駆け足のルマンブルー

詩川貴彦

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第十話

迷走

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第十話

5月下旬。
ガレージの夕刻。
点検から戻ったばかりのZがうずくまっていた。
鮮やかなルマンブルーと新しいタイヤの匂い。
6月4日が迫っていた。
君のクルマとすれ違った日
僕はZを出して走ろうと思った。
海岸沿いの夕日が沈む道。
君とよく一緒に走った道。
君の夢を見た。
確かに助手席で君が笑っていた。
ドアを開けると窓ガラスが数ミリ自動的にダウンした。パーシャルダウンウインドウ。すべての機能が完全に復活していることを確信した。
低い運転席に乗り込んで、クラッチを踏み込んで左手でスタートボタンを押した。
クーというクランキングのあと、エンジンが始動して荒々しくアイドリングを開始した。僕はアイドリングが落ち着くのを待って、ギアをローに入れてゆっくりとZを発進させた。
海岸通りは夕日が沈みかけていた。
限りなく夜に近い青に海の景色が染まり始めていた。
僕は油温計が90℃に達したのを確認してアクセルを踏み込んだ。
ルマンブルーのZが全力で加速する。
それは加速という生優しいものではない。
久しぶりのZ。僕の感覚がついていかない。
すべての操作系統がダイレクトで緊張を強いられる。
それでもZはいい。
どんな車よりもいい。
忘れかけていたスポーツカーという機械を駆る快感が蘇ってきた。

「迷走」

6月4日
君はこの日を誰かと過ごすのだろうか。
もしそうだとしても、それでいいんだ。
僕は心から
「良かったね」と言えると思う。
それでも
それでも
もしそうじゃあないとしたら
君はどんな気持ちで誕生日をすごすのだろう。
大きなお世話。
もう関係ないこと。
確かにそうだ。その通りだ。
でも僕は心配している。

僕はたぶん
つまらないことで別れてしまったことを後悔している。
君を想って
もう3年も前の思い出に引きずられて
君の誕生日のことをまだ気にしている。
街で見つけた青い時計を買いに行くだろう。
青いプレゼント包装で。
それから突然メールして
「誕生日おめでとう。」
ただそれだけを伝えるつもりだ。
「渡したいものがあるから、9時に来てほしい。」
ただそれだけを、一方的にメールするつもりだ。
いつもの場所にZを停めて
いつものように待つことだろう。
5分間だけ待って
何事もなかったように
「来るはずないよなあ。」
明るく自分に言い聞かせて
淡々と暗い夜道を帰ればいい。
それでいい。
それで十分だ。
それから心のどこかにホッとしている自分がいることに気がつくだろう。
「これでよかったんあだ。」と思える自信がある。
君の好きだった青色の時計は、妹にでもくれてやろうと思っている。
それでジ・エンド。
僕なりの君の誕生日の祝い方。
君はたいそう迷惑だろうが、
僕なりにけじめをつけたいと思っているんだ。
許して欲しい。
「さよなら」も言わないで
別れてしまったあの時のことを。

もしも君が
もしも君が来てくれたらどうする。
そのときは
Zから降りて、思い切りの笑顔で
君に直接渡せばいい。
「誕生日おめでとう。」
ただそれだけを言うつもり。
君の姿をちゃんと見て
君の声をちゃんと聞いて
それから
「ごめんね。」
それだけでいい。
それだけでいいと思っている。
6月4日は君の誕生日。
忘れてないよ。
忘れるはずがないよ。

こんなことを考えることは良くない傾向。
止めていたタバコに火をつけて吸ってしまうようなもの。
今までの我慢が水の泡。
でもそれが運命なら
それはそれで仕方がないことだと思っている。

3年ぶりの君の誕生日
「さよなら」も言わずに
お互いに会うのを止めてしまったこと。
それから何となくお互いに疎遠になって
自然消滅してしまったこと。
僕はどうしてそんなことを思い出しているのだろうか。
君のことがまだ好きなのか。
あの頃に戻りたいのだろうか。
どうだろう。
まだ好きなのだろうか。
わからない。
もしも、元に戻れば
どうなるかは何となくわかっている。
こんど再燃したら、僕たちはきっと破滅する。
少なくとも、何らかの結論をださなければいけないと思う。
そのために失う物の大きさや、色々な困難を考えると
それは無理だろう。
自信がない。

あの時は
ずっと君のことを気にしていた。
君が婚期を逃すことが心配だった。
君の友だちが結婚して家庭を作っていく
そんなことを聞く度に胸が痛んだ。
僕がいるから結婚しない。
僕がいるから恋愛さえできない。
そんな君を見るのが辛かった。
僕たちは刹那的に生きていこう。
今が良ければいいじゃあないか。
そんな無責任なことは言えなかった。
君と結婚すればいい。
それがベストな方法だと分かっていた。
こんなに好きな君と一緒に過ごせる。
こんなに愛しい君と毎日会える。
誰にも遠慮はいらない。
こそこそ逢い引きなんかしなくていい。
でも現実という壁が立ちはだかっていた。
「このままでいいよ。」
と君は言ってくれたけど。
僕は本能的に
君との別れを考え始めていたんだ。

きちんと「サヨナラ」を言いたい。
僕はまだ君が好きなんだ。
でも君の邪魔だけはしたくない。
だから悩んでいる。
こうして土曜の夜に
異国の曲を聴きながら色々な言葉を綴っている。
気持ちの振り子が
行ったり来たりして困っている。
それでも
どうしていいかがわかったような気がした。
6月4日
君と約束した3度目の誕生日。
何かが背中を押しているような気がしている。

僕は結局
あてもないプレゼントを用意して
それで口実を作って
6月4日に
君にメールしようと思っている。
3度目の君の誕生日。
「3年後もきっとお祝いをするよ。」
たわいない約束にこだわって。
僕はそれを憶えている。
もしかしたら君も。
今の君の邪魔にならないように
今の君に迷惑をかけないように
細心の注意を払ってメールをするつもりだ。

6月4日午後9時ちょうど。
あと3時間で誕生日が終わる時刻。
僕はものすごく迷ってから
ついに君にメールした。
それからルマンブルーのZの助手席に
プレゼントと花束とケーキを載せて
君の家に向かって出発した。
月光に融合するルマンブルーのボンネット
君と海辺で見た青い月
駆け足で過ぎ去っていった日々
ルマンブルーのフェアレディZで駆け抜けた
君と僕との淡い物語。

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