探しているルカ。
果たしてミーナは理想のセカンドライフを歩めるのか。
甘いお菓子とお茶。そしてちょっとの恋模様。
*サイトより転載になります。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる