黒魔女のイデア

第5話 抗いの代償

第二子の名前は『ルシウス』と決めていた。ハイノと相談して決めた名だった。『光』を意味する名前にした。

マデュラの家名に光を与える子としてマデュラ子爵家騎士団を率いる事ができうる団長に育って欲しいと願いを込めた名だった。

バタンッ！

マルギットの寝室から湯桶を手に出てきた女官のベーベルにハイノが訊ねる。

「マルギットの様子はどうだ？子はまだ生まれないのか？」

陣痛が始まって丸2日が経とうとしていた。苦しみもがく声が何度となく聞えてくるたびにハイノは身が切られる思いでいた。

「はい・・・・マルギット様が苦しまれる間隔が短くはなってきていますので、今しばらくかと・・・・」

ベーベルは不安を必死に隠そうとしている様子だった。

「ベーベル、私への気兼ねは無用だ。
部屋の中で何が起きているのだ？2日も経つのだぞ。
このままではマルギットがもたぬのではないのか？」

ハイノは静かにベーベルを問いただす。
ベーベルは湯桶を持つ手がふるふると小刻みに震えていた。

「ベーベルっ！正直に申せっ！
部屋の中で何が起こっているっ！マルギットは無事なのかっ！」

バシャッ！
ゴロンッ・・・・

ハイノが珍しく大きな声を上げた。ベーベルを驚き、手にしていた湯桶を床に落とす。

「申し訳ございませんっ！ハイノ様っ！」

ベーベルは慌ててハイノの衣服に水がかかっていないか確認する。

「いや・・・・声を荒げ悪かった。
あまりに時がかかっている。マルギットも子も大事ないのか心配なのだ」

「・・・・」

ベーベルは無言で床にこぼれた水を湯桶にかけていた布で拭き取った。

「ハイノ様、換えの湯を取りに水屋に行ってまいります。
戻りましたらマルギット様の元にお伴致します」

ベーベルはハイノへ神妙に頭を下げるとパタパタと水屋に急ぎ向かって行った。



ふっと意識が戻りマルギットは目を開けた。

「マルギット様！！気付かれましたかっ！」

医師と産婆が覆いかぶさる様な体勢でいる。

「うっ・・・・」

部屋の中に充満している鉄さびとローズマリーの精油の混在した臭いに吐き気をもよおした。

医師と産婆が意識が朦朧としているマルギットの身体を天蓋付のベッドから床に下ろすと耳元で大声を上げた。

「マルギット様、お子を押し出しますっ！
このままではっ！お子もマルギット様もお命を落としますっ！失礼っ！」

そう言うと医師はマルギットの腹の上に馬乗りになった。

産婆の一人がマルギットの両足を抑え、もう一人は開かれた両足の間で待ち構えている。

グググッ！！！

馬乗りになった医師がマルギットの腹を足の方へと強く押す。

「くっ！！うわぁぁぁぁーーー」

マルギットは痛みのあまり大声を上げた。

「マルギット様、堪えて下さい。
腹に力を入れて下さいっ！お子を押し出しますっ！
一緒に力を入れて下さいっ！」

医師の必死の声が遠のく。

「マルギット様っ！お気を確かにっ！眠ってはだめですっ！」

グググッ！！！！

医師は容赦なくマルギットの腹を押した。

産婆が医師の動きに合わせてマルギットの開かれた両足の間に手を入れた。

「頭がっ！頭が出てきましたっ！次で引き出しますっ！」

「よしっ！」

医師は産婆の声に再びマルギットの腹を押す。

ググググッ！！！

「くっ！！うわぁぁぁぁーーー」

ズルリッ・・・・

産婆に抑えられた両足の間から子が引き出された。

産婆は引き出されたへその緒がついたままの子をマルギットの両足の間から抱え上げる。

産声を上げない子の両足首を持つと逆さつりにし背中をトントンと叩いた。

マルギットは遠のく意識の中で産婆の手で逆さ吊りになる我が子に目を向けた。

全身が赤紫色の子の身体はダラリと力なく産婆の手の中でぶら下がっている。

まるで精気が感じられない。

「はっ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・
子・・・・は・・・・ル・・・・ルシウス・・・・は・・・・・」

フッ・・・・

マルギットはそのまま意識を失った。


冷たい暗闇の中で耳元で囁ささやく声がする。

『ふっふふふっ・・・・気分はどうだ？マルギット。
そなたが望んだのだぞ。我の話を聞かず、夫を生かした報いを受けたのだぞ。
あの時、夫を贄にしておれば子は死なずにすんだものを・・・・
ふっふふふっ・・・・愚かな事だと解ったであろう？
我の復活を抗あらがうことなどできないのだ。
観念致せ。次に子を孕んだら直ぐに夫を贄にするのだぞ。
さもなくば、また子が我の糧となる。止められないのだ。我は復活する』

声に答えるでもなくマルギットは虚しさを感じていた。

「ああ、私はどうすればよかったのだ・・・・」

子は生まれて間もなく亡くなったのだろうとぼんやりと思い浮かべ目を開けた。

「マルギットっ！！」

名を呼ぶ声の方を見るとハイノがベッドの脇に置かれた椅子から身を乗り出した。

医師が目覚めたマルギットの様子を診る。

「・・・・峠は超えたかと・・・・
まさか、あの状態から戻られるとは・・・・
奇跡としか言いようがありません・・・・・」

医師はハイノに驚きの表情を向けた。

「マルギット様は、天から何か使命を与えられているのやもしれません・・・・
二週間は安静になさって下さい。
起き上がらずに伏せていらした方がよろしいでしょう。
この状態で動かれますと次に子を宿すことはできなくなります」

ハイノは医師の言葉に静かに頷いた。

「後のことは私から伝えます」

ハイノが医師に目配せすると医師は部屋を後にした。

パタンッ

扉が閉まるとハイノはマルギットが横になるベッドの隣に置かれた椅子に座る。

そっとマルギットの右手を取ると指先に優しく口づけをする。

「マルギット、そなたが無事でよかった」

「・・・・」

マルギットはハイノをぼんやりと見つめていた。

「喉が渇いたであろう？飲めるか？」

ハイノは木製のワゴンの上に置かれている吸いのみを手に取るとマルギットの口元に運んだ。

コクリッ・・・・

水が喉を通るとはり付く様に感じていた喉に潤いが戻る。

コクリッ・・・・

マルギットは二口飲むと吸いのみから口を離した。

「・・・・ハイノ・・・・」

かすれた声でハイノの名前を呼ぶ。

「うん？なんだ？何か欲しいものがあるか？」

ハイノは憐れむ様な眼差しをマルギットへ向けていた。

「こ・・・・子は？・・・・ルシウスは？・・・・」

確かに取り上げられたが姿がない第二子の所在を恐る恐る確認する。

「・・・・」

ハイノは吸いのみを木製のワゴンの上に戻すと再びマルギットの右手を握った。

「ルシウスは丁重に葬った」

「・・・・そう・・・・」

マルギットは解っていた。取り上げられて直ぐに逆さ吊りにされた赤紫色のルシウスはあの時既に死んでいたのだと。

ギュッ！

ハイノはマルギットの右手を強く握った。

「ルシウスは自力でそなたの腹から出る力がなかったそうだ。
医師と産婆がそなたの腹から引き出した。
そうしなければそなたの命も助けられなかった・・・・子は・・・・」

ハイノはマルギットの右頬に手を置いた。

ハイノはマルギットの緋色の瞳をじっと見つめた。

「子は・・・・また授かる・・・・
そなたは身体の回復だけを考えていればよい」

ハイノはマルギットに口づけをした。

マルギットの目じりから涙が伝わる。

マルギットは己が抗うだけでは敵わない相手が己の中にいる事を悟った。

『・・・・ならば・・・・おすがりするしかあるまいっ！
私は決めたのだ。どんなことをしてでもハイノと共に
ハインリヒ様の理想イデアを叶えると誓ったのだ』

冷たい暗闇の中で聞えた囁ささやきの通りにしてはならないと強く願うとかすれた声でハイノに頼みごとをした。

「ハイノ・・・お願いがあるのだけれど・・・・」

マルギットからハイノに頼み事をする事等ほとんどと言っていい程ない。

ハイノは少し驚いた表情をマルギットへ向ける。

「そなたが私に頼み事とは。何なりと申してくれ。
私にできることならば何でもするぞ」

ハイノはマルギットの右頬をそっとなでると愛おしそうな目を向けた。

「ハイノ、感謝するわ。
ポルデュラ様を・・・・ラドフォール公爵家のポルデュラ様とお会いしたいの。
訓練施設を訪ねて欲しいの」

「ポルデュラ様を？また、思いもよらぬ方の名が出たな」

ハイノは再び驚きの表情を向ける。

「あの時のお話しがしたい、お力をお貸し下さいと伝えて下さるかしら」

マルギットは今持てる精一杯の力を声にのせた。

ハイノに強い視線を向ける。

「承知した。明日、訓練施設に出向く準備をする。早い方がよいのだろう？」

マデュラ子爵所領から王都城壁の訓練施設までは馬で3日は要する。

ハイノはマルギットからの頼み事を直ぐにでも叶えてやりたいと思っていた。

「ええ、早い方がいいわ。今でなければならないことなの」

ハイノはマルギットの緋色の瞳を見つめると再び口づけをする。

そっと唇を離すと立ち上がった。

「ベーベルを呼ぶ。私は明日の準備をしてくる。そなたは何か食べるのだぞ」

「感謝するわ、ハイノ」

マルギットは部屋から出るハイノの背中を見送った。