56 / 63
木津川口の戦い 3
しおりを挟む
黒煙が晴れる頃には、織田軍の兵が進める大きな橋を落とし、石山本願寺へ食料を運び込む手筈が整っていた。
「西方大名のご尽力誠に痛み入ります。民のための食料まで用意してくださるとは、ありがとうございます」
大柄な僧が出迎える。朱塗りの鎧に頭巾を巻いた若いが肝の据わった態度と髭面。僧侶というよりは武人か、武蔵坊弁慶を連想させる血生臭い見た目の男が本願寺顕如であった。
「将軍・足利義昭様より要請を受けたのだ、何ほどの事もない」
「……はっ、将軍が本殿でお持ちです」
歯切れの悪いため息のように答えた。
「義兄・武田信玄が存命中は、甲斐より支援もあり、戦乱から逃れてきた民を受け入れる事も出来たのですが、日に日に増える民に食事を配るにも困窮し、織田信長の攻勢にさらされ……」
足利義昭を扱いきれぬと言ったところか。しかし、織田信長が激しく攻め立てるのは、何も足利義昭を匿ったからではないあろう。
川を水路で繋いで掘りとし、塀で囲まれた庭園に入り組んだ街並みが延々と続く。石山本願寺は広大な敷地を持つ城であった。多くの民が住み多くの富を生む、これを捨ておくはずもない。
「これからは、宇喜多家の他にも毛利家からも食料の援助が受けられよう。ご安心なされ。……本当は、その日の食料よりも、生活の場を与えられれば良いのだがな」
「はい、家を建て田畑を耕そうにも、戦火に逃げまわらなければならないのなら、獣のように木の実を食べて生きるしかありません」
直家も城の改修や軍船の建造で行き場を失った人々を雇い入れ定住場所を作りはしたが、一度に十数万もの民を受け入れられるはずもなかった。
少なくとも、今は。
「こちらが、本殿になります」
本願寺顕如がそう言ってから、三つは門をくぐった。
どれも豪華さと頑丈さを備えた扉を備えていた。外側の門も同じような造りなら、精強な織田軍が寄せ集めの民兵相手に攻めあぐねるのもうなずける。
最後の門をくぐった石畳の先の本堂は、床が高く、入り口は幅広く、屋根は見上げるほど高い。見る者を威圧する壮大な建物だった。そこから回廊伝いに進んだ法堂に、将軍・足利義昭の謁見の間がこしらえられていた。
「よく参った。……宇喜多? 毛利の者ではないのか?……。まぁ良い、よく参った、宇喜多直家とやら、おもてを上げよ」
「宇喜多直家、征夷大将軍に拝謁いたします」
なるほど仏閣が良く似合う。特に華美に着飾っているわけでも、袈裟も法衣も身に着けてはいなかったが、それが足利義昭に対する印象だった。
少なくとも武将には程遠い、戦場に立つなら本願寺顕如の方が頼もしいだろう。
「良い知らせを持ってきたのだろうな?」
「包囲していた織田軍を撃退し、運び込んだ食料は次の春まで持つ量です」
「それで、織田信長の首は取ったのか?」
「いえ、戦場に織田信長の姿はなく……」
「ならば、本陣まで探しに行けば良かろう」
「義昭様、宇喜多殿が救援に来てくれなければ、今頃は、織田家の兵が本堂を占拠していたでしょう」
本願寺顕如が口添えをしてくれたが、足利義昭は気にした様子もなかった。
「敵が来たのなら門を閉めればよい。お主が集めた兵が入りきらぬ程おるのであろう」
「彼らは、戦火を逃れ集まった民でして、兵ではありません。皆、戦が終わり平安に過ごせる世を求めて、集まっておるのです」
「武器を与えれば勝手に戦いよる野蛮な連中だろう。雑兵などそんなものだ」
出家していたはずだが、将軍家はそこでの扱いも違ったらしい。だからこそ、織田信長も暗殺や退位ではなく、追放という手段を取ったのかと疑いたくもなる。
「いつになったら、京へ戻れるのじゃ? 織田信長を討ち取ったら、次は三好じゃ」
「義昭様、三好家は織田家を阻むため尽力し……」
籠城の張り詰めた空気の中で足利義昭と本願寺顕如が諍いを起こせば。目も当てられんが、それも時間の問題、今の内に手を打っておくべきだな。
「義昭将軍、上洛するのであれば、備後に向かわれるのはいかがでしょうか」
「備後? どこだそれは」
「備後の鞆は、第十代将軍・足利義稙様が上洛を果たされた、吉兆の地であります」
「おお、それはよい。すぐに出発するとしよう」
突然の申し出に、本願寺顕如は驚いた目を向けていたが、そこには友好的な感情が込められていた。足利義昭の周囲に控える側近も、木像のように黙っていた。
一人上機嫌な足利義昭の前から下がると、実務的な手はずを整え始める。毛利方への連絡に、今後の防衛計画などだ。
「我ら宇喜多水軍の代わりに、毛利水軍が防衛に当たる事になります。石山本願寺は川で守られた難所、橋と水路を守れば、送り込める兵も限られます。織田の兵も、そう簡単には攻め入ってこないでしょう」
「本願寺の守りもそうですが、将軍の事……、宇喜多殿には感謝しきれません。これも仏の慈悲の賜物」
「なに、我らも戦乱の世の武将、慈悲や慈愛で動いている訳ではありません。我々にとって有益な行動を取ったにすぎませんよ。……将軍を手土産に、織田信長に下られても困りますからな」
「そのような、教えに反する事は……」
本願寺顕如は、言葉を続けられず口籠った。権謀術数を弄する戦国の武人の間で生きていると、裏表のない人の良さそうな態度の相手と話をするのは悪い事をしたような気がする。
「生き残るためには、必要かもしれませんよ」
「長嶋願証寺では、子供や老人でさえ許さなかった。本願寺を明け渡して、何人の民が許されるのか。本願寺を明け渡せば、戦火に追われた民はどこへ行けばいいのか」
「そうですね。生きるためには家や土地が必要です。しかし、城は幾たび失っても取り戻せるが、失った命は取り戻せない。二度とあのような事にはならぬように……」
東からの道が集まる安土城を中心に、伊勢から海路を抑え、琵琶湖から海へと流れる木津川水域を手に入れれば、西への侵攻も思うがまま。織田信長は、石山本願寺を手に入れるため手段を択ばないだろう。強固に守れば守るほど、大きな惨劇が待ち受けている気がしてならなかった。
「西方大名のご尽力誠に痛み入ります。民のための食料まで用意してくださるとは、ありがとうございます」
大柄な僧が出迎える。朱塗りの鎧に頭巾を巻いた若いが肝の据わった態度と髭面。僧侶というよりは武人か、武蔵坊弁慶を連想させる血生臭い見た目の男が本願寺顕如であった。
「将軍・足利義昭様より要請を受けたのだ、何ほどの事もない」
「……はっ、将軍が本殿でお持ちです」
歯切れの悪いため息のように答えた。
「義兄・武田信玄が存命中は、甲斐より支援もあり、戦乱から逃れてきた民を受け入れる事も出来たのですが、日に日に増える民に食事を配るにも困窮し、織田信長の攻勢にさらされ……」
足利義昭を扱いきれぬと言ったところか。しかし、織田信長が激しく攻め立てるのは、何も足利義昭を匿ったからではないあろう。
川を水路で繋いで掘りとし、塀で囲まれた庭園に入り組んだ街並みが延々と続く。石山本願寺は広大な敷地を持つ城であった。多くの民が住み多くの富を生む、これを捨ておくはずもない。
「これからは、宇喜多家の他にも毛利家からも食料の援助が受けられよう。ご安心なされ。……本当は、その日の食料よりも、生活の場を与えられれば良いのだがな」
「はい、家を建て田畑を耕そうにも、戦火に逃げまわらなければならないのなら、獣のように木の実を食べて生きるしかありません」
直家も城の改修や軍船の建造で行き場を失った人々を雇い入れ定住場所を作りはしたが、一度に十数万もの民を受け入れられるはずもなかった。
少なくとも、今は。
「こちらが、本殿になります」
本願寺顕如がそう言ってから、三つは門をくぐった。
どれも豪華さと頑丈さを備えた扉を備えていた。外側の門も同じような造りなら、精強な織田軍が寄せ集めの民兵相手に攻めあぐねるのもうなずける。
最後の門をくぐった石畳の先の本堂は、床が高く、入り口は幅広く、屋根は見上げるほど高い。見る者を威圧する壮大な建物だった。そこから回廊伝いに進んだ法堂に、将軍・足利義昭の謁見の間がこしらえられていた。
「よく参った。……宇喜多? 毛利の者ではないのか?……。まぁ良い、よく参った、宇喜多直家とやら、おもてを上げよ」
「宇喜多直家、征夷大将軍に拝謁いたします」
なるほど仏閣が良く似合う。特に華美に着飾っているわけでも、袈裟も法衣も身に着けてはいなかったが、それが足利義昭に対する印象だった。
少なくとも武将には程遠い、戦場に立つなら本願寺顕如の方が頼もしいだろう。
「良い知らせを持ってきたのだろうな?」
「包囲していた織田軍を撃退し、運び込んだ食料は次の春まで持つ量です」
「それで、織田信長の首は取ったのか?」
「いえ、戦場に織田信長の姿はなく……」
「ならば、本陣まで探しに行けば良かろう」
「義昭様、宇喜多殿が救援に来てくれなければ、今頃は、織田家の兵が本堂を占拠していたでしょう」
本願寺顕如が口添えをしてくれたが、足利義昭は気にした様子もなかった。
「敵が来たのなら門を閉めればよい。お主が集めた兵が入りきらぬ程おるのであろう」
「彼らは、戦火を逃れ集まった民でして、兵ではありません。皆、戦が終わり平安に過ごせる世を求めて、集まっておるのです」
「武器を与えれば勝手に戦いよる野蛮な連中だろう。雑兵などそんなものだ」
出家していたはずだが、将軍家はそこでの扱いも違ったらしい。だからこそ、織田信長も暗殺や退位ではなく、追放という手段を取ったのかと疑いたくもなる。
「いつになったら、京へ戻れるのじゃ? 織田信長を討ち取ったら、次は三好じゃ」
「義昭様、三好家は織田家を阻むため尽力し……」
籠城の張り詰めた空気の中で足利義昭と本願寺顕如が諍いを起こせば。目も当てられんが、それも時間の問題、今の内に手を打っておくべきだな。
「義昭将軍、上洛するのであれば、備後に向かわれるのはいかがでしょうか」
「備後? どこだそれは」
「備後の鞆は、第十代将軍・足利義稙様が上洛を果たされた、吉兆の地であります」
「おお、それはよい。すぐに出発するとしよう」
突然の申し出に、本願寺顕如は驚いた目を向けていたが、そこには友好的な感情が込められていた。足利義昭の周囲に控える側近も、木像のように黙っていた。
一人上機嫌な足利義昭の前から下がると、実務的な手はずを整え始める。毛利方への連絡に、今後の防衛計画などだ。
「我ら宇喜多水軍の代わりに、毛利水軍が防衛に当たる事になります。石山本願寺は川で守られた難所、橋と水路を守れば、送り込める兵も限られます。織田の兵も、そう簡単には攻め入ってこないでしょう」
「本願寺の守りもそうですが、将軍の事……、宇喜多殿には感謝しきれません。これも仏の慈悲の賜物」
「なに、我らも戦乱の世の武将、慈悲や慈愛で動いている訳ではありません。我々にとって有益な行動を取ったにすぎませんよ。……将軍を手土産に、織田信長に下られても困りますからな」
「そのような、教えに反する事は……」
本願寺顕如は、言葉を続けられず口籠った。権謀術数を弄する戦国の武人の間で生きていると、裏表のない人の良さそうな態度の相手と話をするのは悪い事をしたような気がする。
「生き残るためには、必要かもしれませんよ」
「長嶋願証寺では、子供や老人でさえ許さなかった。本願寺を明け渡して、何人の民が許されるのか。本願寺を明け渡せば、戦火に追われた民はどこへ行けばいいのか」
「そうですね。生きるためには家や土地が必要です。しかし、城は幾たび失っても取り戻せるが、失った命は取り戻せない。二度とあのような事にはならぬように……」
東からの道が集まる安土城を中心に、伊勢から海路を抑え、琵琶湖から海へと流れる木津川水域を手に入れれば、西への侵攻も思うがまま。織田信長は、石山本願寺を手に入れるため手段を択ばないだろう。強固に守れば守るほど、大きな惨劇が待ち受けている気がしてならなかった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
水色桔梗光る〜明智光秀物語〜
たい陸
歴史・時代
天正十年六月三日未明、明智光秀は、沓掛という街道にいた。右に向えば、山崎・天神馬場を経て摂津へ行ける。そして、沓掛を左に向えば、信長が居る京の都までは、すぐの距離にあった。
光秀は、正に歴史の分岐点に居た。物語は、本能寺へと向かう光秀の状況と過去の回想を視点に、展開していく。
信長に出会った日から、幕府再興を果たした時。そして、信長と共に進む天下布武の道で、立身出世を果たしていく光秀。
しかし、いつしか信長の描く野望と、光秀が見る夢とが乖離した時、物語は一つの方向へと進んでいくのであった。
新説を取り入れながら、作者が独自の視点で描く、戦国最大のミステリー「本能寺の変」の真相にも目が離せない。明智光秀物語の後編。決定版です!
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる