当世退魔抜刀伝

大澤伝兵衛

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第1章 ヤトノカミ編

第7話「茶道部への誘い」

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「というわけで、風土記は現在五つしか残っていないわけです」

 修は土曜日の午前中日本史の授業を受けていた。

 この前は、ほんの五年前のテロ事件という、まだ歴史なのかすら曖昧な事柄を扱っていたが、今日は古代の文献だ。完全に前の授業との関連性はないが、今回は受験範囲というだけましとも言える。

「風土記は皆さんも知っての通り、朝廷が日本の各国に地域の事情について報告させたものです」

 染谷先生が語る内容は、中学の時に習った通りだ。教科書にも同様のことが記述されている。

「だけど、そんな公式の報告書にも妙な話が紛れています。例えば出雲国風土記には目一鬼まひとつおにという人食いの鬼が記されています」

 修には初耳だった。ただの与太話を朝廷に報告したのだろうか。それとも片目の殺人鬼がいてそれが妖怪の類として扱われたのだろうかと考えた。

「また、常陸国風土記には、夜刀神やとのかみという蛇の怪物が語られています」

 これは何なのだろう。各地の役人は妖怪について報告するのが流行っていたのだろうか。

 染谷先生は、その後、一つ目の鬼は鍛冶の得意な一族であるという説や、夜刀神は開拓の障害の象徴だという説などを解説して授業が終わった。

 何故か修はこの授業が頭に残った。



 八幡高校では、土曜日は半日授業となっている。そして、午後は部活というのが一般的な生徒の生活スタイルであり、修や千祝も例外ではない。その日は中学の時から続けている部活にいつものように顔を出した。ただ、いつもとは違う点が一つあった。

「鬼越君。これはどういうことかな?」

「どうもこうも見ての通りだ」

 修は約束通り中条を部活に連れてきた。中条は強くなるために部活に入ろうとしていたのだが、活動場所を見て驚いた。和室なのはわかる。畳の上で稽古する武道は数多くある。問題なのは、畳の上に並べられている物だ。

「茶道部へようこそ」

 そう、茶道具が並べられたそこは茶道部だった。

「茶道でどうやって強くなるんだよ」

「いいか? ちょっと武道を齧ったからと言って実戦に軽々しく臨んだら痛い目を見るんだ。昨日みたいな事態に対処するには、付け焼刃の戦い方じゃなく落ち着いて対処できる心構えが重要なんだ。それに、北辰一刀流の千葉周作のこんな逸話を知ってるか? ある時千葉周作の道場に茶坊主がやってきて武士と決闘をするから見苦しくない敷き方を教えてくれと言うんだ。それに対し千葉周作は目を閉じて剣を真直ぐに構え気配を感じたら前に突き出せと教えたんだ。結果は茶坊主に対し相手の武士は隙がないと感じ勝負を止めて帰ってしまったんだ。この話は千葉周作の教え方のうまさや勝負事への心構えを表しているけど俺はこの茶坊主もすごいと思うんだ。真剣を構えた敵の前で平然と目をつぶるなんてふつうは出来ないだろ? それに少しでもおびえた素振りを見せれば相手は与し易しと襲いかかって来るだろう。これは茶道で心を鍛えていたからとしか思えない。どうだまだ疑問があるか?」

 疑問をぶつけた中条に対し修は一気に持論を披瀝まくしたてた。

 マイナーな部活である茶道部の人数はあまり多くない。そのためちょうど良い機会なので勧誘しているのは事実である。しかし、今、修が述べたこともまた本音でもある。

「うむ。特に反論は無いようだな。まっ今日は体験入部ということで」

「なんかうまく乗せられてる気がするけど、試すだけなら」

 うまく押し切った形で一日体験入部させることに成功した。

「じゃあここに荷物はおいといて」

 修は部屋の隅に鞄をガチャリと置きながら中条にいった。

「ちょっと待って、修ちゃん。今、鞄とは思えない音がしたけど、何が入っているの?」

「ん? これだよ。どう?中々いい感じだろ」

 千祝の疑問に対して、修は自慢げに鞄から四角くて黒い金属っぽい物体を取り出した。千祝は訝し気にその物体を手に取る。手に取ったそれはズシリと重さが伝わってきた。それは鉄塊だった。

「不良と戦った時に鞄が有効でさ、その有効性を向上させようと思ってこれを考案したんだ」

「はあ。そう」

「刃物みたいに法に触れず、棒みたいに携帯していることが不自然な物と違って学生が持っててもおかしくない。例えて言うなら、武士が得物としての有効性なら弓や槍の方が上なのに刀を携行したのと同じこと、これはまさに現代の刀と呼ぶべきではないだろうか」

 修の熱弁を千祝は冷ややかな目で見ていた。二人は仲が良く千祝の感覚も一般とはずれているところがあるが、ここまで振り切れてはいないらしい。

「鬼越君、鉄板入りの鞄は昭和の不良がよくやっていたって聞くからオリジナルではないし、多分警官に目をつけられやすくなるんじゃないかな?」

「む?」

 中条から思わぬ意見を受けて修は黙る。

「大体これを入れてたらほとんど教科書入らないでしょ。今日が半ドンだから何とかなったけどこれじゃ実用的とは言えないんじゃないかしら」

 千祝からも反論が出た。

「改善の余地があるってことでこの話はここまでにしよう。はい、やめやめ」

 照れ隠しなのか話を強引に打ち切る修を見て、中条は茶道部に連れてきた修の考えが正しいのか不安になった。



 和室は部室棟の一室に畳を敷き詰めて作られており、曜日によりかるた同好会も使用している。元々茶室として使う予定はなかったので炉は切られておらず。一年中風炉を使用している。茶道具は部に代々伝わっている物や、各自で持ち寄ったものを使用している。普通は初心者にも手を出しやすい手ごろな値段の道具を持ってくるが例外もある。

「何かすごいお手並みだね。茶碗も……楽茶碗って言うんだっけ?高そうだし」

 中条は素人であるが、修の茶せんを操り茶をたてる動きにただならぬものを感じた。それに持っている茶碗もそこらで売っている物とは風格が違った。

「おっ。分かるか。これは神君家康公より直々に拝領したれっきとした楽家初代長次郎作の茶碗なのだよ」

「嘘おっしゃい。手に入れたのは昔道場破りから巻き上げたからよ。それに、修ちゃんの物じゃなくて私の家の蔵に転がっていた物でしょ」

 自慢げに手の中の茶碗の来歴を述べる修に対して千祝が訂正する。太刀花家は江戸時代には旗本だったからか古い道具がたくさん伝わっている。

「まぁそうなんだけどさ。この茶碗を使い始めて上達したから愛着があるんだ。はい、できた。千祝、お手本をよろしく」

「そういえばそうだったわね。あ、中条君私の真似をして飲み干してね」

 茶を点て終わった修は、茶碗を千祝の前に差し出した。千祝は茶碗を手に取ると中条の見本となるようにゆっくりと作法通りに茶碗に口をつけた。半分くらい茶を飲むと茶碗を中条に回した。中条は千祝の真似をして茶碗を手の中で回すと口をつけた。中条が初めて飲んだ茶道の茶は、今まで飲んだ煎茶とは違いどろりとしておりこれが飲み物かと内心驚いた。修が点てたのは濃茶であり、同じ抹茶でもさらさらの薄茶とは違ってペースト状に近く、茶筅でかき混ぜるのも練るような感じである。

「お、中々様になっているじゃないか。経験はあるのか?」

「時代劇とかマンガでしか見たことはないよ。そっちこそ、いいお点前ってやつじゃないのかい?」

「まあな。月一で茶道の先生が教えに来てくれるんだけど、先生も褒めてくれたよ」

「そうね。中一で入部したてだったけど初心者とは思えなかったわね」

「あら。昔話?あれはすごかったわね。まさに覚醒したって感じで」

「あ。部長」

 茶を飲み終わり雑談をする修達のところに高校二年生の名札を付けた女生徒が現れる。修の言った通り茶道部の部長である。茶道部は二年生の文化祭で受験準備のために引退するのでそれ以降は高校一年生が部長を務めるのが慣例となっている。このため四月の段階では二年生が部長なのだ。高校生活三年間のうち半分の一年半で引退するのは早く思えるが、中等部と一緒に活動しているため実質は四年半である。

「最初はほかの初心者と変わらなかったのに、初めて先生の稽古を受けたときに急にうまくなってたわね。それも、指導を受けて上達したとかじゃなくてずっと前から熟練してたみたいに」

「あの時は緊張しましたよ。まぁ良い茶碗を使ったからじゃないですかね」

「いい茶碗を使ったくらいでうまくなったら苦労しないわよ」

 部長には否定されたが、茶碗のおかげであるというのは修の本音だ。初めて太刀花家伝来の茶碗を使った時、茶を点てるにはどうすれば良いか茶碗から伝わってきた様な気がして、それに従っただけなのだ。その後も同じような感覚を得ることは何度もあったが、それはいつも古くから伝わる良い茶道具を使った時だけで、新しい茶道具では同じような感覚はなかった。もっとも古い茶碗を使った時の感覚を思い出しながら茶を点てることで真新しい茶碗でも同じように使うことが出来るようになっている。このような茶道の上達は内面的な落ち着きをもたらし、武道の稽古にも良い影響をもたらしたと修は思っている。

 修と千祝は二人とも武道経験者だったし運動神経もよい方だった。それに中学入学当初は修は普通の身長だったが千祝はずば抜けて背が高くクラスで一番だった。そのため体育会系の部活に熱心に勧誘されていた。

 しかし、運動をしたいのであれば太刀花道場に帰ればいいだけなのでせっかく部活に入るのであれば文化系の方が良いと思ったし、師匠の則武もそれに賛成してくれた。さらに茶道や日本舞踊、能等なら武道にも良い影響があると助言もしてくれた。八幡学園には則武の挙げたものは茶道部しかなかったので茶道部を選択することにしたのだ。修は、千祝は家事があるので一緒に部活に入ることを相談しなかったが、いつのまにか千祝も入部していた。

 この日の部活は顧問も茶道の先生も来ないので形式ばった堅苦しいものではなく。途中からただのお茶会に近いものとなって和やかに終わった。
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