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第一章「異世界転生侍」
第九話「悪事の証拠」
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南町奉行所に従う岡っ引き、弁天の六郎一味が準備している舟に、夢野と粂吉はこっそりと近づいていった。連中は荒っぽい事で有名である。しかも、父性を働いている最中なのだ。もしも見つかったりしたらただでは済むまい。場合によっては命を落としかねない。細心の注意を払って茂みに隠れる。
「夢野先生、本当に奴らは没収した金銀財宝を横流ししようとしてるのか? 単にお上の所に運ぼうとしているだけじゃないのか?」
「そんなら、何で隅田川で舟なんかにのせてるんだよ。町奉行所に運ぶなら、普通に大八車に乗せて行けばいいじゃないか」
「それもそうか」
気付かれない様にひそひそ話をする二人を尻目に、木箱が次々と舟に積まれていく。あの全てに没収した財宝が入っていると考えると、これは一財産である。そんじょそこらの商人では太刀打ちできまい。
そして、それは江戸の庶民から奪い取った品々なのであった。夢野は丹田から熱いものが吹き上がるのを感じた。
「親分、積み終わりましたぜ。何時でも舟をだせやす」
「おう、ご苦労。さて、とっとと行くぞ。あまり見られちゃ厄介だ。目的地は分かってるな?」
「へい、本所のあの屋敷っすね?」
「おうよ。あっちの船着き場には、与助が手下を連れて待ってるから後は任せるんだ」
六郎達の話を聞いていると、疑惑は更に深まってくる。六郎達が庶民から贅沢品を没収したのは、老中水野忠邦の進める改革の一環である。そしてそれは町奉行所の差配によって行われていた。町奉行所や直接千代田のお城に届けるのなら兎も角、隅田川の東にある本所に向かうのであれば方向が逆である。しかも人目をはばかってである。
明らかに没収した金品を自分の物にしようとしているのだ。
それにしても、本所おあの屋敷とは一体どの屋敷であろうか。屋敷と言う事はそれなりに大きな屋敷であるはずだ。ならば旗本か、大店か。それとも何処かの大名の藩邸でもあっただろうか。
「にしても大丈夫ですかね。あの辺りは料亭とか多いっすけど、誰かに見つかったりしないっすかね?」
「ば~か、何のためにせっせと噂をばら撒いたんだよ。誰も来やしねえって」
「それもそうっすね。流石親分、腕っぷしだけじゃなくて頭も切れますねえ」
「へへへ、当たり前だろう。俺を誰だと思ってやがんだ。弁天の六郎様だぜ? 改革とやらでしみったれた世の中で馬鹿どもはしょぼくれてやがるけど、こういう時にのし上がるのが賢い奴ってもんよ」
六郎が自慢げに語り、子分どもがそれをおだて上げるのを、夢野は怒りに震えながら聞いていた。
お上の考える改革とやらで庶民は大きな打撃をうけており、息苦しい世の中が続いている。
改革の手足となって働くが、それが正しい世を作ると信じて危険を冒して日夜励む役人達がいる。
庶民にはお偉方の高邁な理想など日々の暮らしの前には腹の膨れぬ空理空論でしかないし、お上にとっては大局を見ない庶民の思いなど塵芥に等しいだろう。そして改革の最前線で町人と直接接して働く町奉行所の役人達は、理想と現実の狭間で悩みながら職務を遂行している。これは何れにも立場や生き方があるので、例え話し合ったとてどうしようもあるまい。誰にも自分の正義や生活があるのだ。
だが、弁天の六郎一味は違う。こいつらはお上に取り入り、その威光を振りかざしながら自らの欲望を叶えようとしているのだ。
許しがたい。
「ちょ、ちょっと夢野先生。まさかここで喧嘩を売るってんじゃないよな? 殺されちまうよ」
夢野から明らかに怒気が吹き上がっているのを察した粂吉が、慌てた顔で抑えにかかる。粂吉の言う通りここで戦いを挑んだとしても、間違いなく返り討ちに遭うし、隅田川に浮かぶことになるだろう。なにしろ六郎一味のやっている事はお上をたばかる犯罪行為だ。露見すれば死罪は免れまい。
「証拠が欲しいな……」
六郎一味の悪行が露見すれば確実に処断されるだろうが、それには証拠が必要である。夢野達が訴え出た所でそれが通るかどうか分からない。それどころか握りつぶされたり逆に夢野達が処断される可能性すらある。
六郎一味の悪行の証拠は目撃証言しか無く、これでは追及するには不十分だろう。何しろ六郎は岡っ引きであり、その上には同心がいる。当然この同心も抱き込んでの犯行のはずだ。そして自分の懐に入れる他、いくらかはお上に提出しているはずであり、表面上怪しいところはないだろう。
加えて言えば、没収した贅沢品はそのままでは無用の長物だ。恐らく売りさばく故買屋や、それと繋がりのある幕閣にも鼻薬を嗅がせているだろう。
その程度の悪知恵は働かせているはずであり、正面から恐れながらと訴え出ても間違いなく負ける。
そもそも夢野は、つい先日お上を恐れぬ不届きな読本を書いた戯作者として処罰された悪人であるというのが公式の立場だ。とても信じて貰えるとは思えない。
「おっと、一艘だけ待ってて他は先に行きな。ちょっくらしょんべんしてくらあ」
舟に乗り込もうとしていた六郎は、そんな事を言うと踵を返して引き返した。
「拙い、何でこっちに来るんだよ」
船宿に戻って用を足せばよいものを、六郎は夢野達が隠れている茂みに向かって来る。
そして裾を捲って褌から一物を取り出すと、幸せそうな表情を浮かべて放尿した。
「ぶげほっ!」
「な、なんだおめえら!」
急に茂みから声がしたので、度胸千両でならした弁天の六郎といえど流石に驚愕の声をあげる。尿を浴びても何とか耐えようとしたのだが、鼻の中に入ってしまいむせてしまったのだ。こればかりは仕方がない。
「逃げるぞ!」
「ま、待ちやがれ」
武闘派として知られる弁天の六郎といえど、一物を褌からはみ出したままでは素早く行動出来ない。夢野と粂吉はその隙を突いて脱兎の如く逃げ出した。六郎は急所を丸出しの状態であったが、下手に攻撃を仕掛けたら返り討ちにあったに違いない。余計な事を考えずに逃げ出したのは正解である。
「野郎ども! あいつらを逃がすんじゃねえ!」
振り返りすら逃げる夢野達の後ろから、そんな六郎の怒号が響いていた。
「夢野先生、本当に奴らは没収した金銀財宝を横流ししようとしてるのか? 単にお上の所に運ぼうとしているだけじゃないのか?」
「そんなら、何で隅田川で舟なんかにのせてるんだよ。町奉行所に運ぶなら、普通に大八車に乗せて行けばいいじゃないか」
「それもそうか」
気付かれない様にひそひそ話をする二人を尻目に、木箱が次々と舟に積まれていく。あの全てに没収した財宝が入っていると考えると、これは一財産である。そんじょそこらの商人では太刀打ちできまい。
そして、それは江戸の庶民から奪い取った品々なのであった。夢野は丹田から熱いものが吹き上がるのを感じた。
「親分、積み終わりましたぜ。何時でも舟をだせやす」
「おう、ご苦労。さて、とっとと行くぞ。あまり見られちゃ厄介だ。目的地は分かってるな?」
「へい、本所のあの屋敷っすね?」
「おうよ。あっちの船着き場には、与助が手下を連れて待ってるから後は任せるんだ」
六郎達の話を聞いていると、疑惑は更に深まってくる。六郎達が庶民から贅沢品を没収したのは、老中水野忠邦の進める改革の一環である。そしてそれは町奉行所の差配によって行われていた。町奉行所や直接千代田のお城に届けるのなら兎も角、隅田川の東にある本所に向かうのであれば方向が逆である。しかも人目をはばかってである。
明らかに没収した金品を自分の物にしようとしているのだ。
それにしても、本所おあの屋敷とは一体どの屋敷であろうか。屋敷と言う事はそれなりに大きな屋敷であるはずだ。ならば旗本か、大店か。それとも何処かの大名の藩邸でもあっただろうか。
「にしても大丈夫ですかね。あの辺りは料亭とか多いっすけど、誰かに見つかったりしないっすかね?」
「ば~か、何のためにせっせと噂をばら撒いたんだよ。誰も来やしねえって」
「それもそうっすね。流石親分、腕っぷしだけじゃなくて頭も切れますねえ」
「へへへ、当たり前だろう。俺を誰だと思ってやがんだ。弁天の六郎様だぜ? 改革とやらでしみったれた世の中で馬鹿どもはしょぼくれてやがるけど、こういう時にのし上がるのが賢い奴ってもんよ」
六郎が自慢げに語り、子分どもがそれをおだて上げるのを、夢野は怒りに震えながら聞いていた。
お上の考える改革とやらで庶民は大きな打撃をうけており、息苦しい世の中が続いている。
改革の手足となって働くが、それが正しい世を作ると信じて危険を冒して日夜励む役人達がいる。
庶民にはお偉方の高邁な理想など日々の暮らしの前には腹の膨れぬ空理空論でしかないし、お上にとっては大局を見ない庶民の思いなど塵芥に等しいだろう。そして改革の最前線で町人と直接接して働く町奉行所の役人達は、理想と現実の狭間で悩みながら職務を遂行している。これは何れにも立場や生き方があるので、例え話し合ったとてどうしようもあるまい。誰にも自分の正義や生活があるのだ。
だが、弁天の六郎一味は違う。こいつらはお上に取り入り、その威光を振りかざしながら自らの欲望を叶えようとしているのだ。
許しがたい。
「ちょ、ちょっと夢野先生。まさかここで喧嘩を売るってんじゃないよな? 殺されちまうよ」
夢野から明らかに怒気が吹き上がっているのを察した粂吉が、慌てた顔で抑えにかかる。粂吉の言う通りここで戦いを挑んだとしても、間違いなく返り討ちに遭うし、隅田川に浮かぶことになるだろう。なにしろ六郎一味のやっている事はお上をたばかる犯罪行為だ。露見すれば死罪は免れまい。
「証拠が欲しいな……」
六郎一味の悪行が露見すれば確実に処断されるだろうが、それには証拠が必要である。夢野達が訴え出た所でそれが通るかどうか分からない。それどころか握りつぶされたり逆に夢野達が処断される可能性すらある。
六郎一味の悪行の証拠は目撃証言しか無く、これでは追及するには不十分だろう。何しろ六郎は岡っ引きであり、その上には同心がいる。当然この同心も抱き込んでの犯行のはずだ。そして自分の懐に入れる他、いくらかはお上に提出しているはずであり、表面上怪しいところはないだろう。
加えて言えば、没収した贅沢品はそのままでは無用の長物だ。恐らく売りさばく故買屋や、それと繋がりのある幕閣にも鼻薬を嗅がせているだろう。
その程度の悪知恵は働かせているはずであり、正面から恐れながらと訴え出ても間違いなく負ける。
そもそも夢野は、つい先日お上を恐れぬ不届きな読本を書いた戯作者として処罰された悪人であるというのが公式の立場だ。とても信じて貰えるとは思えない。
「おっと、一艘だけ待ってて他は先に行きな。ちょっくらしょんべんしてくらあ」
舟に乗り込もうとしていた六郎は、そんな事を言うと踵を返して引き返した。
「拙い、何でこっちに来るんだよ」
船宿に戻って用を足せばよいものを、六郎は夢野達が隠れている茂みに向かって来る。
そして裾を捲って褌から一物を取り出すと、幸せそうな表情を浮かべて放尿した。
「ぶげほっ!」
「な、なんだおめえら!」
急に茂みから声がしたので、度胸千両でならした弁天の六郎といえど流石に驚愕の声をあげる。尿を浴びても何とか耐えようとしたのだが、鼻の中に入ってしまいむせてしまったのだ。こればかりは仕方がない。
「逃げるぞ!」
「ま、待ちやがれ」
武闘派として知られる弁天の六郎といえど、一物を褌からはみ出したままでは素早く行動出来ない。夢野と粂吉はその隙を突いて脱兎の如く逃げ出した。六郎は急所を丸出しの状態であったが、下手に攻撃を仕掛けたら返り討ちにあったに違いない。余計な事を考えずに逃げ出したのは正解である。
「野郎ども! あいつらを逃がすんじゃねえ!」
振り返りすら逃げる夢野達の後ろから、そんな六郎の怒号が響いていた。
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