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太郎さんとコップ

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 「行ってきます。」

 パチッ

 ある朝、太郎さんが家を出ようとすると、傘と目があいました。目があったといっても、本当に目玉が出てくる訳ではなくて、パチッと音がしたかと思うとその瞬間、物と目が合う気がするのです。

 (ははぁ、今日は昼から降られるかな?)

 そう思いながら太郎さんは車に傘を乗せて仕事に出かけていきました。

 仕事の現場に着くと、よく晴れたいいお天気なのに、太郎さんが傘を持っているので、お客さんは不思議そうな顔をしています。

 そして太郎さんはお客さんとあちらこちらと場所を移動しながら説明をしていると、そのうち空が段々と曇ってきて雨がポツリと落ちてきました。

 「あら?」

 お客さんが空を見上げます。
 すると太郎さんは何事もなかったように広げた傘をお客さんの上にさしかけました。

 「まぁ、ずいぶんと用意がいいんですのね。」

 とお客さんは驚いて言うと、太郎さんは、

 「いやぁ、私は雨男でして。」

 カッパを着込みながら太郎さんは、あははと笑いました。

 いえいえ、本当は雨男などではありません。
 今日の朝に傘がちゃんと教えてくれた通りになっただけなのですから。

 (ありがとう。)

 と、太郎さんは小さな声で傘にお礼を言いました。


 
 次の日の朝は、子供たちが作った折り紙のうさぎと目が合いました。
 
 「けいくん?このうさぎさん、とうちゃんにもらってもいいか?」

 と太郎さんはききました。
 弟のけいくんは折り紙の手を止めて、

 「いいよ!かわいいでしょ。」

 と言って、はい、と折り紙をニコニコと手渡してくれました。

 太郎さんは上着のポケットにうさぎの折り紙をそうっとしまってけいくんの頭を「ありがとう」と撫でました。

 会社に着いてしばらくすると、しくしくと子供が泣いている声が聞こえてきます。

 見ると、女の子が一人でソファに座っていました。

 「どうしたの?」

 と聞いてもうつむいたまま女の子は話そうとしません。
 どうやら、お母さんは小さい赤ちゃんを抱っこしながら他の会社の人と、新しく住む家の事で、忙しそうに話をしていました。

 (寂しくなっちゃっのたかな?)

 太郎さんがどうしようかと困って汗をかきました。
 ハンカチを取ろうとポケットに手をやると、

 「あっ!」と太郎さんは小さく声をあげました。

 女の子は太郎さんの声に気付いて顔を上げました。

 「こんなところに」

 と太郎さんが言うとウサギの折り紙をポケットから出して

 「ウサギさんがいましたよ。」

 と言って女の子の前にそっと置きました。

 女の子は顔はわぁ、と明るくなって

 「ウサギさんだぁ。」

 と嬉しそうに指でうさぎのシッポをちょんちょんとつつきました。

 「それ、あげるよ。」

 そう太郎さんが言うと、女の子は目をキラキラさせてペコリとすると

 「こんにちは、あなた、何ていうお名前なの?」

 とうさぎの折り紙と話を始めました。

 その様子を見て太郎さんは何だか気持ちが温かくなって、嬉しくなりました。

 そしてまた小さな声で折り紙のうさぎに

 (ありがとう。)と言いました。



それからまたある日の事、台所で魚をさばいていると、うっかり包丁を落としてしまった時がありました。

 「あ!しまった!」

 カシャン!

 包丁は太郎さんの足に刺さることなく、柄の方が下になって落ちて床に飛んで行きました。
 もう少しで大変なことになっていた所ですが、包丁のお陰で何処にも怪我をすることなくすみました。

 「ありがとう~!」

 太郎さんは包丁に心からのお礼を言いました。



 それからも太郎さんは幾度となく、物たちに助けてもらいました。

 「まあ今日はいいや」とか「さすがにこれはいらんだろう」と思って無視してそれを持って出ないときは、必ずそれが必要な場面になって
 「あー、もってくれば良かったなぁ」となるのです。

 ある時は『のど飴』でした。
 その日のお客さんはかなりのご高齢で耳があまり聞こえなかったので、大きな声で説明をしていると喉がカラカラになってしまいました。

 そしてある時は『ポン酢』でした。
 家族で商店街を歩いていているとカツオの試食をもらって、こんな事もあるんだね、とみんなで笑いました。

 物たちが毎朝、けなげにアピールしてくるので、太郎さんはその度にとても温かい気持ちで出かけるのでした。

 

 ある日の事です。
 
 太郎さんが仕事に出かけようとしてふと食器棚を見ると、大事にしているコップとパチッと目がいました。

 「はて?」

 落としても壊れにくいそのコップは使い易くて長年、太郎さんが大事に使っていたものでした。
 手にとってみると表面は傷だらけでプリントもかなり剥げています。

 (今日はどうしてコップと目があったのだろう?)

 気に入っているものだけど、外で使うものでもないので、とても不思議に思いながらも太郎さんはお弁当袋にコップを入れました。

 今日の太郎さんの予定は、お客さんと会社の人を連れて山の近くの家とその周りを見にでかける事になっていました。

 車を停めて、山々の道を歩くのにリュックにお弁当と水筒を入れて背負って歩くことにしました。

 あちらこちらと説明をしながら山を周り、森に入っていると太郎さんは、少しだけ道に迷ってしまいました。
 
 ようやく開けた道に、二人の姿を見つけた時の事です。

 「おーーい!」

 と太郎さんが手をふると、

 「あっ、危ない!!」

 と会社の人の叫ぶ声が聞こえました。


 その瞬間、

 ドォーーーーン!!!

 大きな岩が崖から太郎さんめがけて落ちてきたのです。

 凄い衝撃を受けて太郎さんは飛ばされました。

 「だいじょうぶですかっ!??」

 急いで会社の人が駆けつけて、太郎さんを安全な所へと運びました。

 気を失っていた太郎さんは目を覚ますと、目の前にある大岩を見て、やっと自分に何が起きたのか思い出しました。

 
 体や頭を触っても何処にも怪我はありません。

 (た、助かったぁ、、)

 もう少し岩の落ちた場所が悪かったら下敷きになっていたかもしれない、、と太郎さんは恐ろしくなりました。
 (でも、体にあたった気がしたんだけど、運良くそれてくれたのかな。)

 体に異常がないので、そのまま少し話をして、運転を変わってもらってみんなで会社にもどった後に、太郎さんは念のために病院へ行きました。

 調べてもらってもやっぱりからだには特に怪我はなく、脳にも異常はありませんでした。
 
 ぐぅーーーーーぅ、


 ホッとした太郎さんは急にお腹が空いてきました。
 リュックの中にお弁当があるのを思い出して、病院の食堂で食べて帰ろうと思いました。

 食堂の机についてやっと息をついて「頂きます」をすると、お弁当の入っている袋を開けました。


 するとそこには、朝、目があって持ってきていたお気に入りのコップが真っ二つに割れていました。

 それを見た太郎さんはハッとしてぐっと喉を詰まらせて一人で声をあげずに泣きました。

 太郎さんはコップを見た途端、岩が落ちてきた瞬間にコップが自分を守ってくれたんだとなぜだかわかったからです。

 (ありがとう、ありがとう。ありがとう、)

 何度も何度も太郎さんは割れたコップにお礼を言いました。
 そして、
 「今まで本当に世話になったなぁ。」と大事に割れたコップの欠片を集めてお弁当袋にしまいました。


 太郎さんはそれからも毎朝、何かしらの物と目があうようです。

 「ありがとう」と、毎日物にもお礼を言うと、もしかしたらあなたにも、物たちの方から パチッ とアピールしてくるようになるかも、しれませんね。



 

 
 

 
 

 
 

 

 
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