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第三十二話:綻んで、また結んで

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「息子が……。わかったわ。これは、わたくしがしっかりと言い聞かせなくてはね。皇后としてではなく、この子の母親として」
 わたしは戦闘後、池周辺に残った血の跡などを綺麗に掃除してから紫桜宮しおうぐうに戻り、全ての顛末を話した後、裕子ゆたかこは眠る我が子を抱きしめながら、そっと涙を流した。
「それで、その占星術師はどうしたの? まさか……」
「殺してはいません。ここは清浄の地、後宮。多少血は流れども、命を奪うことは致しません」
「そう……。ただ、わたくしは翼禮よくれいがどんな方法で解決しても、それを支持する覚悟はあるの。ありがとう。本当に、ありがとう」
 綺麗な涙。まるで硝子のビーズのようだ。
「あと、これなんですけど……」
 わたしはこっそり奪い取っておいた玉札を裕子に渡した。
「後宮に入るための札ね。では、こうしましょうか」
 そう言うと、裕子はそれに鋏を突き立て、手近にあった文鎮でそれを打ち付けた。
 パキン、という音。
 玉札は真っ二つに割れ、細かな結晶がさらさらと風で動いた。
「女御には新しく信頼のおける占星術師をつけるわ。今回、あの方は関係ないようだから、必要以上に咎めることはしない。息子は一ヶ月外出禁止にしなくちゃ。それと、愛してるって、永遠に、想ってるって伝えないとね」
 聡明で、爽やか。
 かつてのお転婆な御姫様は、今や立派な後宮の大黒柱。
 主上おかみは幸せ者だ。
翼禮よくれいたち、今日も夜は当番なのよね? 代わってもらえるよう、手配しましょう」
「え、大丈夫ですよ。戦えます。元気です。ほら」
 わたしは杖をクルクルとまわしながら笑って見せた。
「でも……」
「仕事する方が、色々考えなくて楽なんです」
「そう? じゃぁ、せめて明日はお休みが貰えるようにするとか」
「大丈夫ですよ。知っているでしょう? わたしは元気です」
「ううん……。わかったわ。本当に、頑固よねぇ」
「え」
「そうなんです。翼禮よくれいって頑固ですよね」
「竜胆もそう思う? これ、昔からなのよ」
「あらら」
 二人がわたしの昔話で盛り上がり始めてしまい、いたたまれない。
 わたしがいないところでやってほしい。
「で、では! わたしと竜胆は夜の準備をしに帰りますね!」
「あら、急ね」
翼禮よくれいったら照れ屋さんなんだから」
「ちがいます」
 わたしは半ば強引に竜胆を立たせ、裕子と小宰相、そして女房や女官たちに挨拶をすると、空へと飛びあがった。
「なんで地下道通らないの?」
「空を飛んで帰りたい気分なんです」
「ふぅん」
 顔が熱い。今までの人生、こんなにも自分に注目が向くような出来事は無かった。
 誕生日に家族全員から祝われるくらいだろうか。
 慣れていない。
 急激に友達が増えたような気がして、戸惑う。
 それに、友達以外にも、一人いるし。
「なんだか、祇宮祭の最中は昼も夜も大忙しって感じね」
「そうですね。去年までは後宮なんてなかったから、もっと見晴らしがよかったというか……。何か不穏なことが起これば、もう少し簡単に判明していたんですけど、今は難しいですね」
「まぁ、これも主上おかみきさきたちを護るためだから仕方ないのかもしれないわね」
「そうですね。直接的な攻撃は目に見えて減りましたから、効果はあるんだと思います」
「どっちもどっちよね。悪い奴はやり方が変わってもそれに順応して悪さするし」
「困っちゃいますね」
 もう陽が落ち始めている。
 空が青から橙へ。
 紫になる前には、現場についておきたい。
「今日はどのへんだっけ?」
「南から東です」
「陰陽術師たち、ちょっと減ったわよね」
「傷が深くて、復帰が予定通りに行ってないんだと思いますよ」
「このままだと人数足らなくなりそうじゃない?」
「民間陰陽術師とか市井の祈祷師を一時的に雇い入れることはあるかもしれませんね」
「えええ……。不安じゃない?」
「本当は霊能力者の方々に来てほしいのですが、そうすると内裏や後宮の護りが薄くなっちゃいますからね」
「大変だわぁ」
 竜胆は人材不足を嘆いているが、祭の日数的にはまだ折り返しに差し掛かったところ。
 そろそろわたしの父や母が忙しくなるころだろう。
 本当はあまりやらないほうがいいのだが、仙術で薬の効きを良くし、自己治癒力を一時的に高めてはやく復帰してもらえるようにするのだ。
 これには大きな反動がつきもので、祭のあと、身体のだるさで動けなくなる人間が続出してしまうのだ。
 元気の前借まえがりほど本末転倒なものはない。
「さぁ、今日も頑張りましょうか」
「そうね。蹴散らしてやるわ!」
 竜胆は先ほど戦闘には加わらなかったせいか、わたしよりもずっと元気が有り余っているようだ。
 これなら、今日は少し楽が出来るかもしれない。
 わたしもそれなりに元気ではあるが。
透華とうかたちはどこなのかしらね? 今日の担当」
「どこなんでしょうね」
「え、知らないの⁉」
「知りませんよ。わたしも教えませんし」
「な、なんで⁉」
「心配されたくないからです。お互い、怪我を負うのが前提の仕事ですから。いちいち心配していたら面倒ですよ」
「ドライねぇ……。透華とうか翼禮よくれいと同じように想っているとは思えないけど」
「そ、それは知りません」
「ふぅん。ふぅぅぅん」
「行きますよ。内裏上空でくっちゃべってたら陰陽術師たちにまた嫌味を言われかねないですから」
「はいはーい」
 わたしと竜胆はゆっくりと下降し、自分たちの仕事部屋へと戻っていった。
 初夏の空気が少し湿気をはらみ、汗で髪が首に張り付く。
 青々とした新緑の香りを胸いっぱいに吸い込み、わたしは硝子戸を開けて中へ入った。
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