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第一章 歌水晶は白狼王子と出会う
第1話 歌水晶はまだ、恋を知らない
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夕暮れが若葉を照らしている。
深い森には、伸びやかな歌声が響いていた。
歌い手の名はセオ。
鳶色の髪と目を持つ、背の高い若者である。男らしく張り出した肩に、働き者の証が刻まれた手。セオはどこから見ても健康的な青年だが、人間ではない。歌水晶と呼ばれる、特殊な種族だ。
歌水晶は天帝によって生み出された。
万物の創造主たる天帝は、その長い命を慰めるため、音楽に長けた歌水晶を創ったのだという。
春の訪れを喜ぶ旋律を歌い上げながら、セオは心のどこかに虚しさを覚えていた。
セオはこの春、18歳になった。
寿命が長い歌水晶の一族において、かなりの若輩者である。
神域であるこの霊峰は平和だ。しかしセオは変わり映えのしない毎日を退屈に感じていた。
「セオ、身が入っていないぞ。私たちの歌は天帝への捧げ物だというのに」
傍らにいた養い親のレイデンが、セオを諌めた。
レイデンの姿は若々しい。
でも、彼の実年齢は300歳である。
年長者に叱られてもセオは素直に謝ることができなかった。レイデンにかねてからの疑問を投げかける。
「あのさ、レイデン。俺たちの歌って本当に天帝を喜ばせているのか?」
「そうに決まっているだろう」
「でも、四季の歌ばかりだ。天帝も飽きるんじゃないの? 下界で歌われている流行歌とかさ。たまには聞いてみたいんじゃないのかなぁ」
レイデンがいつも小脇に抱えている聖歌集をセオに渡す。ずしんと重い聖歌集をいくらめくっても、恋の歌は見当たらない。
「人間の世界では恋の歌が主流だって、お隣さんが言ってたけど?」
「そんな歌を天帝は望んでいない。私たち歌水晶は、聖歌集にある曲だけ歌っていればいいのだ」
セオから聖歌集を受け取ると、レイデンがため息をついた。
「恋の歌か。おまえはまだ、誰とも恋仲になったことがないじゃないか」
「それは……そうだけど」
集落にいる歌水晶の娘たちは、みな可愛いと思う。彼女たちに優しい微笑みを向けられれば、心が華やぐ。だが、逢引きに誘ったことはない。
━━人間の18歳はもっと進んでいるのかな。
セオは己の未熟さを恥じた。
「ねえ、レイデン。このあいだ、この集落に迷い込んだ人間をどうしてすぐに帰しちゃったの? 俺、あの人に話を聞いてみたかったのに。下界ってどんなところなのか、すごく気になるよ」
「私はかつて下界を訪れたことがあるが、ロクでもない場所だったぞ。この霊峰と違って空気は汚いし、何よりも人間は残忍で狡猾だ」
「人間だって俺たち歌水晶と同じ、天帝の愛し子でしょ? そんなに嫌うことはないのに……」
「忘れたのか。おまえの両親は、生きた宝として下界に攫われていった。人間によってな」
セオは言葉を詰まらせた。
もう会えない両親のことを言われると胸が痛くなる。
「でも……。父さんと母さんは、二人とも腕っぷしが強い。賊のところから逃げ出して、今では下界で楽しく暮らしているかもしれないよ?」
「行き過ぎた楽観主義はかえっておまえを苦しめるぞ。おまえ、最後に泣いたのはいつだ」
「忘れちゃった」
「悲しくはないのか。若くして肉親を失ったんだぞ」
「そりゃ、悲しいけど……。泣く暇があったら、父さんと母さんの無事を祈りたい」
セオはレイデンとの会話を切り上げ、茂みへと入っていった。
「どこへ行く」
「小腹が空いた。木の実を採ってくるよ」
「もうすぐ黄昏時だぞ。下界と霊峰の境界線が曖昧になる、危険な時間帯だ。招かれざる客が出没する可能性が高い」
「大丈夫。俺にはコレがあるから」
腰に差した長剣の柄に手を添える。黄金色に輝く鞘におさまった長剣は迫力がある。
セオの剣の腕前は、集落で一、二を争うほど強い。たとえ賊に出くわしたとしても、大人しく捕まるつもりはない。
「今夜は煮込み料理だ。早く帰って来るんだぞ」
「はーい!」
渋面のレイデンに見送られ、セオは森の奥へと向かった。
深い森には、伸びやかな歌声が響いていた。
歌い手の名はセオ。
鳶色の髪と目を持つ、背の高い若者である。男らしく張り出した肩に、働き者の証が刻まれた手。セオはどこから見ても健康的な青年だが、人間ではない。歌水晶と呼ばれる、特殊な種族だ。
歌水晶は天帝によって生み出された。
万物の創造主たる天帝は、その長い命を慰めるため、音楽に長けた歌水晶を創ったのだという。
春の訪れを喜ぶ旋律を歌い上げながら、セオは心のどこかに虚しさを覚えていた。
セオはこの春、18歳になった。
寿命が長い歌水晶の一族において、かなりの若輩者である。
神域であるこの霊峰は平和だ。しかしセオは変わり映えのしない毎日を退屈に感じていた。
「セオ、身が入っていないぞ。私たちの歌は天帝への捧げ物だというのに」
傍らにいた養い親のレイデンが、セオを諌めた。
レイデンの姿は若々しい。
でも、彼の実年齢は300歳である。
年長者に叱られてもセオは素直に謝ることができなかった。レイデンにかねてからの疑問を投げかける。
「あのさ、レイデン。俺たちの歌って本当に天帝を喜ばせているのか?」
「そうに決まっているだろう」
「でも、四季の歌ばかりだ。天帝も飽きるんじゃないの? 下界で歌われている流行歌とかさ。たまには聞いてみたいんじゃないのかなぁ」
レイデンがいつも小脇に抱えている聖歌集をセオに渡す。ずしんと重い聖歌集をいくらめくっても、恋の歌は見当たらない。
「人間の世界では恋の歌が主流だって、お隣さんが言ってたけど?」
「そんな歌を天帝は望んでいない。私たち歌水晶は、聖歌集にある曲だけ歌っていればいいのだ」
セオから聖歌集を受け取ると、レイデンがため息をついた。
「恋の歌か。おまえはまだ、誰とも恋仲になったことがないじゃないか」
「それは……そうだけど」
集落にいる歌水晶の娘たちは、みな可愛いと思う。彼女たちに優しい微笑みを向けられれば、心が華やぐ。だが、逢引きに誘ったことはない。
━━人間の18歳はもっと進んでいるのかな。
セオは己の未熟さを恥じた。
「ねえ、レイデン。このあいだ、この集落に迷い込んだ人間をどうしてすぐに帰しちゃったの? 俺、あの人に話を聞いてみたかったのに。下界ってどんなところなのか、すごく気になるよ」
「私はかつて下界を訪れたことがあるが、ロクでもない場所だったぞ。この霊峰と違って空気は汚いし、何よりも人間は残忍で狡猾だ」
「人間だって俺たち歌水晶と同じ、天帝の愛し子でしょ? そんなに嫌うことはないのに……」
「忘れたのか。おまえの両親は、生きた宝として下界に攫われていった。人間によってな」
セオは言葉を詰まらせた。
もう会えない両親のことを言われると胸が痛くなる。
「でも……。父さんと母さんは、二人とも腕っぷしが強い。賊のところから逃げ出して、今では下界で楽しく暮らしているかもしれないよ?」
「行き過ぎた楽観主義はかえっておまえを苦しめるぞ。おまえ、最後に泣いたのはいつだ」
「忘れちゃった」
「悲しくはないのか。若くして肉親を失ったんだぞ」
「そりゃ、悲しいけど……。泣く暇があったら、父さんと母さんの無事を祈りたい」
セオはレイデンとの会話を切り上げ、茂みへと入っていった。
「どこへ行く」
「小腹が空いた。木の実を採ってくるよ」
「もうすぐ黄昏時だぞ。下界と霊峰の境界線が曖昧になる、危険な時間帯だ。招かれざる客が出没する可能性が高い」
「大丈夫。俺にはコレがあるから」
腰に差した長剣の柄に手を添える。黄金色に輝く鞘におさまった長剣は迫力がある。
セオの剣の腕前は、集落で一、二を争うほど強い。たとえ賊に出くわしたとしても、大人しく捕まるつもりはない。
「今夜は煮込み料理だ。早く帰って来るんだぞ」
「はーい!」
渋面のレイデンに見送られ、セオは森の奥へと向かった。
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