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大唐蝦夷人異聞
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煌びやかな衣装に身を包んだ文武百官見守る中、数十人の男達一行が静かに歩を進めていた。彼らの服装は居並ぶ文武百官の様式に似ているものの、比べると実に質素と言うよりも貧相である。また、雰囲気に圧倒されているのか、何所となく自信のない表情が貧相さに拍車をかけており、最早滑稽とも言える。
だが、その一行の中に異形の者が二人いた。若い男女であり、木の皮を加工して作った衣服の上に熊の毛皮を無造作に羽織っている。また、男は髭を長く伸ばし、女は口の周りに入れ墨をしていた。
野生がそこに充満していた。
ここは、世界に冠たる大帝国である唐王朝の宮殿であり、一行は海を隔てた島国の日本からの使者である。遣唐使と呼ばれる者達だ。
これより少し前、唐と日本は韓の地の覇権を巡る戦いに参戦し、白村江の戦いにおいて日本は唐に大惨敗を喫した。そのため、唐の者達には嘲りの表情が浮かんでいる。
遣唐使の一行に混じった異形の男は、髭に覆われているため表情には見えないが、非常に不機嫌だった。
まずもって、この唐という国の奴等が気に食わない。自分達を動物の様に見下している。
そして、日本の連中も気に食わなかった。奴等ときたら、男達夫婦を文明を知らぬ蛮族の様に思っている。それでいて自分達は唐の連中に平身低頭だ。
今も、唐の皇帝に対して美辞麗句を並べ立てて、御機嫌取りに熱心だ。その頭の低さは床に額を叩きつけるのではないかと心配してしまうほどである。
「そして、こちらが我が国の北に浮かぶ島に住む蝦夷人して、この様に彼らは我等に服属しております」
遣唐使一行の長の言葉に、男は内心憤激した。
男の一族は日本に服属している訳ではない。少し前に北から侵攻してきた粛慎という民族に脅かされた時、日本から阿倍比羅夫という将軍が救援に訪れ、撃退に協力してくれた。その縁もあり日本とは交易しているが、あくまで対等の立場である。
男達夫婦は交易のために日本の都を訪れたところ、日本の要人に頼まれて遣唐使に加わっただけである。決して奴隷などではない。
遣唐使の長の態度を見ていて男は気付いた。日本としては白村江の戦いの惨敗があるため唐のご機嫌を取りたいし、異民族を従える力がある事を示して日本への侵攻を思い止まらせたいのであろう。
ここまで読めた所で男の燃え上がった心は冷却され、そしてある一つの思いが湧き出てくる。
日本の立場は理解できたので文句は言わないが、自分の存在を単なる従属物では終わらせないと。
「一つ、芸をお見せしたい」
男の良く通る声が宮殿の大広間に響いた。彼は指名でもされない限り発言する権限などありはしない。だが、それを咎める者は無く困惑だけが居合わせた文武百官に広がった。
蛮人が唐の言葉を話すのが、それ程驚く事かと内心憤るものの、構わず言葉を続ける。
「弓を使わせてくだされば、ここに控えたる我が妻に持たせた瓢を見事射抜いて見せましょう」
「ばっ……なっ」
「良かろう。やってみせよ」
遣唐使の長が咎める前に、皇帝が許可の判断を下した。
すぐに弓術披露の場が設けられた。この様な余興はよくある事なのか、皇帝の家臣は手際よく会場を整る。
男が手にするのは、故郷から持参した手に馴染んだ丸木弓だ。簡素な作りだが、男はこれで数多くの得物を仕留めてきた。兎や鹿だけでなく羆の様な大物もだ。
的となる瓢箪はおおよそ四十歩程離れており、男の妻が頭上に掲げ持っている。瓢箪は子供の顔よりも小さく、一つ間違えば妻の体に命中しかねないことを考えると、この距離は無限の如く離れている。
実際に遠くに小さく見える的を見ると、男の胸に不安が去来する。流石に大言壮語が過ぎたかもしれない。失敗した場合妻を害してしまうかもしれないのだ。
様々な思いが沸き上がると、弓を引き絞る手に思わず力が入る。そんな時、ふと妻の顔が目に入る。その表情は穏やかであり、男が自分を傷つけるなどとは少しも心配していないようだ。
それを見て、男の体から余計な力が抜けた。故郷で狩りをする時、余計な事など考えない。空を飛ぶ鳥を射る時も、襲い掛かる羆を射る時も、自然と一体となって心静かに弓を引いてきたのだ。
今もそうすれば良い。
皇帝や遣唐使達が息を呑んで見守る中、それを一切気にせず男は静かに矢を放つ。それは見事に妻の掲げ持つ瓢箪に命中した。そして、それに対する歓声が起こる前に続けざまに五つばかり矢を放つ。それらも全て過たず命中する。
歓声が爆発した。
称賛の嵐に包まれながら男は思った。これならば唐の人間も男達の事を単なる日本の従属物と思うまい。
これでアイヌの誇りは守られたと。
「新唐書」日本伝に記す。
「天智立つ。明年、使者、蝦夷人とともに皆朝す。蝦夷もまた海島中に居る。其使者は髭長く四尺ばかり。箭を首に珥し、人をして瓠を載せて数十歩立てしめば、射ること中らざる無し」単語
だが、その一行の中に異形の者が二人いた。若い男女であり、木の皮を加工して作った衣服の上に熊の毛皮を無造作に羽織っている。また、男は髭を長く伸ばし、女は口の周りに入れ墨をしていた。
野生がそこに充満していた。
ここは、世界に冠たる大帝国である唐王朝の宮殿であり、一行は海を隔てた島国の日本からの使者である。遣唐使と呼ばれる者達だ。
これより少し前、唐と日本は韓の地の覇権を巡る戦いに参戦し、白村江の戦いにおいて日本は唐に大惨敗を喫した。そのため、唐の者達には嘲りの表情が浮かんでいる。
遣唐使の一行に混じった異形の男は、髭に覆われているため表情には見えないが、非常に不機嫌だった。
まずもって、この唐という国の奴等が気に食わない。自分達を動物の様に見下している。
そして、日本の連中も気に食わなかった。奴等ときたら、男達夫婦を文明を知らぬ蛮族の様に思っている。それでいて自分達は唐の連中に平身低頭だ。
今も、唐の皇帝に対して美辞麗句を並べ立てて、御機嫌取りに熱心だ。その頭の低さは床に額を叩きつけるのではないかと心配してしまうほどである。
「そして、こちらが我が国の北に浮かぶ島に住む蝦夷人して、この様に彼らは我等に服属しております」
遣唐使一行の長の言葉に、男は内心憤激した。
男の一族は日本に服属している訳ではない。少し前に北から侵攻してきた粛慎という民族に脅かされた時、日本から阿倍比羅夫という将軍が救援に訪れ、撃退に協力してくれた。その縁もあり日本とは交易しているが、あくまで対等の立場である。
男達夫婦は交易のために日本の都を訪れたところ、日本の要人に頼まれて遣唐使に加わっただけである。決して奴隷などではない。
遣唐使の長の態度を見ていて男は気付いた。日本としては白村江の戦いの惨敗があるため唐のご機嫌を取りたいし、異民族を従える力がある事を示して日本への侵攻を思い止まらせたいのであろう。
ここまで読めた所で男の燃え上がった心は冷却され、そしてある一つの思いが湧き出てくる。
日本の立場は理解できたので文句は言わないが、自分の存在を単なる従属物では終わらせないと。
「一つ、芸をお見せしたい」
男の良く通る声が宮殿の大広間に響いた。彼は指名でもされない限り発言する権限などありはしない。だが、それを咎める者は無く困惑だけが居合わせた文武百官に広がった。
蛮人が唐の言葉を話すのが、それ程驚く事かと内心憤るものの、構わず言葉を続ける。
「弓を使わせてくだされば、ここに控えたる我が妻に持たせた瓢を見事射抜いて見せましょう」
「ばっ……なっ」
「良かろう。やってみせよ」
遣唐使の長が咎める前に、皇帝が許可の判断を下した。
すぐに弓術披露の場が設けられた。この様な余興はよくある事なのか、皇帝の家臣は手際よく会場を整る。
男が手にするのは、故郷から持参した手に馴染んだ丸木弓だ。簡素な作りだが、男はこれで数多くの得物を仕留めてきた。兎や鹿だけでなく羆の様な大物もだ。
的となる瓢箪はおおよそ四十歩程離れており、男の妻が頭上に掲げ持っている。瓢箪は子供の顔よりも小さく、一つ間違えば妻の体に命中しかねないことを考えると、この距離は無限の如く離れている。
実際に遠くに小さく見える的を見ると、男の胸に不安が去来する。流石に大言壮語が過ぎたかもしれない。失敗した場合妻を害してしまうかもしれないのだ。
様々な思いが沸き上がると、弓を引き絞る手に思わず力が入る。そんな時、ふと妻の顔が目に入る。その表情は穏やかであり、男が自分を傷つけるなどとは少しも心配していないようだ。
それを見て、男の体から余計な力が抜けた。故郷で狩りをする時、余計な事など考えない。空を飛ぶ鳥を射る時も、襲い掛かる羆を射る時も、自然と一体となって心静かに弓を引いてきたのだ。
今もそうすれば良い。
皇帝や遣唐使達が息を呑んで見守る中、それを一切気にせず男は静かに矢を放つ。それは見事に妻の掲げ持つ瓢箪に命中した。そして、それに対する歓声が起こる前に続けざまに五つばかり矢を放つ。それらも全て過たず命中する。
歓声が爆発した。
称賛の嵐に包まれながら男は思った。これならば唐の人間も男達の事を単なる日本の従属物と思うまい。
これでアイヌの誇りは守られたと。
「新唐書」日本伝に記す。
「天智立つ。明年、使者、蝦夷人とともに皆朝す。蝦夷もまた海島中に居る。其使者は髭長く四尺ばかり。箭を首に珥し、人をして瓠を載せて数十歩立てしめば、射ること中らざる無し」単語
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