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45.おじさん
しおりを挟むおじさんと会ったのは私がまだ小学生に入ったばかりの頃だった。
初めの頃は幼稚園に行けば友達がいた。
笑って笑って、楽しい時間を過ごした。
でもある日怪我をした。
今よりは治るスピードは遅かったけれど、それでも普通の人間じゃ考えられないスピードで治る私を見て、先生が恐れるように私を見た。
偶然だ。
錯覚だろう。
見間違いか思い違いをしていたんだ。
自身を納得させた先生は、懸命に変わらない態度で私に接した。
だけど、子供は元気すぎるところがあって、外で友達と遊んでいた私は毎日のように怪我をしていた。
周りの子とは違う異常なスピードで治る私に、周りの親が気付いた。
怪我をしていない私がいじめているのだと思われたのだ。
先生では対処できなくなり、私の母が呼ばれた。
そしてみんなの目の前で殴られた。
頬が腫れあがり、転んだ腕や膝には血が流れた。
みるみる治る私を見て、皆のお母さんたちの目の色が変わった。
恐怖にひきつる表情を浮かべ、自分たちの子供を抱きしめた。
「あんな子とは一緒にいないで!」
「なんでバケモノが通っているのよ!」
「今すぐ違う幼稚園にいきましょう」
必死な形相の親の様子に、今まで遊んでいた子たちが私から距離を取るようになったのは当然の結果だった。
そして皆に無視され、お母さんにも打たれ、家から出されたあの日、もう耐えられなくて、でも行く当てもなく適当にぶらついて、___公園に一人の大人の男性を見つけた。
公園といっても遊具もブランコ一つだけの寂しい公園。
その為か、子供が遊ぶ姿をあまり見かけない、そんな公園だった。
『…どうしたの?』
私はブランコに座り俯くその男性に、なんとなく話しかけた。
男性は私の声に反応して、ゆっくりとした仕草で顔を上げる。
『別にどうも……ッ、君、どうしたんだその頬!』
『頬?あ、ほっぺたのこと?いつもの事だからヘーキ』
『いつもの事って……、冷やした方がいい』
男性は私の事を聞きたそうにしながらも、持っていたハンカチを濡らし私の頬に当てた。
(こんなことしなくても、放っておけばそのうち治るのに)
そう思いながら私は、どこか辛そうにする男性の顔をじっと見上げながら、頬にハンカチを当て続ける男性を見つめ続けた。
『大人の男性の人はどうしたの?なんでここにいるの?』
『大人の男性…、って俺の事か?』
『うん』
『ハハ…なんだその言い方、言いづらいだろうから……そうだな、俺の事はおじさんでいいよ』
『おじさんって呼んでいいの?嫌じゃない?』
『君の歳くらいだと、俺みたいな大人はおじさんだろ?嫌じゃないさ』
『そうなんだ…』
不思議だった。
お母さんが連れてくる大人の男性の人たちは、皆嫌がっていたから。
『おじさんは、ちょっと仕事でミスしてしまってな…』
『ミス?』
『失敗ってわかるか?』
『うん、わかるよ』
『仕事で失敗してしまって、気分転換にと思ってここに来たんだ』
『キブンテンカン…』
『心を元気にさせにきたってことだよ』
『元気に……』
この時の私は少し、ううん、結構調子に乗っていたのかもしれない。
話しかけても無視されない。
わからない言葉には優しく丁寧に教えてくれる。
そんなおじさんに、私はドキドキさせながらこういった。
『じゃ、じゃあさ、私と遊ぼうよ』
断られるかな。どうかな。とそわそわした。
ドキドキして、おじさんはどんな顔をしているのか見上げると、キョトンとした後に『そうだな』と笑ってくれた。
私はとっても嬉しくなったのを覚えている。
『じゃあブランコ!私おじさんのことたくさん押すから!』
『こういう時は逆だろ?俺が君の事……、あ、そういえば名前教えてもらっていなかったな。
名前、なんていうんだ?』
『あきな!みのわあきなっていうよ!』
『あきなちゃんだね。じゃあ、あきなちゃん。ブランコに乗ったらおじさんがとっても高いところまで押してあげよう』
『ほんと!?あきな乗る!』
そしてブランコに乗って、言葉通りとても高いところまで押してもらった。
お返しに私もおじさんのことを押して、あまり高くなかったけれど、それでも楽しそうにおじさんも笑っていたんだ。
それから私は公園に行った。
あの時のおじさんはいるかなって、また会えたらいいなって。
でも全然会えなかった。
おじさんはキブンテンカンに、たまたまあの公園に来ただけだからって、そう自分を納得させて、何度も何度も通った。
おじさんがいないってわかった日はとても寂しくて、悲しくなった。
でも明日はいるかもしれないって思うと、次の日の活力にもなった。
おじさんのお陰で、私は楽しいって思うようになったから。
そしておじさんにやっと会えた時の感動は、凄かった。
嬉しくて、嬉しくて、泣きそうになった。
ううん、実際泣いてしまった。
『おじさん!』
『君は…あきなちゃん?なんで泣いて、っていうかその服寒くない!?いやその前にその頬…また怪我したの!?』
『うん!うんうん!』
おじさんの話を碌に聞かずに、おじさんの足元でぴょんぴょん跳ねながら適当に返事をする。
それくらい嬉しかったんだ。
『ね!またキブンテンカンしにきたの?一緒に遊ぶ?』
『遊ぶって……、冬のブランコは危ないから』
そういっておじさんは巻いていた“綺麗なマフラー”を私に巻き付け、着ていた“綺麗なコート”を私に被せると私を抱き上げた。
『とりあえず、俺の家に行こう?』
『おじさんの家!?いきたい!』
おじさんの家は“お母さんの家”よりも少し広かった。
そして綺麗に片づけられていて、いつの間にか姿を消していたおじさんは戻ってくるとすぐにエアコンのリモコンを使って暖房を稼働させる。
『寒いでしょ?あきなちゃんは一人でお風呂入れる?』
『入れるよ』
『じゃあ入ってきて、ゆっくり百数えてくるんだよ。それから…』
ぽいぽいと服を脱いで、お風呂に向かう私を何故か驚愕の表情を浮かべるおじさんが不思議だったけれど、私はおじさんのいったとおり百迄数えてお風呂を堪能させてもらった。
私がお風呂に入っている間、おじさんはご飯も用意してくれて、並べられた料理に私は目を輝かせた。
温められた牛乳と、シチュー。
お野菜はゴロゴロと大きく切られて真っ白いスープに色とりどりの野菜が身を浸し、白いご飯はキラキラと輝いていた。
『わぁ!こ、これ!私食べていいの!?』
『いいんだよ。おじさんと一緒に食べよう』
『凄い!凄い!ごちそうだぁ!』
初めて食べたシチューはとっても美味しかった。
私はおじさんの家を出ると、温まった心と体のままお母さんの家に向かう。
(おじさんが今日の夢にもでてきてくれないかな!そしたら絶対楽しい!)
ルンルン気分だったのは、帰宅迄だった。
小綺麗になった私を見て、すぐに反応したのはお母さんだった。
『どこにいっていたの!?』
その言葉に私は嬉しい気持ちが溢れた。
私を心配してくれたのだと思ったから。
私は自然に上がった口元のままお母さんに駆け寄った。
親切で優しいおじさんに、美味しいご飯をご馳走してもらったんだよ。
そんな夢物語みたいなことを、周りの親子のように話したかった。
『そうやって私の事を苦しめるのね!』
『私の事を悪く言っているのでしょう!?』
よくわからなかった。
お母さんの言葉が。
ジンジンと痛む頬を手で押さえると、いつの間に流れた涙が伝う。
きっと私がバカだから、お母さんの言葉が理解できないんだって思った。
だから、お母さんを苦しめているのは自分だって思って、泣いて謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。お母さんが大好き。お母さんの事悪くなんていったことない。だから許して。ごめんなさい。
そんな私とお母さんに気付いたのは、勝手にお母さんの家に入り込んだ男。
私だけご馳走を食べてきたって、許せないって、お母さんを泣かせるやつが食べてもいいのかよって、私を“叱る”。
ああ、そうなんだ。私、食べちゃダメなんだ。
お母さんが私を許すまで、お母さんから許可を貰うまで。
それから私はおじさんにあっても、もうおじさんの家に行くことはなかった。
行くとダメだから。
あの日楽しく過ごした思い出が蘇ってきても、私は悪い子なんだって、必死で自分を諫めた。
でもおじさんは何か言いたげにしながらも、私の“望み”を叶えてくれた。
お勉強を教えてくれたり、私でも出来る便利な知恵を教えてくれたり、今日あったことやなんでもないことを話して笑いあって
(これぐらいなら、お母さんも許してくれる筈…)
そう思いながら、何度も何度もおじさんに会っていた。
そして次第に私の中でのおじさんの存在が大きくなっていって、いつしかおじさんが私の本当の親であればいいのにと思っていた。
だから私は、私は…
「私!私殺してない!殺してないの!
殺されたくなくて逃げただけなの!お願い!信じて!」
本当のお母さんを好きだなんて、好かれたいってもう思ってない。
だって、怖かったから。
それでもおじさんに会うまでは、お母さんに好かれたいと、嫌われたくないと思ってきたのは本当だ。
だけど今は違う。
信じて欲しい。
おじさんには、おじさんにだけは
そんな思いが私を支配して、必死に縋り、そして叫んでいた。
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