冥婚鬼譚

大澤伝兵衛

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第1章「水落鬼の嘆き」

第9話「追跡劇」

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 袁閃月えんせんげつ劉陽華りゅうようか呉開山ごかいざんのねぐらに到着した時、そこは既に荒らされており、酷いありさまだった。

 まるで暴風が襲ったように調度品が散乱し、殆どの物は粉々に砕けていた。野盗の類のねぐらであるので、元々整理整頓が行き届いていたわけではない。しかし、前に閃月がこのねぐらを訪れた時は、大分ましであった。

 また、部屋の中には男達が十数人転がっていた。彼らは呉開山の手下たちである。

 気絶している者。

 怪我をして呻いている者。

 何かよほど精神に衝撃を受けたのか、虚ろな目をして何やらぶつぶつとつぶやいている者など、まともな者は一人もいない。

 恐らく水落鬼となった明明めいめいがここを襲撃し、暴れまわった結果だろう。見た所死人がいないのが不幸中の幸いである。

 もっとも、彼らは犯罪集団である。閃月も陽華も同情する気は一切なかった。

 そして彼らの中に、呉開山の姿は無かった。

「見て、あれ」

「あそこから開山が逃げて、明明さんが追っていったんだろう。追うぞ」

 ねぐらの壁の一部には、大きく穴が空いていた。元は窓があったはずだと閃月は記憶している。二人の予想では、明明の襲撃があった時に開山が窓から逃げて、明明はそれを追いかけて壁を打ち壊しながら追跡している。すぐに追いかけねばならない。

 壊れた壁の穴から外に出てみると、どちらの方に二人が向かったのか、迷う事は無かった。外に出るとそこは狭い裏通りに面していたのだが、そこから明らかに最近破壊された痕跡が、地面や建物につけられてある一方に続いているのだ。開山と明明がその方向に向かって行ったのは明白だ。

 閃月達が二人が向かった方向に走っていく間にも、雨足は強くなっていく。開山を発見した事により、明明の怨念が強まった結果が水落鬼としての能力を強化しているのだろう。これ以上豪雨が続いては、都に多大な被害が出る事は避けられない。

 もしも都に住まう人々に被害が出たならば、それは明明の罪となる。そうしたら冥府での審判の結果が重くなってしまい、気の遠くなるような長い年月を責め苦を受けながら過ごすことになる。

 生前に騙されて命を失った彼女に、その様な罰を受けさせるわけにはいかない。そう閃月と陽華は考えていた。

「ねえ、あれじゃない?」

「多分そうだが……なんだあの姿は!」

 しばらく追跡を続けた閃月と陽華は、視界を制限する大量の雨粒の向こうに、二つの人影を捉えた。一方は奢侈な衣装を身につけた優男で、その顔から呉開山に間違いがない。

 そして開山に迫るもう一方の人影は、普通の人間とは思えなかった。

 着物の柄から、彼女が明明である事はすぐに分かった。だが、その大きさが、人間のものではない。今の彼女は常人の五倍はあろうかという巨躯であり、その皮膚はぶよぶよと膨れ上がっている。

 冥界に居た頃の彼女は、常に濡れているという怪異があったが、そこを除けば外見上は普通の女性だった。濡れた前髪で顔立ちははっきりとしていなかったが、少しだけ覗かせる鼻や口の形から、相当な美貌であった事が察せられる。

 だが、今の彼女は眼をそむけたくなるような外見だ。その膨れ上がった肉体は、まるで水死体だ。

 いや、溺死した者がその怨念から水落鬼になるのであるから、これが今の彼女の本性なのだろう。冥界ではある程度の理性を保っていたため、外見を生前に近くする事が出来ていたのだが、怨念により理性が失われ、正体を現してしまったのだ。

 二人の様子を観察すると、開山は袋小路に追い詰められ、壁を背にしている。壁のへりは手が届く位の高さであるため、それを乗り越えればまだ開山が逃げ延びる可能性はあるだろう。そして、その恐怖に満ちた顔から、明明の事が見えているのが分かる。

 普通は既に冥界の住人となっている鬼を、生者が見る事は出来ない。だが、これほどでに妖気を放つ存在となった明明は、生者にも見えるし、物を触る事が出来るのだろう。

 そして、開山からは閃月と陽華の事は見えていない様だ。

「さて、やっと見つけたけど……どうしよう?」

「え? 何か考えてここまで来たんじゃないの?」

「武器とか、そういうの持ってきてないんだよ」

「使えないわね……」

 ため息をつく陽華を見て、何も考えずにここまで来たのはそちらも同じなのではないかと閃月は思ったが、流石にそれを言う場面ではないため自重した。

「お困りですか?」

 思案する二人に場違いな位のんびりした声がかけられた。

 冥界の役人である疫凶えききょうである。

「うわっ、疫凶さんじゃないですか。てっきり現世までは来ないものかと思ってましたよ」

「いえいえ。私は冥界を担任する獄卒ですが、別に現世に出てはいけないという訳ではありません。それより、戦う術がなくて困っているようですね? そんなあなた方のために、良い物を持って来たんですよ。その準備で少し遅れました」

 そう言いながら疫凶が差し出したのは、束ねられた縄と鉄鞭であった。

「これもさる仙人が作った宝貝パオペイでしてね、縄は妖縛縄ようばくじょうといい、妖怪だろうが武術の達人だろうが、場合によっては低級の神々ですら縛り上げる事が出来ます。鞭は金甲打岩鞭きんこうだがんべんといい、十分に修業を積んだ者が使用すれば岩山すら打ち砕く代物です。さあ、これを使って事を治めるのです」

「これはありがたい。使わせて頂きます」

 片手で拝むようにして感謝の意を示すと、閃月は妖縛縄と金甲打岩鞭を受け取り、開山と明明の方へ向かった。なお、陽華は閃月の受け取った宝貝のどちらかを渡して貰おうとはしなかった。肉体労働は完全に閃月に任せる構えだ。

 宝貝を手にした閃月が開山と明明に近づいた時、ちょうど明明が開山に襲い掛かろうとにじり寄っていた。それを見た開山は、明明に背を向けて壁をよじ登ろうとへりに手をかける。

 そして、開山の逃亡しようとする動きに反応し、明明がその膨れ上がった巨体に見合わぬ素早さで襲い掛かった。

 背後から襲われた開山は、それで捕まってしまうと思われた。しかし、

「へへ、誰が捕まるもんか! あばよ!」

 なんと、開山は背後からの明明の突撃を華麗に回避し、明明が勢い余って壁に激突して開けた穴を通って更なる逃亡を図ろうとしたのだ。

 背後を見せたのは、誘いだったのである。開山は荒くれ者を束ねる野盗の頭目である。見た目通りの単なる優男ではなく、かなりの実力者だったのだ。

 まだ態勢を立て直せない明明を尻目に、開山は脱兎の如く逃げ出そうとする。そうなれば、再び明明による追跡劇が繰り広げられ、破壊が都中に広がってしまうだろう。だが、

「な、なんだ? 足がうごかねえ!」

 逃亡を図った開山は、すぐに無様に転倒した。

 開山の両足にはいつの間にか縄がしっかりと巻き付いており、その縄の先は閃月が握っていたのである。
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