なまいきΩと、あいされΩ。

蛤釦

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後編

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「海音か、お前が俺に何のようだ」

そう言って海音(凛音)に話しかけるのは野間口亨だ。
言葉の節々から苛立ちが感じられ、不快指数は高そうだ。
凛音(海音)は発情期ということで休みとっている。

(イライラしてんのはこっちの方だ馬鹿者、全く発情期如きで休むなど情けないにも程がある)

はぁ、と溜め息を吐いて彼の顔を見上げると顔に幾らかの傷があった。
左の目蓋も腫れ上がっており、内出血の痕もみられた。
凛音から見たらどう見ても凛音を強姦したことによる抵抗の跡だった。
だが、どうしても凛音にとってその考えは腑に落ちずにいる。

「どうしたの?の、野間口くん…その傷……」
「………チッ…」

びく、と海音(凛音)の身体が震えた。
野間口は海音の事が嫌いだった。それは、凛音の影響も多少はあるが深層は凛音と同じで、αに愛想を振りまくその姿が気に入らなかったのだ。
だから、凛音と全く同じ顔の相手でもご覧の有様だ。
まあ、凛音なのだが。

「なんでもねえよ!甘ったるい匂いさせて、臭えから離れろ」
「そん、な………オレ、野間口くんと話したくて来たのに…」
(相変わらずこの男の変わり様は凄いな。まあ、同じ思想を持つ者同士邪険には出来ないが、出来ない、けど……)

少し寂しい、なんて海音っぽい事を考えてしまったのは、今は心の底から海音を演じているからだろうか。なんて頭を振って誤魔化した。

「……うっせー!お前に話すことなんて一言もない!どっかに消えちまえ、不快だ」

と、とうとう“不快"という言葉を声に出し、肩を小突かれた。
海音ならば、しおらしく踵を返して教室を後にするだろう。海音ならば、な。
だが、今は凛音が演じている海音だ。
それに今回はいつもとは違い訳ありだ、昨日から溜まっていた苛立ちの10分の1くらいの力で、逆に野間口の肩を拳で突き耳元で囁いた。

「………凛音のことだ」

静かに、でも鋭く聞こえるその声に、驚いたような顔をして野間口は海音(凛音)を見た。

※※※

けたたましく響くチャイムは1時限目を知らせる合図だ。
しかし、そんな事など無視をしてふたりは生徒会室の前に立っていた。

「なんでお前が生徒会室の鍵持ってんだよ」
「何でもいいだろ、あと、『お前』と言うな痴れ者が…馬鹿か貴様は」

凛音はバタンと勢いよく扉を閉め、鍵をかける。
そして入念に衝立棒を布いて野間口に向き直った。
彼の顔は、笑えるくらいに眼を丸くして驚いていた。

「野間口、貴様…俺はもう少しお前は賢いと思っていたぞ」
「……へっ。あっ…えっ…?」
「お前はレイプしたと勘違いしているようだが、ちがうぞ」

状況が飲み込めて居ない様子の野間口をハナから無視をして続ける。

「お前がレイプしたのは俺の弟の海音だ」
「…………へ…?」
「馬鹿だなお前も、俺とお前が憎んでいるアイツを間違えるなんて…馬鹿が過ぎるぞこの大馬鹿者」
「え、ちょ、えっ…?えっ?ど、どういう………こ、とです…か?」
「はぁ………取り敢えず事の顛末を教えろ変態。まず、おもてが高い、そこに直れ!正座しろゴミクズが」

言われるがまま野間口は「はいっ!」と大きな声で返事をして、初夏でも冷たい床に正座をした。
凛音は男の前にキャスター付きの椅子を持ってきて、そこに足を組んで座る。
野間口を見つめる視線は、北極の氷よりも冷たそうであった。

「さぁ、言え。洗いざらいぶちまけろ」
「あ、あ……は、あの…」

野間口はやはり未だ理解できていない様子で狼狽えていた。
「まぁ、そうだよな」と、小さく漏らした凛音は足を組み直し、おまけに腕まで組んでパクパクと何か言いたそうにしている野間口を見下ろした。

「………野間口、お前はαなのか?」
「……え、と…ど、ういう…?」
「質問にだけ答えろ能無し。お前は、αなのか、と俺は聞いているんだ!」
「はぃっ!!ち、違います!俺は…私はβにございます!!」

ダァン!と思い切り床を踏みつける音に、野間口は身体を震わせ嫌な汗を背中に伝わす。
「あぁ、頭が痛い…くそ」と、凛音が頭を押さえようとするとすかさず野間口は「凛音様!」と立ち上がろうと片膝を立てた。
が、凛音はそれを許しはしない。

「何を勝手に動いているんだゴミ屑、あと俺の名前を気安く呼ぶな下郎が!吐き気がする」
「は、ぃ…」

絵に描いたように落ち込み、ガクリと項垂れる野間口に凛音は「少しだけ言い過ぎたか?」と視線を緩める。

「…っ……はあ、質問を続ける」
「…はい」
「まず、なぜ俺を犯そうとした。俺はお前が触れていい存在か?違うだろ?俺がお前のその虚ろな脳味噌にそう叩き込んだか?えぇ?」
「いえ、違います!決して!あってはならない事です!」
「そうだろう、じゃあ貴様はあの売女として犯したのか?」
「そうでもありません!私は不躾ながら凛音様と思い、おかし……いえ!行為に及びました!」
「じゃあまず一発だな」

パチン!と凛音が言い終わる前に響いた音は、野間口の頬を赤く染めていた。
凛音の手にあったのは30cmのプラスチック製の定規だ。
久しぶりの痛みに、野間口はくらくらと脳を揺らした。

「ぐっ、すみま、せん…!」
「すみませんですんだら警察など要らぬぞ強姦魔」
「いえ!俺は強姦なんて!」

パシン!また、色濃く頬を染めた。

「…ッ!!」
「俺は質問をしていない、勝手に口を開くな駄犬」
「………はい…」
「続けよう。お前は強姦をしていないと?たしかに今そう言ったな」
「!はい!俺は…私は強姦をしておりません」
「じゃあなんだ、から貴様の様な家畜以下の下等生物を誘ったというのか?あぁ?」
「はい!そうでございます!」

苛立ちに合わせてぱちんぱちんと小さな音が何度か鳴る。凛音が手の中でプラスチック製の定規で虚空を掻いていた。
その音を聞いた野間口は、はぁ、と呼吸を速くし頬にじんじんと痛む柔らかな熱を感じた。
だが、彼にあるのは恐怖ではない。現に、野間口は制服のスラックスの一箇所を突っ張らせいた。
彼は、この擬似的なサディズムに性的興奮を抱いていたのだ。
……これが凛音があまりこの時代錯誤の仕置をしたくない理由である。

「気色の悪い、何を勃起させている、鎮めろ」
「はぁ、で、きませんッ…!凛音様…びゃ!」

バシーン!より一層大きな音が鳴る。

「だから俺の名前をそうやすやすと呼ぶな下賤の変態が」
「すいません!すいません!すいません!!」

もう幾度彼の頬を叩いたか、もともとあった傷口が開き血が少しだけ滲み出ている。
久しぶりの仕置に、凛音は少しだけ肩を揺らし荒い呼吸をしていた。

「………つぁ…は、あ…はぁはぁ………じゃあ、続けるぞ」
「…っ、いつでも……お願いします…」
「あの日の事を詳しく話……いや、端的で良い。貴様等の下世話など聞きたくもないからな、事象だけをできるだけ詳しくな」
「…はい!あの日、凛音…様で……ひっ!すいません!会長…ではなく、海音に、なるんですか?」
「そうだ、俺達はもともとその日によって入れ替わり学校に来ていた。今日も俺は海音として学校に来ている。この話はこれで終いだ、詮索するな、お前の話を続けろ」
「あ、はい…?あの、生徒会室で仕事をしようと…それで生徒会室の近くに来たら北郷の声がして、それで飛び込んだら…北郷と凛音さ…いや、海音が抱き合ってて…………」

………

「………それで、無我夢中に海音を犯してて、海音が項を噛めと何度も執拗に言ってくるので、訳分からず噛んでしまい……」
「……簡単にΩの首筋を噛むな…!それくらい常識だろう……いい、続けろ」
「すみませんッ……それで………あれ?」

ぶたれると思い目をつぶった野間口は、いつまで経っても来ない痛みに顔を上げると凛音は目を押さえ少し肩をふるわせていた。
野間口にとってはその理由が、どうしても理解できず見つめ続けていると、目元から手を離した凛音と視線を繋げた。
一粒、雫が溢(こぼ)れていたのは気のせいなのかもしれない。

「どうした、続けろ…」
「あ、はい……俺が意識が戻った時には海音はまだ目が覚めてなくて…どうしようって焦った俺は取り敢えず海音の身体を綺麗にして、タクシーで凛音様の家の近くまで帰りました……これが、全てです」

「……そうか、なら本当に貴様から手出しはしていないんだな?」
「はい!神様仏様凛音様に誓って!!なんならこの俺の命を捧げます!」
「容易く俺なんかに命を賭けるでは無い馬鹿……そうか、弟がすまなかった…いや、もとはと言えば俺達が『入れ替わり』など馬鹿馬鹿しい事をやっていたのが間違いだったな……迷惑をかけた、すまない」
「いえ、いえいえ!滅相もございません!私も……自制が効かなくて…」

いつの間にか凛音は椅子から降りて野間口の前で膝をついている。
そして、血の滲んでいる頬を優しく撫ぜた。
凛音の手が触れるや否や、野間口は大きく身体を震わす。

「?!り、りおさッ!!お、俺なんかに触ると穢れますよッ!!」
「……黙れ。なぁ、一つ聞きたい」
「はい!なんですか!」

「お前は本当にαでないのか?海音を見ていると、どう見ても番われたΩにしか…そうとしか見えないのだ」

βとΩは番になれない。それは世界の常識だ。常識だからこそ、海音の様子はその常識が当てはまらないように凛音は思えた。
凛音はわざとらしく視線を落として弱々しく息を吐いた。
海音になって身につけた仕草。こうすれば、男は大体口を開くのだ。

「……っ………あの、おれ……凛音様に、黙っていた事が一つあって……」

あって、と声が途切れてから幾ばくかの時間が流れた。
しかし、凛音は敢えて答えを急がなかった。
沈黙の間がだいぶ苦しくなってきた頃、ようやく野間口は口をひらいた。

「…お、俺………αなん…ッす…後天的な…」
「そ、うか………そう…か…」

なんとなく予想はついていた。予想はついていたが実際に声に出して言われると、凛音は何も言えず胸を締め上げるだけだった。
鼓動が早くなり息が苦しくなる。
どうしてだろうか、海音がひどく羨ましく憎い。
目の前の男の不甲斐なさに、涙さえ溢れてくる。
凛音はこの感情をなんと呼ぶのか理解が出来ずにいた。
どんな教職もどんな教科書も、どんな参考書にだって載っていない。

『入れ替わり立ち代わり大作戦』の代償だった。

「……ふっ、つぅ…ぃ、いつからだ…!」
「え、あ……えっ?!凛音さま…どうして、泣いてなど」
「やかましい!俺は泣いてなどいない!質問に答えろ!いつからだ!」
「あ、え……と…高1の終わり頃に…違和感あって病院に行ったら……」
「…っ!だってお前!入学式の時はβとして届け出をしていたじゃないか!入学式じゃない!毎年、そうやって…!βだって!!」
「………すいません、偽造してたんです…俺……凛音様に嫌われたくなくて…ハハ、でも、結果的に嫌われるより最悪な結果になっちゃいましたけど」
「…っあ。ばかぁ…ひっ…ぐっ…!」

何度泣いても何度崩れ落ちても、胸の苦しみが取れることは無かった。
凛音は、野間口が好きだった…のだろう。
中学生の頃からの付き合いで、αやΩやβなど、第二の性別に嫌気が差していた…紛うこと無き同士に。
最初は彼の方が“男らしく"背が伸びたことによる羨望。
筋肉も付き始めて、どんどんと大人の階段を昇る野間口に羨ましさと同時に、憧れを抱いていた。
その憧れは、やがて小さな火の粉に変わり、身を焦がした。
確かに高校二年生に上がった頃から、元々垂れ目でだらしなかった顔つきはより精悍な顔つきへと変わり、女子達からもモテ始めるようになって行った。
成長、と呼ぶにはいささか変わり過ぎたのかもしれない。
どちらにせよ後の祭りだ。

美しく変体した男は、凛音では無く海音の番になった。
半分凛音の海音の番だ。

優しい温度が凛音の背中に伝わり、朧気な輪郭を覗いた。
そのまま促されるがままに彼の胸へと抱かれ、ポツリと呟く。

「……こんなこと、番以外のΩに触るなど……っ…いや、だろう…」
「…あぁ、不思議なくらいに…。あんなに貴方の事が好きだったのに、いや、俺は……貴方と番えたと、そう思っていたのに……俺…は…」
「そうやって自分を呪え愚か者。俺も自らを呪う。この呪縛に、いつか嗤える日が来ることを願って…な…」

「嗤え、ない…ですよ……凛音…」

「お前は、項を噛んで……」
「そ…ぅ…です」
「……ほんと、馬鹿だな…俺も、お前も」

抱き締め合う力はより一層強まるばかりであった。

「あんなに美しい凛音様を誰にも取られなくなかった…ただ、それだけなんです。それだけなのに……ッ…!」

どこかで蝉の鳴く声が聴こえた。
青空は確かに、炎天下のために高さをグンと持ち上げて、太陽は人々に熱視線を送る。
夏はもう、すぐそこだ。
それなのに、薄ら寒そうに彼等が身体を温めあうのはどうしてか。


(海音編・了)

※※※

「……はぁ?凛音が今日休みだぁ?有り得ねぇ、有り得ねぇよ…」

朝のHR後、教師の口から知らされた情報にそうぶつくさと大きな声を上げているのは、顔の至る所に絆創膏を貼った北郷祥太朗だった。
何故あり得ないのか、自分でも理解できないがとにかく凛音が休みということは受け入れ難いのだ。
どうにも合点が行かない、そんな気持ち悪さが北郷を支配している。
まるで白昼夢の様だ。
結果としては北郷はクリーンヒットしたアッパーカットのおかげもあって、昨日のことを全く憶えていなかった。

「意味わかんね……てか、海音はどこだよ?」
「海音も朝から見てないな、海音も休んでるんだろ…もしかしたら優しい海音のことだ凛音の看病してやってるのかもな」

西館がそう言うと北郷はなんともバツの悪そうな顔をした。

「何が気に食わないんだよ」
「……や、別に…」


「………なんでも、ないん…だよなぁ?」

はぁ、とはいた色の無いため息は、静かに薫りたつ空気とともに流れていく…。


(凛音編・続く?)
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