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一体どういうことなのかと問いただしたところ、どうも旦那様のポケットマネーと侯爵家の資金は繋がっているらしい。
今迄碌に領地管理をしてきていなかったことで、確保しておくべきお金という概念がなかったのだ。
いや先代の時までは貯蓄という概念があったらしいが、旦那様が当主となり、そして先代であるお義父様とお義母様が出ていってから、運用が一気に変わってしまった。

侯爵家が持っている資金が投資の資金とイコールとなっており、投資出来る金があるなら使ってしまおう。その方が効率的だろ。

そういう考えが旦那様にあり、本当にそのように変更してしまったらしい。

それでも侯爵邸に掛かる金額がわけられていたということだけは救いだった。
さすがに自分の今の生活スタイルを維持したいと思ったのだろう。
そのお陰で邸に対してのメンテナンス費用、使用人に掛かるお金、雇っている騎士に支払うお金、武器防具に関わるお金等々、少なく見積もっても半年分は確保されていたのが救いだった。

『もって、あと半年分程ですが…』

「……お金は全て投資に使ったの?」

『それもありますが、…ほとんどが旦那様の恋人様への貢ぎ物です』

「………」

呆れて言葉も出ないというのはまさにこのことである。

ここで執事を責めてもどうにもならないことも、…ならなかったったことは容易に想像できる。
自分の主である旦那様には意見を言うのも出来なかっただろう。
あのクソ野郎…旦那様は領地管理を私がするといった瞬間から、溜め込んでいた書類たちを引き渡したのだ。
旦那様には出来なかったことだったため仕方のない事だが、それでも碌に引継ぎもせずにそのまま渡した人には執事が何を言っても無駄だっただろう。

それにしても先代侯爵夫婦が出ていってから一月も経っていないのに、どうやったら侯爵家の資金を無くせるのか……。
頭が痛くなってくるわね。

『今までは前侯爵様がいたことで、散財出来ようがありませんでした』

「今は私がいることで、安心した前侯爵夫婦がいなくなりストッパーがなくなってしまったということね」

『はい…』

私は投資をやっていないが、投資というものはすぐにお金が手に入るというものではないことはわかる。
掛けた元本が戻ってくるのならまだいいが、下手をすると損をすることだってあり得るのだ。

(それでもまだ半年持つのなら…)

「私に当てられている予算分はちゃんとあるのよね?」

『それは当然です!』

「なら、それをしっかりと死守してくれれば問題ないわ。
私はこのまま問題を抱えている領地をみてから戻ります」

『そ、そんな…!』

目尻に涙を浮かべる執事に私は苦笑した。

「心配しなくてもちゃんと戻るわ。
あと旦那様に伝言を。“契約内容を順守することを祈っております”と」

神妙な面持ちで頷いた執事を確認した私は「ララは私の侍女なのだから、恋人さんへの世話役は取り消してもらうように」と告げてから通信を切る。
ララにいっても状況は変わらなそうだが、執事も聞いているのだから変わるだろう。
例え侯爵家の資金に関して意見をいえなくとも、私の侍女に関して“正妻である私自身が”苦言を呈したのだから。
その為に彼には伝言を頼んでいる。

通信を切ってペンダントを服の中にしまっていると、サシャが遠慮がちに「いいのですか?」と尋ねた。

「ん?私が屋敷に戻らなくて、ということ?」

「はい」

「いいのよ。私には今持参金という父が持たせたお金と、侯爵家から割り当てられたお金しかないもの。
帰ったところでできることなんてないわ」

寧ろ帰ったところで、金をせびりに来るかもしれない。
まぁ、精霊書の所為で出来ないと思うけれど。

「ですが…」

「それに旦那様との契約に“プライベートには関わらない”と書いたのは私。
侯爵家の資金が旦那様のポケットマネーに繋がっていたことは想定外だったけれど、まだ私のお金に手を付けたわけでもない旦那様に意見を言う理由がないのよ。
だからこのまま様子を見て、旦那様が稼ぎ出したお金で切り盛りしていくか、前侯爵様に頼るか、それとも私のお金に手を付けて罰を受けるかは旦那様次第という事。
ララに関しては、私は既に正妻の立場として旦那様の恋人にララを付けることを拒否したわ。
このまま旦那様が放置すれば正妻の私への配慮に欠けると判断されるし、私の意見を受け入れたら恋人が黙っていない、逆に恋人の意見を取り入れたら罰を受ける。
……ふふ、どんな対応を旦那様がするのか見ものね」

実際に旦那様の恋人という女性にはあったことがないけれど、まだ他人の家のお金を使わせるほどの浪費家なら禄でもない女性なのだろう。
そういう女性は自分の意見を聞き入れなければ癇癪を起しやすいものだ。

ふふっと笑うとサシャも表情をほころばせる。
そして楽しそうに笑った。

「そうですね。屋敷の皆には悪いですが、旦那様へ制裁が下る瞬間を見届けられるのなら許してくれるかもしれません」

「でしょ?」

「はい」

やっと表情が和らいだサシャに私は安堵して、馬車の中に詰め込んでいた書類に手を伸ばした。

「じゃあ、少しだけ私は仕事をするから、サシャは目を休めるなりゆっくりしていてね」

「私だけ休むなど」と今にでも立ち上がろうとするサシャに、私は人差し指をサシャの額に当てる。
こうすることで重心の感覚が掴めなくなり、立ち上がるのが難しくなるのだ。
しかもここは馬車の中だ。立ち上がるのは危ない。本当に。

「“ゆっくり休んで”」

私の言葉に従うように、サシャの目は虚ろになり、そして瞼を閉じる。
体から力が抜け落ちたサシャの身体を私は支え、そのまま上半身だけを椅子の上に横たわせた。

実をいうと私は精霊の唯一の愛し子である。
血筋とかそんなの関係なくて、ただ精霊が愛した魂を持った人間の生まれ変わりだっただけだ。
私自身は汚い感情を持っていることを知っているから、お世辞でも愛し子とかそういう言葉が似合わないだけに自覚するのも恥ずかしいのだけど。

そんな愛し子の私は加護を与えられた人間よりも特殊な力を使うことが出来る。
先程サシャを眠らせたときのようなことが出来るのだ。

「……まぁ、人の心を操ったり、鍛えられた騎士のように戦うことは出来ないんだけどね」

ただの田舎の貴族の令嬢として生まれ育った私は、力も強くなければ、人を魅了する力もない。
ただただ精霊が知っていることを知って、精霊が力の使い方を教えてくれただけの普通の人間だ。

「あと半年か」

このまま旦那様が現実を見ずに恋人に貢ぎ続けると、あと半年後には資金が尽きる。
長いようで短すぎる期間の間に、どうにか領地を盛り上げさせなければならない。

この前水不足で解決させた村のような町や村がもっと沢山あるのだ。
初めは抱えている問題を解決することだけを目標にこうして行動していたが、先ほどの執事の話で覆ってしまった。
問題を解決するだけではなく、町や村でなにか特産品を生み出し金にしなければならない。
その為に私は何が適しているのか地図を見て、以前の町の様子を精霊たちに聞きながら書類に目を通していった。





コンコンコンと窓を叩く音に私はハッとし、書類に書き込む手をとめた。
かなり集中していたのか馬車の中は薄暗くなり、レースカーテンの向こうはきっと陽が落ちかけているのだろう。
私は書類を封筒に戻し、そしてカーテンを開け、少しだけ窓を開ける。
すると甲冑越しに見えた赤い瞳が私を捕らえる。
まるで薔薇のような瞳に私は懐かしさを覚えた。

(最初はクソ夫の手下かと思っていたけれど、今ではこうして彼の瞳をみて、心を落ち着かせているなんてね)

彼がどうしてあの男の下についているのかわからないが、それでも彼は精霊に好かれる程の心根の持ち主で、更に領地に関してあの男よりも関心を持っていることだけはわかる。
あの男とケイン卿を交換すれば解決するのになと考えていると、赤い瞳がふと伏せられ、交差していた視線が途切れてしまった。

「奥様、もうすぐミャルク村に着きます」

「わかったわ」

ミャルク村は以前解決した村の次に放置され続けた村である。
距離はあるためここでは水問題は発生していないが、その代わりに害虫問題が起きているそうだ。

サシャを起こし、カーテンを開けて見晴らしを良くして暫くすると大量の蜂が飛んでいる様子がうかがえた。
流石に馬や護衛として来てもらった数名の騎士は生身であるために、このまま村に近づくことはしないで手前で立ち止まる。
さすがに飛び交う虫に表情が曇る騎士たちとは逆に私は口元を上げて微笑んだ。
勿論口元を手で隠すのは忘れない。

(これなら簡単ね)

なにが原因で虫が大量発生しているのか書類上ではわからなかったが、実際に現場に来てみると一目瞭然だった。
蜂の周りに精霊がはしゃいでいたのだ。
一般人には目に見えない精霊たちだったために、原因がわからなかったのだろう。
それでもこのまま馬車で進むと他の人たちが危ない為、私は馬車から降りて村へと一人歩いた。

「奥様!」

「大丈夫よ。私は実家でこういう現場にはなれているの。
でもサシャ、あなたはそうじゃない。だからそのまま馬車の中で待っていなさい。
皆さんも、よろしいですね?」

馬車から降りて私の後を追いかけようとするサシャを止め、且つ他の護衛達にも留まるように指示を出す。
どちらが護衛なのかって感じだけど、この場合は私だけの方が寧ろ安心だ。
蜂に下手に手を出してしまうと、危険視されて刺されてしまうから。

「…ん?」

カチャカチャと独特の音が聞こえ振り向くと、すぐ後ろにはケイン卿がついてきていた。

「…もしかして、貴方もくるの?」

訝し気にケイン卿を横目で見ると、ケイン卿は「ダメでしょうか?」と答える。

「…ダメというわけではないけれど……」

「なら、いいということですね」

良いともいっていない。
だけどこの男は確実に精霊が見えていると私は確信しているため、許可を出した。
精霊がみえているということは、私と同様蜂が飛び交っている理由を察しているからだ。
理由がわかっていれば、蜂たちに対して無駄に剣を振ったりすることはないと思ったからこそ許可を出した。
甲冑姿で表情を伺うことは出来ないが、嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。

(顔が見えない筈なのに、わかるって不思議ね)

顔を会わせてから一月も経っていない筈なのに、最近ではずっと一緒に暮らしてきた家族のような安心感すら与えることが不思議に思える。

「…貴方、気を付けないと精霊が見えると疑われるわよ」

勿論待たせている護衛達と十分な距離を取ってから口にしたが、ケイン卿は想定していなかったのかびくりと体を強張らせた。

「………気付いていたのですか」

「ええ。あからさまなんだもの」

「………奥様も同様かと…」

「私はいいのよ」

本音を言えばよくはない。
クソ旦那様との仲が良好とは言えない関係だからこそ、精霊が見えるとわかればどうなってしまうのか想像も出来ないからだ。
でも私は精霊が見えるだけではなく、精霊の愛し子でもある。
だからこそ、実際に私に対し手を出す者には容赦なく罰が下されるとわかっている。
誘拐は怖いが、報復が確実で、更に命を狙う者へは同様の災いが起こることは決まっているからこそ、逆に怖くない。

「…よくありませんよ。奥様は唯一の存在なのですから…」

「え……」

ケインの言葉に思わず私の足が止まった。
精霊の愛し子の存在は見た目では絶対にわからないからだ。
例え存在が見えていたとしても、誰が愛し子なのかまでは絶対に気付きようがない。筈なのだ。

隣に立つケイン卿を見上げ、私はごくりと唾を飲み込んだ。

「どうして……?」

「精霊に教えていただきましたから」

「精霊に?貴方精霊の声が聞こえるの?」

今度はケイン卿が驚く番だった。
ケイン卿は誰もが精霊の声を聞くことができないことを知らなかったのか、挙動不審な動作をし始める。
じっと見つめ甲冑奥の瞳を覗き見ると、左右に激しく動き、明らかに動揺していた。

私もケイン卿が精霊の愛し子の存在、そして精霊の声が聞こえることに驚いたが、自分とは違う人がここまで動揺している姿を見ると逆に冷静になる。
見上げていたケイン卿から視線をずらし、私は村へと歩き進める。

「…まぁいいわ。
精霊が貴方に私の事を教えたということは、貴方が信用に置ける人だということだもの。
そもそも私は貴方を疑っていないしね」

旦那様に私の事を報告している様子もない、それどころか旦那さまではなく私に仕えるようにずっとそばにいるケイン卿。
もしかしたら領地への愛情も誰よりも強いケイン卿を、私は信頼し始めていた。
彼なら大丈夫だと。
だからララから通信が入った時、結局はそうしなかったが、もし侯爵邸へと帰宅しなければならなくなった時はケイン卿に任せようとまで考えていたのだ。
精霊を見ることが出来るケイン卿ならば、必ず解決に導くと。

「私、人を見る目はあるつもりよ」

「………」

だから、言いたくなければ話さなくても大丈夫だと、そういう気持ちを込めてケイン卿に告げる。

正直に言えば今話してほしい。
遠くにいるとはいえ、周りに誰もいないこの状況なんて今を逃したらきっと訪れないから。
でも…。

(激しく動揺していた様子から、自分が精霊たちと話せることを隠したかったんじゃないかって思うから)

数歩歩き進めると、ケイン卿も冷静さを取り戻したのか甲冑のカチャカチャという音が背後から聞こえてきた。
私の足で数歩という距離だった為、すぐケイン卿の影が私を追い越すのが見える。

「……あとで、私の話を聞いてくださいますか?」

小さく呟かれた言葉に、私は振り向くことなく了承した。



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