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しおりを挟む「ようこそお越しくださいました!ディオダ侯爵夫人!」
馬車から降りると少し距離を置いた場所に、細身の男性が体に合っていないブカブカのスーツを身に纏い私を歓迎した。
私はその男性の言葉にニコリと微笑みを向けて見せる。
「…お待たせしてしまったようで申し訳ございませんわ」
「とんでもございません!こうしてわが村にお越しいただきとても感謝しているのです!
それで、早速ですがお話しに入らせていただきたいと……」
この男の様子からも感じ取れるように、この村には危機が迫ってきている。
辺り一面大地が割れ、水分という水分が全くないのだ。
その為、今まで近くの町から水を買っていたわけだが水代が上がるだけではなく、運搬費用も上がり、村や町をまとめ上げる領主としてどうにかして欲しいと嘆願書を出していたのだ。
ちなみにこの問題の嘆願書は一年前のものである。
あのクズ…いえ、旦那様が放置していた案件だった。
その為、ここを最初の訪問先に決めた。
「水問題、ですよね?」
「その通りです!当初の値段から今では十倍もの値段をふっ掛けられているのです!
…元々この土地は緑が多く植物が育ちやすい土地でした。それなのに今は見る影もない…、今ではどんどん人が減り、町から村へと名を変えることになりました」
懸命に当時の姿を取り戻そうと、乾いた土地を耕し植物を植えようとした痕跡を横目で確認した私は、村長である男性に尋ねた。
「水問題は私が解決しましょう。その代わり、私の指示に従って頂けますか?」
「そうはもう!水問題を解決していただけるのであれば!」
必死に何度も頷く男性は切実そのもので私はにこりと笑う。
「では、私が立っているこの場所。
ここを地下三百メートル程掘り起こしましょうか」
「…え」
指を地面に向ける私に目の前の男性は目をキョトンとさせた。
ちっとも動かない男性とこの村の人たちに聞こえるよう、私は大げさに手を叩いて見せる。
「ほら、早く掘りましょう。
さ!皆さんも手を貸してください!今すぐここを掘り起こすのです!」
パンパンと手を叩き、護衛として連れてきた騎士や村人たちに動くように命じる。
最初は戸惑いを見せたが、騎士が掘り進める姿を見て、村の住人達も戸惑いをみせつつではあったが掘り進めていった。
連れてきた騎士の中には加護持ちがおり、凄いスピードで掘り進めていく。
どんどん面白いぐらいに下がる穴が容易に地上へ登れないほどになる頃には村人を引き上げさせて、穴に繋げる形で通路なるものを掘り進めてもらっていた。
そして男性たちが体を動かしている中、村の女性たちには私が持ってきていた食材を使い料理を作り始めるように指示を出す。
大量の食材を持ってきたつもりだったが見通しが悪く、この村だけで五分の一の食材がなくなってしまうだろうと予想できた。
それでも私はふんだんに食材を使うように指示を出す。
実りある森があれば調達できるが、枯れた土地に食材を求めることができないからだ。
陽が暮れ始めた頃、良い匂いが空腹を思い出させ誰かの腹の虫が穴の中で大きく鳴り響き、作業を中断して私達は星空の下で食事をとった。
調理に使っていた火を灯りにして、一つの円になるように皆で囲んだ。
温かい出来立てのご飯は心も温かくなる。
実家では弟と二人ではなく、メイドも使用人も分け隔てなく食卓を囲んでいた為に、星空の下で沢山の人と輪になって食事をする行為が懐かしく感じた。
(伯爵家を出たのはつい最近だったはずなのにね)
たった数日。
されど数日の間に、様々なことがあった。
勝手に決められた婚姻。
初めて顔を合わせた旦那には邪険にされ、式を挙げた途端他に愛する者がいるという事実を知らされた。
愛する人がいる旦那様と私が食卓を囲むことはない。
そんな私は広いテーブルに一人で食事をすることになったのだ。
侯爵家の妻としての扱いを求めただけに、毒見迄されるという徹底っぷりに口にする頃には冷めてしまっている料理。
共に席に着くように求めても、あのララでさえ席に着かなかった。
それが私の心を暗くさせた。
そう見えないように振る舞ってはいるけれど。
「こんなきちんとした料理は久しぶりです」
「……私も、こんな温かい料理は久しぶりですわ」
「え?」
思わず口から正直な気持ちが出てしまい、戸惑いを見せる村長の様子に私はあわてて言いつくろった。
「…あ、………水がなければ調理の幅も狭まりますわよね」
「あ、アハハ、そうです!だからこんな野菜たっぷりの豪勢な食事は久しぶりなのですよ」
話を変えると再度確認されることもなく、そのまま話をつづけた村長は温かいスープに息を吹きかけて冷ましながら口にする。
美味しそうな表情を浮かべる村長を見てから、私は周りを見渡した。
野菜がたくさん入った温かいスープに、精を付ける為の肉。
そんな食事を口にした村の人たち。
簡単な物しか持ってきていなかったから出来立てのパンは食べれなくても、ふわふわのロールパンを片手に涙を流すものまでいた。
そんな時、一人の村人が立ち上がり五十メートルは掘り進めた穴を覗き込む。
「それにしても、加護持ちは凄いですね。
半日程度でこんなに掘り進めることが出来るとは…」
「そうですね。これも精霊様に感謝しなくてはいけません」
「精霊に、ですか?」
この村の人たちも精霊を見ることが出来る人は一人もいないのだろう。
だから私の言葉を不思議に思う。
「ええ。人間にこのような加護を与えてくださったのは、まぎれもなく精霊様の恩威によるものですから」
私は騎士たちの方に目を向けて、ふよふよと飛び交う精霊たちをみて微笑んだ。
この場では誰一人見ることが出来ないかもしれないが、まぎれもなく精霊はいる。
そんな精霊に好かれた人物が加護を受け、今この場で加護の力を発揮していた。
「さぁ、食べたら眠りにつきましょう。
水問題を解決する為には、より深く穴を掘らなければいけませんから」
穴を掘る前は戸惑いが大きかった村の人たちは、目標を与えられ、それに突き進む充実感に空腹が満たされたからか、今ではとても明るい表情を見せていた。
まだ成果も見ていないのに、村の人たちは私を信じて着いてきてくれているのだ。
(不思議ね…)
一人ずつしっかり見てみると、精霊が付いて回っていた。
目に見えなくても、その存在を意識していなくても、無意識下で精霊の存在を感じ取っているのだろう。
だからこんなにも意欲的になれているのだと、私は思う。
「さぁ、私達も寝ましょうか」
「はい」
食べ終えた者から家に戻り、私達も馬車へと向かう。
水問題がある為体を洗うことは出来なかったが、せめて衣類は変えたいと服を着替え、そして目を閉じた。
(そういえば……)
と思い出す。
私が指示を出したから黙々と穴を掘っていた騎士たちの中で、一人だけ休憩も取らずにただひたすら掘り進めていたケインの存在を。
他の人たちは休憩をとりつつ掘り進めていたけれど、ケインだけは違ったのだ。
(やっぱり精霊が見えているのね)
この領地を救いたい精霊は、存在が見える者に縋りつくようにずっと訴えていた。
だからケインもその願いを叶えたいと、限りある体力を使いつくすまで穴を掘り進めた。
薄れゆく意識の中で、私は確信に近いものを感じた。
◇
穴を掘り進めて二日後。
結論から言うと掘った穴からは水が噴き出した。
体に掛かる水を両手を広げて受ける者、手を皿状に合わせて溜まる水を見つめながら笑みを浮かべる者、両手を掲げながら走り回る者。
村の人たちが騎士たちに負けじと掘った通路に水が流れる光景を見た村の人たちの目からは涙が流れていた。
「……ディオダ侯爵夫人はまるで、解決策を最初から知っているかのようでしたね」
そんな中一人の男性が震える声で口にした一言に私は笑った。
「あら。嘆願書を読ませてもらった時点である程度の解決案は出していましたよ」
「ですが、ここに一度も訪問することはなかったでしょう?
それなのに来て早々この場所を掘るように指示をした。……どうしてここに水脈があるとわかったのですか?」
「どうして、ですか…」
男性の、村長の質問に私は一度口を閉じて考える。
私の目には見えているのだ。
精霊の姿が。
ここに水脈があるよと、村の人たちに訴える精霊の姿と、私に「この人たちに伝えて」と叫ぶ精霊の声が。
だけどそれを伝えることは出来ない。
精霊の姿を見れる者は希少だからだ。
この村に残っている人たちは精霊にとても好かれている。
加護を貰う程ではないにしても、こんな土地が割れる程の干ばつが広がる大地で生きているのは、この精霊たちのおかげである可能性が高いのだ。
その証拠に昨日の夕食時、小さなキツネが姿を見せた。
既に食べ終えた者たちがキツネを捕らえたから今日の食事にするつもりであるが、キツネをみた村人が言っていた。
“たまになにもないのに迷い込んでくるんですよ”と。
精霊たちが村人を必死に守ろうとして、村の人たちでも倒せるくらいの動物を引き寄せて、せめて飢えることがないように気を配っていたのがその証拠だ。
だってこんな乾いた場所に動物は餌を求めてやってこないのだから。
「………そうですね。
私が侯爵夫人として領地管理をする立場、だからでしょうか」
「へ?」
「様々な文献をそれはもう沢山読んだのですよ」
呆気にとられる村長に私はそう口にしながら歩き出す。
勿論これは嘘だけど嘘ではない。
女である私は跡取りにはなれない。
跡取りは三歳年下の弟がなるものだと決まっていたからだ。
私は領地が大好きだ。そして弟も大好きである。
精霊が見えない弟だけど、父の血がしっかりと通っている。
私と同じく学べる環境もあるから、後はしっかりとした人柄に成長するだけ。
私は弟と共に沢山の本に手を伸ばしてきたのだ。
だから村長に告げた言葉は嘘だけど、嘘ではない。
私はちらりと村長を横目で見た。
私をスーツ姿で迎えてくれた村長は今は穴掘りで汚れてしまった為か、今では他の村の人たちと変わらない“少し汚れて”そして“動きやすそうな格好”をしていた。
そんな村長を呼んで、私は勝手に村長の家の前に立つ。
「ほら、何をしているのです?
水問題が解決したら、次にやることがあるでしょう。
この村の村長として、しっかり仕事をしていただきますよ」
「は、はい!」
この村の水問題を解決したら、きっと水を売っていた町からなにかしらの反応があるだろう。
侯爵夫人として領地管理を任されたのだから、今後のアフターケアも考えなければならない。
やることはたくさんある。
だけど実行するのはこの村の人たちだ。
水を降らせ、蘇える大地ではきっといろんなことが出来るだろう。
ほら、精霊たちも水遊びをして楽しんでいる。
この大地が大好きな精霊たちは、この先もこの村の人たちを見守ってくれるだろう。
私は知らない。
この村の問題を解決した私の姿をじっと見つめる視線を。
私は知らない。
その視線の主は精霊をみるだけではなく、私と同じように声が聞こえていることに。
私は知らない。
私以外の精霊の声が聞こえるということがどういうことかを。
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