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第5話 同情はされたくない

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 俺はリヒターに続いて、傾斜の緩い坂道を上った。
 ちくしょう、リヒターめ。
 後ろ姿も格好いい。広い背中は厚みがあって、俺の薄っぺらい体つきとは大違いだ。
 このイケメンは今夜、どんな女を抱くんだろうな。

「ティノ。疲れてはいないか」
「いえ。このぐらい平気です」

 黄金騎士団の詰め所から、10分ぐらい歩いただろうか。
 俺を取り巻く景色が変わった。
 周囲には、ゲルトシュタットの一角とは思えないほど閑静な住宅地が広がっている。騎士団長様のお宅は、高級住宅街にあるってわけか。

「あれが俺の家だよ」

 リヒターの視線の先には、二階建ての家屋があった。確かに、リヒターの屋敷はそこまで大きくはない。
 だが、庭も外壁もよく手入れされており、温かな雰囲気を醸し出している。素敵なお宅だな。家のことは奥さんが仕切ってるのかな。

「リヒターの奥方って、どんな人なんですか?」
「俺は独身だ」
「そうでしたか。それは失礼しました」
「ティノも独り身か?」
「はい」

 妹のリーザの病気が治るまで、結婚はしないと決めている。でもそんな込み入った事情は口にしなかった。

「きみはいくつなんだ」
「ハタチです」

 リヒターは25歳らしい。
 結婚適齢期だろうに、独身を貫いているとは。レティの他にも「友人」がいるのだろうか。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 俺はリヒターと交流するためじゃなく、商談をしにここに来たんだからな。

「中へどうぞ」
「はい」

 お屋敷に入り、フカフカの絨毯の上を歩く。
 廊下の壁には美しい風景画が飾られており、なんとも文化的だ。

「この絵は俺が描いたんだ」
「へぇ。見事ですね」

 俺も絵を描くから分かるけど、かなり修行しないと、このレベルの画力には到達しないぞ。リヒターは剣術バカの脳筋ではないらしい。

「リヒターのご趣味は絵画なんですね」
「ああ。きみは?」
「俺も絵が好きですよ。妹が喜ぶから、調子に乗って作品を量産したものです」
「妹さんがいるんだな」

 リヒターは感慨深そうにつぶやくと、扉を開けた。ソファと丸いテーブルが置かれた応接室に案内される。
 
「自分の家のようにくつろいでくれ」
「ありがとうございます」

 この応接室、質素ではあるけれども、家具と内装が落ち着いた色合いで居心地がいいな。リヒターの美的センスはかなりのものだ。
 その時、ドアがノックする音が聞こえてきた。

「リヒター様。お茶をお持ちしました」
「ありがとう、ウェルス。入ってくれ」
「失礼致します」

 銀髪を後ろで一つに結んだ、リヒターの従者とおぼしき少年が現れる。ウェルスと呼ばれた少年は流れるような所作で、俺の前にティーカップを置いた。

「どうぞお召し上がりください」
「あ、すみません」

 香りだけで分かる。かなりの高級品だ。
 やっぱり稼いでるな、騎士様。
 その稼ぎ、俺が頂いちゃうぜ!
 俺はウェルスが応接室から立ち去ると、すぐにカバンを開けた。

「さて、どのようなポーションがお好みでしょう?」
「敬語は嫌だな。俺たちは友達だろう? 気を使わないでくれ」
「じゃあ、遠慮なく。おすすめはこちらのディスポーションだ。職業柄、あんたは毒によって命を狙われることもあるだろう。こいつには解毒作用がある」
「では、それをもらおうか」
「他にも気分が上がるハイポーションがあるが、あんたはいっつも上機嫌だからな。必要ないか」

 俺が笑うと、リヒターは無表情になった。
 珍しいな。こいつの美貌から微笑みが消えるだなんて。

「……上機嫌か。職業病のようなものだよ、俺がいつもニコニコしているのは」
「部下をまとめるためか?」
「それもあるが、巷の人々に恐れられないよう気をつけている。騎士団は武力集団だからな。粗野な振る舞いをしていると、ゴロツキの同類だと思われてしまう」
「あんたも苦労してるんだな」

 完全無欠の騎士様にも、仕事に関する悩みがあるのか。販売員も笑顔という仮面を人前で被り続けなくてはいけない。俺はリヒターに軽い親近感を抱いた。

「リヒター。最近、寝つきはどうだ?」
「まあまあかな」
「万が一、眠れない時のためにこのチルポーションはどうだ? リラックスできるぜ」
「ポーションの説明もいいが、きみのことをもっと教えてくれないかな? ティノ……」

 俺は言葉に詰まった。
 リヒターは随分と俺に興味を持っているようだ。でも俺は、自分の素性について詳しく話したくはない。
 どんなに親切にされても、絶対に心を開くもんか。病気の妹のことを考えると、泣き叫びたくなる。でもそんな弱い自分のことを誰かに知られるわけにはいかない。
 ひ弱な俺にも、男としてのプライドがあるんだよ。同情なんてノーサンキュー!
 リヒターはあくまで、ポーションを売りつけるためのカモだ。

「あまり話したくはないようだな……。だが、簡単にきみを諦めたくはない。もっと俺に心を開いてほしい。レティの救出をきっかけに、俺たちは友人になった。そうだろう?」

 友人か。
 騎士と商人が対等な関係になれるわけない。リヒターはかなりの理想主義者だな。
 沈黙が応接室を支配する。
 俺はティーカップから立ち上る湯気を無言で眺め続けた。
 白い湯気の向こうにいるリヒターは、真剣な面持ちをしている。

「きみはなぜ、アルセーディア社の販売員になった? 高給だが、ノルマを果たさなければすぐにクビになる過酷な職場だと聞いているぞ」
「それは……商人として、自分の実力を試したかったからだよ」
「嘘がヘタだな。視線が泳いでいるぞ」
「そうかい? 紅茶に酔っちゃったのかもな」
「家族の誰かが病気なのか? もしや、先ほど話に出た妹さんが?」
「そういう動機で販売員になる奴もいるらしいけど、俺は天涯孤独だよ」

 俺は妹のリーザが病気であることを必死に隠した。
 同情を誘って稼ぐのは、まるでリーザを商売道具として利用するようで嫌だった。
 リヒターの碧眼が俺の腹を探るように鋭く輝いている。
 ああ、くそ。居心地悪ィな。
 今日はもう潮時だ。

「長居をしすぎたな。そろそろ失礼するぜ。また来てもいいか?」
「もちろんだ」
「カタログを置いていくから。欲しいポーションがあったら、教えてくれ」
「ティノ。無理はせず、何か困ったことがあったらすぐ俺に言うんだぞ」
「はいはい」

 でもこの先、俺がこいつに泣きつくことはないだろう。
 俺はカバンを持って、席を立った。
 帰り道も気が抜けない。また笑顔の仮面を装着しないとな。
 背筋をピッと伸ばし、口角をキュッと上げる。
 よし!
 会社に帰って、成果を報告するぞ!
 リヒターは販売員モードになった俺を痛ましそうに見つめていた。
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