奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

文字の大きさ
2 / 85

1

しおりを挟む
 辺りが朱に染まり始める夕暮れ時。
10月ともなると、東シナ海の南方にある暖かい島でも、涼やかな風が流れ、秋の予感を感じさせた。

 神谷卯月かみやうづきの住んでいる屋敷の周辺は、山を背に、田や畑に囲まれた一軒の邸宅だ。

 屋敷の敷地も広く、庭は大きな楠の他に、桜、梅、松、竹、が織り成す日本庭園が広がり、池には2匹の亀と、数匹の錦鯉がゆったりと泳いでいる。

 それ故にここは、季節の変化を敏感に感じ取れる環境なのだ。

 卯月はじゃが芋の皮を剥きながら、炊事場の小窓から庭の景色を見つめ、溜め息をついた。

(ついにこの季節が来てしまった……)

 卯月は憂鬱だった。この秋めいた雰囲気に包まれると、どうしても物悲しい気持ちになる。胸が苦しくて堪らなくなるのだ。いつから?と言われたら、それは、9年前のあの日の出来事からだった。

 だが、今の憂鬱さは、それだけではなかった。

「私……。この島を出て、働こうと思っています」

 卯月は今年で18歳になる。

 この話を切り出して、相手がどう答えるのか、期待しないよう卯月は静かに相手の様子を伺った。

「別に島を出なくとも、うちでこのまま永久就職したらどうですか?」

 答える男ーー。羅遠紅砂らえんこうさの歳は20代前半。若いが渋く落ち着きのある声のトーンは、聞いたものをどこかリラックスさせるような不思議な力があった。

 そんな紅砂の声を聞いて、卯月は軽く緊張の糸をほぐした。
 そして、予想した通りの期待外れな紅砂の答えに「永久就職……ですか?」と苦笑いしながら訊き返した。

 ーーこの家で一生お手伝いとして働くのか?

 ーー島の皆が噂をするように、卯月が紅砂の元に嫁ぐのか?

(紅さんが望むのはどっち?)

 卯月はその問いかけを喉元でぐっとこらえた。

 隣では卯月のことなど、気にした風もなく、釣ってきた魚を紅砂は手際よく捌いている。

「そんな就職の事なんか考えず、ずっと此処にいたらどうです?僕は大歓迎だけど」

 卯月は唇を噛みしめた。

 でも、きっと紅砂は卯月との距離をこれ以上縮める気などないのだ。

 今までだってそうだった。

「有難う御座います。でも……、そろそろ一人で生活していく力がほしいんです。ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ。僕は君が出した選択なら、いつでも応援するよ」

「はい」

 卯月は俯いたまま返事した。いつでも紅砂が味方でいてくれるのは、分かっている。

 でも、紅砂はいつでもなのだ。紅砂が卯月を求めてくれることはない。

 紅砂が卯月と一定の距離間を保つのなら、卯月は紅砂を諦めるつもりでいた。

 だから、家を出てーー、島を出てーー、紅砂のいない世界へと旅立つつもりだった。

 けれどもこの期に及んで、卯月はどうしても、自分に対する紅砂の気持ちが知りたかった。しかし、それを訊く勇気が出ない。

 それは彼が常にはぐらかすからだ。

 今まで、紅砂に何度か『好き』と伝えた事がある。

 けれども『ダメだよ、僕なんか好きになっちゃ』と、軽くあしらわれるだけだった。

 そして、告白する度に、卯月が求める別の幸せを保証する。

『卯月には、もっと別のいい人が絶対に出来るから。君が望めば最上級の男を手に入れられるはずだよ!』

 卯月にとってはそんな事、どうでも良かった。

(最上級の男ってなんなの?)

 この話をされる度に卯月の胸の内はモヤモヤとしたものが広がり、いつしか紅砂に、自分の気持ちを伝えることを諦めたのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...